病街録   作:とうぶん

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いつも読んでいただき誠にありがとうございます。
またも一ヶ月ほど開いてしまい、大変申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。



君の顔を剥がしたいんだ

「もう、あの反省文はなんなのよ!」

 

「癇癪を起こさない方が。血管切れやすくなりますよ」

 

横でキーっとハンカチを噛む仕草をする月乃さんに、俺は毎度の事だが改めて指摘する。

 

「だって、私はイジメをしてたやつをとっちめただけよ!

それをあの先生たちは…」

 

「正しいことをしたとしても、方法として暴力はいけなかったってことですよ。良い薬になったでしょ」

 

「ムカつく!…そもそも安吾。アンタなんであの時あたしを庇わなかったわけ!」

 

興奮収まらぬ月乃さんは責める矛先を俺に向けてきた。

理不尽が過ぎるだろう。

 

「ま、俺もわざわざ目立ちたくなかったわけで。それに月乃さんが少しは大人しくなるかなぁ~と」

 

「しれっと人をじゃじゃ馬みたいに扱うんじゃないわよ!バカ安吾!」

 

そう言う月乃さんはいつも偉そうである。

…実際に俺よりは気位が高いところはあるが。

 

俺は売られた。

…いや、実際は友達を作るために売られたというところか。

親父がやっていた会社が傾きかけ、一時は倒産かと思われたその時、一ノ瀬カンパニーという大会社が親父の会社の技術を見込んで拾い上げてくれたのだ。

お陰さまで子会社として会社は存続、仕事も降りてくるようになった。

親父とお袋は九死に一生を得たと泣いて喜んでいた。

そこまでなら、良くある感動話だったのだが。

 

その代わりにと、娘に友達ができないことを危惧していた月乃さんの親父さんが俺に友達になってあげてくれと頭を下げるものだから、両親の恩人に報いようと二つ返事で了承したのだ。

 

…了承したのだが。

 

これがとんでもない暴れん坊だった。

とにかくワガママ、気に入らないことがあると年が数倍以上離れているお手伝いさんにすら当たり散らす。

そして俺や他の同級生に対してはさらに傲岸不遜極まりない態度だった。

…つまるところワールド・イズ・マインを地で行く困ったちゃんだったのである。

それは今も名残は残っているが、多少は他人のために物事を行える人間になったと思っている。

 

 

「なにボケッと横になってるのよ?ご飯作って」

 

…心の中で褒めていたのに。

感傷に浸りながら革張りのソファに横になっていと、お冠の女王の下知が下る。

学校から帰ってきたら少しは休みたいものだが仕方ない。

 

「要望あります?」

 

「任せるわ、ただし美味しくないのはやめてね」

 

月乃さんは俺が寝転んでいた場所に座ると、スマホに目を落とし始めた。

恐らく日課になっている株の推移でも見ているのだろう。

俺は備えていたエプロンを締めた後、飯の準備をする。

これも慣れたものだ。

月乃さんはお嬢様だけあって昔から身支度や家事に関してはお手伝いさんがやっていたので生活能力はゼロに近い。

…流石に身支度は高校生にもなったら備わってきたが。

日に日に心配になる。

 

「お待たせしましたよ」

 

「遅いわ」

 

俺が飯を卓上に置き始めると、ぶつくさ文句は言うものの嬉しそうな顔をする。

まぁ、これだけ素直な顔を見せてくれれば作り甲斐もあるんだが。

…しかしそろそろ家事も教えていく必要があるか。

いつまでも一緒にいられる訳じゃないだろう。

下品なぐらいに魚にかぶりつく月乃さんを他所に、どうしたら少しでも自立させられるかをひたすら考える。

 

「あー!安吾見て!」

 

「なんなんですか…飯の時くらい静かにしてください。喋らないと死ぬんですか貴女は」

 

つけっぱなしにしていたテレビに映るニュース番組で、真面目腐った顔をしているキャスターが企業の倒産について読み上げていた。

 

「今の会社、うちの会社と懇意にしていたところじゃない?可哀想よね~資金繰りが上手く行かなかったのよ。きっと」

 

「…時流ですかね」

 

言葉では同情しつつも、どこか違う世界のような口振り。

生まれながらの強者である彼女には、言葉としては理解しつつも自らがその立場になることはないと思っているんだろう。

……少しだけ、胸が痛んだ気がした。

 

「そういえば、最近二宮コーポレーションの業績が急激に伸びてきてるのよ。本当にムカつくわ」

 

「まぁ栄枯盛衰って言葉がありますから。あと飯食べてる時にスマホいじらないでください。携帯中毒ですか?」

 

「うっさいわね…姑みたい」

 

「それを言うなら舅では?」

 

「揚げ足取るな!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今日も身の丈にあっていない学校の授業を受け、窮屈な思いをしながら昼時となる。

月乃さんの見守り…ないしはお守りをするためにこの学校に一緒に入ることになったが、こんなに辛いとは。

俺とクラスの人間とでは文化レベルが違う。

無論、俺の方が低次元という話だが。

黒塗りの車で登校してくる奴や、昼食時に大挙して押し寄せる各生徒の専属シェフなど。

こんなのまず普通ならあり得ない。

…いや、俺の普通と彼らの普通では齟齬が生じてしまうのか…

 

「安吾、お弁当早くちょーだい」

 

そんなことを考えていると頭の上から声が掛かる。

 

我が主人はなぜか庶民派で、俺の作った弁当をいつもねだる。

以前に「家の料理人に頼めばよいのでは」と進言したこともあったが、頑として受け入れなかったのだ。

まぁ、弁当作るなら一人分だけ作るのは手間だからいいのだが。

 

「食堂で食べます?」

 

「いいわよ、移動するのめんどくさい」

 

そう言うと月乃さんは適当にあった椅子を引き寄せ座る。

了承も得ずに人の席の椅子を勝手に取るとは…

相変わらず傍若無人な振舞いに辟易としていると、突如視界が奪われる。

 

「だ~れだ?」

 

特徴的なソプラノボイスには聞き覚えがある。

ビックリするからやめてほしいものだ。

 

「二宮さん。驚いて失神しそうなので今後はやめていただけませんか?」

 

俺は極めて真剣な顔を作り、目隠しを解いた…クラスメイトである二宮 みやびさんに注意をする。

 

「ぶーぶー!そんなこと言って安吾君全然驚いてないくせに!」

 

「お生憎、顔に出すのが苦手なだけです」

 

いわゆる富裕層が多いこの学校の中で、どうにも毛並みが違う生徒もいる。

目の前にいる二宮さんはイタズラっ子という困った習性を持つ人なのだ。

良く言えば天真爛漫な枠に囚われない人物…という評価もできるが。

 

「そんなこと言って~、本当はボクに構ってもらえて嬉しい癖に!」

 

うりうりと頬に人差し指を刺してくる。

勘弁してください。

周りを見てほしい。

いつも遠巻きにされているのにより一層遠巻きにされてるじゃないか。

 

「とりあえず、ボクも一緒にご飯食べるね!」

 

二宮さんはそう言うとまた適当な椅子を引っ張ってくる。

この人らには他人の所有物という境界線がないのだろうか?

 

「…だそうですけれど?」

 

さっきから小刻みに震えながら俯いていた月乃さんに問うと、バッと顔を上げる。

…般若が顔に出ている。

 

「良いわけないでしょーが!とっとと失せなさい!」

 

ついに噴火したか。

これまでよく持ったほうだ。

 

 

「嫌で~す。というか、キミに用はないから別のところ行けば?」

 

「なんで私が!アンタが退きなさいよ!」

 

 

「あーもー、時間勿体ないじゃん。あ、お弁当のおかず頂戴?このネギ入り卵焼き美味しそうだなぁ…」

 

キレる月乃さんを意に介さず机の上に置いてあった俺の弁当の中身を二宮さんはつまんでいく。

 

だから了承をもらってから取るべきなんじゃないですかね?

 

「ふぐぐぐぐ…!」

 

「うわっ、顔真っ赤。まるで膨張した怪獣みたいだね~、気持ち悪っ!」

 

「あの、もうその辺で。月乃さんの青筋が切れそうなのでご容赦を」

 

さっきからギリギリ堪えてるだけで月乃さんは茹で蛸のようになりながら拳を前に突き出しそうになっている。

 

 

「このクソメスガキが…!」

 

「汚い言葉遣いだねぇ、見ていて痛々しいなぁ。ねぇ安吾君?」

 

「ノーコメントで」

 

「アンタそれ言ってるも同然じゃない!」

 

怒る月乃さんとカラカラ笑う二宮さんのやり取りはもう見慣れたものになりつつある。

 

「本当に頭にきた!コイツは徹底的に無視するしかないわね…安吾も私に倣いなさい!」

 

 

「…待ちなよ、それは安吾君が可哀想じゃん。傍若無人も行くところまで行ったんだねぇ…そんなこと、聞く必要性がないと思うけど…ねぇ?安吾君?」

 

 

…お二方の瞳の色彩が、ワントーン下がった気がした。

言葉の圧で俺をサンドイッチしないで欲しい。

 

「勘弁していただきたいんですけどね…」

 

この後もわぁわぁぎゃあぎゃあ姦しいお二方のせいで、全く休んだ気にならなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「じゃあ、安吾。私お父様に呼ばれてるから本邸に行くけど、くれぐれも寄り道したらダメよ?…知らない女についていかないようにね…知ってる女もダメよ」

 

「俺は小さい子どもじゃないんですが」

 

「アンタがふらふら着いていきそうな顔してるのが悪い!…あと、またご飯作っといて?」

 

「絶対そっちが本心じゃないですか…」

 

 

放課後、俺と月乃さんは特に部活にも入っていないため、すぐに帰宅するのが常なのだが。

珍しく用事があるらしい。

これが友達との用事であれば成長したと感心するのだが、生憎月乃さんにはいまだに友達という友達はいない。

 

校門の前で月乃さんと別れ、代わり映えのない帰路を辿る。

いや、月乃さんが隣にいないから普段と違い随分と落ち着いた道のりだ。

 

それに気づくと、急に物足りないような感覚に襲われる。

俺たちは双方両親の同意の元、アパートに同居していることから、ほとんどの時間を共有していると言っても過言ではない。

 

年頃の男と女というより、王と従者という関係が当てはまるだろう。

事実、全ての家事や買い出しは俺が行っているし、月乃さんの気まぐれで出かける時の荷物持ちは俺の役割だ。

 

だがしかし、俺には返しきれない恩があり、それに報い続ける必要がある。

あの時、一ノ瀬カンパニーが父の工場を拾い上げていなければ。

会社を畳むことになり、もしかしたら一家…

 

「…ふぅ」

 

最悪のシナリオを思い浮かべてしまい、それを振り払うように

頭を左右に振る。

…そうはならなかったのだから、考えなくてもよいことなのに…。

 

そんなことを考えていると、後ろから車が俺の隣を並走してくる。

よく整備されているであろう国産車の後部座席の窓が徐々に下がり、見知った顔が現れる。

 

「おっ、安吾君じゃ~ん。やっほ!」

 

「…二宮さんでしたか」

 

その見知った顔は人懐っこそうな顔で、こちらに向かって手を振ってきた。

 

「…あら、一ノ瀬はいないんだぁ?」

 

「ええ…まぁ」

 

「ふ~ん。ならさ、家まで送ってあげるよ!」

 

後部座席のドアが開き、二宮さんがこちらに向かって手招きしている。

車内の重厚な革張りの座席が、俺を誘っているように見えた。

しかし。

 

「いや、ご迷惑になってしまうでしょうから…」

 

万が一、何らかで二宮さんと接触していたことが月乃さんに伝わってしまったら。

相当にお冠になることは想像に難くない。

ならば、断ることが正しいと考える。

 

「…また一ノ瀬のこと考えてるの?」

 

「……」

 

俺はポーカーフェイスには自信がある方だが、どうにもこの人はそれ以上の才を持っているようだ。

…まぁ、普段のやり取りでなんとなく分かるのかもしれないが。

 

「大丈夫、私たち友達でしょ?…なーんで友達と一緒に帰ることを制限されなきゃいけないわけ?そう思わない?」

 

「…しかし」

 

手を首にあてる。確かに、友達…友達なのか?

 

「ほーら、早く早く。結構車通り激しくなってきたし。乗りなって…大丈夫だよ。別に悪いことしてる訳じゃないんだからさ」

 

「では、お言葉に甘えて…」

 

悩んだ末、二宮さんの手を取る。

それに満足したのだろうか、二宮さんはニンマリと表情を崩し、お付きであろう老齢の運転手に行き先を指示した。

…まぁ、知ってる友達という体なら、良いだろう。 

 

俺が座席に座ると、ゆっくりと車が発進する。

肉体の疲労とシートの居心地のよさに、思わず脱力してしまう。

 

「いやー、今日もお疲れ様。毎日めんどいよね。決まった時間に学校に行って、決まった時間に勉強して。もっと自由ならいいな、って思ったことない?」

 

「…いや。俺はやるべきことをやるだけです」

 

「まっじめだよね~。もっと体の力抜かないとさ、いつか潰れちゃうよ~」

 

隣に座る二宮さんはひらひらと手をあおぐ。

改めて、この人ほど肩の力を抜ける自信はない。

 

「いやーでもさ、安吾君って自由な時間ないでしょ?…あの一ノ瀬のお守りやってたら、大変だな~っていつも思ってるんだけど」

 

「それが、俺のなすべきことですから」

 

「安吾君、そればっかりだよねぇ~。まるでお人形みたいだ」

 

…二宮さんの言葉にわずかに嘲りの色が混ざったように感じる。

その目の奥には、いつもの可愛らしい悪戯心のようなものはなかった。

 

「君とはそれなりに関わってきたと思ってたけど、なんというか…自我を見せないんだよね。人間の皮を被った人形ってところ?」

 

「…結構酷いことを言いますね。俺じゃなければ傷ついている」

 

「それも、中々に嘘臭いんだよなぁ…もっと怒ればいいのに。侮辱に対して憤れなければ、人間として終わりだよ」

 

「…あの、俺を車に乗せたのはどんな理由があったんですか。ただ、こんなことを言いたかったわけじゃないでしょう?」

 

俺はこの終わりの見えない会話を打ち切りたかった。

それを受けて二宮さんは短く息を吐く。

 

「…せっかちだねぇ。学校だと一ノ瀬が纏わりついてるから話すのも難しいってのに…。いいや、じゃあストレートに言おうか。一ノ瀬からボクに鞍替えしない?いや、して?」

 

俺と二宮さんの視線が交錯する。

その意思と言葉は、冗談には思えなかった。

どろどろとした淀みが、強く俺を捉えている。

それに反するように車は滑らかに右折した。

 

「…できません。そもそもなぜ俺なのでしょうか?」

 

「えー、欲しかったんだもん。執事兼彼氏~。そうなると、君ぴったりじゃ~ん」

 

「それは冗談でしょう。よしていただきたい」

 

「あながち嘘でもないけど…。ま、タイプだから絡んだってのもあるし…なにより一ノ瀬にはもったいない。君の価値がわかってない…君が傍にいるのが当然だと思っているのが気にくわないってところかな」

 

「……」

 

学校では決して見ることのない、昏い表情。

心底、嫌悪しているようにしか見えない。

俺はその顔を見ないように窓の外に視線を逸らすと、馴染みの景色が広がっていた。

 

「…あー、ごめんごめん。ボクのキャラじゃないよね!…ま、だからさ!もう一回よく考えて!…もうそろそろかな」

 

「ええ、まぁ。…送っていただきありがとうございました」

 

近くの路肩に車を寄せる。

さすがに、アパートの場所までは伝えなかった。

俺が車から降りた後、運転手がこちらに向かって一度頭を下げてきたので、返す形で俺も頭を下げる。

 

二宮さんを乗せた車は徐々に遠ざかっていく。

…普段はあれだけふざけた態度なのに、まるでスイッチが切り替わったかのように雰囲気が変わるのだ。

 

「……」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

二宮さんに送っていただいた後、月乃さんの言いつけどおり飯を作っている。

自分で言うのもなんだが、月乃さんの肥えた舌に合うようにしていった結果、料理の腕はかなり上達した気がする。

 

「…ただいま」

 

「おかえりなさい。…思っていたより遅かったですね」

 

「………」

 

蚊の鳴くような声で入ってきた月乃さんに違和感を覚える。

いつもなら、飯の催促をするぐらいはするのに。

月乃さんは近くにあったクッションに顔を埋め、そのまま言葉を発しない。

本邸で何かあったのだろうか…

 

「…どうしたんですか。何かありました?」

 

「…」

 

返事が返ってこない。

飯ができていないことに、腹を立てているのだろうか。

俺は短くため息をつき、スープ鍋をひと回し、かき混ぜる。

 

「飯でしたら、もうすぐできますから。…少しぐらい待っててくださいよ」

 

「ちがう」

 

「…何か言われましたか?」

 

本当に小さい、吹けば飛ぶような声は少し離れた距離にいる俺には理解できなかった。

 

「……!!違うわよ!!そうじゃない!!ご飯なんてどうでもいいのよ!!」

 

聞き返した直後、跳ねるようにクッションから顔を離し、

俺の元へ荒い足音を立てながら向かってくる。

 

…どうしたんだ、この人は。

前からよくわからないことで癇癪は起こすことはあったが、今日は怒りというより、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。

俺は手を止めて月乃さんの方へ向き合うと、月乃さんは俺の鼻先まで近づいていた。

そして手は俺の胸ぐらをぐしゃりと掴んでいた。

 

「お父様の会社が…」

 

「一体、なにが…」

 

月乃さんはずるずるとその場にへたり込んで、俯いたまま。

まずはしゃくりあげて泣いている月乃さんを落ち着かせなければ。

 

「月乃さん…どうか気を確かに」

 

おそるおそる包み込むように月乃さんの背中に手を回す。

その背中をさすり続け、息を整えさせる。

 

久しぶりに、こんなに弱った月乃さんを目の当たりにした。

打たれ強いからこそ、落ちてしまった時はどこまでも深く落ちてしまう。

胸の中で鼻を啜り、空の嗚咽を繰り返す音が聞こえる中で。

俺はただ、胸を貸すことしかできなかった。

 

 

 

「…悪かったわね。手間かけさせて」

 

「それが務めですから」

 

ある程度時間が経つと、高まった感情が鎮まったようで。

俺の胸から手を離した。

そうして今は出汁をきかせたスープを口にしている。

 

「…月乃さん、一体なにがあったんですか…?あの取り乱しようでは、大事が起こったとしか思えません」

 

月乃さんは小骨が喉につかえているような、しかし吐き出すことも難しそうな表情を見せている。

 

「…お父様と話したの。…どうやら、一ノ瀬カンパニーのそれぞれの事業で、多発テロのようなことが起きているって…」

 

「それは…仕事の単純なミスとは違うってことですか?」

 

どうにも穏やかじゃない。

月乃さんの口振りから場に緊張感が走る。

 

「…それにしては出来すぎている…って。SNSでの不適切投稿とか、品質不正とか…まるで連鎖するかのように一気に燃え上がっている状況らしいの…」

 

「そんなことが…」

 

想像以上の事態の深刻さに思わず閉口してしまう。

口内の苦い唾が滞留する。

 

「これからその釈明や、各方面への対応にこれから追われることになるだろうって…原因究明にも時間がかかるだろうし…それに…」

 

「それに?なんですか?」

 

「その品質不正が起きたのは…安吾のお父さんのグループ…なんですって」

 

「…え…」

 

苦虫を噛み潰したような顔をしている月乃さん。

いやそれよりも、まるで金槌で頭を殴られたような感覚。

親父のミス…?そんな馬鹿な!!

 

「嘘だ!!あんなに真面目に、俺たち家族を食わせようと必死に働いてた親父達がそんなことするわけないです!」

 

ふつふつと湧く戸惑いと疑念が、俺の語気を強くする。

 

「…だけど、これは事実で…で、でも大丈夫よ!さすがに、何らかの処罰はあるかもしれないけど、切り捨てることなんて…」

 

「処罰…切り捨てる…」

 

なんでそんな言葉が使えるんだよ。

所詮、俺たちと貴女は違う世界に生きる人間だってか。

理不尽な怒りが、目の前の月乃さんに積もっていく。

…俺は、冷静さを欠いていた。

 

「やっぱり傲慢な人間ですね。貴女は…」

 

「え…?」

 

月乃さんの動揺が波紋となって広がる。

もうこの際だから、言ってやったほうが身のためだ。

 

「正しいだけで人の心を理解しようとしない。結局どこまでいっても、貴女はただの強者であり続けることしかできない!」

 

「あ、安吾…落ち着きなさいよ…!…謝るから!私の言い方が悪かったのよね…?」

 

「!!…やっぱり、貴女と俺は違うんだって、ようやく飲み込めることができましたよ…」

 

脳と口がヒートアップし、段々と思考が支離滅裂になっていく。

ブレーキが壊れた暴走車は、止まることはできない。

 

「もういい…もうしばらく、貴女と一緒にいたくはない!」

 

テーブルを勢いよく叩き、立ち上がる。

眼前に映る月乃さんは、ひどくおろおろとしているように見えた。

だけど…もう、戻れない。

口から吐き出した言葉は、戻ることはないから。

 

「ちょっと、待ってよ…安吾…!!」

 

俺は、その言葉を遮るように強くドアを閉めた。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

「はぁ…はぁ…」

 

アパートを飛び出し、息が切れるまであてもなく走り回った。

準備運動もせずに力一杯走ったからか、ふくらはぎに鈍い痛みがじわじわと広がっていく。

 

「ただの八つ当りじゃねぇか…」

 

幾分か冷静さを取り戻すと、一時の感情に振り回された自分を思い出す。

今考えれば、言葉に過敏に反応してしまった。

ただそれだけのこと。

…あまりにダサくて、月乃さんに合わせる顔もない。

そして、怒りのまま飛び出してしまったため手ぶらで出てきてしまった。

 

「くそっ…」

 

泊めてくれる友人もそう簡単に見つかるとは思えない。

公園で野宿か…?さすがに死ぬことはないだろう。

いや、補導される可能性もある。

しかし、今アパートに戻る気にはならない。

 

「…詰んだか」

 

諦めて近くの公園で一夜を過ごすことを決心すると、

後ろから声をかけられる。

 

「おー、安吾君じゃん。…こんな時間に、こんな場所で。すごい奇遇だね」

 

「…二宮さん?」

 

そこには薄ら笑いを浮かべながら、ゆらゆら体を揺らしている二宮さんが立っていた。

 

「なぜここに…」

 

「…こっちが聞きたいけどねぇ…ここ、ボクのテリトリーだからさ。いたっておかしくないよ。…へぇ、今一人なんだ」

 

ちょっと話そうよ。と言い公園灯が差すベンチに案内される。

座ると、ベンチのざらついた感触が妙に気になった。

 

「それで、何かあったんだよね?だからそんなしょぼくれた顔してるんでしょ?」

 

「…別に、二宮さんにお話しするような内容ではありませんよ」

 

わざわざ競合他社である二宮コーポレーションの娘に一ノ瀬カンパニーの不祥事を話す必要なんてない。

…そもそも、公にされていない情報を話していいわけがない。

沈黙を貫き通す。

これがベストな選択だ。

 

「こんな時でも冷静を装うんだねぇ…気に入らないよ。本当に…」

 

「………」

 

闇夜に二人、周囲には誰もいない。

まるでこの空間だけ切り取られたかのように、静謐が保たれている。

だからこそ、二宮さんの迫力がより強く感じられる。

 

「そんなにかわいくない態度をいつまでも取るんだったら、こっちにも考えがあるんだけどな~…一ノ瀬カンパニー、大変なことになっちゃってるね?」

 

バレていたか。

確かに、競合他社としてしのぎを削っているならば、先んじて情報が漏れていてもおかしくはない。

 

「あら、驚いたりしないってことは知ってる感じだ。…つまんないの」

 

「………」

 

ひたすら沈黙。

何も話さないという意思表明。

 

「ふぅん。じゃあプラン変更!!」

 

「……!!」 

 

味わったことのない柔らかさが俺の頬を襲う。

完全に油断していた。

その感触を確かめるように、気がつけば俺は頬に触れていた。

 

「くふふっ。愉快だ。嬉しいなぁ!…どうやら一ノ瀬はこういう経験はさせていなかったみたいだねぇ!…ばっちり、君の鉄面皮が崩れてたよ」

 

「二宮さん!一体どういうつもりで…」

 

流石に怒りと戸惑いが混ざりあった感情をぶつけようと振り向いたが。

肩をがっちりと掴まれ、ベンチの背もたれに押し付けられる。

その小柄な体に、どれだけのエネルギーが積まれているのかと思うほどに、力強かった。

…今度は、俺の乾いた唇めがけて二宮さんの唇が飛んでくる。

微かに香るレモンのような柑橘類の匂いが、いやにミスマッチだった。

 

「もっと…欲しいの。安吾君の感情の皮を剥がして、一ノ瀬に見せたことのない表情を、声をボクに見せて…聞かせて…」

 

「……!!」

 

俺は純粋な困惑に支配され始めていた。

どうしてこの人は俺に執着する?

 

…この人の闇を、俺が受け止める義理などないのに。

 

「あの女は狡くて、傲慢なんだ。何をしても最後には君が呆れながら自分のもとに戻ってくると考えている。…根っからの支配者層の甘えた考え。…反吐が出るっ!」

 

荒々しい語気と態度に飲み込まれている二宮さんは、最早俺の知る人ではなかった。

 

「だから、安吾君…何回でも言うけど、ボクに鞍替えしてよ…絶対、一ノ瀬より幸せにできるから。君のこと大切にするからさ…!」

 

こんな強引な迫り方をしているクセして、大切にするは乖離しすぎているだろう。

ただの同族嫌悪にしか、俺には映らない。

 

「…そうだ!写真、写真撮ろう。ボクと安吾君が唇を交わして通じ合った証を残そう!それがいい!」

 

遂にとんでもない発言が飛び出てくる。

そんなものを撮られてしまっては…全てが終わってしまう!

 

「アンタ…いい加減に!」

 

俺が力を振り絞って二宮さんを引き剥がそうとした刹那。

強い痛みが口内で弾け、目の前に閃光が走る。

この人…俺の舌を噛みやがった!

 

「がっ、げほっ!」

 

「ダメだって。絶対逃がさない。…さすがに酷いよ。乙女の想いを無下にするなんて…じゃあ、撮るよぉ」

 

やめろ、やめてくれ。

与えられた痛みがまだ回復していない。

二宮さんは素早く片手でスマホをインカメにして構えている。

やがて、カメラの光が俺達を照らす。

 

「…にひ。やったやった!証拠!撮れたね!」

 

まるで憑き物が落ちたようにはしゃぐ二宮さんに、俺はもう抵抗する気力を失っていた。

終わりだ。

…いや、もうここで出会ってしまったことが運の尽きだったのか。

 

月乃さん…申し訳ありません。

もう、貴女に会わせる顔がないようです。

面と向かって言うことができなかったですけど…俺は、貴女のこと、好ましく思ってたんですよ?

でなければ、ずっと一緒に居るわけないじゃないですか。

 

空を力なく見上げる。

ああ、今日は空が透き通っている。

燦然と輝く星たちが、慈しむように俺たちを見下ろしていた。

 

「…いつまでも一ノ瀬のことなんて、考えさせてあげないんだから…」

 

まるで夜を裂くような、重たい言葉が耳に残った。

…俺の人生、売られたり奪われたり。

そういうことが続くのだろうかと、漠然と頭に浮かんだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ボクの退屈は止まるところを知らない。

ボクが悪戯しても、みんな笑って許してくれる。

つまらない。

張り合いがない。

例えるならライバルがいない戦いなんて、まったく面白くない。

誰もがボクを褒めそやし、追従する。

…その裏にあるへつらいに辟易しながら。

 

そんな中で、彼は私の前に現れた。

不倶戴天の敵である、一ノ瀬の隣に。

一ノ瀬の横暴な振舞いに、呆れながらもたしなめ、後ろを歩きながらもその実一ノ瀬を導いている。

 

そうして、ボクは人生で初めて「負け」を知った。

あれだけ好きなように生きてる中で、狂信的な味方がいたり、ボクのように蛇蝎の如く嫌う人間もいる。

 

…両極端な評価を受けるということは、本当に認めたくないけれども、ある種の「カリスマ」が一ノ瀬にあるのだと思った。

 

それがボクにはない。…そして、ボクを支えてくれる人にも巡り会えない。

 

 

とにかくボクは、羨ましくて、

そんな相手が欲しくて、

欲しくて、

欲しくて、

欲しくて…たまらなかった。

でも、月日がいくら経たところで、そんな相手には巡り会うことはない。

 

欲求が満たされないことに、ボクはひどく苦しみを覚える。

 

とりあえず、その辺の男を見繕って一ノ瀬たちの真似事をしてみたけれど、何も満たされることなく、逆に渇きが増していくだけだった。

 

そして親が経営している二宮コーポレーションが一ノ瀬カンパニーに競り負けていることも、より歯痒さが増していく要因となった。

 

どうすればボクは満たされるのか。

ただの男では満たされない。

…やはり、彼…安吾君でないとダメなのだ。

 

最近、無意識に彼がいる方向に目を奪われていた。

…その度に、一ノ瀬がすぐにこちらを睨んでくる。

傲慢な女だからこそ、自分のものに対する独占欲が強いのだろう。

 

とはいえわずかな隙を縫って安吾君に話しかけたが、一ノ瀬に対する顔とはまるで違う、綺麗すぎるよそ行きの顔しか見ることができなかった。

 

悔しかった。

おそらく彼は一ノ瀬にあてられて、感情を抑制しているに違いない。

 

その澄ました顔を崩して、一ノ瀬なんか放り出して、ボクだけを見て欲しい。

 

初めての感情に導かれるように、ボクは走り出した。

 

 

 

だから、一ノ瀬から安吾君を奪うことができたのは、ボクに多幸感をもたらした。

 

悪いことをしたとわかっている。

 

悪戯では済まないことだともわかっている。

 

けれど、走り出したら止まることはできなかったんだ。

 

不倶戴天の敵に一泡ふかせ、喉から手が出るほど好きな人も手に入れる。

 

そのとても善良とはいえない欲望を叶えることに、ボクは悦楽を覚えてしまったんだ。

 

さぁ…次の手を考えていこう。

ボクの果てない欲望を満たすために…

 

 

 

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