病街録   作:とうぶん

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読んでいただき誠に感謝申し上げます。


コンプリメンタリー

高校二年の秋だった。

予兆はあったのだ。

走れば胸痛が酷くなり、やがて休んだとしても走れなくなり、最後は目の前が暗くなっていったことを覚えている。

 

「おそらく…スポーツはもうできないでしょう」

 

突然の宣告だった。

なんで…と嘆く前に母親が勢いよく膝から崩れ落ちた。

まるで実感が湧かなかった。

 

父親の方を見ると顔を俯かせ、しばらくすると水滴がリノリウムの床に落ちていった。

 

状態も聞いたが想像よりも遥かに悪いものであり、激しい運動は制限され、部活は退部した。

 

遠目から見るグラウンドは、あまりに目映く。

もう二度と、俺はあの場に立つことができないと思うと、悔しさが込み上げくると同時に、空咳が寒々しくなってきた空にこだました。

 

「消えようか」

 

思わず吐き出た言葉はあまりにも後ろ向きだったが、なぜかそう悪くない。

 

俺の歩みは亀のごとくゆっくりとしたもので、ただしかし屋上に向けて強く歩みを進めた。

 

冷え冷えとした空気がいやに身に染みる。

あの宣告から数日が立ったが、気持ちの整理がつくどころか余計に未練と渇望だけが強まっていく。

 

時間が解決する、という言葉もあるのにそれは嘘なのだと、肌で実感した。

そうして屋上の際まで来た。

ここから下に落ちれば俺の全ては終わる。

悲しみも、悔しさも、嫉妬も…

その感情から解放されるはずだから。

 

俺は柵に手を伸ばして、初めて自分の手が震えていることに気がついた。

…最期まで、格好がつかないな。

 

「飛び降りるんすか?」

 

「!?」

 

柵を跨ごうとした瞬間、飛んできた声に動作を静止させられる。

背後を見ると、女子生徒が笑顔を浮かべながらこちらを見ていた。

胸元についているリボンを見ると、どうやら後輩のようではあるが…

 

「いや~、やめた方がいいと思いますよ?何があったのかは知らないっすけど」

 

「…いつからいたんだ?そもそも、見ず知らずの君にとやかく言われる筋合いはないと思うが」

 

「そんなに震えた声で言われても、強がってるとしか思えないっすけどね~。ちなみに私も同じ道を辿ろうとした者っす!」

 

からかうように横ピースをする女子に、一種の脱力感を感じる。

なんなんだ、この子は…

 

「…うるさい。…君に何がわかる!!ふざけるのも大概にしておけっ!」

 

振り上げた拳を柵にぶつける。

痛みよりも先に、虚しさと後輩の女子にみっともない叫び声を飛ばしたことへの気恥ずかしさが襲ってくる。 

 

「えーっと、海原先輩。教えてあげましょうか?自死を選択した人は輪廻転生することができず、かつ地獄から這い上がることはできないみたいっす!」

 

「…どうして、俺の名前を知っている?」

 

「いやだなぁ先輩。先輩は有名人じゃないですか。…このなんの変哲もない公立高校を夏のベストエイトまで押し上げた原動力…っすよね?」

 

「………」

 

「ま、それは置いといて…死にたくなった理由を教えてくれないっすか?…もしかしたら力になれるかもしれないっすよ?」

 

 なんなんだ、彼女は。

 だんだんとフラストレーションが溜まっていく。

 俺をおちょくってるのか。

 段々とイライラとした感情が目の前の彼女に対して積もっていく。

 

「そんなものはない。元からここに来た時点で死ぬことだけを目的にしてたんだ…それを横から君が現れて、邪魔をしたんだ!」

 

「いや、いや。…たまたま私が給水塔の方で寝てたら、先輩がいたからっすよ?まぁ、死のうとしてる人がいたら、止めるのが人の情ってやつじゃないっすか~」

 

 何を言ってものれんに腕押しといった感じで、俺の言葉は逸らされていく。

 

 それによって沸騰していた頭が徐々に冷えていき、目の前の彼女の姿がはっきりと瞳に映っていく。

 

「落ち着いたっすか?先輩?」

 

「ああ、まぁ…」

 

 激しい感情は長続きせず、急に感情が萎み始めた。

 

「柵の下を見てみてください、先輩。恐ろしくないっすか?」

 

気がつくと横にいた彼女は私の手を取って、眼下を指差している。

さっきまでは興奮していたからか、近くに見えていた地面が遥か遠くにあるように見える。

ここから飛び下りたらきっとひとたまりもないだろうと、怖気が身体中を駆け巡る。

 

思わずその場にしゃがみこむと、隣にいた彼女は俺の耳に囁いた。

 

「よかったっすね~。一時の衝動に身を任せなくて。私、もしかして命の恩人っすかぁ~?」

 

「君、もしかして狙ってやってたのか?興奮していた俺を落ち着かせるために…」

 

「…さぁ、どうでしょう?…ああ、緊張が解けたらお腹が減ってきたっす。ね、ご飯食べに行きたいっす!」

 

なるほど確かに、カロリーを使ったからかさっきから腹の音が小さく鳴っている。

秋の夕暮れは夏よりも早く日が沈んでいくため、周りは既に夕焼けに包まれていた。

 

「ああ…俺も、そう思う」

 

俺たちはいまだに白球を打つ音が響く学校を後にし、有名なファストフード店へ向かっていた。

そこであらためて奇妙な縁で隣にいる彼女へ目を向ける。

 

男ウケの良さそうな茶髪のミディアムヘアに、だらしなさを感じない絶妙な制服の着崩し。

ただしかし、スカートの短さはいただけないが。

 

「先輩、めっちゃ見てくるじゃないっすか!私のこと、気になるんすか?」

 

「それは、まぁ一応隣にいるからな…」

 

「なんっすかそれ!理由になってないっすよ~」

 

きめ細やかに手入れされているであろう歯列が、口元から覗いている。

総合して、万人に受けそうなゆるふわな女子という印象を受けた。

 

「着いたっすよ~」

 

店内は俺達と同じくらいの年代の人間で埋め尽くされており、ファストフード店の放課後の高校生人気は不動のものだとあらためて思い知った。

 

「じゃあ先輩?私の分はポテトとコーラお願いしたいっす!席取っておくんで~」

 

そう言い残すと、名も知らぬ彼女はどこかに行ってしまう。

まぁ、さっきのこともあるし奢ることに異論はないが…

一人になると、より彼女が俺に接触した理由が知りたくなった。

 

目の前で人が死んだら目覚めが悪いだとか、

彼女なりの正義感の発露だったのか。

ただ、それを知るのは彼女のみ知るところだが。

 

注文をし、出来上がりを待つ。

その間、周りを見渡すと話に花を咲かせる同年代がいやに目につく。

楽しそうだなと、率直に感じる。

 

高校に入学しても、ほとんどの時間を練習に費やし、次第に硬くなってゆく掌を努力の証と自信に換え。

チームメイトは友人ではなく切磋琢磨するライバルとし…

ただひたすらに、野球に打ち込んでいた。

だから、別に友人らしい友人はあまりいないし、野球があればそれでいいと思っていた。

 

…だが今ではどうだ。

邁進していた道を己ではどうにもできない力で阻まれ。

生きる道を閉ざされた俺は名もしれない後輩に助けられ今に至る。

俺は今後の身の振り方を考えざるを得なかった。

 

「えいっ」

 

不意に、頬をつつかれる感触がした。

というより、頬が少し切れたのではないかと思うぐらいの痛み。

 

「爪が鋭すぎるんだが…」

 

「痛かったっすか?遅いんで、見に来ちゃったっす」

 

「君の爪は鷹のようだ」

 

「心外っすね。人と鳥類を一緒にするなんて」

 

「爪に限ってだ」

 

「先輩は雪男みたいですけどね」

 

「褒めてない上に、未確認生物扱いとはそっちのほうが心外なんだが」

 

「面白いっすね!」

 

意味不明な会話に変にツボに入っている後輩を尻目に、できあがった品物をテーブルに持っていく。

彼女はソファの方に、俺は椅子に腰掛ける。

 

「まず、君の名前を教えてくれないか?」

 

「んー。一条っす。一条彩芽」

 

「そうか。…さっきはすまなかったな。一条のおかげで死なずに済んだよ」

 

「それはなによりっす!死んだら…なにもないんですから!輪廻転生できなくなるところでしたよ~」

 

「おっかないこと言うな…」

 

「もうその気を起こせないぐらいに脅しといたほうがいいと思ったんすよ」

 

 よほど腹が減っていたのだろう。

 頼んだ大きいサイズのポテトは次々に一条の口の中に放り込まれていく。

 その間にコーラを喉を鳴らしながら飲むものだから、ある種見ていて気持ちが良い。

 

「私は先輩の話が聞きたいっすけどね。なんで飛び降りなんてしようとしたのか…その経緯が」

 

「自分語りなんて柄じゃないんだが…俺は最近、野球ができない身体になってな。これまでの人生、ずっと野球と共にあったから、何をしていいかもわからないんだ」

 

「そうだったんすねぇ…まぁ、私も先輩のことは知ってましたけど、そんなことになったとは」

 

「野球をやっていた時は幸福だった。自らを極限まで鍛え抜いて、大会で結果を残した時は、脳が焼けるほどの嬉しさだった…」

 

「夏のベストエイトの立役者っすからねぇ。ま、先輩だけまるで他の選手と実力が違いすぎますし」

 

「だからこそ野球に未練はあった。授業が終わればここ最近ずっとグラウンドを眺め続けていたが…苦しくて、辛くなった」

 

「……」

 

「生き甲斐はない…幸福を見出だせないならばいっそのこと、今の人生を終わらせて…次の人生に期待してみようかと思ったんだ」 

 

「…コーラ、飲みます?」

 

一条はそう言うとコーラをこちらに傾けてくる。

俺は一瞬、一条が口をつけていたストローに目がいってしまった。

表面には薄くリップが付いていて、それがやけに生々しく感じられた。

 

「なら別の幸福を探すしかないっすよ。うじうじ悩んでてもいいことないっすし。…新しいこと、始めた方がいいっすね。だからこれは第一歩っす!ほらほら!」

 

「圧が凄いな…」

 

初めてのコーラの味は生々しくも、刺激的な甘さを感じた。 

 

 

 そこから一条と行動を共にすることが多くなった。

 放課後は飯を食って、カラオケで歌い。

 たまには電車で遠出して。

 

 野球部に所属し続けていたらありえなかった未来を今歩んでいる。

 ただ、それでも明確に付き合うという選択は、互いに取っていなかった。

 

 俺が恋愛に不得手で踏み込むのが怖いというのもあったが、それ以上に一条には恩義という面が強かった。

ある意味では、今の関係が心地よいと思っていた節もある。

 

そんなことを思いながら日々を過ごしていると、早くも高校三年という集大成を迎えようとしていた。

…それと同時に、日常にも変化が訪れていた。

 

「海原くん!ここの解き方ってわかるかな?」

 

「榊か。そのやり方はここをこうやってだな…」

 

「そんな解き方あるんだ!ありがとっ!」

 

「困ったらまた言ってくれ」

 

 最後のクラス替えが行われ、野球部のマネージャーの榊と同じクラスになったこと。

 それが大きな変化だった。

 月日が立ち、なおかつ一条の助けもあって野球への未練も、悪感情も出てくることはなくなっていった。

だからなのか、マネージャーである榊に対してもフラットな受け答えができるようになった気がする。

 

…だがしかし、これが終わりの始まりであることを、俺は知らなかった。

 

「…遅くないっすか?なんかあったんすか?」

 

「いや、うちのクラスの榊に勉強を見てほしいって言われたもんでな」

 

 放課後、今日も一条と帰ることを約束していたのだが、榊への対応で遅くなってしまった。

連絡しておいたのだが、既読がついたまま返信がなかった。

待ち合わせ場所では、足と指を忙しく動かし、眉間に皺が寄っている一条がいた。

いつもの明朗さはそこにはなく、待たされている怒りだと推察できた。

 

「榊って…誰っすか」

 

「クラスメイトなんだが、どうやらテストの問題が分からないみたいでな。それで俺に聞いてきたんだ」

 

「…女子っすか…?」

 

「ま、まぁそうだが…」

 

「…チッ、ムカつくっす…なんか最近先輩との時間が取れなくなっていると思ったら…こういうことになってたんすか…ああ、すいませんっす。じゃあ行きましょうか」

 

「あ、ああ…」

 

こうして不機嫌を携えた一条と俺は街路を下りていく。

いつもよりも空気が重く、春なのに重苦しく感じている。

 

「…先輩は、私に何か言いたいことないっすか?」

 

「え、いや…特に何もないが」

 

「そう…っすか」

 

 どことなく悲しそうな、やるせなさそうな表情でこちらを伺っている一条。

 

俺の返答がなにかまずいのか、それを判断する材料がない。

一条が何を今考え、何かを言おうと思ったのかが未だにわからない…と思っていた矢先だった。

 

「先輩、私たちって付き合ってるじゃないっすか」

 

「ああ…あ?」

 

あれ、俺達って付き合ってたんだっけか?

銃弾のような威力の言葉に、思わず記憶のページを捲り続けるが、あいにくそんな文言は記載されていなかった。

 

「先輩は自覚が足りないっすよ。本当に。私という彼女に対して、不安がらせるなんて…試し行為なんて、本当に嫌われるっすからね。…もちろん、私は離してあげないっすけど」

 

やれやれと呆れるように、こちらに向かって視線を寄越す一条。

その視線は有無を言わせない力強さがあった。

  

「先輩は私が初彼女だからわからないかもしれないっすけど…彼女がいるなら他の女と話すなんてもってのほかなんすよ!覚えといてくださいね!…絶対っすよ。もし破ったら…わかってますよね?」

 

その視線の昏さに、俺はおののくしかなかった。

 

しかしそもそものところ、以前命を救ってもらっているという点から、俺の命は既に一条に握られているんだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私は元々先輩のことが気になっていた。

ただ、憧れでしかなかったっすけど。

野球好きの友達に誘われた高校一年の夏、応援席で見た先輩の勇姿。

特に輝きを放つ、あの煌めきは色褪せない。

格上の高校相手に孤軍奮闘する先輩。

投げては三振。打ってはランナーを返すタイムリー。

あの夏、私は先輩の虜になった。

 

そうして先輩に話しかけるには勇気がなく、けれども知りたくて仕方なかったから、情報をとにかく集めた。

 

どうやら先輩には軽く話をする人はいても、親しい友達はいないとのこと。

…孤高、クール!カッコいいっす!

 

勉強は理数系が得意とのこと。

…素敵、私の心も解析してほしいっす!

 

一番重要な情報!彼女の有無は…野球一筋だったからいない!

…本当最高っす。メロいっす!

 

とにかく先輩に近づきたい…その矢先だった。

 

先輩が野球部を退部したという話が耳に入ってきた。

聞いた当初は何を言っているかも分からず、なにかの冗談だろうと思っていた。

 

ただその後先輩を追跡していると、以前までの部活用バックではなく一般的なスクールバックに変わっているのを見て。

先輩は、野球を辞めてしまったのだと確信した。

 

喪失感。

胸の中がぽっかり穴が空いたように、空洞になってしまったかのように。

別に野球をやっている先輩だけが先輩なわけじゃないっすけど。

だけど、あの夏のような燃え盛る炎のような先輩は見ることはできないんだと。

 

無意識の内に私は屋上に向かっていて、柵に掴まる。

いっそここから飛び降りて、先輩が野球を続けている世界線に行ってやろうかななんて。

…荒唐無稽なことを考えたりしてみたっす。

でも、結局できなかった。

 

足が震えて、自分の世界が終わるのが怖くて。

なにより先輩はこの世界にいるし。

だったら、まだ生きる価値はあるっすよね。

 

そんなことを給水塔の上で考えていたら、私とおんなじことをしようとしている先輩が来て。

私と同じように震えているところを見たら、急に笑いが滲みでてしまったっす。

 

…ああ、この人も私とそう変わりのない、人間なんだって。

そう考えると、愛おしくて堪らなくて。

そこからは顔は涼しくしつつも、心の内では必死だったっす。

なんとか私に意識を向けてほしくて、軽口を叩いて。

 

…先輩が死なずにすんで、本当に良かったっす。

 

その後は、先輩の野球を辞めた事情を聞いて、先輩の立場にだったらどれだけ辛い思いをしたのだろうということと…ほんの少し、ほんの少しのこみ上げる欲望が、私の心の中で混ざりあったっす。

 

先輩の喪失感を利用し、私の欲望を満たし。

私の欲望を持って、先輩の喪失感を埋める。

 

最高の循環に、このときばかりは私自身を褒め称えたっす。

 

そんな感じで季節は巡り、先輩との仲はゆっくりと縮まっていったと思ってたのに…

とりあえずのゴールである、「告白」が来なかったっす。

 

私も女だから、できたら好きな人から告白される夢を見ていたっす。

先輩のどんなたどたどしい告白でさえも、手放しで喜ぶ覚悟でした。

 

それどころか、ここ最近は連絡も遅く待ち合わせに遅れることもしばしば。

最初の方は先輩にも事情があると思っていましたが、それが同級生の、それも女の勉強の面倒を見ていることを知った日にはさすがに怒りを隠すことはできなかったっす。

 

ダメっすよ、先輩。

もしかしたら、その女は先輩を狙ってるかもしれないっす。

だって、本当に教わりたいなら他の女子でも、先生でも、いくらでもいるっすから。

「先輩」でなければいけない理由がない。

 

…それはきっとただの口実でしかないっすよ!

 

その辺鈍い先輩は馬鹿正直に話すものだから、私のイライラゲージは高まるばかり。

好きな人が他の女の話をしているのなんて、酷い拷問でしかないっす。

 

あんまりまごまごしてたら盗られると思ったので、もう無理やり「付き合っていること」にしてやろうと、強い言葉を吐いちゃったっす。反省…

 

…でもっすよ、先輩。

命、救ってるんですから。

先輩の人生、私にくれたっていいっすよね?

さすがに傲慢だと思います?

 

…じゃあ、別の表現で言い換えるっす。

 

先輩は私という存在で補完されるけど、

私という存在は先輩がいなければ存在し続けることができない。

 

そのくらい先輩のことが好きってことで、かけがえのない方だってことっすよ!

 

だから、お互いの人生の手綱を決して離さないようにしないと…もちろんいいっすよね?先輩。

 

 




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