今回は、細かいことは抜き…みたいな形になります。
「う、うぅん…、暑い…あちぃよ…」
人が寝静まる深夜に、俺は目が覚めてしまう。
冷房の稼働音はわずかに耳に届いているため、停止しているわけでもないのに寝苦しい。
七月の熱中夜、このところしっかり眠れなくなっている。
意識がはっきりと覚醒はしていないが、ぼんやりと思考できるぐらいには脳が働いている。
だがしかし、ただの寝苦しさとは違う。
俺の枕元に立つ
「……………」
その人影は、ものを言わない。
しかし、人間ではないことは確かだ。
もし人間ならば強盗かなにかで、俺は無事ではすまないのではないか。
やつが出始めた日、俺は悲鳴を上げそうになったのだが、声が出ることはなかった。
まるで声が喉の奥で塞き止められているような感覚。
やつの影はそう大きくはない。
一般的な人間ぐらいのサイズだ。
(こいつマジでなんなんだ…。霊的ななにかなのか?)
このアパートは家賃も不自然な安さではなかったから、いわゆる事故物件というわけでもなかったはず。
それに、急にこの頃やつが出始めたことから、元々ここにいたわけではないという仮説が立てられる。
ゆらゆらと影が揺れ、今日も俺に向かって影が近づいてくる。
実際に触られる感触はないが、不気味なのは確かだ。
その影の実体はなさそうだが、顔の近くまで接近しているように感じる。
こうして数時間ほどなされるがままになると、いつの間にかすうっと消えていく。
そしてようやく拘束から解き放たれたかのように、手足を動かすことができるようになる。
「眠い…しんどい…」
窓を明け、ベランダに出ると一日の始まりを思わせる太陽が昇りはじめている。
勘弁してくれ…
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ねぇ、大丈夫?」
「…なにが」
「なにがって…体調だよ。ここ最近、将士君と会うたびにクマがひどいし、ぽけ~っとしてるんだもん」
「あぁ、まぁな…」
思うように眠れていない中で、大学の講義が頭の中に入っていくはずもなく、教授が喋っている内容が耳を通りすぎていく。
一瞬意識が戻ったと思ったら、また一瞬で目を閉じ頭が傾く。
なるべく目立たないように、講義室の後方に座っているものの、結局バレてはいそうな気がするが。
そして、隣に座る彼女…明香里は心配そうにこちらを覗いていた。
ぽそぽそと耳元に届くか届かないかぐらいの声量で話しているため、若干のもどかしさがある。
「ねぇ…なんか困ってたりするの?後で話聞かせてよ」
「そうだな…後で話すわ」
生憎、この講義は必修科目のため、落とすと後が面倒くさい。
…必修でなければサボって家で寝てしまおうと思ったのだが…
眠るのを恐れる自分がいる。
次起きた時、やつとまた出会うことを考えると…
眠ることができないと、精神が徐々に不安定になっていくことを肌で感じていく。
講義が終わり、俺は別の講義室に向かう。
隣には明香里がいるが、正直話すのも億劫なほどダルい。
講義室を行ったり来たりする必要があるから、体調が悪ければなおさらしんどい。
…幸いにして、次は講義ではないのが救いではあるのだが。
俺たちが所属しているサークルの打ち合わせだ。
「おお!将士!お疲れ!…姫嶋さんもお疲れ様!」
「…おぅ」
少し広めの講義室に入ると、同じ一年で仲良くなった真宮が先に座っていて、俺たちに声をかけてくる。
もさもさとしたパーマスタイルがふわふわと揺れているが、それが今は少しだけ気になってしまう。
「…将士、クマすごいけど…大丈夫か?」
「そうそう!将士君最近体調悪そうで…なんでかわからないんだけど」
「あぁ…」
声がズキズキと脳に染みていく。
普段ならいたって普通の声量なのに、異常なぐらい響いている。
「この頃、枕元に変な影が立ってて…それが気になって眠れねぇんだ。それに…その影が出る前になぜか目が覚めちまうんだ」
「…それは、幽霊…みたいな…ってこと?」
「………」
二人は要領を得ない様子で首を傾げている。
そりゃあそうか。俺だって実際に見なければ信じることもないだろうし。
だけど、本当なんだ。
こればっかりは、言葉を尽くしたところでどうにもならない。
「俺にもよくわかってない。だけど、そんなに大きくない影が、俺に近づいてきて…その影がいるときは身動きもとれねぇんだよ」
俺が気落ちしながら説明していると、真宮は眉根を寄せていく。
「うーん。なにか罰当たりなこととかしてないよな…?」
「してねぇって。…祠を壊したりとか、墓を蹴ったりとかしてない」
「ねぇ…こういうのって専門家に相談したほうがいいんじゃないかな?」
「専門家って…よく言う霊能力者ってことか?」
明香里が提案してくる霊能力者に相談というのは、俺はあまり乗り気じゃなかった。
はっきり言えばかなり胡散臭いというイメージがどうしても先行する。
ついでに大量の金を要求されそうで、信じがたいのだ。
「…そういえば、うちの大学って霊能力…あれ、オカルト研究会?があったよな?今度行ってみるか?」
「まぁ、考えてみるわ…」
しかし今は藁にもすがりたい。
霊能力だろうがオカルトだろうが、解決すればなんでもいい。
「うーん、どうしたらいいんだろう…」
「まぁ、将士。マジでヤバかったらなにができるとは言えねぇけど、すぐ連絡くれ。姫嶋さんも彼女として不安だろうしな」
「あぁ…」
相談したからか少しだけ気が紛れた気がする。
大学に入ってから数ヵ月だが、こういう親身になってくれる友達と側にいてくれる彼女がいるのはラッキーだ。
そう思いながら、年期の入った木製の机に突っ伏そうとした時。
「………チッ」
俺の横を通りすぎようとした瞬間、明らかにこちらに聞こえるような舌打ち。
ああ…あいつも来てんのか。
まぁ同じサークルに入ったみたいだしな…来ててもおかしくない。
「なんなんだ、あいつ。やっぱりちょっと感じ悪くねぇか」
舌打ちに対してピリッとした雰囲気を醸す真宮。
だが、舌打ちの対象は間違いなく俺だ。
俺は突っ伏しながら横目でそいつを見やる。
温水 和花。
名前の可愛らしさとは裏腹に、思い込みが激しい部分が目立ち、激情的なところがある。
服装も地雷系のものを好んでおり、よくも悪くも目立つタイプ。
ただ、今のところはサークルのメンバーとは仲良くやれていそうに見える。
…どうやら化けの皮が剥がれている様子はないようだ。
若干のもやつきは心の中にあるが、もう深く関わることはないだろう。
ただ、しかし。
真宮にも、そして明香里にも伝えていないのだが…
温水は、俺の高校時代の元カノなのだ。
「はーい、じゃあ次の活動内容の打ち合わせしまーす」
サークル会長の間延びした声が講義室内に響く。
俺が入っているサークルは、近郊旅研という名称のサークル。
活動内容は一般的な旅行研究会をさらにコンパクトにした大学近郊を巡るという、かなりスケールダウンした内容になっている。
…今思うと、旅行じゃなくて遠足レベルじゃねぇか…?
ただ、意外にも会員数は多い方だ。
きっと手軽で活動も気楽なサークルの一つだからだろう。
「ほんじゃあ、次の活動場所なんだけど~」
「じゃあ、これ配っておくね~。あ、班のメンバーはSNSのグループに貼ってあるからよろしく~」
ぼうっとしながら話を聞いていると、どんどん話が進んでいく。
どうやら、数人の班になって近郊のスポットに行くという話になっていた。
まぁ、参加しようとは思いつつも、今の体調不良が続くとしんどいな…。
俺はSNSを開き、同じ班になったメンバーを見てみる。
そこには上級生下級生関係なく混ざっているが…
「うわ」
思わず小さく声が出てしまう。
そこには明香里と…温水の名前が載っていた。
思わずこっそりと後ろをチラ見すると、目がバキバキになっている状態でこちらを睨んでいるように見える温水。
…こっちもこっちで夢に出てきそうだ。
昔から目力はあるから、余計おっかない。
とりあえず、突っ伏すことを継続し続けることにした。
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「暑い、暑い…あぁ、もう!」
また夜に目が覚めてしまった。
かろうじて体にかかっていたタオルケットを剥ぎ、大の字で荒く息を吐く。
近くにあるスマホを手繰り寄せ、時刻を見ると丑三つ時近く。
これは…いつも通りだったら、またやつが現れるような気がする。
ただ予測はできても対抗することはできないのだから、諦めの境地で目をつむる。
体が燃えるような熱さを帯びていて、眠るにも体力がいる。
そうして俺はいつの間にか意識が消失していく。
「将士!私と付き合わない…?えっ!いいの?やったあ!」
「将士!今日はあそこに行ってみようよ!…えへへっ、楽しいな」
「将士…誰…あの子?…距離近すぎるでしょ…」
「将士…?あんまり私を不安にさせないでよ…ね?」
「将士ッ!!別れたいって…なんでよ!いや!別れない!私、納得できないよッ!!」
「…最悪の目覚めだ…なんなんだよ、一体」
朝の日差しが入ってくると同時に、目は覚めた。
しかし、休まったわけではなく、脳は興奮した状態のままのような気がする。
やつは現れなかったが、代わりに忘れようと努めていた記憶が再生されていた。
俺と和花…いや、温水との楽しく、そしてめんどくさい思い出。
最後は俺から別れを切り出し、縁を強引に断ち切ったのに。
…昨日、温水を見かけてしまったから、思い出してしまったのだろうか。
結局のところ、精神もより削れたことから、今日も回復することはなかった。
ふらふらになりながら、大学に着く。
血液の循環が上手く行っていないせいだろうか、眩みだしてしまう。
幸いにして次の講義まで時間があるため、襲ってくる眠気を少しでも吹き飛ばそうと、大学内に併設されたカフェテリアに腰を下ろした。
そこでコーヒーを飲みながら、あてどなくスマホをいじる。
まだ昼前ということで、カフェテリアに入ってくる人はまばらだったが、見覚えがある人影が俺の前に立った。
「随分体調悪そうじゃない」
「………」
「前、座るわよ」
「今なら四人掛けの席も空いてるから、そっちに行けばいい」
「一人ぼっちに見られるのは嫌なのよ」
「…あっそ」
仏頂面にトゲトゲした声音。
対して俺の態度も硬化していく。
…なんでわざわざ絡んでくるのか、よくわからない。
「なんか用か。…温水」
「…いや、別に?たまたまシケた顔してる男が見えたから、拝ませてもらおうと思っただけ」
「…性格悪いな」
「アンタに言われたくないわ」
フンと鼻を鳴らし、手に持っているカフェモカを啜る温水。
高校時代より、大分垢抜けたような印象を受ける。
外見よりも、中身の方が問題ありなのだが。
無言の時間が空間を支配している。
ただでさえ体の調子も悪いのに、精神まで蝕まれたらたまったものじゃない。
俺は飲みかけのコーヒーをぐいと飲み干し、席を立つ。
別に俺から話すことなんてない。
「待ちなさいよ。そんなに私から逃げたいの?」
「あ…?」
「アンタの連れ…姫嶋だよね?…たらしこんだんでしょ」
「人聞きの悪いこと言うな。互いの合意の元付き合っている」
「ふん、どうだか。あの子もそうそうに飽きたらポイってするんじゃない?」
「お前…!」
挑発じみた口振りで嘲るような言葉を俺にぶつけてくる。
精神が不安定だからか、より頭に勢いよく血が上っていく感覚。
こいつが男だったら一発ぶん殴ってやらなければ気がすまないほどに。
俺は歯を食い縛り、どうにか怒りを静めようとする。
落ち着け…落ち着け…
「……はぁ、まぁいいんだけどね。アンタがどうなろうと。ま、その辛気臭い顔を見たくないだけだし」
そう言い残すと、温水は飲み終わったカップを戻しこちらを見ることなく出ていった。
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「…くっそ」
治らない体調不良に対して、一縷の望みをかけて俺は部室棟の端にある「オカルト研究会」に結局足を踏み入れることにした。
禍々しい装飾がされている木の札が立て掛けられており、一瞬入るのを躊躇させる。
というよりこの時間に誰かいるのかさえわからない。
軽くノックを数回すると、部屋の中から「入りたまえ」と返答が返ってきた。
「失礼しまーす…」
「ふむ。中々面妖な気を持った
「は…え?」
「まぁ座りたまえ。パイプ椅子というチンケなものしか用意できんがな」
部屋に入ると、中々どうして香ばしそうな喋り方をする男性が足を組みながら水晶のようなものを回していた。
…髪は総髪…とでもいうのだろうか。そのくせ服装は和装ではなく発光しそうなピカピカのスーツ。そして下駄。
全てがちぐはぐで、一目見て変わった人間だろうと思った。
俺は既にこの場から逃げ出そうと考えはじめたところ、総髪の男性は口を開いた。
「男よ、困っているからここに来た…違うか?」
「まぁ、そうですね。…ここってオカルト研究会で間違いないですよね?」
「然り。生憎、今の時間帯は俺しかいないがな」
マジか。てっきり一人親方みたいなものだと思った。
「平静は部員が数名常駐している…。まぁ、そんなことはどうでもいいだろう。…単刀直入に言う。男の困り事を申してみよ」
総髪をぶわっと跳ねさせ、こちらを指差す男性。
大学って、色々な人がいるとは思っていたが…ここまでの人がいるもんなんだな…
俺は困り事である夜の影について話し始める。
「…という次第なんです。…なにかわかったりしますかね?」
当初は全くもって期待もしていなかったが、解決する見込みもないため、一縷の望みをかけてここに来たが…
男性は指を額につけ、手に持っていた水晶を見つめている。
そうして数分後、男性はおもむろに口を開く。
「…男よ。完全には視ることができなかったが、数点。わかったことがある」
「え、マジすか!」
俺は思わず勢いよくパイプ椅子から立ち上がる。
なにもわからない状況からの光明は、俺に希望を持たせる。
「…まぁ、落ち着け。まず一つ。その影は女が原因だ。心当たりはあるか?」
「女…ですか」
心当たりしかねぇ…
「…まぁよい。あくまで俺は断片的に事象を視ることしかできない。わかりやすく言えばヒントだ。解決する力はない…理解したか?」
「は、はい」
このはっきりとした物言いに、最初に抱いた不審なイメージは薄らいでいった。
「二つ目だ。影は男に危害を加えることはしない…ん、それだと齟齬が発生するか。直接的な危害を加えることをしない…ということ」
「……」
確かに、これまで影が何かをしたというよりかはその存在によって俺の睡眠が削られているというものだ。
「そして最後だ。その影は強い感情を抱いているからこそ、男の元に現れる…あぁ、それが良い感情か悪い感情まではわからないが」
「そ、そうですか…」
「それにしても…俺もそれなりに人を視てきたつもりだが…とりわけ男は引き寄せやすそうな体質だ」
男性は水晶を机に置く。鮮やかな色合いといい、惑星を手元に収めているように見える。
「…やっぱり、この影を消す方法はないんですよね?」
この人の全ての言葉を鵜呑みにするわけではないが、聞いてみたくなった。
「…すまないが、ある、とは言えないな…。しばらくは付き合っていくしかないだろう」
「そうですか…」
やはり落胆は隠せないが、ここまで真剣に聞いてもらえるとは思っていなかった手前、来てよかったと思えた。
真偽がどうであれ、人に話してみるというのは有効だったのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はい、じゃあこれからは各々班ごとに行動するって感じで!よろしく~」
数日後、カンカン照りの空の下。
滴り落ちる汗を拭うサークル会長の号令の後、集まった大学生たちはゆっくりと数人ずつに別れていく。
今日の旅行先は有名な巨大公園だ。
「晴れすぎだよぉ~。もっと曇ってくれればよかったのに…」
「そうだな…夏本番って感じだよなぁ」
同じ班となった明香里はキャップを深く被り、手にはハンディファンを持っている。
周りも結構持っているが、この気温では熱風になりかねないと思うんだが…
「チッ…あっつ」
「…なぁ、温水。お前よくその格好で平気だな」
「平気なわけないでしょ…!」
対する温水はいつも通り通気性の欠片もなさそうなゴスロリ服でこの場に来ていた。
…せめてもう少し風通しがよさそうな服を着たらいいものを。
お洒落は我慢、ということを差し引いても辛そうだ。
それにしても、妙なグループ分けになってしまったと思う。
グループ分けをした先輩たちは知る由もないだろうが、今カノと元カノの間に挟まるというのはなんとも落ち着かない。
束縛がキツかった温水と、そんな様子は特段見られない明香里。
ある意味では対照的ではある。
…俺としては、バチバチに縛られるのは嫌いだから、温水と別れたのだけれど…
「ねぇねぇ、アイス売ってるよ!…将士君、食べる?」
「そうだな、食べるか」
まるで砂漠にオアシスを見つけたかのようにはしゃぐ明香里。
同じ大学生ではあるが、ここまで邪気なく笑う人は中々見ない気がする。
そのふんわりとした優しげな表情と声音に、俺は都合が良さそうだと思ったのだ。
「えーっと、メロンが一押しなんだって!これにしない?」
「…姫嶋、コイツはメロン苦手なのよ。だから他のにしたら?」
「えっ…そうなの?将士君、ごめんね…」
何を思ったのか横から入り込んだ温水が口を挟んできて、それを受けた明香里は申し訳なさそうにしている。
確かに俺の苦手なものには含まれているが、それをなぜ温水が知っているのかと思うだろう。
俺は温水へ視線をずらし、睨み付ける。
しかし、温水はどこ吹く風と言わんばかりに顔を反らす。
余計なことしやがって…
なんとか笑顔を繕いながら、バニラにすることを明香里に伝える。
「バニラね!オッケ~。温水さんはどうする?」
「私は…チョコにするわ」
「オッケ~!じゃあ、買ってきちゃうから待ってて!」
「…あぁいいよ、俺が買ってくる」
ここで明香里が行ってしまうと先輩たちがいるとはいえ、温水と一緒に待つことになるだろう。
…それはできる限り避けたい。店を見ると暑さからか、結構な列を形成しているし。
しかし俺と明香里で行くとあまりに露骨すぎる。
であれば、俺だけで行ってしまえばいいだろう。
二人がパラソル付きのテーブルに腰掛けたことを確認し、俺は灼熱の中、列の最後尾に並んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
先輩たちが列に並び始めたことを確認すると、私は目の前の女の動向を伺う。
「本当にあっついね~、温水さんもそう思わない?」
「…そうね、本当に煮えたぎるほどに」
「汗ひどいと、メイク崩れちゃうから困っちゃうよね~」
「………そうね」
呑気にだらだらと喋り続ける姫嶋。
私は、暑さとイライラで脳が沸騰しかけていた。
…だけどこの姫嶋に対して恨みやつらみがあるわけじゃない。
ただ、瀬尾と付き合ってしまったという点だけが気に入らない。
…私の確固たる気持ちとして、瀬尾がこのまま幸せで居続けることが気に入らないのだ。
突き崩してやりたい。
ぶっ壊してやりたい。
「ねぇ、姫嶋…。私から言っといてなんなんだけど、さっき何か引っ掛からなかった?」
「え~っと、うーん?…なんだろう?なんかあったっけ?」
「瀬尾がメロン苦手なこと。なんで私が知ってたと思う?」
「…あっ、そうだね!確かに…。将士君が何かで言ってたとか?」
ま、そういう結論に行き着くか。
たわいもない雑談で…みたいな。
「いや、結構前のことになるんだけどさ…、私って瀬尾と同じ高校出身なの」
「そうなの?…知らなかった…。将士君一言も言ってなかったから…」
姫嶋越しに店の長蛇の列を見る。
この様子なら、まだまだ帰ってこない。
「そうでしょうね…なぜなら、瀬尾と付き合ってたの。その時に知ったの」
「………そうなの?」
姫嶋の声が一段階低くなる。
まぁ、そりゃあ元彼女が近くにいるなんていい気分はしないだろうね。
「そうそう。…でも、今付き合ってる姫嶋に言うのは酷かもしれないんだけど。私さ…こっぴどく振られたの」
「何かあったの?」
「瀬尾は色んな女子と話していることが多くて…それについて話したら、私のこと重いって言って…SNSとか全部急にブロックされちゃって…かなりショックだったんだ」
「……そうなんだ」
姫嶋の顔が曇っている。
さっきまであれだけ能天気な顔を見せていたのに、山の天気のように急変した。
「他の女子と必要以上に仲良くしていたら、彼女としては不安にならない?…姫嶋はどう思う?」
「そうだね…確かに不安になることはあるかな」
「だよね。私も行き過ぎたところがあったかもしれない。だけど…これは忠告。瀬尾はクズよ」
「…それはどういうことなの…?」
「私と別れた後、同時並行で複数の女子と遊んでいたって証言や証拠があるの。…おそらく本人は要領よくやってるつもりなんだろうけど…」
「だから、私をこっぴどく振った瀬尾に新しい彼女ができたことは腹立たしかったからこのことを伝えたわけ。けれどどうするかは姫嶋次第だから……あーあ、なんかスッキリしたわ。肩の荷が降りた感じ」
「……」
「必要なら証拠を渡すわよ。どうする?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「お待たせ」
待ち続けること数十分。ようやく手に入れたアイスクリームを持っていく。
早くしなければ、溶けきってしまうだろう。
「…ありがとう」
「どーも」
…雰囲気が変わっていることを肌で感じとる。
あるとしたら、温水が何か吹き込んだか。
俺は再度温水へ厳しい視線を向けると、軽くいなすような目線を向けてくる。
なんだ、この余裕は。
というより、明香里も何かおかしい。
あれだけ元気に振る舞っていたのに、あまりに静かすぎる。
「ねぇ、将士君。ちょっとお話したいんだけどいいかな?先輩たちには伝えてあるからさ」
「え、あぁ…いいけど」
明香里は立ち上がるとどんどん人気のない方へ向かっていく。
こんな光景は付き合ってから初めてだ。
これまでずんずん前を歩いていくところを見たことがない。
暑さのせいで流れ出る汗とは別の汗がぶわりと体全体から放出される。
「ここ座って?」
着いた先は公園内の小さな噴水広場だった。
人が多く集まる巨大噴水広場とは異なり、人はおらずかなりひっそりとしていた。
明香里は設置されていたガーデンベンチに座り、隣に座るように俺に言う。
…やっぱり、何か違う。
いつもの明香里はこんな空気を醸したことはなかった。
「将士君に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「どうした?なんか表情が硬いけど…」
「…将士君、私の話聞いて?」
柔らかくも力強い声に俺の言葉は押さえつけられる。
「これ、なにかわかるかな?」
明香里がスマホの画面をこちらに向けてくる。
それは見覚えがありすぎて、自覚しかなかった。
大学に入学してから
顔面から血の気が引く音が聞こえる。
「これ、すごいよね。何枚もある…私だけじゃあ、満足できなかったのかな…」
なにかを口に出そうとしたが、脳が言葉を作り出せない。
口先だけが醜く空回る。
「本人が言っていいって言うから伝えるけど…温水さんが集められる限り写真集めてたらしいよ…もしかして、まだあるのかな…」
静かな悲しみから滲む怒気。
たまらず俺はその場に土下座する。
「申し訳ない…その、一時の気の迷いで。だけど…向こうから誘われたりとかもあって、断りきれなかったとかもあって…」
思い付く限りの弁明を地面に吐き出す。
しまった。安心しきってた…
「将士君」
「は、はい!」
ピシャリと俺の言葉を断つ明香里。
顔を上げると、今まで見せたことのない冷徹な表情を浮かべていた。
「これ、全部縁切ってね。私と付き合ってるんだもんね」
「は、いや、別れるとか…しないのか?」
「何を寝ぼけたことを言ってるのかな?私は温水さんみたいに優しくないよ?…別れて全てなかったことに…なんて甘すぎると思わない?」
思わず口が震え、歯がカチカチと鳴る。
普段見せない恐ろしさの片鱗に、俺は縮こまるしかなかった。
「温水さんはかなり優しいよ?話聞いたけど、将士君が初めての彼氏だったから、証拠とか広めなかったみたいだよ?良かったね?慈悲に溢れてるよね~」
「ちなみに私も将士君が初めての彼氏なの…だから思い入れもあるしすごーく傷ついたんだ。酷いよね、初めて成就した恋がこんなズタズタにされるなんて…」
「私は優しくないからさ…もし、仮に、万が一があったら、全部ばらまいちゃうからね」
俺はただへたり込んで、明香里のことを眺めるしかなかった。
…空って、こんなに青かったんだぁ…
見えない鎖が、俺に嵌められた気がした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「暑い、暑い、熱い!!」
また目が覚める、これが何日続くんだ、いつになったら終わる!
体が沸騰しているように熱い!!
前みたいに目すら閉じれない!
だめだ、また奴が来る!
…違う、あいつじゃない、あいつじゃない奴が来る!
「あ…」
前のやつより、
その影が揺らめき、やがて俺の近くに立ち、俺を見下ろしている!
わからない、いつまでこれが続くのか!
一週間?二週間?一ヶ月?一年?
嘘だろ!狂う!狂う!!狂う!!!
「もう悪いことしないから赦してくれぇぇ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「私は自分が思っているよりも嫉妬深かったみたい。温水さんも少し驚いてたなぁ…でも、外側だけじゃなくて中身も丸ごと好きになることが恋愛でしょ?…私も君を丸ごと好きになるから…君もちゃあんと、責任とってね…?」
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