病街録   作:とうぶん

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代償、行く末の果て(下)

 

 

「やぁ、調子はどうだい?」

 

「刹那か」

 

 明くる日、俺は離れの古書館で文献を読み漁っていると、ふと呼び掛ける声がした。顔を上げると眼前まで刹那の顔が迫ってきていて、思わず飛び退いてしまう。

 

「なに、どうしたの?…もしかして照れてる?」

 

「そ、そんなんじゃない」

 

「私があげたプレゼントはどうかな?皇の役に立ってる?」

 

「あぁ、これ凄いな!持っていれば安形ともやり合えるぐらいには…」

 

「いいねぇ。力をきちんと引き出してるならこんなに嬉しいことはないよ」

 

 金髪がふわりとそよぎ、満足そうに目を細めて微笑む刹那。なんだかんだで借りを作ってしまったとも思う。

 

「ありがとな。もし俺にできることがあったら言ってくれ。できる限り力になるから」

 

「殊勝な心がけだねぇ。…君は存外素直なんだよなぁ」

 

「なんだよその言い方…」

 

「それが私の幸せに繋がるから…ね?」

 

 ウインクをこちらに短くした後、顔を離した。改めて刹那の顔を見ると、ほのかに頬が赤らんでいる。

 

 それが不覚にもかわいらしく思えてしまうが、不埒な考えを頭から振り払うように刹那にいう。

 

「そういえば刹那の魔法属性ってなんなんだ?見たことがないからわからん」

 

「えーなになに!そんなに私のこと知りたいのぉ??魔法属性を知りたいなんてぇ、私にとっては下着を見せてくれって言われてるようなものだよぉ」

 

 またクネクネとした動きをしながら阿呆なことをほざいている。この渡された黒玉を見るに、支援系の魔術に長けているのかとは思うのだが…

 

「イイ女の子はぁ、秘密がいっぱいなんだよ?…ちょっとだけ覗いてみるぅ?」

 

 すっと、スカートの端をつまむ動作をする刹那。自制を効かせようとするも、新雪のような白さの太腿が眩しく輝いていてたまらない。

 

 相変わらずニヤニヤと人を食ったような顔でこちらの反応を楽しんでいるのだ。

 

「どうしよっかな〜。ここから先は皇次第で気持ちいいことしてあげてもいいんだけどな〜」

 

 まるで自分の意思など介在しないかのように視線が刹那の所作に誘われる。こんなに俺って自制できない人間だったっけ…

 

 頭がぼんやりと霞がかって、思考がまとまらず刹那の姿もぼんやりとしか見えなくなっていくのが怖くて、手を前に伸ばす。

 

「んもぉ〜。お触りしたいの?しょうがないなぁ~。いいよ、おいで…」

 

 意識が霧散して、刹那のシルエットすらわからなくなってきた。あれ、俺今何やっているんだっけ…

 

 まぁいいか、そんなこと考えなくても。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「うっふふふ…いらっしゃい、あぁ、あぁ。かわいいなぁ…」

 

 離れで利用者もいない閑寂の古書館で、私はお腹を慈しむようにさする。目の前に魂が抜けた皇の身体は糸が切れたように倒れている。

 

 もちろん、それも大事な皇だから丁重に扱わないとね。

 

 せっかく好きになれた人間なんだから、他の奴らのように丸飲みして肥やしにするわけにはいかない。私の体内に皇の魂が入り込んだのがたまらなく愛おしい。

 

「あぁ、本当によかった…皇の魔力感知能力が低くてぇ」

 

 精製した黒玉は対象の魔力を増幅させる代わりに、その力を引き出すほど精神が耗弱していくというもの。皇は私の言いつけどおりに肌身離さず持っていたようで、よりその効果も強まった。

 

 ただ…懸念点が一つあったとすれば。安形の存在だった。悪魔である私から見ても厄介の実力の持ち主だったし、なにより陰から観察していた時も私の実態に気づいているような雰囲気だった。

 

 だけど。おそらく安形は逆に皇と時を過ごしたことで無意識の内に魔力が減耗していたのだろう。実際に持ち前の尖りは丸みを帯びていき、柔らかい表情を浮かべていることが多くなったことは私にとってもプラスに働いた。

 

 骨を切らせて肉を断つ。正直安形に対しては腹立たしさはあれど、ここまで美味しく皇を育ててくれたことに関しては感謝したい。

 

 私たち悪魔は人の魂を喰らって生きている。普段の私であれば魂を喰い捨て、抜け殻である肉体は廃棄するのだけれど。

 

 皇の魂は私の体内に滞留していて、お腹の辺りがじんわりと熱を帯びている。それがとても心地よく、私は法悦の極みに達する。

 

「うぅぁ…気持ちいい…」

 

 あまりの快楽に思考が淀みそうになってしまうが、私にはまだやるべきことがある。さらなるお楽しみはこの後に取っておこう。

 

 私は寝起きの心地よい時間を振り払うかのように、姿を起こす。正直面倒くさいけど、決着はつけておかないとね。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「来ないわね…どうしたのかしら」

 

 皇とのトレーニングも長い付き合いになったけれど、初めて時間どおりに姿を現わさない。義理堅い皇のことだから、何かしらで遅れているのだろうけど。

 

 最近、ついつい皇のことを考えてしまう。この前も私の大層な夢を語ってしまうなど、どうも彼に対してはペースを乱されてしまう。だけどそれが悪くないと思えるぐらいには、私は皇に好感を持っているらしい。

 

 ファーストインプレッションがあまりにお粗末なものだったからか、感情のリバウンドが起こったのかと苦笑する。きっと滝汗かいて「すまん、遅れた!」とか言うのだろうから、今日は少しだけ厳しくしようかと思った矢先。

 

「やぁ、安形。調子はどうだい?元気してる?」

 

「…?貴女…なんでここに」

 

「たまたまだよ。…いやぁ今日は本当にいい天気だ」

 

 姿を現したのは皇ではなくどことなく掴みどころのない刹那だった。いい天気、というのはこの曇天を指してもいいものなのだろうか。やはり得体が知れない。

 

 そして刹那がこちらに近づくにつれて、肌にピリピリとした衝撃が撫でていく。

 

 …なにかがおかしい。

 

「いやぁ、普段は私もアイスブレイクを大事にするんだけどさ。こう…昂っちゃうと無理だね。早く楽しみたくてしかないんだぁ」

 

「貴女…なんなの?」

 

 こちらが怪訝な表情を浮かべていると刹那は貼り付けたような笑顔を見せながら、口元が短く動かす。瞬間、轟音と共に「何か」が私の肩口を掠めた。

 

「…うっ…ぐっううっ!」

 

 遅れてやってきた感触は激しい痛みを伴い、思わず肩口を押さえる。そこから真紅の液体がボタボタと溢れ出ていく。

 

「あらぁ、避けられなかったかぁ。前に先生がやってた「チョーク飛ばし」を応用してみたんだよね。…でも、想像以上に牙が抜けちゃってるんだね〜。残念」

 

 嘲るような表情を見せた刹那の変容はあまりに邪悪さを増していた。捻れた角が額から突き出て、黒翼が体を覆うように生成されている。

 

 それは悪魔。人間でなかった。その事実と自らの嗅覚に疑いを持たなかったことを悔いる。

 

「正規の魔法使いじゃなかったわけね…」

 

「そそ。悪魔だってぇ、他種族と同じように学ぶ権利があるんだよぉ?安形だってエルフとのハーフでしょ?」

 

「…貴女の目的は何?」

 

「ん〜。勝利宣言?みたいな。あとは…鳥はその場から離れる時、その巣を綺麗に片すじゃない?つまりそういうこと」

 

 意味がわからない。あまりに抽象的な回答に頭が眩む。だけど肌感でわかってしまう。この悪魔は私を欺けるほどに強いことを。

 

 …だけど明確にわかることは、この場から逃れたとしても大きな被害を生むことになるだろう。そして皇がこの場に来てしまえば、危険な目に晒してしまうことになる。

 

 私がここで悪魔を再起不能にさせるしかない。

 

「いいねぇ〜凛々しいその眼差し。そんなところに皇は惹かれちゃったのかなぁ…ふっふはは!」

 

 これ以上の問答は意味をなさない。

 

 掌底から炎熱を放出させ、攻撃を受けた肩口を焼く。

 

 先ほどのように遠隔からの攻撃は対応が難しいと踏み、肉弾戦に持ち込むために駆ける。

 

「おっ。やっぱりそう来る?じゃあお望みどおりインファイトだぁ!…『イビル・スピア』」

 

 こちらが距離を詰めると同時に刹那は短く呟き、空間から細く鋭い三叉槍を出してきた。

 

 槍でこちらを制しようとするならば、うまく攻撃を掻い潜らなければならない。

 

「おおっ〜とぉ。ほい、ほい、ほいっとな!」

 

 刺突と薙ぎ払いを曲芸のように組み合わせ、こちらの打撃を防いでいる。まるで曲芸のような搦手に防戦一方となってしまう。

 

「…ファイアニードル!」

 

 ただそれでもわずかな隙間を縫い、掌底から炎を纏った針を射出する。音速を超えるこの技に、さしもの刹那も対応できずに被弾した。

 

「うぉっとっと!今のは避けられなかったねぇ。…でも、天は悪魔を助くって感じだぁ」

 

「な、何…」

 

 空を見上げると雨粒が溢れ始め、その勢いは徐々に増していき、それに伴い掌底の炎熱が揺らめいている。

 

 魔法といえど、炎は炎。物理的要素も加味すれば力が弱まってしまう現状に、身体中に脂汗が滲む。

 

「残念だねぇ。もうそろそろお楽しみが待ちきれないから、決着つけたいなぁ。『ヘル・ストラグルハンド」」

 

 引き続いて三叉槍を躱わしながら後退していくと、足首に根が張ったような感触を受ける。下を見ると、おどろおどろしい数本の腕が私の足を奈落に引き摺り下ろそうと握っていた。

 

 まずい、振り払おうにも三叉槍に阻まれる…

 

「あっっっ…グッ!!」

 

 足元に意識が奪われていると、直後に焼け付くような痛みが右腕に走る。見ると刹那の三叉槍が右前腕を貫いていた。ダメだ…痛みで意識が飛んでしまう…

 

「いやー、これは勝負あったかな?左肩口と右前腕。だいぶ腑抜けていた安形には相当堪えているでしょ」

 

「はぁ…はぁ…うっ…ガァァァッツ!!」

 

 刹那が三叉槍を勢いよく引き抜くと思わず絶叫してしまい、辛抱できずその場に足から崩れ落ちる。

 

「ん〜あっけないなぁ。なんでこんなのが首席なんだろ。いくら腑抜けてたといえどねぇ…ま、いいや。殺しちゃう前に、お話しようか」

 

 刹那は私の髪を掴み、自らの顔に近づける。その顔は享楽に満ちていて、嫌悪感を覚えた。

 

「見て、私のお腹。何か感じない?…魔力感知能力の高い安形ならわかるでしょ…?」

 

 近づけられる腹に、徐々に感じる微かな魔力。ただしかし刹那のようなおどろおどろしいものというわけではない。

 

 まるで…別のものが入っているように思えて…

 

「ここにはねぇ、安形が大好きな皇の魂が入ってるの。…あっ、また動いた」

 

 

 思わず目を見張った。

 

 嘘…だから今日この場に現れなかったの?そこはかとない絶望が私を包みこむ。

 

 

「いやね、他の人間たちは魂さえ喰えればそれで用済みなんだけど、皇のことは気に入っちゃったからさ。喰べたくないなって思ったの」

 

 嫌らしさと恍惚が入り混じった顔を浮かべる刹那に、私はいまだ食らった衝撃が残っている。いつの間にか切れていたのであろう額から血液が顔の下半分に向かって伝っていく。

 

「いい顔してるねぇ…ちょっと気分良くなったし悪魔から黄泉への土産として教えてあげる。皇は私が生まれ変わらせるの。魂さえあれば新しい生命を生み出すことができる。…言うなれば処女懐胎みたいなものなのかな?私という母体から産まれるわけだから、人間とは比べものにならないほどの魔力が備わると思うんだぁ…」

 

「ありえない…」

 

「安形がエルフとの混血種のように、悪魔と人間の混血種だってできるんだよ。そうすれば仮初ではなく自分に備わった魔力を皇は振るうことができるの。私は好んだ人を産み出すという喜びを。皇は時間がかかるけど、思う存分魔法を使用することができる。素晴らしい計画でしょ?」

 

 悪魔らしい自己中心的な考えに慄然とする。けれどそれよりも皇が囚われてしまったことに憤慨した。

 

 こんな人の理から外れたものは断罪しなければいけない。皇を助けなきゃ。

 

「まぁでも、私の計画に安形はいらないからさ。そろそろ幕引きかな。…??あれ?」

 

 左の視界が赫く染まっていき、身体は全身が焼け付いているように熱い。制御など知るものか。目の前の悪魔を今倒せるのは私だけ。

 

 皇を救い出せるのは私だけしかいない!!

 

「ぁあ!?なんだそれぇ!奥の手ってやつぅ?」

 

「『…ブラッドスフィア』」

 

 刹那が怯んだ瞬間、足首に纏わりついていた腕が緩む。その隙に右腕を掲げ掌底から瞬時に焔の大玉を生成し、刹那へ投擲する。

 

「ぐがぁぁ!熱いぃぃ!…な、なんで力が弱まるどころか強まってんだよぉ!」

 

「さぁね…でも貴女は私に火をつけた…その代償を払いながら皇を置いていけ!」

 

 降りしきる雨に逆らうように盛焔が身体中から燃え盛る。悪魔といえども動揺したのか、繰り出される三叉槍は簡単に見切れるほどの精度だった。

 

 そしてさっきまでの余裕そうな顔は鳴りを潜め、切羽詰まった表情が代わりに浮かんでいた。

 

「『ブルーフレイムソード!』…グゥぅァァァッ!!」

 

 技を繰り出そうとした瞬間、右腕が煮えたぎるような熱さに包まれ、焼け爛れているように変容していた。

 

 しかし、もう止めることはできない。全てを用いて、この状況を打破する。

 

 青く燃え盛る焔を宿した剣を、三叉槍に絡ませ断ち切る。さらに動揺し怯んだ刹那を見逃さず、ペンタグラムを刻み込むように剣を振るった。

 

 「ぁぁあっ、クソっ!安形ぁぁぁっ!!殺す!次出会った時、覚えてろぉぉ!」

 

 もう右腕の感覚がほとんどない中で、ありったけの魔力を注ぎ込んだ一撃を叩き込み、切り捨てる。

 

 刹那はそれを受け、一歩、二歩と後退した後、激しい咆哮を散らしながら消え去った。

 

 その場に残ったのは弱く輝く皇の魂だけだった。

 

 私はそれを、生まれたての赤子を抱くように包みこみ、安堵から涙をこぼした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「…目が覚めたかしら。調子はどう?」

 

 不規則に揺れる体に、俺の顔上で覗き込むように安形の顔が映っていた。その左目に燃え盛るような紅蓮が宿っており、そこへ視線が吸い込まれる。

 

「…俺は一体何してたんだ?ていうか、膝枕されてるし…」

 

 朧気に覚えていることは、刹那と話したことぐらいだった。そこからの記憶は、思い出そうとしてもできない。

 

 ガタゴトと揺れ、時には石を弾くような鈍い音が下から聞こえてくる。蹄の音が響いていることから、馬車に乗っているのだろう。

 

「よく聞いて、皇。…刹那は私の手で葬ったわ」

 

「……なんだって?」

 

「殺したの。いや、実際には消したという方が正しいのかしら」

 

 頭の中で浮かび上がった刹那の像が、音を立てることもなく消え去っていく。なぜ、どういうことなのか。情報が足りない。

 

 ただ今は馬車に揺られながら安形の左手が俺の頭を慈しむように撫でていることだけ。

 

「刹那は悪鬼だった。人の欲望を喰らい、自らの力を増幅させる…貴方はその毒牙にかけられたの」

 

「悪鬼…」

 

 俺の中の崩れた刹那の記憶をかき集めても、想像がまるでつかなかった。

 

「貴方に渡した黒玉…それがもたらすものは対象の魔力を引き上げる代わりに貴方の精神を蝕んでいった。…そうして、貴方は簡単に刹那に取り込まれたのよ」

 

「嘘だろ…」

 

 確かに精神が不安になることもあったが、黒玉のせいだとはつゆほども思っていなかった。

 

「彼女は言っていたわ。『貴方が好みだったからわざと迂遠なやり方を取った』と。事実、刹那は噂通り人を喰らっていたということもね」

 

 なんだかんだで鬱陶しい部分も多かったけれど、悪い奴ではないと思っていたのに。

 

「皇はどう?この話を聞いても信じられない?」

 

 変わらず馬車に揺られている俺たち。これはどこに向かっているのか。それを問おうと安形の右腕に触れる。

 

 ……?おかしい、何かが。

 

 安形は俺の額を撫でていた左手を右腕に導く。

 

「ふふ。…もう右腕、動かないの。ピクリともしない」

 

 どこかしっとりとした、粘つくような声音。安形の瞳は、俺をしっかりと捉えていた。

 

「貴方を取り返すために、私は刹那と戦って葬った。…その代償がこれよ」

 

 安形が右腕の袖を左手で捲っていく。それは、異形としか形容しがたい禍々しい緋色に染まった腕だった。

 

 俺でもわかるこの異様さに、思わず目を反らしてしまう。

 

「戦いの中で、私は自分の限界を超える魔法を引き出した。…その結果が右腕の機能不全を招いたというわけ」

 

 そう言う安形の表情から感情が読み取れない。ただしかし、一つはっきり分かったことがある。

 

 安形はもう、以前の安形ではない。構成した全てが解れているような、そのくらいの様子。

 

 それをもたらしたのは誰か。力を精査せず、ただ己が為だけに振るった結果。その力に溺れ、そのツケを本来取るべきではない安形に取らせた。

 

 …全て俺のせいなのだ。俺の弱さが、全ての元凶…。

 

「殺してくれ。俺を殺してくれぇ!!」

 

 自責の念に耐えられない。俺は声を絞り出し、悔いた。

 

 安形はもっと羽ばたけるはずだった。俺のような羽虫以下が傍にいたせいで。分不相応な願いのせいで、親愛を感じていた人間の未来を奪った。

 

 誰か、誰でも良い。俺の胸に刃を突き立ててくれ…。

 

「ねぇ、皇…貴方は確かに私の未来を変えた。私の夢を潰した。…だけどね、私はいつの間にか貴方のことを気に入っていたの。だから刹那に立ち向かった。生命を賭しても貴方を救いたかったから。…だから、殺してくれなんて言わないで」

 

「安形…」

 

 安形の左手の指が、俺の唇に触れる。その触れ方は、俺という人間に対してあまりに優しすぎた。

 

「それにね…貴方が死んだら私も死ぬしかないじゃない。…魔法が十全に使えない人間なんて、一家の邪魔者でしかないの」

 

「それって…」

 

「だから私の腕になって。未来を見せて。私が到達できなかった幸せをちょうだい」

 

虚ろにこちらを見やる右の瞳に、赤い雫が伝う紅蓮宿る左の瞳。異なる両の瞳が、俺を離さない。

 

「私はこんなことになってしまったけれど、貴方に捧げた結果がこれ。…だから、貴方の未来も私とともにあって欲しいの」

 

 これからどうすればよいのか、何をすれば良いのか。全てが手探りの中で、俺は頷くしかなかった。

 

 俺は立派な魔法使いになるどころか、一際有望な安形を潰して、その人生すらも食い荒らそうとしている。けれど、なぜかそこに不快感はなくなっていた。

 

 俺たちは取り返しのつかない道を辿っていて、例えこの先に待ち受けるものが良くないものだとしても。

 

「俺は、安形を愛するよ…これが生涯の償いになるのならば」

 

「…ええ。…貴方は立派な魔法使いだった。私を狂わせた、魔性の男」

 

 安形はそう言って、俺に重なるようにもたれてくる。蹄の音は未だに止む気配はない。ただどこに行ってもいいと、そう思った。




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