病街録   作:とうぶん

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いつも読んでいただき誠にありがとうございます!
今回は少し長くなったため、分割いたします。


【吉良√・上】みにくくいとしい貴方のままでいて

寝る前に自室で一人物思いに耽っていた。

今日も宍戸さんとの時間は堪能することができたことに、安堵感が広がる。

もちろんその他の時間…友達との時間だってかけがえのないものだってこともわかっている。

立ち上がり、部屋内にある姿見に自らを映す。

 

…少しは肉付きが良くなったのかな?と思うぐらいには容姿に気をかけるようになった。

昔は不慣れだったメイクも、気を引くためのからかい方も今ではすごく楽しく思える。

 

ただ、それでも物足りない。

私は足るを知らない人間なのだ。

それはひとえに、私がこれまでの人生で満たされることが少なかったから。

 

「宍戸さん…」

 

未だに名字でしか呼べないもどかしさ。

付かず離れずの距離をいかに縮めるかが大切なのに。

 

「……」

 

再びベットに腰掛けてぬいぐるみを抱える。

少し間の抜けた顔立ちの犬のぬいぐるみを指の腹で優しくつついてみる。

 

『なんだよ、くすぐったいぞ…そういうことすると、勘違いしちゃうだろ』

 

「ふふっ、いいんですよ。…勘違いじゃないですから。…一希さん」

 

自作自演のセリフなのに、言い終わった後照れが混じる。

本人を目の前にすると、躊躇してできない名前呼びも一人でいる時はしたくなる。

 

「…一希さん。一希さん!一希さん?」

 

今思うと自分でもここまで糖分が余剰してそうな恋愛脳だったなんて、昔の私が見たらどう思うのだろうか。

恋が人を変えるというのは、あながち嘘でないような気がしている。

 

スマホの着信を確認することが増えた。

一希さんからのメッセージならすぐに返信したいから。

 

屋上に呼び出されたら友達との約束を断ってでも時間を作る。

まぁその度に友達に冷やかされるんだけど…

 

ちょっとした変化に気づいてくれるのも嬉しい。

一希さんの悲しい生活による習性というか、美徳というべきか。

以前は毛先を少し整えただけでも気づいてくれて、胸が暖かくなった。

好きな人が、私に対して興味をきちんと持ってくれている。

それだけで、天にも昇る気持ちだ。

 

「一希さん…」

 

でも、目下懸念点だらけなのは辛いところ。

一番の障害となっているのは阿澄先輩に間違いない。

ただ、今のあの人のままであれば問題ないはず。

 

けれど、私にとっては好都合。

正面切って戦って勝てる相手ではないとも思っている。

恋は戦争。どこかで見たキャッチフレーズ。

 

それに…初恋だから。

初恋は実らないってジンクスがあると思うけれど、それを打ち破りたいっていうのもあるし。

 

考えることが色々あって大変だけれど、充実していないわけではない。

この恋が実れば、より一層楽しくなるんだろう。

焦りと楽しさが、私の心を燃やしている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

毎日、悶々とした感情を処理しきれないでいた。

過不足ない人生のはずなのに、物足りなさを感じている。

 

「ねぇねぇ、ついにあそこが付き合い始めたみたいだよ!」

 

「あーね。まぁイケメンと可愛い子だから絵になるね」

 

「えーでも性格悪いって話あるじゃん」

 

「ただの噂じゃないの」 

 

そう。

異性を急激に意識し始める中学二年生の私たち。

 

ただ、一つあるとすれば。

恋は特権階級の人たちのものに過ぎないということ。

キラキラした人達が形作って、青春を演出していることから察することができる。

 

現にテレビや広告の多くは見た目の良い人間が席巻していて、最近では恋愛リアリティーショーのような番組も増えた。

…現に結構見てる子いるし。

 

「あー、整形したい」

 

「んね、そう…二重整形ぐらいならいけるんじゃない?」

 

「元から顔整ってるのとかズルよね~」

 

 

教室の隅で小声で愚痴を溢している友達たちがいやに小さく見えてしまう。

私もその中にいるので、なんとも言えないところだけれど…

 

「…千秋、あんたも結構整ってる方なんだからムカつくんだよなぁ…ほれほれぇ」

 

ほんな(そんな)ことないよ…」

 

「千秋ちゃんほんとに肌白いよね…私地黒だし羨ましい~。目も綺麗な平行二重で目力あるしなぁ~。…ヤバい言葉にするとキレそう。キレてもいい?キレるよ?」

 

「えぇ…」

 

手をわきわきとさせながら私の顔を弄り出す友達たち。

そんな状況が心地良いとは思いつつも、やっぱりなぜか物足りないような気がしていた。

 

「そういえばさ~三年の阿澄先輩いるじゃん?またコクられてたって話聞いた?」

 

「あぁ~。もうだって阿澄先輩は別格というか、殿堂入りでしょ。だってこの前別の中学の人からもコクられてるって聞いたよ?」

 

「そうなんだ?知らなかった~。まぁでもあれだけの見た目と性格の良さだったら皆好きになるよね」

 

「うわ~阿澄先輩の顔になりたい~」

 

阿澄先輩。

間違いなく学年、いや全校生徒の中でも一番と言って良いほどのビジュアルの良さ。

それに加えて分け隔てのない優しさを持つから、下級生からも羨望の眼差しを向けられているようで。

 

神様は人を作る時に能力配分の仕方をわざと偏らせているとしか思えない。

そのくらい差がある。

ああいう人が有名になったりするんだろうなと遠い目をしながら考えていた。

 

 

 

 

「…よし、良い感じかな」

 

放課後、美術部に所属する私はカンヴァスに向き合って、絵を描いていた。

今日は想像以上に筆が乗り、思わず顔が綻ぶ。

 

「…上手くなってるな。吉良」

 

「わっ…宍戸先輩。後ろからぬっと出てこないでください」

 

「悪い。驚かすつもりはなかった」

 

ぼわっとしたヘアスタイルに大きめの縁取りをしている眼鏡をかけている野暮ったい先輩…宍戸先輩が目を細めながらこちらを覗き込んでいた。

 

「先輩、いつも見てくれるのはありがたいですけど…自分の作品をもっと頑張った方がいいんじゃないですか?」

 

「あぁ、まぁそれはいいじゃないか。俺はどちらかと言えば人の絵を見てるのが好きなんだよ」

 

「否定はしませんけど…」

 

この先輩はどことなく掴み所がない。

だけど無愛想というわけでもなく、こうして話す仲ぐらいではあるんだけれど。

 

「そういえば、先輩って阿澄先輩と同じクラスなんですよね?」

 

「…あぁ、そうだな」

 

「やっぱりそうですよね。今日も友達との話の中で阿澄先輩が出てきたので、気になって。…実際関わりとかあったりするんですか?」

 

ほんの興味心で少し離れたところに腰掛けている宍戸先輩に尋ねる。

ただまぁ、正直なところ関わりあいはないだろうなと思っていた。

片や学校中の人気者であり美少女。

片や美術部のモサモサ部長。

言い方は悪いが、交わるところが見出だせない。

 

「………いや、別にないな。」

 

「何ですか今の間は」

 

「間をたっぷり取った喋り方のほうが信頼されるってどこかで聞いたからな」

 

「いや今のは不自然に映るだけです」

 

「冷静なツッコミありがとう」

 

はぁ…

途端に脱力してしまい、筆を置く。

けれど、こうやって二人きりの美術部は私にとって居心地が悪いものじゃなかった。

数人いた先輩や同級生も勉強に集中することによる退部や幽霊部員になったため、こうして二人でいることが多くなった。

 

「宍戸先輩ってちゃんと勉強してるんですか?大体美術室に来ますし。…どこの高校行くつもりなんですか?」

 

「○○高校狙いだな。まぁ成績も射程圏内だからそんなに問題ないよ」

 

聞いたことのない高校名だった。

ここより少し離れた場所にある高校らしい。

わざわざ遠くの学校に行くのって面倒くさくないのだろうか。

 

「へぇ…合格するといいですね。頑張ってください」

 

「無感情な励ましありがとう。言葉だけ受け取っておく」

 

「別に感情が乗ってないわけじゃないですけど…偏屈な受け取り方しないでくださいよ」

 

「言葉のトーンも含めて受け取る主義だからな。僕はそう感じただけさ」

 

「もう少し素直になってくれればいいのに…」

 

会話の中身はともかく、なぜか話していると波長が合うのか落ち着く。

なんていうか、同じところに咲いていても調和が取れているというか。自分でもよくわからないけど。

それでも、ドキドキするとかそういうのは感じたことがない。

良い先輩ではあるけど…みたいな。

 

だけど、横目でカンヴァスに向かって描いている先輩の横顔は、綺麗だなと思うことはあったけれど。

…唯一学校で話をする男の子っていうのもあるのかな。

 

「僕からも一つ、吉良に聞きたいことがあるんだけどいいか?」

 

「…?はい、答えられる質問なら」

 

「自分の周りには、善い人と悪い人…どっちの割合が多いと思う?」

 

「なんですかそれ」

 

思う前に口に出ていた。

そんな道徳チックな質問が来るとは思わなかった。

 

「僕もあんまり難しいことは好きじゃないんだけど…ちょっと聞いてみたかったんだ。どうかな?」

 

「そうですね…」

 

お父さんやお母さん、友達、親戚、近所の人。

ありとあらゆる人を脳内に書き出しても、私にとっては悪い人という印象はない。

そもそも、私自身がそこまで怒ったり笑ったりするタイプではないからか、感情のぶつけ合いをすることがないからか。

考えていて、あまりにつまらない人間だなと思った。

 

「まぁ、善い人の方が多いのかと。根拠は身近な人に困らされたことがないので…」

 

「なるほどね。…参考になるよ。ありがとう」

 

「宍戸先輩はどう考えてるんです?」

 

どうにも私に聞いておいてそのまま終わりにしそうな雰囲気だったので、質問をしてみる。

 

「…僕の考えか。皆等しく善くて悪い…という感じかな。あはは、なんか中二臭いか?」

 

ポリポリと鼻をかきながら、ずれた眼鏡を上げる動作をする宍戸先輩。

 

「とっても。現役中二の私からしてもくどいぐらいには」

 

「そりゃあ悪かった。本来こんなのなんて一人で考えるべきことなんだけどな。…そろそろ描くか」

 

「はい。もうあまり時間無いですけどね」

 

皆等しく善くて悪い。

なぜかこのフレーズが頭の中にこびりついて、離れなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「…あれ」

 

ある日の朝、下駄箱の戸を開けると上履きの上に封筒が置かれていた。

手に取ると、表面に男子が書くようなやや乱雑な文字で私の名前が書かれている。

 

(私宛の手紙…?)

 

思わずその場で開こうとしたものの、直感的に誰かに見られるとマズいような気がして、すぐにバックの中にしまう。

 

何せこんな経験がないから、対処方法もわからない。

けれど、もし私が想像しているものであれば。

 

(…ラブレター、なのかな)

 

すぐに人気の無い教室に入り中を確認すると、想像どおりのものが出てきた。

文面を読んでいくと、少し自分に酔っているような文章で私への想いが綴られていた。

ただ名前は書いていないから誰かは特定できず、放課後にテニスコート裏に来てほしいとのことだった。

 

(…どうしよう)

 

正直、こんなことに私が関わるとは思っていなかったから、対処できるスキルがない。

友達に相談しようかと思ったけれど、女子の中で話が大きくなるのも怖い。

 

誰か…口が固そうな人はと思ったところで、一人、頭の中に浮かび上がった。

 

 

「…なるほど。大体わかった」

 

「先輩がちゃんと昼休みも美術室にいるような人で助かりました」

 

「暗に友達いないって言ってないかそれ?」

 

事のあらましを宍戸先輩に話すと少し肩の力が抜けた気がして、いつもの調子で言葉を放ってしまう。

 

「まぁ、でも仲良くしてた男子とかそういう感じじゃないのか…?こっちは友達だと思ってても相手は好きだったみたいな」

 

「いや、仲良くしてた男子なんていないんですが…だからよくわからないんです」

 

「そうなのか?まぁ、吉良は活発に交流するタイプではないか…」

 

「…その言葉、さっきの意趣返しですか?」

 

「そういうわけではないけれど」

 

ふむと言って顎を触りながら考え込む宍戸先輩は、彫刻のようにも見える。

 

「まぁ、何にせよ。こうやって想いを伝えたいってことなら会って受け止めてやるのがいいんじゃないか?受ける、受けないは別として」

 

「…そうですね」

 

ただ、こうして匿名だと罰ゲームでの告白を疑ってしまう。

そのくらい男子との繋がりもないし、自分がモテる人間だとも思えない。

 

「…不安そうだな?」

 

「ええ、まぁ。得体の知れないことって恐ろしくありませんか?」

 

「そう言われれば、そうか」

 

そう言って両の膝を打つ宍戸先輩。

相談を持ちかけたのがこの人で良かった。

変なふざけ方や茶化し方をせず、私を見て話を聞いてくれる。

それだけで安心する。

 

「宍戸先輩は好きな人っているんですか?」

 

「…いる。とても近いけど遠い。そんな感じだ」

 

「なんですかそのなぞなぞみたいな言い方」

 

「まぁ、実ることはないと思うけどな。あくまで願望に過ぎない」

 

「どんな人なんですか?」

 

話を聞いていくうちに、興味が湧いてくる。

思えば宍戸先輩から恋愛の話を聞いたことがなかった。

日頃はもっと雑談じみた話ばかりだったから。

 

「…。一言多い。騒がしいのが苦手。少し傲慢かな」

 

「なんですかそれ。あまり褒められた特徴じゃないですね」

 

「実際そうなんだから仕方ない」

 

そう言うと宍戸先輩は少し照れが入った表情を見せた。

いつもは飄々としている様子しか見ていなかったから、なかなかレアな気がする。

 

「まぁ、どうであれ想いを伝えるっていうのは一大決心だ…。なら会って返答してあげた方がいいだろうな」

 

「…もし罰ゲームだとしたら?」

 

「仮にそうだったら…そうだな。ジュースでも奢ってあげよう」

 

「…わかりました。お昼休みに申し訳ありませんでした」

 

「相談ならいつでも乗ってやる。…仮にもたった一人の美術部の後輩なんだからな」

 

骨張った手を振り、いつもの締まらない顔で笑う宍戸先輩。

 

「宍戸先輩に聞いてもらって良かったです」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

放課後。

いつもよりも時間が早く過ぎて、数式も年表もまるで頭に入ってこなかった。

どんな人が来るのだろうか。

はたまた陰から見物人がいて、狼狽える私を馬鹿にするのか。

 

正直立っているだけでも重だるく、永遠にも感じるこの時間に何の意味があるというのだろうか。

というより、私の何を知って告白しようとするのだろうか。

あまりにも理解しがたい。

待つこと十数分、差出人が顔を表した。

 

「ご、ごめん。待たせたね…」

 

「え、あ、はい…」

 

誰、この人。

どこにも印象がなくて、なんと反応すればよいのかもわからない。

 

「僕の手紙読んでくれた?…僕の精一杯の好きを詰め込んだんだけどどうかな?いや、うん。あれなら千秋ちゃんも響いたよね?どう?どう?」

 

「えっと…。あなた、誰でしたっけ。ごめんなさい、覚えてなくて」

 

怒涛の言葉に流されて、口が挟めなかった。

そしてさらりと呼ばれた下の名前に表現しづらい嫌な気持ち。

何より無駄に大きい鏡餅みたいな体。

本能的なところで恐怖を感じて、もう逃げ出したい。

 

「え…ちょっとちょっと、冗談はやめてよ。同じクラスだし…あんなに僕の方チラチラ見てたじゃん。…あ、照れ隠しかぁ。しょうがないなぁ。佐藤だよ。佐藤太!」

 

まるで猪みたいのような鼻息の荒さで私との距離を詰めてくる。

目は吊り上がっていて、じっとりとした視線が私の顔と体に突き刺さっていく。

どうしてもそれが、許容できるものじゃなかった。

 

「佐藤君…ごめんなさい、付き合うことはできないです」

 

喉の奥まで出かかっていた拒絶の言葉が押し出される。

とにかくもうこの場から去りたくて仕方がなかった。

だけど、体が凍りついたように動かない。

 

「…なんで?いいじゃん彼氏いないんでしょ?…友達が千秋ちゃんいけるって言ってくれたし!ね、いいじゃん!」

 

え…なにそれ。

誰かにけしかけられて、私がターゲットにされたってこと?

嫌、なんでどうして。

佐藤君の腕が肩に伸びてきて、掴まれると思って目を閉じた瞬間。

 

「その告白、ちょっと待ってくれ」

 

いつもより固い聞き知った声が私と佐藤君の間を通り抜けていく。

声の方を見ると、そこにいたのは宍戸先輩だった。

なぜかかけていた眼鏡を外し、無造作だった髪型はかなり整えられていた。

 

「な、なんだよ!僕が千秋ちゃんと話してたんだぞ!」

 

「……」

 

わかりやすく狼狽えている佐藤君を手で制して、こちらに近づき一呼吸置いた後、私の目を見据える宍戸先輩。

吸い込まれそうな瞳。ほんのり紅くなった頬。

美術室で見る宍戸先輩とは明らかに異なる。

 

「し、宍戸先輩」

 

「…吉良。君の事が前から気になっていた。僕と付き合ってくれないか」

 

「はっ、えっ?」

 

頭を下げ、右手をこちらに差し出してくる宍戸先輩に、言葉が出ない私。

それは佐藤君も同じで、彼からしたら割り込んできて告白している状況に魚のように口をパクパクさせていた。

 

『断ってくれ』

 

意識してなければ見逃しそうなぐらいの声量で拒絶しろという声が耳に届いた。

宍戸先輩の考えは把握できていけれど、おそらく何らかの考えがあるんだから。

 

「えっと、すみません。宍戸先輩とは付き合えないです…」

 

「そうか…答えてくれてありがとうな」

 

そう言って顔を上げた宍戸先輩は本当に悲しそうな表情を浮かべながら、佐藤君の方に向き直る。

佐藤君にとっては突然の乱入者なのだけれど、目の前で振られた宍戸先輩を見たからか、少し萎んだ様子でいた。

 

「なぁ、君も吉良に振られたんだろ?」

 

「い、いや僕は…」

 

「……確かに辛いとは思う。現に今、僕も傷心した。けれど、自分の想いを伝えて良かったと思ってる。…お互い仲間だろう?…行こう」

 

打ってかわって優しげな声で佐藤君に語りかける宍戸先輩。

それに毒気を抜かれたのか、佐藤君は小さく頷き歩きだした。

気がつけば呆気に取られた私はさっきまで感じていた恐怖はなくなり、じんわりとした安堵が広がっていく。

 

佐藤君と肩を組んだ宍戸先輩は一瞬こちらを振り向き、フッと口元を歪めると、遠ざかっていく。

 

その様子に私は、この人生の中で聞いたことのない心地の良い心音の高鳴りを感じた。

 

「宍戸、先輩…」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ごめんな。僕の軽率な言動が良くなかった」

 

「…そんなに謝らないでくださいよ。でも宍戸先輩がいてくれて良かったです」

 

翌日放課後の美術室。

私と宍戸先輩は変わらず美術室に二人でいた。

そこで開口一番に謝罪。

確かに怖い思いもしたけれど、宍戸先輩のあんな姿を見れたのだから。

 

…というよりも、昨日から私はやっぱりおかしい。

宍戸先輩を見るたびに、声を聞くたびに、じわじわと胸が染められる。

その仕草で私の心がさざめく。

 

「…宍戸先輩はなぜあの場にいたんですか?あと、あの告白はどういったつもりで?」

 

一日経った後、おおよその考えは推察できるけれど、それを宍戸先輩の口から聞きたかった。

 

「…言い訳にはなるが、不安そうな吉良を見守ろうと思ってな。陰で見ていたのさ。告白は、彼を止めるために行った。…結果として吉良の負担になって申し訳ないと思っている。今日の彼の様子はどうだった?」

 

 

あの時初めて認識した佐藤君は、確かに同じ教室にいた。

気まずげな視線を一度浴びたものの、すぐに彼の友達と談笑に戻っていたことから、特段引きずってはいないのだろうと推察した。

ただ、あの肩を掴まれそうになった情景を思い出すと、今もぞっとしてしまう。

 

「いえ、特段なにも…ただ、今回の件で私が思うより善い人は少ないのかもしれないと思いました。宍戸先輩が言うように、半々ぐらいなのではないかと」

 

「…そうか。…なぁ、吉良。ゴッホの絵って上手いと思うか?」

 

「…教科書で見た作品は、そこまで特筆して上手いとは思いませんでした。ただ、やはり目を惹く作品なんだと思います」

 

良し悪しがわかるほどの審美眼が私にあるとは思えないけれど、そう感じた。

私の様子を見て、宍戸先輩が口を歪めている。

昨日と同じ表情に思わず胸が踊ってしまう。

 

「…前にも言ったけど、僕は絵画を観るのが好きだ。…自分の描くものなんてたかが知れているからね。そして、観る人によって解釈や感想が変わるという点も良いと思う」

 

「………」

 

「そんな風に、人の全てを善いか悪いかできっちり区分けできないんだ。…辛い経験をさせて本当に申し訳ない。僕にできることがあれば、補償させてもらう」

 

恭しく、ゆっくりと頭を下げる宍戸先輩。

 

「じゃあ、一つだけ」

 

「なんだ?」

 

「これからは、宍戸先輩じゃなくて、宍戸さんって呼んでも良いですか?」

 

「…構わないが…そんな事でいいのか?」

 

「はい。じゃあ、よろしくお願いします。宍戸さん」

 

頬が緩んでいるのが自分でわかる。

当の宍戸さんは不思議そうな顔をしているが、私にとっては大事なことだ。

 

…先輩後輩だけの関係になりたくないと強く思った。

「先輩」という呼称はもういいかな。

 

宍戸さんは、私を救っただけでなく佐藤君も救った。

彼が私に手を出していれば、話は大きく変わっていただろう。

それを宍戸さんは暴力や貶めによるものを使わず、自分を道化とすることで場を収めたのだ。

 

自分がみにくくなることを受け入れて道化になることは、そうはできることじゃないと思う。

だからこそ、その精神性を私はいとしく感じたのだ。

 

ああ…。

私の中で欠けていたピースがはまり始めている気がして、満たされていく。

そして私も宍戸さんのように、貴方を助けられるような奉仕の精神を持とうと思う。

…そうなりたいと、切に願う。

 

 

 

 

 

 

1ヶ月後。

宍戸さんが阿澄先輩に告白したらしい。

頭がぐちゃぐちゃになる。

 

勝手に私だけを特別扱いしてくれているんだと思い込んでいた。

これから宍戸さんのことを知っていけばいいと思っていたのだ。

 

そんな傲慢さと怠惰が祟って、私の心を砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後編は近日公開予定になります。
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