病街録   作:とうぶん

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引き続きよろしくお願いいたします。


愛の産声(下)

初冬、草木も寝静まる夜更けを壊すようにガラスが派手に割れる音がして、目が覚める。その音は激しく鳴り響き、やがて屋敷全体を包み込む悲鳴と怒号。

 

 

 

 考えられるケースは物盗りだろうか。

 

 しかし物盗りなら基本的に密かに行動するはず……このような派手な行動は慎むはずだ。

 

 海馬を全稼働させながら、流石にこの状況で空手はマズいと、部屋内に保管していた竹光を手に取る。

 

 

 

 相手が銃でも持っていたら。

 

 この部屋から出ていない以上、外がどんな状況になっているかもわからない。

 

 寝起きの身体に、恐怖という戦きが加わってしまう。

 

 出るか、出ざるか。

 

 究極の決断を僕は今、迫られている。

 

 

 

「葵様、お待たせいたしました!」

 

 

 

 そんな葛藤を蹴破るかの如く部屋に入ってくる者がいた。

 

 ここは正門から離れた場所なのに、もうここまで手が迫ってきているのかと思った矢先。

 

 そこには息一つ乱れていない月読さんが満面の笑みでこちらに歩み寄ってくる。

 

 

 

「本当に、本当にお待たせしました! 遅くなってしまってごめんなさい」

 

 

 

「つ、月読さん……今、外はどんな状況なんですか! 亀裂音が激しく鳴り響いて、何が起きて……」

 

 

 

「大丈夫ですよ……ごめんなさい、目が覚めてしまいましたよね」

 

 

 

 月読さんは僕の背を摩りながら、包み込むように抱き付いてくる。何が大丈夫なのか。

 

 

 

 ふと、違和感を覚える。

 

 ……なぜ月読さんは部屋の施錠していた戸を開けることができた?

 

 なぜ、非力であろう女性にそれが行える?

 

 

 

「ここでゆっくりしたいのは山々なのですが、そろそろお時間ですかね」

 

 

 

「月読さん……一体どういう」

 

 

 

 僕が疑問を解消できず、再度月読さんに投げかけようとした時。

 

 荒々しい足音を鳴らしながら、入ってきた者たちがいた。

 

 

 

「葵様、ご無事で……ああっ!」

 

 

 

 父が雇っていたボディーガードたちが、鬼気迫る表情を浮かべながら僕を見ると共に、隣を見て驚く素振りをしていた。

 

 ただ、状況はわからないけれど彼らが味方であることは確かだ。

 

 渡りに舟、ここは彼らの助けを得て脱出できるだろう。

 

 

 

「月読さん……これで「葵様! その者から離れてください!」」

 

 

 

 ……どういうことなのか。

 

 すると僕の背中に添えられていた月詠さんの手がゆっくりと離れる。

 

 

 

 そしてボディーガードたちに向き直ったその表情は背筋を凍らせるような冷たさを纏っており、普段の月読さんではない誰かを思わせる。

 

 

 

「煩い」

 

 

 

 短く呟いたその言葉を置き去りにするように、月読さんがボディーガードたちに向かって走り出す。

 

 

 

「隊長、どういたしますかっ……!」

 

 

 

「まず一人」

 

 

 

 今、何が起きたのか。

 

 脳が理解することを拒否するような、そんな光景を目の当たりにしている。

 

 月読さんがスカートをふわりと舞わせ、太腿より素早く杭のようなものを取り出し、ボディーガードの一人の首へ突き刺した。

 

 

 

 

 

 辺りに鮮血が撒き散って、他のボディーガードへも飛散していく。

 

 なんだこれは。なんなのかこれは。

 

 刺されたボディーガードはすでに息絶えているように見え、目の生気はなく虚ろだった。

 

 

 

 人が死んだ。僕の目の前で。

 

 血を吹き出して……怯えた形相で。

 

 

 

「う、うわぁ!」

 

 

 

 錯乱した様子のボディーガードが月読さんに向かって警棒を振り下ろす。

 

 それを軽くいなすように避け、またも素早く手に持った杭でボディーガードの額へ突き刺し、勢いよく引き抜く。

 

 

 

「二人目……あと二人」

 

 

 

 引き抜いた杭から滴る血液を拭いながら、獰猛に口元を歪めていた。

 

 

 

 誰なんだあの人は。

 

 僕が知っている月読さんではない。

 

 思考を止めるとこの常軌を逸した状況に対応することができなくなる。

 

 気づけば足は小鹿のようにかくついていて、すでに腰が抜けてしまっていた。

 

 

 

「ひっ、ああぁぁ!」

 

 

 

「ふんっ……」

 

 

 

 あまりの旗色の悪さにボディーガードの一人が出口へ向かって駆け出していく。

 

 いくら訓練を積んでいても、戦地でもなければ人が死ぬ場面などそうはないだろう。

 

 

 

「うっ……ギャアアッ!」

 

 

 

「痴れ者が。疾く死ね」

 

 

 

 その様子を察知していたであろう月読さんは杭を二本、ボディーガードへ向かって投擲していた。

 

 そして寸分違わず両足の膝窩を捉え、ボディーガードは勢いそのままにその場に倒れ込んだ。

 

 

 

「あがあっ! 痛いいいいいっ!」

 

 

 

 想像もつかないほどの痛みにのたうち回るボディーガードへ月読さんが近づき無情にも杭を胸に一突きした。

 

 

 

「あと一人か……待っててくださいね、葵様! もう少しでお側に行けますので!」

 

 

 

 窓から差し込む月光が月読さんを照らす。

 

 黒と白で基調されているメイド服にはくすんだ赤が混じり、それでも表情は冷酷さと華やかさを同居させている。

 

 

 

 ……その一瞬、わずかに開いた口元から人間が持ち合わせているはずのない鋭い犬歯が覗いていた。

 

 

 

「葵様……私が刺し違えてでもあの者を止めます」

 

 

 

 残りの一人となったボディーガードの隊長が僕の前に立つ。

 

 彼の部下は、全員無惨な血溜まりの中に斃れている。

 

 それでも腰が引けた様子はなく。

 

 月読さんを誘うかのように構えを取っていた。

 

 

 

「へぇ。さっきの塵どもよりも面倒そうだ」

 

 

 

 緊張の糸が張り詰め、死臭が立ち込めるこの中で、僕は1ミリたりとも動くことができなかった。

 

 理外の理。

 

 それを一夜にして僕は身をもって体験している。

 

 

 

「そろそろいきますか」

 

 

 

「………」

 

 

 

 緩慢な動作から、されども隙を見せずにこちらに向かって疾走してくる月読さん。

 

 左手には杭を持ち、飛びかかる算段なのだろうか……

 

 

 

 両者が肉薄し、まず月読さんの杭が命を奪う前の余興とでも言わんばかりに肩口へ向けられる。

 

 

 

「ぐっ!」

 

 

 

「あら、弾かれちゃいました」

 

 

 

 これまで積み重ねた経験の賜物か。

 

 すんでのところで隊長の警棒が月読さんの杭を受け流す。

 

 

 

「ふぅん」

 

 

 

 間合いを取りながら体勢を立て直し、月読さんが杭を逆手に持ち替え、命を刈り取ることに特化した尖りが鈍く光る。

 

 

 

「ぐおっ!」

 

 

 

 数合、両者がお互いの得物で打ち合う。

 

 鼻歌でも歌うかのように優雅に攻め立てる月読さんが、次第に余裕のない隊長の防御を崩していく。

 

 

 

「もういいですかね」

 

 

 

 月読さんの瞳が煌めくと共に、遠間から駆けて跳躍し、杭を勢いよく隊長めがけて振り下ろした。

 

 

 

「ぐっ、がぁ!」

 

 

 

「そろそろ死んでもらいましょう」

 

 

 

 軽く弾ける泡のような言葉を呟くと、体勢を大きく崩した隊長の背後に回り込んで首筋に杭を躊躇いなく突き立て、そのまま引き下ろす。

 

 

 

「あ、あおい、さま……」

 

 

 

 断末魔と共にまた、命が血液の噴出とともに夜に溶けていく。

 

 僕はやっぱり動くことすらできない。

 

 一気に四人の命が目の前の女性によって奪われたことが、いまだに現実と紐付けることができていないのだ。

 

 

 

「ふぅ。思ったよりも時間がかかってしまいました。葵様、お待たせしてすみません」

 

 

 

 この状況を作り出した暴力の化身は一転して、返り血一つない華やいだ笑顔をこちらに向けているのに、むせ返るほどの死臭がそれを阻む。

 

 ……僕はどうなるんだ?

 

 こちらに向ける顔こそ笑顔であれど、心の内で僕を殺す算段を立てているのかもしれない。

 

 

 

「ごめんなさい、怖かったですよね。でも、これは必要なことだったんです。葵様を救うために……」

 

 

 

 僕の前で跪く月読さんは優しく慈しむ声で声をかけてくる。

 

 もう後戻りはできないというのに。

 

 

 

「……どうしてこんなことを? 殺してしまう必要性は本当にあったんですか?」

 

 

 

「私、葵様をこの屋敷から出してあげたかったんです。日々を孤独に過ごす様は気高く美しい。私のようなものにも優しさを配ってくれる。本当に仕えたい方だって、心の底から思っているのです。だから邪魔する奴らは払わなければいけません」

 

 

 

「それでもこんなのって……殺人ですよ」

 

 

 

「ええ、おっしゃる通りです。しかし浄化しなければならないんです。私にとって貴方が穢されないことが一番大切なんですから」

 

 

 

 懇願。

 

 跪いたままじりじりと近づいてきながら、両の掌で僕の手を包み込むように撫でる。

 

 向けてくる視線は深い泥濘のようなもので、気がつけば飲み込まれてしまいそうな。

 

 

 

「私と一緒に旅立つんです。この空っぽな鳥籠から。貴方を道具としてしか見ていない両親からも、私が解放いたします!」

 

 

 

 まるで情熱的なプロポーズのような。

 

 語気の強さから、場所が場所ならとても魅力的に映る話であるだろうに。

 

 現実は薄暗く血飛沫が飛び散った惨憺たる場所なのだ。

 

 

 

 いつだって、僕は決められたレールの上を歩いていた。

 

 だから僕がしていいことが分からない。

 

 そんな中で僕を本心から気にかけてくれていたのは、月読さんだけだったのかもしれない。

 

 

 

 彼女だけが僕を見ていてくれていた。

 

 道具としてではなく、ひとりの人間として尊重してくれた。

 

 

 

「あ、あれ……」

 

 

 

 思いがけず瞳が徐々に潤みはじめてくる。

 

 そうか、僕は愛されたかったんだ。

 

 普遍的な愛が欲しかったけれど、そういう人生だと諦めていたのだから。

 

 

 

「葵様……いかがですか? 私のこと、嫌いになりましたか?」

 

 

 

「……いえ、全くそんなことはありません。僕は月読さんに感謝しているんです。でもこうなった以上、月読さんはいつか捕まってしまうでしょう」

 

 

 

 僕の延長線上にある血生臭い四つの骸が、ことの重大さを再確認させる。

 

 いくら月読さんが強いといえど、国家権力には勝つことはできず、捕まれば死刑は免れない……そう、思ってしまう。

 

 

 

「ふふっ……私の心配をしてくださってるんですね。本当にお優しい方。大丈夫ですよ。この屋敷を出た後はこの世界から去りますので」

 

 

 

「どういうことですか。まさか自殺するってことですか……?」

 

 

 

 言葉だけを捉えるのならばそう聞こえてしまう。

 

 死刑になるのであれば自決するという考えを持っていてもおかしくはない。

 

 

 

「異なります。まず……私は人間ではありません」

 

 

 

 月読さんはそう言うと、牙のような犬歯をこちらに見せるように口を開けた。

 

 これが意味するものとして、彼女は……

 

 

 

「……吸血鬼」

 

 

 

「聡明な葵様なら、すぐに理解してくれると思いました。……私は吸血鬼なのです」

 

 

 

 染み一つない白魚のような肌に朱がさした。

 

 詳しくはなくとも、一度は聞いたことのある人の理の外にいる者。

 

 であれば、人間以上の強さを誇っていてもなんらおかしくはない。

 

 

 

「本当はこんなことを明かすつもりもなかったのです。ただ葵様のお側に居続けて、成長を見守ることができるのならばそれで良いと」

 

 

 

 月読さんは言葉を一度区切り、憤怒を目に宿して語気を強めていく。

 

 

 

「それを旦那様……いえ、葵様の前で申し訳ないのですが、あの愚か者は私を葵様から離そうとしました。これは万死に値します。……葵様を産み出したという功績があったとしても許しがたかった! だから、私はこの力を使うことにしたのです。葵様を救うために!」

 

 

 

 晴れやかに、高らかに喧伝するように月読さんは言った直後、気がつけばあれだけ騒がしかったはずの屋敷内がいつの間にか静けさを取り戻していると思った矢先だった。

 

 

 

「邪魔をする」

 

 

 

「は、離せ、おい! なんなんだ貴様たちは! 私が名家の当主であることを理解してるんだろうな?」

 

 

 

「そ、そうよそうよ、こんな乱暴狼藉、国家が許さないわよ!」

 

 

 

「知るか。ツクヨミ、役割は果たしたぞ」

 

 

 

「ありがとうございます。リンドウさんのお陰で楽にことを進めることができました」

 

 

 

 長身痩躯の黒々しいオールバックの男性が縄にかけられている父と母を抱えながら部屋に入ってくる。

 

 その冷酷な瞳でこちらを一瞥した後、月読さんに向かって言葉を放つ。

 

 

 

「約束通り、自国に還ってくるように。……その男がお前が話していた者か」

 

 

 

「えぇ、そうです。私の未来の旦那様になる方ですので」

 

 

 

「……ふん。まぁいい。後は好きにしろ」

 

 

 

 鼻を鳴らしたリンドウという男性は縛られた父と母を放り投げるようにして、部屋から出ていく。

 

 

 

「無愛想な男で申し訳ございません、葵様。彼は誰に対してもああいう態度を取るのです」

 

 

 

「い、いや……それは構わないのですが」

 

 

 

 未来の旦那様。

 

 それは誰か。

 

 ……紛れもなく僕だろう。そして、リンドウさんの「自国に還ってこい」という言葉が指す意味は。

 

 

 

「月読さんは吸血鬼が集う国に僕を連れていくつもり……ということですか」

 

 

 

「ええ、ご推察のとおりです。そして私の伴侶として生活に不自由させることはございません」

 

 

 

 満足げに、そして恍惚を帯びた表情で。

 

 月読さんは僕の掌に口づけをした。

 

 

 

「か、勝手なことを言うな! 葵を連れていくなど!」

 

 

 

「そうよ! 葵には役割があるの! 私たちの家を繁栄させるための使命が!」

 

 

 

「……ああ、そういえばこの人たちを処理するのを忘れてました。流石に葵様の肉親ですし、殺すのは忍びないとは思っていたのですが……」

 

 

 

「月読ぃ! 貴様、私に拾われた恩を忘れたのかぁ!」

 

 

 

「私たちを解放して、葵を返しなさい!」

 

 

 

 縛られて苦しそうにもがきながら懸命に主張する父母。

 

 それに対して月読さんは、どこまでも軽蔑の念を込めた瞳を向けていた。

 

 

 

「葵様は貴人方の道具ではありません。幼少時から重い責を担わせ、あまつさえ行動や思考すら縛りつけた貴人方がまともであるわけがないのです」

 

 

 

「貴様ぁ!」

 

 

 

「そして何より私が許せないのは、縛りつけるだけ縛りつけて愛を注がなかったこと。……貴人方よりも私の方が葵様を幸せにできる自負がありますので」

 

 

 

 憎々しげに月読さんをねめつける父。

 

 そうして相対すること数分。

 

 父は埒が開かないと思ったのか、僕に口を向けた。

 

 

 

「葵! お前には常日頃から伝えていただろう! 獅々倉家を繁栄させる役割があると!  ……そのために、私たちがいくら金と時間をかけたと思っているんだぁ! 期待していたんだぞお前にぃ!」

 

 

 

「父様……」

 

 

 

「そうよ! だからその女をなんとかして、お願いよ!」

 

 

 

「母様……」

 

 

 

 二人の目が助かりたいと訴えている。

 

 ここにきてもなお、別に僕に対して愛を持っているわけではない。

 

 ただこの場を凌ぐための言葉でしかない。……けれども、僕は。

 

 

 

「月読さん、お願いを聞いていただいてもよいでしょうか」

 

 

 

「……葵様の仰せのままに」

 

 

 

──────────

 

 

 

 僕たちは未だ夜の帳が降りている屋敷の外に出た。

 

 闇夜の中に、三日月がこちらを嘲笑うかのように浮かんでいる。

 

 

 

「それで、ここからどうやってその国へ?」

 

 

 

「それもお任せください。……恐縮ですが、今はただ私を選んでくれたことを堪能させていただけたらと」

 

 

 

「そうですね」

 

 

 

 あの後、父と母は縛られたまま放置することに決めた。

 

 いずれにせよ、あれだけのことがあれば夜明けには国家権力が駆けつけて保護するだろう。

 

 ……殺すことを命じるなんて、僕にはできなかったのだ。

 

 

 

「それにしても……葵様、本当によろしいのでしょうか? 私としては嬉しくとも、恐れ多いと言いますか」

 

 

 

「……いいんです。僕は貴女と歩むことに決めたのだから。だからお願いします」

 

 

 

 明瞭に、意識を覚ますようなはっきりとした声で僕は告げる。

 

 それを受けて、小さく頷いた月読さんが杭で自らの手首を切ると生命の源が滴り落ちて、それを僕の口元へ近づけていく。

 

 

 

 月読さんの同族になること。

 

 これすなわち、愛の最大化であると考えた。

 

 元の世界も家族も捨て去るのなら、人間でなくなったところでなんの支障があるだろうか。

 

 

 

 次第に僕の喉に温かな血液が通っていく。

 

 いつ、変容するのだろうか。

 

 

 

「あぁ、愛しています……我が眷属、葵様」

 

 

 

 例え主従が逆となろうと、僕に愛が通うことに違いはない。

 

 ただ、そう思うのだ。




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