二人とも食べ終えて、真夜中に似つかないほどの活気のある声で店員に送り出された。スマホを見ると既に午前0時45分を回っていて、終電がギリギリあるかどうかだった。
俺はカブがあるからまぁいいが、四条さんは電車で帰るだろうし、駅前まで連れて行かないといけないだろう。
しかしだ。
「ヤバ。もう終電過ぎちゃうわ」
「嘘ぉ、マジかぁ」
四条さんが見せてきた携帯画面には、十数分で最終電車というなんともタイトなものだった。走るにしたって、腹に溜まってそう動けるものでもない。
「じゃあ、タクシーで帰ったらどう?」
終電を把握していなかった俺にも責任の一端があると感じ、素寒貧の財布からなけなしの一万円を取り出そうとするも、四条さんの声が遮った。
「いや、それは貰えないしなんならいらないよ」
善意のつもりだったが否定の意思を示す硬い声が返ってきて、思わず少し怯む。
「そ、そう。じゃあどうすんの?ネカフェとかカラオケで始発まで時間潰すとか…?」
確かにそういう施設ならちらほらとあるから、時間潰しには最適であるが。
そう思いながら悩んでいると、四条さんが傍に近づいてきてシャツの後ろを摘んだ。
「榛原君これから帰るんでしょ?…私置いていくの?」
「いやまぁそのつもりだったけど…」
というのもエルメロが家で何をしているのかもわからない。
当然ながら携帯も持ってないから連絡も取れないため、また変なことをやらかしていないか気が気ではない。
これ以上の被害は御免被る。
するとぼすっと背中に何かが当たる感覚。振り返ろうとすると「前見てて」と言われる。
ぐりぐりとした感触から頭を押し付けられているのだと思う。
…いやいや待て待て!何この状況?逆に冷静になっていた自分に驚く。
「…お酒、飲んどけばよかったかもね」
「え?」
「お家。榛原君のお家行ってみたい」
「ま、マジかぁ…カブ二人乗りできないから歩きだよ?」
「ちょっと歩いたほうが腹ごなしになる」
溢れ出る脳内妄想、しかし家にはエルメロがいる。そして何よりここから歩くには少し遠い。
様々な思惑が交錯する中で、一つの算段がついた。
ある意味チャンスだ。エルメロに協力してもらおう。もしかしたらこの状況は非常に良いかもしれない。
「じゃあ、行くか…」
どことなく浮かれ気味になった俺の足に、幅がほぼないんじゃないかってぐらい近づいている四条さん。
下手すれば心音が聞こえそうなほど胸が熱くなっていた。
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「着いたぁ…」
「へぇ、想像してたより立派かも」
「そうかぁ?」
四条さんが俺の住まいを眺める中、パンパンになったふくらはぎに鞭を打ち、2階に上がる。
「四条さん、ちょっとだけ外で待っててもらえる?…部屋の中少し汚いからさ」
「…うん」
何か少し含みがありそうではあったが、なんとか一人で部屋内に入る。
「
「何やってんだバカ天使」
部屋の中には散乱したスナック菓子の包装と、その手で傍に置いてあった携帯ゲーム機をベタベタと触ってやがる。
お前それ人間界だったら次の日から絶交されるからな。
もうしょうがないから目を瞑って携帯ゲームを取り上げ、肩を掴む。
「思ったより早かったがお前の出番だ」
「どう
いつまでもぐもぐ食ってんだ早く飲み込めと思いながら、耳打ちをする。
「今、外に四条さんが来てる。またとないチャンスだ。…お前、キューピッドって言ってたよな?どう手伝おうと考えていたんだ?」
「そりゃあ、矢ですよ矢。キューピッド界なら一番お手軽かつイメージしやすいものです」
「OK。考えていたことと一致した。やってもらいたいことはまずはあそこに隠れてもらいたい」
俺は部屋の押し入れを指さし言う。
「考えはこうだ。押し入れに隠れたお前が四条さんの背後となるようにし、機を見て矢で四条さんを射止めるという算段だ」
我ながらなんて考えだと思いつつも、こんな千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。
「うわ、なかなかゲスいこと考えますねぇ…さすがモテなかった人が考えることは違うなぁ」
「お前自分の立場わかって言ってるんだよな?」
「あ〜痛い痛い
青筋を立てながらエルメロの柔らかい頬を引き伸ばし、手筈を飲み込ませる。ここで働かせなければ収支が合わない。
「もう結構四条さん待たせてるから、早く押し入れへ!」
「はいはい〜天使使いが荒いんだからもう…」
文句をたらたら言いながら押し入れに入っていくエルメロをよそに、俺は部屋の外で待つ四条さんを呼ぶ。
「ごめん待たせて。入って入って」
「だいぶ待ったけれど、何か私に見られたくないものでもあるのかしら」
「いや単純に部屋が汚くて…」
四条さんを部屋に入れた後、俺は押し入れの方をチラリと見る。わずかに隙間が空いており、こちらを伺っているのだろう。
とりあえず一安心し、四条さんを押し入れに背を向けるように座らせた後、ハーブティーを淹れていく。
「…?あれ、天井…?何かあったのかしら」
「ああ、最近老朽化してたみたいでさ、少し崩れたから補修してもらった…はいどうぞ。ハーブティー」
「ありがとう。危ないね…私の家に行ったほうがよかったかな」
「いやかなり距離あるよね?ちょっとキツいよ」
「まぁね。…まぁでも想像してたより全然片付いているというか、物もあまりないみたいだけど。ミニマリスト?」
「いやそんなことないよ。知っての通り苦学生なもので。ただそれでもなんとか工夫して凌いでるって感じ」
小さなテーブルの斜向かいに四条さんが座っていること自体、夢でも見ているのかと思うぐらいの光景に思える。
ただこの時間をさらに強固にする為に、エルメロ頼むぞと心の中で祈る。
押し入れの隙間はわずかに空いており、そんなことは露知らずといった様子で四条さんはハーブティーを口に運んでいる。
チャンスだ。あまり時間をかけるのも良い方向に向かうとは思えない。
俺が押し入れに向かってわずかにサインである人差し指を立てようとした矢先。
「ねぇ、榛原君。誰かここにいたのかしら?」
鋭い四条さんの声がそれを阻む。何かに勘付いたのか?
「…特に誰も、来てないけど」
「入った時からなんとなく気がついてたの。…今日榛原君と会った時の匂いがする」
「いや、皆目検討…わぶっ」
気がつくと四条さんは俺を押し倒すようにして、もたれかかって衣服の匂いを嗅いでくる。その顔はどこか苦痛に滲むような顔を浮かべており、瞳が急速に鋭くなっていく。
「嘘は嫌い。もしかして女性?部屋に招き入れるほど親密な仲なの?…私の鼻はごまかせないよ」
「だっ、誰も呼んでないよ。…香水!最近買った香水をつけてみたんだ。だからいつもと違う匂いがするんだと…」
「流石に私もそれじゃあ騙されないよ。でも良い子だと思ってたのに…悪い子だなぁ。まぁでもいいや」
怜悧で美麗な面立ちが徐々に俺の顔に近づいてくる。
その目はいつもの執着のないフラットな瞳ではなく、俺の体の底から縛り付けるようなそんな恐ろしいなにかだった。
あれでも…こんなことしてくるってことは流石に…
思わぬ展開にふんわりした陶酔を感じながら、目を瞑り距離が縮まるのを待つ。
…あれ?全然来ない。数十秒待つもどこにも感触がなかった。
思わず目を開けると四条さんがまるで石像にされたかのように固まったと思うと、その場に倒れ込んだ。
「四条さん…?」
呼びかけても、肩を揺すっても起きない。まさか寝落ちしてしまったというわけではないだろう。
背中に脂汗が伝うと、奥に見えていた押し入れの襖が音を立てた。
「ふぃ〜、あ、榛原さん。終わりましたよ?もうほんと大変だったんですから…狭いしやりづらくて…」
そこからのそのそ出てきたエルメロがだるそうに話しかけてくる。四条さんはいまだに起きる気配もない。
「エ、エルメロ…?これは一体どういうことになったんだ…?」
「あー、少しの間はこの状態ですよ。天使の矢ってこういうものです。効果が現れるまで少し時間かかりますから」
「いやぐったりしていて全身から力が抜けてるように見える…というか矢なんて見えなかったぞ!?」
「不可視の矢ってご存知ですか?私たちの矢は人間には視ることができないんです。まぁ少しの間待っててくださいよ」
そう言ってまた隅に置いておいたスナック菓子をもちゃもちゃ食べ始める。
そのあまりにのんびりした態度と裏腹に四条さんは目を覚まさない。
もしかして俺はとんでもないことをしてしまったのではないかという気持ちが湧き上がって、忙しなく頭の中を駆け回る。
そんな思いと不安を抑え込みながら数十分が経った頃、ようやく四条さんは目を覚ました。
それをなぜか冷めたような目で見ていたエルメロは音を立てずに押し入れに戻っていくが、俺は胸を撫で下ろす。
「四条さん。体大丈夫?…急に倒れ込んだから心配したんだ」
パチパチと数度瞬きをして俺の顔を覗き込んだかと思うと、右手を上げたと思った矢先にしたたかに頬を打つ感触が走る。
あ…え?
「離れて、貴方…気持ち悪いわ。うっ…」
動揺を隠せない。きっと今の俺は目が泳いでいて、不審に思われていても仕方がないだろう。
しかし、しかしだ…
「ご、ごめん。体調は…」
「離れてって言ってるでしょう!?」
これまで聞いたことのないような怒声に身を竦ませてしまう。おかしいじゃないか。
エルメロの話の通りなら、好意的な反応を返してくれると思ったのに。
呆然とした俺の視界から逃れるかのように、脱兎の如く四条さんは荷物をまとめて出ていった。
なぜ、なんでなのか…
「あらぁ、行っちゃいましたねぇ」
機を伺っていたかのように再度エルメロが押し入れからのそりと出てくる。その間延びした声に溜めていた鬱憤と失望を吐き出さずにはいられなかった。
「お前…俺を騙したのか?どうして四条さんはあんなことになった?…答えろよっ!!」
頭に血が登った俺は思わずエルメロの胸ぐらを掴む。投げれば軽く吹き飛びそうなぐらいの身体なのに、エルメロの顔はいやに余裕を携えていた。
「鉛の矢です」
「は?」
「私が彼女に放った矢は鉛の矢…すなわち恋心を喪失させるものです。そして対象が抱いていた恋心に比例してその拒絶心は大きくなる」
「なんだそれは」
呆ける俺の顔を見てエルメロはせせら笑った。
「わかりませんか?彼女は榛原さんに対して好意を元々持っていたということです。それも特大のね」
「あ…」
「こうして家に着いてくること自体がその証明となると思いますがいかがでしょう?…本当は気づいてた癖に」
気がつけば凍てつくような空気が俺を包み込んでいた。アホで小憎らしいエルメロはどこにもいない。
ただ淡々と事実を積み重ねるだけの無機質ななにかがそこにはいた。
「そ、それは…」
「それでもその可能性を信じることができず、私という怪しい存在に頼ってしまったという事実。…いやぁでも惜しかったですねぇ。彼女、私の匂いにはどうやら気づいていたみたいですから」
「なんのつもりだよ…そもそもお前は!俺と四条さんをくっつけるために来たって言ってただろう!?」
「うーん。まぁそんなことを言ったような気もしますねぇ。…私にとっては嘘も方便といったところでしょうか?」
意味がわからない。言葉に矛盾やチグハグが存在していて、まるで違う言語で話しているかのようだった。すでに四条さんは出ていって、エルメロの話した内容が正しければもうどうにもすることができない。
不可逆的なことに対しての後悔が深く刻み込まれてしまう。
「…出ていけよ。お前も!お前の顔なんて見たくねぇ!」
「ふぅん。…いやぁすごいですねぇ榛原さんは。そもそも貴方の勇気の無さが原因ではないのですか?何より彼女の気持ちを踏み躙ってまで己の私欲を推し進めていったのですからそのツケは貴方が払うべきですよね?」
「黙れよ…」
「いやぁ、だってそうじゃないですか。純粋な好意を示していた彼女に対して、自信の無さから安易な選択をしてしまったのだから」
「やめてくれ…」
脳が、身がはち切れそうなほど痛い。ただしかしだ、エルメロが正しい矢を放っていればこんな事態には陥ってないのだ。
こいつこそ、邪悪ではないのか。
「そもそも、お前がミスしたのが悪いんだろうが!俺に責任をなすりつけんな!」
自分が悪いこともわかっている。四条さんが向けていたサインに対して踏ん切りがつかず、エルメロを頼ってしまったことも。
けれど、怒りを自分にだけ向けることはできそうになかった。
「ミスじゃありませんよ」
「は?じゃあわざとやったとでも言いたいのか!?」
「そうですよ。その通りです。これでいいですか?」
閉め切っているはずの室内にふわりと風が吹いた気がした。
コイツは結局何がしたいんだ。キューピッドだって言ってただろうが。
纏まらない考えをかき集めても、目的を知ることはできないし四条さんにも嫌われた。堪らず涙が溢れると同時に憎しみも湧いて、思わずエルメロの襟首を両手で掴んでいた。
「お前は何がしたかったんだよ!?無茶苦茶にしやがって!責任取れよぉぉ!」
怒りに任せてぐしゃぐしゃになっているだろう俺を見て、エルメロはふと笑った。愉しげなのに、どこか酷薄なものだった。
「いいですよ。責任取ってあげます。これから一生迷うこともなく、苦痛も感じさせないことを約束しますから」
「は?何言って…お、おい…」
襟首に添えていた俺の手をエルメロは掴むと、じわじわと押し返してくる。そのことに驚き、力を入れようとするもまるで土俵際に追い詰められるように押し込まれる。
なんだよコイツ、なんでこんなに力が強い…?
「あはっ、やっぱり人間って弱いんですねぇ。こんなことするの初めてですけどなかなかどうして…征服感、なんですかねぇ」
「あっ…ああっ」
一転して情けない声が喉奥から漏れる。気がつけば完全に押し切られて馬乗りされている。重さは感じないのに腕は万力の如くびくともしない。
じわじわと涙が目の端から溢れて、歯はガチガチと小刻みに噛み合う。
「まぁあんまり御託並べてもしょうがないので、サクッとチクっとやっちゃいましょう!」
「なに…すんだよぉ…」
エルメロの右手が空を掴み、にこりと微笑む。それは確かに天使のような顔を浮かべているのにも関わらず、俺の体は慄いていた。
「大丈夫ですよ。これは罰でもありご褒美でもあるんですから。甘受してくださいねぇ」
右手が振り下ろされる。何も持っていないように見えるのに、確かに俺の心臓を捉えて衝撃を感じて一瞬にして暗転した。
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面倒臭かった。何が天使だと、日々人間界を観察していて思っていた。
私たちのようなキューピッドとして生きる天使たちは、幼い頃から人間たちの恋を成就させるための教育を受けているためそれが使命であり、誇りだと思っている連中ばかりだった。
ただ、どの世界にもその異分子は存在する。それが私だ。
日々天界での教育を受けるたびにその思いは強くなっていく。なぜ自分の幸せを追求することよりも赤の他人の幸せを優先させなければならない?
けれどそんな思いを持っていたとしても、私たちは所詮一介の天使に過ぎない。
大っぴらに反抗すれば、同胞とともに断罪されるだろう。
それが嫌だから、私は天使の長老に割り当てられた榛原という青年の観察を渋々行っていた。
彼は四条という女性に恋焦がれていて、どうやら交友はあるようだが一歩を踏み出せない典型的な恋愛に慣れていない大学生だった。
見たところによれば四条の方も満更でもないらしく、彼を呼び出しては連れ回す次第。
おそらく長老がキューピットビギナーである私に配慮して難度の低い対象をあてがったのだろうと思った。
まぁ面倒臭くならないように自然にくっつけばいいなと思いながら、榛原たちの観察を続けていたある日だった。
私と同じ思いを持つ同胞達が遂に反旗を翻し、キューピッドから開放する運動を始めたのだ。
ただしかし、多勢に無勢だったため反旗を翻した同胞達は翼をもがれ、間もなく磔にされて見せしめとなった。
…そこには絶望しかなかった。考え方は違えど同じ種族をこうまですることができるなんて。誰かが磔にされている同胞に叫びながら矢を放つ。そこからはもう…
私は慄くばかりのこの現状を打破しようとより深くサポートするという建前で人間界への降臨を願い出た。
噂話ではあるが天使の中にも人間界に定住しているという話も聞き、それならばと踏み切ったという形だった。
そこからは私の計画通りとはいかず、派手にやらかしたわけではあるが。
最初はただの打算でしかなかったのに、なぜかこの榛原を手に入れたいと思っている自分がいた。
天界で長い期間観察していたからか情が湧いて、実際に顔を合わせたことによりそれが増幅したのかもしれない。加えて地上に留まる理由付けになると思ったところもある。
そうして今に至る。
もう少し時間をかけて事を進めていくつもりだったが、想定よりも早い段階でその時が来た。
邪魔な四条はすでに引き剥がすことに成功して、なおかつ榛原を絶望の淵に叩き込んだ。
ああ、やはり私は清らかな天使なんかではなかったのだろう。
だから天界の奴らの考えと合わなかったことに得心がいった。
四条に使った鉛の矢ではなく、純粋な黄金の矢を手にとった。
別に今絶望していようとも、結局幸せに溺れるのだから問題ない。
はは、榛原さん。
でも貴方も悪いよ。人の感情を操ろうとしたのだから、己の状況も受け入れてくださいね?
自らを構成する組織が煤けていく。私は天使ではないから当然だ。
堕ちていく天使である私もここから愛を知ることができたらいいな、なんて。