病街録   作:とうぶん

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読んでいただいている皆様に感謝申し上げます。
また投稿予定日を大幅に過ぎたこと、大変申し訳ございません。



ある女子大学生の告解

私はどこにでもいる大学生です。

長く辛い就職活動も終わりを迎え、志望先に内定を頂くこともでき、単位も取り終わりました。

 

秋の気配も終わりを迎え、道行く人々の服装が厚手になってきたこの頃。

私はキャメル色のコートを羽織り、目的地に向かいます。

 

「もう12月半ばですね…」

 

目的地の道中で見受けられるのは、どこか人も空気も浮かれているような雰囲気。

 

至るところにクリスマスの文字やイルミネーションの電飾があるからでしょうか。

 

ふと、目線の先に仲睦まじく寄り添いながら歩くカップルが目に入りました。

 

そのカップルの首元には色違いのマフラーが巻かれていて、それが一層関係性を強固に示しているように見えます。

 

 

細い路地を抜けていくと、小さくこじんまりとした建物が現れました。

しかし壁面には風化の様子はなく、その屋根には目を引く黄金色の十字架が設けられています。

 

暖かな賑やかさから一転、穏やかな閑寂が私には心地がいいのです。

 

なぜなら今から私は罪を語るのですから。

できるかぎり、静寂の中で罪渦を葬りたいのです。

 

「おや、どちら様でしょうか」

 

「こんにちは。天羽と申します」

 

「…ご予約された天羽様ですね。どうぞこちらに」

 

室内に入ると、全身を黒で包んだ女性に案内されました。

 

(木の匂いが強いですね…)

 

私はこれから社会人になる前に、自分勝手ではあるものの。

これまで胸の奥に潜めていた罪を誰かに告白したくて、今日この場に来たのです。

 

…とはいったものの、よくある教会ではなく。

ここ数年で興されていた、女性のみが利用できる告白場。

その懺悔を聞くのも、神父ではなく女性だとか。

 

「こちらになります。そちらにお掛けになってください」

 

外観はあまり形容しがたいのですが、電話ボックスが大きくなったようなもので、外側には跪く女性が描かれています。

 

私はその中にある小さな木椅子に腰掛けると、ぎいと木椅子が軋む音がして、それがうめき声のようにも聞こえました。

 

「では、少々お待ちを」

 

そう言い残すと、案内していただいた女性が扉を閉めました。

決して広々とした空間ではないからか、妙に息が詰まるような感覚。

 

一体どのような形で始まるのか。

緊張が身体を這いずり回り、次第に筋肉が硬直していく。

 

「本日はようこそおいでくださいました。早速ではありますが…貴女の罪をお伺いいたします」

 

聞き手である女性が入ってきたのでしょう。

姿は仕切りで分からないものの、声から推察するに若い女性のような…

てっきり高年者まではいかずとも、もう少しお年を召された方が聞き手をされると思ったのですが…

 

…そしてなにより、どこかで聞いたような声のような気がして。

 

「はい…お話、させてください」

 

私はわずかに震える唇から、言葉を紡いでいきます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

あれは私が都内の大学に入学して間もない頃でした。

 

「陽くん、講義はきちんと履修登録できました?」

 

「大丈夫だよ!ほら、きちんと入ってる!」

 

「……うん。反映されてますね。必修も私と同じコマ多いですし」

 

「本当?良かった~。僕らって地方組じゃん?…知り合いもあんまりいないから不安だったから」

 

「そうですね。助け合っていきましょうね」

 

ぱああっと花が咲くような笑う彼…明田 陽。

名前のとおり明るく元気でまるで太陽のような子。

エネルギーの塊である彼と、同じ高校からこの大学に進学することになったのです。

 

「せっかく大学に入ったんだから、色んなことに挑戦したいな~」

 

「どんなことをしたいとかってありますか?」

 

「うーん、もちろん講義の内容にも興味あるし、バイトとかサークルとか、大学外のサークルもあるみたいだし…」

 

「なるほど、とてもいいですね」

 

「それに…恋愛もしたいなぁ。僕、まだ女の子と付き合ったことないから…」

 

「……」

 

私は口を閉じました。

彼に悪気がないことも、まったくもって理解しています。

けれどしかし…いや私としてはデリカシーに欠けている発言。

 

ぽわぽわと能天気な気配を醸しながら話し続けている彼は、

私が想いを寄せている人なのです。

 

けれど、彼からしたら同じ高校出身のよい友達…ぐらいにしか思っていないのでしょうけど。

 

「まぁ…とりあえずはきちんと講義を受けて、そこで要領を掴んでから色々なことに手を広げていけばいいんじゃないですかね?」

 

「そうだね!それに…今は(つむぎ)と一緒に入学できたことを噛み締めないと!」

 

「!?んぐっ…」

 

危なかった。

死角からの無意識攻撃が私の心に突き刺さる。

まことに純粋というのは恐ろしい限りです。

本当にこの人は…

愛い人であるのと同時に、人を疑うことを知らないのでしょう。

彼が純粋であり続けられるよう、私ができる限りついていなければ…

 

 

 

「紬はどこのサークルに入るか決めた?」

 

「そうですね…手芸サークルに入ってみようかと思っています」

 

入学から数週間が経ち、ある程度学内のことも分かり始めた頃。

 

今日の講義がすべて終わり、陽くんもちょうどこの後予定がないということだったので、近くのファミレスに立ち寄りました。

 

「そうなんだ!紬らしいねぇ」

 

「…陽くんはどうなんですか?何か入りたいサークルの目星がついたんですか」

 

「それなんだけど、新しくできた友達が学外のボランティアサークルに参加しているみたいでさ。この前少し覗かせてもらったんだよ」

 

「ボランティアサークルですか?」

 

「うん。街のゴミ拾いに参加させてもらってさ…これが世の中のためになると思うと、結構いいかなって」

 

注文していたプリンを口いっぱいに頬張りながら、満足そうに話す陽くん。

 

「参加している人は皆生き生きしてて…良くしてくれた先輩もいてさ、三茶さんって言うんだけど…大学生だけど仕事もしてるんだって」

 

三茶…?名前…?はたまた名字なのでしょうか?

 

「今度は歓迎パーティー開いてくれるみたい!楽しみだなぁ…あ、今度紬も参加してみる?」

 

「うーん…考えてみますね」

 

ふと、大学から配られた注意喚起の紙が記憶に甦りました。

ただしかし、学内の友人に誘われたということなら…殊更危険なサークルではないのでしょう。

 

環境が変わったことにより、気を揉みすぎているような気がしないでもありません。

 

「そういえば、きちんと荷物の仕分けをしていますか?この前上がらせてもらった時、いまだにそのままでしたが…」

 

「え!あ、あぁ…チャントヤッテルヨ…」

 

ぎこちない返答に思わず半目になって追求。

陽くんはどうにもそういったところを疎かにしがちで、高校時代も逐一確認していました。

 

…惚れた弱み、という形でしょうか。

 

「…心配です。この後講義もないですから、抜き打ちチェックさせてください」

 

「い、いやー、ダイジョウブだよ?紬も忙しいだろうし…」

 

「問答は不要です。強制執行します」

 

「目怖っ!」

 

…なんだかんだ言って、私が理由をつけて陽くんの家に行きたいというのは、本人には伝わっていないのでしょうけれど。

 

 

「……はぁ…」

 

「いや、うーん、あ、なにか飲む…?」

 

「今はいりません」

 

「…はい」

 

アパートへの道すがら、いたずらがバレた子どものような表情をしている陽くんを横目に、想定どおり何もしていないことを確信していましたが…

 

未開封の段ボール箱が転がっているのはともかく、乱雑に脱ぎ捨てられている衣服などがごちゃついていて、私は思わず額に手を当ててしまいました。

 

「こうなれば、徹底的にやりましょう」

 

「あの…」

 

「なにかありますか?」

 

「イエッナニモ」

 

陽くんを一瞥してから、まずは脱ぎ捨てられた衣服を整理していく。

 

「つっ…」

 

自責の念か所在の無さからか、部屋の隅で縮こまりながら正座している陽くんの目を盗み、衣服の香りを堪能します。

 

これです。

若干脳がくらつきながらも、気合いが入りました。

…シャツの一枚ぐらいはと思いつつも、そこは制御しつつ。

 

「…陽くん、ご飯はいつも出来合いのものなんですか?」

 

「うん。自炊…しようかと思ったけど面倒くさくて…」

 

重なるように置かれているお弁当の殻やレトルトの箱をごみ袋にまとめていく。

正直なところ、あまり褒められた食生活ではないと思います。

カップラーメンの容器を潰しながら、彼の身体を慮っていました。

 

「…なら、時間がある時にご飯を作りにきてもいいですか?」

 

自らの口で言っているにも関わらず徐々に恥ずかしくなってきて、きっと耳まで赤くなってきていることでしょう。

家に通いたい…みたいな。

そんな宣言なのですから…

 

「うーん、でもなぁ。彼女でもないのに申し訳ないよ。紬だって色々やることあるだろうし。そこまで僕のために時間を割いてもらうのは悪いよ」

 

正座をしていたからか痺れた足を崩していた陽くんは、こともなげにそう言いました。

 

…何でこんなに言外に貴方のために行動したいということを含めているのに、平然とスルーするのでしょうか。

 

あまり常日頃察してほしいということは思わないのですが、

さすがに少し口が引きつります。

 

「…そうですか。でもこの状況を見て放っては置けません。来れるときに来ますからね」

 

「いや、聞いた意味ない…」

 

「陽くん…?」

 

「キュウ」

 

ただ優しく微笑んだつもりなのに、大人しくなった陽くん。

…決して、決して笑顔に威圧の意味を込めたつもりはありません。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

あの後、脱け殻になっていた陽くんの魂を戻してから帰路につきました。

 

「…ただいま」

 

部屋の中には誰にもいないことを知りつつも、なぜか習慣になっている挨拶をします。

 

なぜなら陽くんが「おかえり」と言ってくれることを期待してしまうから。

 

…当然、いないのですが。

 

最近、自分の中でもより一層陽くんの存在が大きくなっていて、胸の内にしまい込み続けることが難しくなってきているのです。

 

メイクを落とし、部屋着に着替え、軽くストレッチをして。

帰宅後のルーティンをつつがなくこなします。

 

人には見えないところだからこそ丁寧な暮らしをすることを心がけてはいますが…

ベットに寝転がることだけは止めることはできません。 

 

動画サイトを開き、お気に入りに入れている投稿者欄を眺めていると、現在生配信をしている投稿者がいることに気がつきました。

 

「従者さん…配信してる」

 

その動画の投稿者…従者さんは、とにかく自らの推しの話をしていました。

 

界隈でもかなり認知度があるようで、以前私のおすすめ欄に入り込んできたことから視聴してみたのですが…

 

相変わらず画面の向こうの彼女は、同性の私から見ても美しい面立ちですが…どこか俗世から離れているような感じがして。

 

ただ、彼女を初めて見る方は額の火傷痕のようなものに目を引かれるでしょう。

 

「……」

 

動画サイトを眺めていると、配信が終わり黒く反射した画面に疲れた自らの顔が映ります。

 

ただ、毎回配信を見終わって思うことは彼女は推すというより、崇めているというように感じられます。

 

その事が恐ろしく感じられつつも、彼女が幸せであることは想像に難くないと思えました。

 

「…陽くん」

 

太陽の化身のような彼は、私のような日陰者にさえ活力を与えてくれるのです。

 

だからこそ、彼を曇らすような障害は私が排除していかなければならない。

 

…それと同時に私はいやしくもその見返りを陽くんに求めたいと考えてしまいます。

 

だからこそ、彼女の配信は私の心を穿つのでしょう。

彼女の眼に映っている対象者にエゴを押し付けず、ただ自己にて処理しているのだから。

 

それも一つの美しい愛の形であると思うから。

 

悶々とした日々をあとどのくらい続ければよいのでしょう。

その答えを出すには自らの行動次第でしかないのに…

 

この世界が自らの思うように動かないことへの焦燥と無力感を覚えながら意識が微睡んでいき、私はやがて深い眠りについていました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ねぇ、今日も来てるけどいいの?」

 

「定期的に来ないと陽くんの生活が大変なことになりますからね…」

 

「そんなに子ども扱いしなくても…」

 

「先週もごみを溜めに溜めていたでしょう?不衛生ですよ」

 

「スイマセン」

 

大学生になって数ヶ月。

ある程度大学生活に慣れた私たちでしたが、相も変わらず陽くんの私生活はだらしないと断ずるしかない様子でした。

 

「ホコリもたまってますし…定期的な掃除が、身も心も保つ秘訣なんですからね」

 

「なんか紬って神経質だけどいい奥さんになりそうな気質あるよね~」

 

「神経質、は余計です…」

 

陽くんはなんとなしに言ったのでしょうが、「いい奥さん」というワードにビクッと反応してしまいます。

まったく…

 

「そういえばさ、前にボランティアサークルで会った三茶さんって人が二人きりで会いたいって言われたんだけど…」

 

「はい…?三茶さんという方は男性ではなかったのですか?」

 

ソファに座り携帯ゲーム機で遊びながらこともなげに放たれた言葉に、私は動揺を隠すことが出来ませんでした。

 

「いや、女の先輩だよ?僕らの大学の先輩でもあるから活動の中で色々なこと教えてくれてさ~。講義履修とか」

 

「………」

 

「なんか今度は二人で遊べたらいいね~って話になったから、僕も快諾したのさ。…これって脈あるかな?」

 

「…陽くんは、その、三茶さんという方に好意を持っているのですか…?」

 

楽しげに、どことなく浮ついた様子の陽くん。

聞きたくないのに、問いが口から溢れ出てしまいます。

 

「そ、そうだね。…綺麗で、気にかけてくれて…すごく、嬉しかったし…」

 

「………」

 

喉が固まって、次の言葉を紡げない。

なんですか、その顔…

 

私には見せたことのない、上気した表情。

私との付き合いは何だったのでしょうか。

 

…まさか、本当に下心なく私が陽くんの世話を焼いていたと思っていたのでしょうか? 

 

「だからさ、付き合えたらいいな…なんて。思ったりして」

 

「その人とはいつお会いするのですか?」

 

「えっ、今週の金曜日の昼頃から…ちょうどお互い講義もないからって」

 

「どこに行くんですか?」

 

「三茶さんが行きたいカフェがあるっていうからそこに…ボトルメールってお店だけど…」

 

「そうなんですね…」

 

音を立てないように静かに歯を食いしばる。

まずは…どんな人間なのかを確認しなければいけません。

 

ああ、どうやら私は従者さんのようにはなれないようです。

 

陽くんの行動を全部肯定してあげることも…諦めをつけることも。

 

私が彼に相応しい人間であると思えている今は、彼を誰にも譲りたくないのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

日は巡り金曜日となり、私は伊達眼鏡をかけ、キャップを目深に被りながらカフェに入店しました。

 

…幸いにして陽くんたちの様子を伺うことができるような席に座ることができました。

 

「い、いや~、なんかすごい美味しそうなものばかりで、迷い、ますねぇ!」

 

「ふふっ、今日は私の奢りだから好きなの頼んでいいよ?」

 

緊張からかメニューを反対にしながら声が上擦っている陽くんに対して、余裕綽々といった様子の…三茶さん。

 

明らかに舞い上がっている陽くんに対して慈愛溢れる微笑みを浮かべています。

 

ただ、女の勘というものでしょうか。

 

私には全くといっていいほど、彼女が心の底から笑っているようには見えないのです。

 

(…とにかく、様子を見ましょう)

 

私と陽くんの長い年月をかけた結び付きを、ぽっと出の女性に奪われたくない。

 

「じゃあ、このプリンパフェ頼んでもいいですか!?」

 

「いいね。名物なんだよ。…この店はスイーツも魅力的だから君を誘おうと思ったんだ。スイーツ、好きだって言ってたからね」

 

「本当ですか!ありがとうございます!」

 

「なんてことないさ。君が笑顔になってくれるのは私も嬉しい」

 

「クギュウ」

 

…肌が粟立つような気障な言葉に耐えかねて、手元にあるブラックコーヒーを一息で喉の奥に流し込みます。

 

完全に三茶さんのペースに乗せられて、完全に熱にあてられた表情を浮かべている陽くんに、私は無力感を抱くことしかできません。

 

彼が私ではない誰かに惚けている顔を真正面から直視できる立場ではなく、脇から盗み見るしかできない悔しさもあって。

 

「ほら、なかなか豪勢な盛り付けだろう?」

 

私が鬱屈とした思いに囚われている間に、陽くんが注文したパフェが届いていました。

 

爛々とした視線をパフェに注いでいた陽くんは辛抱できないというようにパフェにがっつき始めました。

 

「…最高です!濃厚だし、ボリューム満点だし…」

 

「それはよかった。…勇気出して誘った甲斐があったよ。…私も一口頂いてもいいかな?」

 

「もちろんです!えーっと、スプーンはっと…」

 

「…いいよ。君のスプーンを貸してくれないかな?」

 

「い、良いんですか?」

 

「良いとも」

 

……良い訳ないでしょうふざけたこと抜かさないでくださいそんなことしたら貴女の無駄に気取った唾液と陽くんの唾液が交わってしまうではないですか許せないです例え陽くんが許しても私が貴女を許しません三代先まで呪いますいや貴女と結ばれるのは陽くんではないので陽くんが不幸せになることはありません大丈夫ですよ私が絶対に幸せにしますからだから早く目を覚ましてくださいお願いですから陽くんの隣には私がいつも隣にいたじゃないですかこれってつまり事実上のカップルみたいなものですよねはやくその人を突き放してくださいじゃないと……

 

「お、お客様…ご気分が優れないのでしょうか?」

 

「…すみません。大丈夫です。申し訳ありません」

 

思わず異常な光景を目の当たりにして、瞬間的に正気を保てなくなった中で、たまたま通りがかった店員さんが少し引いたような目でこちらに問いかけてきて、我に返ることができました。

 

ただ現実というものは完全にシャットアウトするのは難しく、我に返ったのはいいものの眼前にはいつの間にか三茶さんがパフェを掬い、陽くんに差し出して…顔を赤らめながら口にする光景を目の当たりにしてしまいました。

 

ああ…終わりですかね。もう。

ぼんやりとしていく視界と思考の中で、いつの間にか陽くんたちは席を立っていました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

じんわりと目蓋が開く。

何日間経ったのでしょうか。

 

起きては寝て、また寝て、気持ち悪さでシャワーを浴びて少し水を飲んでまた寝る。

気がつけば私とベットはほぼ一体と化しており、生ける屍と形容されてもおかしくないでしょう。

 

少し離れた場所にあるスマホを引き寄せると、様々な着信やメッセージが届いていました。

 

「陽くん…」

 

その中にある一点の光。

ただしかし、もう私には届かない星。

 

あの光景から、記憶が曖昧で何がどうなったのかわからないのです。 

 

まぁ、記憶がないということは私にとって都合の悪いことが起きたのでしょう。

 

ひとりさもしく自虐的な笑みを浮かべて、また眠ろうとした矢先。

 

インターホンが部屋に響き、来客を知らせました。

今は誰であっても会える状態にないというのに。

 

鉛のように重い体を引きずりながらもドアスコープを覗くと、

そこには陽くんが立っていました。

…逡巡。

 

出たいのに…こんな何もメイクもしてない、不躾な姿で出迎えるなんてみっともなく感じてしまいます。

 

もう一度インターホンが鳴らされる。

迷いに迷い、これ以上時間を取らせるのも申し訳ないという結論から、玄関ドアを静かに開けます。

 

「…や。返信なかったから直接来ちゃった」

 

「…ごめんなさい。ちょっと寝込んでて…」

 

「そうかもしれないと思って、使えそうなの買ってきたよ」

 

陽くんの手にはビニール袋が提げられていて、隙間から飲み物などがちらついていました。

 

「じゃあ、これ渡すからさ。…お大事にね」

 

ビニール袋を私に手渡すと、少し寂しげな表情を見せて背を向ける陽くん。

 

なぜか、私の中でここで陽くんが帰ってしまったらもう二度と会えないような気がして。

思わず離れようとする陽くんの手首を掴みました。

 

「待って…まだ、行かないでください。少しでいいんです。上がっていってください」

 

「でも、調子良くなさそうだし…」

 

「陽くんに今、いて欲しいんです…どうしても、ダメですか…?」

 

「…わかったよ」

 

自分でもただ陽くんと一緒にいて欲しい一心でした。

けれどもうあの三茶さんのものになってしまったのだとしたら。

私の行為はただ悪あがきをする醜い女として映るのでしょう。

 

「…本当に大丈夫?」

 

部屋に入ると雑残とした部屋内を見回して驚きを孕んだ声で問いかけてくる陽くん。

 

それもそのはずで、いつも陽くんを家にあげる時は整理整頓した状態なのですから。

 

途端に消えたくなるような恥ずかしさが込み上げてきますが、なんの言い訳もできません。

 

…貴方が誰かのものになってしまうことを考えたら、何もする気力が湧かなくなったことなんて。

 

「…よし!たまには僕が紬の力になるよ!…だからさ、今日はゆっくりしてて」

 

「い、いや…それは申し訳ないですよ」

 

「なんでさ?いつも僕は紬に助けられてるし…ここで助けないなんてありえないでしょ。…というか、紬が言ったんじゃん。助け合いたいってさ」

 

まるで当然と言わんばかりに、部屋の整理をし始める陽くん。

…ただ、その気持ちだけで嬉しくて、天にも昇るような思いでした。

 

せっせと手を動かしている陽くんの背中を見て、私の中の独占欲がより加速していくのです。

…やっぱり、諦めたくないとは思ってしまうのです。

 

「あの、陽くん…。以前お話してた三茶さんとはどうでしたか?楽しめましたか…?」

 

聞くのが怖い。身が削られるような思いをしてでも、聞かなければ未来はないから。

少なくとも私が見た中では、良い雰囲気であったことでは確かでした。

すると、陽くんは手をピタリと止め弱々しい声を放ちました。

 

「………いや、騙されかけたんだ。僕は」

 

「ど、どういう…ことですか?」

 

まったく予想外の返答に、困惑する他ありません。

 

「カフェに行った後、三茶さんが行きたいところがあるって言ってついていったら、怪しいセミナー会場だったんだ。その瞬間、この人は僕のことを好ましく思ってた訳じゃなくて、ただのターゲットだと思っていたことに胸が痛くなったよ」

 

「それは…大変でしたね」

 

月並みな言葉しか出てこないけれど、貴方が取られなくて良かったという思いと、よくも陽くんを騙そうとしてくれたという怒りが沸き起こります。

 

「今回の一件で、人を信用するのが怖くなったんだよ。…同時に、僕はこれまで本当に恵まれていたこともわかったんだ。だから、実際に形になるまで人の悪意を感じ取ることができなかった…」

 

「陽くん…」

 

純粋だったからこそ、初めての出来事に対する衝撃は計り知れない。

 

私にとっての太陽が潰えてしまえば、私は生きることができない。

現にこの有り様なのですから。

 

…なんでしょう。

結局最後の最後はシンプルな考えに行き着きました。

 

好きならとにかく早く思いの丈を伝えて、成就すればそれは望外の喜びとなり。

 

…できなければ、命が腐りゆくだけなのです。

ただ、それだけのことだったのです。

 

考えるよりも前に、私は陽くんの背中に体を預けました。

陽くんは体を一瞬跳ねさせるも、しかし振り払うことはせず。

 

「あの、陽くん…」

 

お互いの体が密着していて、体温も混じりあっているような。

 

「私なら、絶対に陽くんを裏切りません。貴方のためだけに尽くします…だから、どうか。私と共に未来を描いていきませんか?」

 

懇願に近い思いの丈。

 

ふと、陽くんの耳が目に入ると艶やかな赤に染まっていました。

 

…であれば、陽くんの答えは。

 

「…自分のダサさにようやく気づいたよ。こんなに近くに大切にしなければいけない人がいたのにさ。…やっぱり僕には紬が必要だ」

 

瞬間、これまでにない感情の奔流が私を飲み込んでいきます。

 

朽ちはじめていた世界の色が、美しく彩色されていく。

 

私の世界は…再度廻り始めたのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「以上になります。私の罪…怒りや嫉妬に取り憑かれていたこと…恥ずべき行為もしていたことになります」

 

「貴女の告白、しかと受け取りました。…神の名の元において、あなたを赦します」

 

「ありがとうございます。二度とこのような行為は致さないこと、ここに誓います」

 

私は顔も見えない聞き手の女性に対して深々と一礼しました。

自らの戒めのために。

 

「では、平穏の内にお帰りください…」

 

教会から出ると、ほんのりと冷たいものがちらほらと降っていました。

 

「雪…」

 

寒々しい空の元で、私は無性に暖まりたくて…

気づけば愛する人に連絡を取っていました。

 

これからの日々の中で、自らを律しながら愛を捧げることを心に刻んで。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「まさかここで彼の名前を聞くことになるとは思いませんでした」

 

「彼の勧誘に失敗したことで正気を取り戻して、足を洗って今こうした活動に取り組めているのですから」

 

「私個人としても、お二人の平穏と幸せを願っていますよ…」

 




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