「そこのお姉さん、俺らと遊ぼうよ」
「や、やめてください!」
「良いじゃん良いじゃん。ほら!」
今、俺の目の前にはチャラチャラした男共が高校生らしき女子を無理やりどこかへ連れていこうとしている。
普通の人間なら見て見ぬふりか警察を呼ぶか、最悪なのは写真を撮ってネットにあげるかだろうな。
現に往来の通りでこんな所業をしているにも関わらず、人々は我関せずと言わんばかりにそそくさ歩いていく。
「あ~めんどくせーな!早く来いよ!」
「痛いっ!」
苛立った長身の男が女の子の手首を強く掴んだ。
女子の顔が苦痛に歪むその姿を見て、俺は地を蹴った。
「おい」
「なんだよ、邪魔すん…ぶっ!」
振り返った長身の男の顎にフックを入れる。
不意の一撃を食らった長身の男はぐらりと頭を揺らし、その場に倒れた。
もう一人。
「なんなんだよ、テメェ!」
もう一人の男が泡を食いながらもこちらに飛びかかってくる。
さっきの奴より体が重そうだが、それだけだ。
腰の入っていない拳を打ち払い、ガラ空きの腹に回し蹴りを打ち込む。
「おげっ…」
蹴りを食らった男は勢いよく店のシャッターに倒れ込んだ。
その様子に歓楽街は一瞬緊張の波に包まれたが、落ち着いた様子を取り戻し、元の営みへ戻っていく。
俺は未だに小刻みに震えている女の子を見る。
「…大丈夫だったか?夜遅いから、早く帰った方がいい」
できる限りぶっきらぼうな言い方にならないよう、言葉を選んで伝える。女子はよくわからんくて苦手なのだ。
俺は踵を返し歩き出す。
これ以上喋る言葉も持ち合わせていない。
「あのっ!ホントに、ありがとうございました!」
背中からの感謝の言葉に振り返りはせず、手をひらひらと振り、立ち去る。
これこそがハードボイルドだ。
「ということがあったんだ」
昨日の出来事を脚色無しで目の前にパンを2つ頬張る意地汚い男…間地に伝えると
「そーか」とそっけなく呟いた。
「反応うっす。もう少しなんかあるだろ」
善行を積んだのだから、もう少し誉めてもらいたい。それが同級生の男だろうが同じこと。
「去り際が恐ろしくキショイな」
「酷評が返ってくるとは…」
「そう言えば知ってるか?束縛姫の噂」
「誰それ?」
束縛と言うからには、一般的に言えば付き合っている相手の行動を制限する…って意味があると思うが。
「いや、聞いた話ではどうも相手を縛ってボコしたりすることから名付けられたみたいだぞ…最近、近隣の高校でその束縛姫が暴れまわってるみたいでな。喧嘩が異常に強くて、どこの高校の番長も歯が立たなかったって噂だ」
「物理的に縛る方じゃねーか。…ふーん。じゃあ、いわゆる道場破りみたいなことしてるってわけか」
今時珍しいな。そんなことする奴絶滅してると思ってた。
「それにな、その束縛姫、顔はめちゃくちゃ可愛いって噂なんだぜ」
「…どんな見た目なんだ?」
てっきりゴリラのような体格をしている女子を想像していたため、否が応にも興味が湧いてきた。
「聞いた話によれば、髪は赤いインナーカラーが特徴で、大きく開かれたつり目が特徴的らしいぜ?それと身長はマジで小さいとか…。あっ、パンなくなっちまった…」
「食えば無くなるだろ…」
間地の食い意地に呆れていると、屋上入口のドアが開き、坊主頭の後輩がドタドタと駆け込んで来た。
「どうしたん?矢野」
息をぜえぜえと切らしながら矢野は切迫した表情で茶封筒を渡してくる。
「なにこれ?」
「さっき校門の前で渡されたっす!ユウセイさんへって!」
中身を取り出し、可愛らしい花柄があしらわれた便箋を読む。
……なるほど。
「な、何て書いてあったんですか?」
矢野が問いかけてくる。
「遂に来たな」
「だから何が?」
「果たし状だよ。例の束縛姫からのお誘いだ」
マジで来やがった。噂をすれば影がさすってやつか。
どこからか取り出したシリアルバーを咥えている間地と傍で額に汗をかきまくってる矢野を尻目に、俺は内から湧く闘争心を感じていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後4時半。
俺は20人程の仲間を連れ、指定された廃倉庫の扉を開く。
埃臭い内部には同じくらいの人数が鋭い目付きを携え待ち構えていた。
ただこちらと違うのは相手方は女がちらほらいるということ。
…やりにくいな。
「おいおい、女が結構いるじゃんよ!」
「束縛姫だけじゃなかったのか?」と仲間達の間で僅かに動揺と油断が広がる。
これはマズい。
見た目や数、性別で相手を侮るのは明らかな悪手だ。
俺は息を思い切り吸い込み、言い放つ。
「俺が番長、ユウセイだ…出てきやがれ!束縛姫!」
弛緩した空気にヒビを入れる。
すると奥の2階から人影がゆらりと姿を見せた。
「あれ~?来たんだ。ブッチされるかと思った~」
パチパチと指を鳴らしながら顔を覗かせたソイツは、こちらを嘲るような表情で俺を見る。
「お前が束縛姫か?」
問いかけたが、間違いなくコイツだろう。ただならぬ雰囲気に第六感が警鐘を鳴らしている。
「うん~?そうです!私が束縛姫です!」
キャハハッと哄笑をあげながらストンと地べたに座り込む束縛姫は、正気なのかどうかも危ういように見える。
なんなんだ、コイツは。
「うーん?キミがユウセイくんだよね?待ってたよ~。じゃあ、キミが私とヤれるかどうか、示してもらおうか~」
俺を指差した束縛姫は愉しそうに笑顔を浮かべている。
気味が悪すぎる。生理的嫌悪感というやつか。
微かに震える倉庫内の雰囲気を感じとり、丹田に力を込める。
「それじゃ~あ、行け」
一転して底冷えする声で束縛姫は号令を出すと、兵隊どもが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。
「行くぞ!」
反して俺の号令と共に迎え撃つ。
乱戦が始まった。
また一人、また一人、蹲り倒れていく。
左から木刀を突き出してくる男の腕を絡めとり、蹴り飛ばす。
血と汗が迸る喧嘩場を柵から足をぶらぶらさせながら束縛姫は退屈そうに眺めていた。
ムカつく野郎、いや女か。
「だめだ、こっちの方が劣勢だ!」
顔に傷を作った間地が俺に向かって怒鳴ってくる。
「キツイっす、逃げましょう!」
荒い息を吐きながら足をガクガク震わしている矢野。
数十分ほど経っただろうか?
相手はバットや木刀で武装していて、一秒たりとも気が抜けない。
対する俺らは全員が拳だけ。
武装の面でも不利なのは明らかだった。
「くっちゃべってる暇あんの?」
前から女がバットを思い切り振り下ろしてくる。
咄嗟に身を反らすと、地に当たったバットが鈍い金属音を奏でる。
「思ったより大したことないんだね~。飽きてきちゃったよ。もういいや、早く片付けて」
束縛姫が醒めた表情で兵隊に指示を出し、立ち上がる。
「ユウセイ!早く逃げんぞ!」
「ユウセイさん!退却しましょう!」
ふざけんな。
「うぎゃぁぁ!」
また一人、仲間が倒される。
ふざけんな。ふざけるなよ!
「俺は逃げねぇぞ!そこまで行ってやるから待ってやがれ!」
俺は束縛姫を指差し、全身のバネを使って跳ねるように駆け出し、兵隊どもの顔や腹を蹴飛ばしながら、加速していく。
二階に繋がる階段の前には立ち塞がるように角材をブンブンと振り回す男。
「…厄介だな」
「うぉらぁあっ!」
雄叫びともに角材を振り回す男の攻撃をすんでのところでかわしていく。
二度三度繰り出される男の猛攻に、俺は避け続けたところで足を滑らせた。
「しまっ…」
万事休すか。男がもらったと言わんばかりに角材を勢いよく薙ぎ払う。
俺は咄嗟に目を瞑ったが、角材が体を捉えることはなかった。
「「うおああっ!」」
目を開けると間地と矢野が角材を抱え込むように受けていた。
「間地、矢野…」
俺が呆けていると矢野が男の手を蹴り払い角材を落とすと、間地が男の顔に拳を勢いよく打ち込み、倒した。
「早く行きやがれ!下は受け持ってやる!」
「ホントは早く逃げたいんですけどね!」
「…恩に着る!」
乱闘が続く渦の中に叫びながら突っ込んでいく2人を見届け、幅の狭い階段を駆け上がる。
「よくここまで来たね。ちょっと予想外だったかも~」
未だにペタりと地面に座り込んでいる束縛姫は、顔をこちらに向けず言った。
「お前、なんでこんなことしてんだよ!」
イライラした気持ちを言葉にしてぶつける。
「…別に理由なんて無いけど?ただ喧嘩したい、ただそれだけかなぁ~」
俺の怒りをものともせずフラットに言い放つその顔は、疑問符が浮かんでいた。
「…キミもそうなんじゃないの?誰かと喧嘩したいから、ヤンキーなんてやってるんじゃないの?」
「違う!俺は少なくとも誰彼構わず喧嘩を売ることはしない!…秩序を守るためにやっているだけだ!」
このまま話していても無意味だ。
ふらつく体に鞭を打ちながら、力を巡らせる。
「そう。まぁいいや、じゃあ楽しもうよ?」
幅の広いつり目が俺を妖しく捉えている。
体格差なら明らかに有利なのは間違いない。
そう思った時だった。
一瞬、束縛姫の姿を見失ったと同時に腹部に激しい痛みが走る。
「アヒャヒャ!お腹がら空き~」
「うがぁっっ!」
息が詰まる。何が起きた?拳を入れられた?
だが女のパンチでここまでの痛みが出るなんて。
「何でって思ってるでしょ~?フヒヒッ!」
束縛姫は愉快そうにケタケタ笑いながら掌を掲げる。
キラリと輝くそれはナックルダスター。
畜生。やられた。兵隊どもも武装してんだからこいつも何か武装しててもおかしくないのによ!
「いや、ビックリしたんだよ~?君のところってだ~れも武器持ってないからさ?ありえなくない?」
束縛姫は苦痛に顔を歪める俺を見て狂ったように笑う。
クソッタレが。
ここで膝ついてたまるかってんだ。
俺は最後の力を絞りだし、構えを作った。
「おっ!タフだね!…大体の奴はこれで沈んだんだけどなぁ…」
「…これまでの奴は、気合いが足りなかっただけだろうが」
「ならさぁ、もっと私を愉しませてよぉ!」
束縛姫は腰の裏側に着けていたホルダーから警棒を抜く。
「警棒かよ…とことん道具に頼るやつだなぁ!」
冷や汗が止まらない。下手に受けたりしたら骨が砕けるだろう。
「あははっ!早く壊れなよっ!」
素早く、縦横無尽に警棒を振り回す束縛姫の打撃は俺の動体視力を越え、数回肩や足を打ち据える。
「避けてても何にもならないよ~?でも降参はダメ!つまらないからさぁ!」
ニヤニヤとした嗜虐的な笑みを浮かべながら最後の一手とばかりに鳩尾を狙った鋭い打突が俺を襲う。
「…待ってたぜ、この瞬間を!」
人体の中央を狙った鋭くもやや単調な打突を両手で掴む。
「うっ、離しなよ!」
「…なら望み通りにしてやるよ!」
どうにか振りほどこうとする束縛姫を掴み、思い切り鉄柵に向けて放り投げる。
…が、場所が悪かった。
朽ちかけていたであろう鉄柵は勢い良くひしゃげ、勢い余って束縛姫は床材にぶら下がる形になった。
マズイ。もし落ちたらタダじゃすまない。
俺はすぐに屈み、手に掴まるように腕を伸ばすと束縛姫は得体の知れない物を見るような表情を浮かべていた。
「キミ、バカなの?なんでわざわざ敵を助けようとするの?」
「今敵とか味方とか関係ねえだろうが!早く掴まれ!」
下に落ちて床に頭でも打てば死ぬ可能性だってある。
そんなのは喧嘩云々の前に、人として助けなきゃならねぇ。
「…ふふ。甘ちゃんだね、キミ」
そう言った束縛姫が浮かべた邪気の抜けた笑顔に、思わず胸が高鳴ってしまった。
そうすると束縛姫は俺の手を絡めるように握ったので、思い切り力を込めて引き上げる。
「ふぅ~」
そんな俺をものともせず、パンパンと衣服を叩きながらゆっくりと伸びをする束縛姫を見て、肝の太さが違うなと感心すると共に随分余裕あるなと微かな苛立ちが襲ってきた。
そして俺を見るや否や、
「これで手打ちにしようか」と言ってきた。
どういうことだと聞く間もなく、するりと俺の頬に顔を近づけ、柔らかな感触を残した。
「これで終わりね!甘ちゃんな君にはピッタリでしょ?」
束縛姫は唇を三日月のように歪めると、兵隊どもに撤収の号令を出した。
「…何、何しやがる」
俺はさっきまで殴り合いの喧嘩をしていた相手から、頬とはいえキスされる異質な事態に戸惑っていた。
「ふふっ。また遊ぼうね」
立ち尽くしている俺を置いて、束縛姫はひらひらと手を振ると兵隊を連れぞろぞろと引き上げていく。
後に残ったのは満身創痍の体と傷だらけの仲間たちだった。
…とりあえず明日は学校サボるか…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
数日後。
激闘で傷ついた体を労りながら、つまらない授業を聞き終えた放課後。
俺は他校の制服を着た女子に校門前で声を掛けられた。
「あっ!あの!」
「…?」
「改めて、あの時は本当にありがとうございました!」
ペコリと頭を下げた彼女はどこかで見た顔だなと思った。
そしてある記憶に思い当たる。
「アンタ、男に絡まれてた…?」
「そうですそうです!」
そう言ってひたすら頭を下げる彼女。
あの時は私服だったからパッと思い付かなかった。
「ここの高校の制服着られてたので、校門の前で待たせてもらってたんです!」
「そこまでしなくても…」
行動力ありすぎだろ。
…校門の前だから下校しようとしている生徒の視線がひしひしと伝わってきていて、居心地が悪かった。
「改めてお礼といってはなんですが、これからお時間ありましたらお茶でもいかがでしょう?」
そんなことは微塵も気にしていなさそうな彼女はにこやかに言った。
…これってデートのお誘いってことか?
……まぁ悪くないな。
見返りを求めないという仁義に反する気がするが、ここは一つ飛び込んでみるのも悪くないだろう。
「…じゃあお言葉に甘えて」
「はい!じゃあ行きましょう!」
元気よく片手を空に突きだしたその姿は、キラキラしていて見惚れるぐらいだった。
そうして俺達二人は歩き始めようとした矢先。
「…やぁ。どーもどーも」
「…お前」
奴がいた。
相変わらず制服は着ておらず、紅色のフードを深く被っているその様子は善良な高校生には到底見えない。
明らかに危険そうな雰囲気を察したのか、周りで談笑しながら歩いていた生徒は不審げな目を向けながら避けていく。
「何の用だ?」
「フヒッ…いや、キミを探してたんだよ」
「…どういうことだ」
絶対にまともな要件でないことは直感的に理解した。
こんな目立つところで喧嘩を売りに来たのか?
ないとは思いつつ、やりかねないと思ってしまう俺がいた。
…そもそもあの時に手打ちにしたはず。
いや、それすらも反故にするような倫理観でもおかしくない。
俺が身構えていると束縛姫は急に顔を赤らめ始めた。
「えっとね…この前から、キミのことが気になって…キミのことばかり考えちゃって…」
「…は?」
「私、キミのこと好きになっちゃったみたいなんだよね~」
巨大な爆弾が落とされた。
さっきまで避けていた生徒達も目を丸くしてこちらに関心を持っている。
手持ち無沙汰だった手で頬をつねると、しっかり痛みが走った。
…夢じゃないのか。
「いや、そんなこと言われてもな…」
「あの、お知り合いなんですか?」
流れを見守っていた彼女が尋ねてくる。
…さすがに「ヤンキー同士の抗争で知り合いました」とは言えそうになかった。
「それで返事は?イエス?はい?OK?」
詰め寄ってくる束縛姫は有無を言わせないような迫力を持っていて、俺よりも遥かに小さいのに同じくらい大きく見える。
「いや、俺この子と付き合ってるから!お前とは付き合えない!じゃあな!」
「…えっ?」
…やっちまった。
隣にいる彼女は驚愕の顔をしているし、咄嗟とはいえマズいことをしてしまった。
俺はその場から彼女の手を引いてズンズン歩いていく。
……後ろから大きな舌打ちが聞こえたのは幻聴だと思うことにした。
「あの、先ほどの方は置いてけぼりで良かったんですか?」
「あ~まぁ、大丈夫だよ」
奇妙な邂逅から逃れた後、彼女が行きつけだという喫茶店に足を運んでいた。
客層は女性が圧倒的に多く、よくわからない洋楽らしき音楽が流れている。
…日頃こういう場所に無縁だから若干の居心地の悪さを感じながら、彼女が頼んだものと同じものを頼む。
「それで、か、彼女とは、どういう意味ですか…?」
「いや、悪かったとは思うんだがちょっとした弾みで…」
俺は慌てて弁解する。
それはそうだ。
せめてものお礼として俺をお茶に誘ってくれただけであって、好意を抱いてのことではないのだから。
「……別に、嫌というわけではなかったのですけれど」
ぽしょりと呟かれた言葉はともすれば空気に溶けて消えてしまいそうなぐらいの声量だったが、耳がいい俺は聞こえてしまった。
…え、満更でもないってこと?
いやいや、流石にそこまでお花畑の脳味噌はしていない。
「と、とにかく悪かった!その場を凌ぐためにアンタを使ってしまって…」
「…むう」
頬を軽く膨らませたその顔は若干不満そうで、ツンとした表情を作っていた。
そういう反応は素直に可愛いから困る。
「いや…その、私、貴方のことが好きなんです!あの時、助けてくれたのは貴方だけでした!暴力を肯定するわけではないんですけど…」
「マジか」
「その…子供っぽいとは思いますが…貴方がヒーローみたいで。とにかく、格好良かったんです!だから、私と付き合ってください!」
彼女は小さな手を差し出してくる。
本日2回目の衝撃で、頭は働いていなかったが。
俺は即座に差し出された手を握っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼女ができた日から、楽しく満たされた日々を過ごしていたある日のことだった。
束の間の昼休み、携帯にSNSの通知が入る。
送り主は彼女だったが、地図だけがメッセージに表示されていた。
妙だな…
続く文章もないため、不可解だ。
訝しんでいると、着信が入る。
ディスプレイに表示されている名前は彼女だが、どうにも胸騒ぎがする。
「もしもし…」
「やぁ…どうも…」
「…!」
電話口から聞こえるざらついた声に心臓が強く脈動する。
何で束縛姫が彼女の携帯を持っていやがる…
「電話越しの再会…とっても嬉しいぃ…!送った地図は見たかな?」
「なんでお前が…!彼女は無事なんだろうな!!」
「やだなぁ、別に死んだりしてないからぁ、平気だよ?」
明らかにおちゃらけている返答に、思わず携帯を放り投げたくなった。
「何が目的だ…!」
「その焦っている声、とってもかわいいね…!トんじゃいそう!!…第四倉庫で待ってるよ…。あ、一人で来てね。じゃないと…どうなるか、わかるよねぇ?」
通話が切れる。
あぁ、畜生!
俺は勢いよく椅子をはね除け、一目散に駆け出す。
外に出ると空を雲が覆い尽くし、不穏な影がひたひたと迫り来る感覚がした。
指定された古ぼけた倉庫のシャッターを持ち上げ、中に入り込む。
オイルの独特な匂いが鼻につき、思わず顔をしかめた。
…既に使われていない倉庫だろう。
その証拠にあちらこちらに資材や錆びた工具が散乱している。
「……おい」
周囲を見渡すと、ドラム缶に苦しそうにもたれかかる彼女を見つけた。
すぐさま駆け寄ると、ひゅうひゅうとかすかな呼吸音だけが漏れていて、目の焦点が合っていない。
「……あ…ユウセイ…さん?」
こちらに首を向ける虚ろな瞳をした彼女。
鼻腔から流れ出している血液が、純白の制服に染みこんでいて見るも悲惨だった。
「あ…あ…い、いたい」
ぶつ切りで紡がれる言葉に、恐怖の色が浮かんでいる。
「一体何があった!束縛姫はどこにいるんだ!!」
彼女の肩を掴むと、目に怯えの色が映った。
その瞬間。
乾いた拍手がカビ臭い倉庫内に響き渡る。
「ご来場ありがとおぉ…ユウセイくん!!
そして、わたしと深く激しくヤり合おうねぇぇ…!!」
倉庫の奥行きからまるでランウェイを歩くように優雅な足取りでこちらに向かってくる束縛姫がいた。
その姿はフードを被っておらず、頬に付着している血液を舐めとっている。
俺はすぐさま出口に繋がるシャッターを振り返るが、潜んでいたであろう束縛姫の手下が立ちはだかっていた。
「この外道共が…!」
沸々と湧いてくる怒りは決壊寸前だった。
そして、何より巻き込んでしまった彼女に面目が立たない。
「外道なんて、ひどいなぁ…わたしとタイマンして、わたしに勝ったらその子と一緒に出ていっていーよ。負けたら…まぁ、そのままユウセイくんをもらおうかなぁ…」
束縛姫の人を食うようなしゃべり方にイライラしながら、俺は間違いなく絶対絶命の状況に陥っていた。
「私の…ことは、いいから…」
「いいわけないだろ!コイツらぶっ倒して、一緒に帰るぞ!」
そんな中で最後まで俺の身を案じてくれる彼女に内心感謝していた。
こんな目にあったのはお前のせいだって、言われてもおかしくないのだから。
「あー、なんか今、イラっときたかも。ムカつくなぁぁ…その女、もっと痛めつけておけばよかったなぁ…」
頭を激しく掻き、音を立てながら地団駄を踏み始めた束縛姫の雰囲気が一段と冷え込む。
…来る。
束縛姫が俺に向かって駆け出してくる。
その手には何も握られていない。
以前用いていた警棒を引き抜く様子もない。
だが、何か飛び道具があるはずだ!
俺は極限まで脳を働かせながら、行動を予測する。
「ヒヒッ!」
勢いそのままに飛び蹴りを食らわせてくる。
弾丸のようなそれをいなすと、わずかに体勢を崩した束縛姫に向かって俺は拳を顔めがけて放つ。
顔に飛んでくるものに対して、瞬時に人は顔を背けるはず。
「ウラァ!」
「…考えが甘いよぉ」
束縛姫は防御もせず、俺の拳は右頬をしたたかに抉ったが、それに怯みもせず、すぐさま拳を放った腕を掴まれる。
「顔を狙えばビビると思ったんでしょ?」
掴まれた腕を支点とし、懐に飛び込んでくると同時に、束縛姫は素早く俺の顔に向けて両手を強く合わせると、張りのある音がこだまする。
「うぉっ!?」
思わず目を閉じ、のけ反ってしまう。
その瞬間。
上がってしまった顎めがけて小さな拳が彗星のように飛んでくる。
あ、ヤベ…
「ヒハハッ!!!」
強い衝撃が脳天を貫き、俺は背中から倒れこんだ。
視界が揺れ、気持ち悪い。
目の端に映るのはもたれこんでいる彼女の姿。
…ああ、情けねぇ。
俺は大事な人すら、守ることができないのか…。
「哀れだねぇ…キミ、弱くなったんじゃないかな?」
嘲るような声が頭上から聞こえてくる。
元から良い聴覚だけが、鋭敏に働いていた。
「でも、そのお陰でキミは私に奪われる。弱い奴は強い奴に何もかも奪われる。それがヤンキーのあり方でしょ?」
「だけどね…前にキミに助けられた時になぜか、心が踊ったんだよ!…暴力だけが吹き荒ぶ心に、優しさが供えられたんだ!」
「あの時のキミの必死な顔が脳裏に焼きついて離れないんだ。気がついたら、キミを探してる自分がいたんだよ」
俺が動けないのを見越してか、顔を近づけて言葉を垂れ流してくる束縛姫。
「なのに…なのにさぁ!そこの上品ぶった女がキミをそそのかして、普通の人間にしようとしたんだぁ!」
束縛姫の声音が一オクターブ上がる。
金属音と間違うほどの金切り声は、耳の痛みさえ伴った。
そして、俺の頬に凶悪な拳を放ったとは思えないほど小さな手のひらを添えた。
「今、ここで私のものになるってキミの方から誓ってくれるなら女は解放してあげる…だけど、誓わないなら…もっと酷い目にあわせてあげるよぉ」
「優しいキミなら、答えなんて決まってるよねぇ?」
束縛姫は屈託のない笑顔を浮かべている。
その外見が愛らしくても、心はとても醜悪だ。
激しい嫌悪感が脳を支配する。
「ぐ…わ、わかった…俺は、お前の…」
これでいい。俺が降れば彼女は助かるはず。
そう思った瞬間だった。
「ダメ!!」
「…え」
彼女が苦しそうに息を吐きながら制止した。
「…貴方は悪い人に立ち向かう人のはず…そのために暴力を用いているはず!だから、立って!立ち向かって…」
涙を流しながら必死に叫ぶ彼女を煩わしそうに束縛姫の部下が殴りつける。
その姿を見て、俺は猛った。
四肢に力が漲りはじめた後、平行感覚を確かめながら、立ち上がる。
「あ~あ、つまんない、つまらないよぉ!!もう少しだったのにさぁ!超ウザイなぁぁ!」
「まだ、終わってねぇぞ…」
「もういいや…ここで完膚なきまで叩きのめして、二度と逆らえないようにして、私だけのキミにしてあげるぅ!」
痛みはアドレナリンが誤魔化してくれていて、感覚が研ぎ澄まされはじめた。
奴は不敵に嗤うと、何故か腰に付けていた警棒を明後日の方に放り投げる。
…どういうつもりだ?
「何で、って顔してるねぇ?完全に心を折ってあげたいって思ったから…素手で相手してあげる!」
「何だと…」
明らかにコイツは手負いの俺を舐めている。
明確なチャンス。
俺はじりじりと束縛姫ににじりよりながら、間合いを測る。
懐に入られる前にケリをつけてやる…
「しゃあっ!」
速いッ…
こちらが仕掛けるよりも早く束縛姫は詰めてきた。
「うらあッ!」
豊富な手数に反撃の糸口が掴めない。
的確に防ぎにくい場所に攻撃を加えてくる。
「フヒッ!威勢が良いのはどうしたんだよッ!」
嵐のような突きや蹴りをどうにか凌ぎながら、逆転の一手を待つ。
守りに入れば絶対に焦り始める。
「あああッ!早く堕ちろッッ!!」
俺が守勢に入っていると、苛立ちからか、咆哮と共に大振りの右ストレートが顔めがけて飛んでくる。
「……!!」
ここだ。
「しゃあっ!!」
俺は反射的に左腕を引き絞り、放たれてきた腕に交差するように放つ。
…拳は確かに束縛姫の頬に突き刺さるようにねじ込まれた。
「かはっ…」
「はあっ…はあっ、どうだ…」
「中々…やるじゃん…」
その場に崩れ落ちた束縛姫はどこか恍惚としたような表情をしていた。
「マジかよ…姫が倒された!?」
「ひっ…逃げようぜ!」
…親玉が倒れると、周りの兵隊達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
なんとも薄情な奴らだと、その背中に唾を吐き捨てる。
俺は彼女の元へ駆け寄る。
幸いにして、鼻血以外の外傷はなさそうだった。
兵隊達がいなくなった今、ここから早く出なければ…
「ああ…痛い、痛いよぉ!だけど、凄く愉しいよぉ!」
「マジかよ…」
声がした方へ振り返り驚愕した。
俺の全力をつぎ込んだのに。
束縛姫がのそりと起き上がってきており、異様な笑みを浮かべていたから。
「ユウセイくん…最高、サイコウだよ!やっぱり、キミのこと、大好きだよ!…私の勘違いなんかじゃなかったよ!」
「初めての感覚だよ!好きって、こんな感覚なんだって!」
正の感情ではないものが爛々と醸し出されている。
まともな人間が出すものではない。
俺は、僅かに後ろに退けぞってしまう。
「私は、今、キミをものにしたくて!キミしか見えないよぉ!」
束縛姫が俺に向かって飛びかかってくる。
理性を失った獣が、餌を一心不乱に求めるように。
「クソがぁ!」
勢いよく伸ばされた手刀を払おうとした矢先、
奴はポケットから何かを素早く取り出したのが見えた。
…見えたが、これまでの攻撃で痛め付けられた体では反応することができなかった。
「捕まえたぁ!!奥の手、取っておいて良かったっ!」
「なっ、外しやがれぇ!」
気づくと俺の両腕には漆黒の手錠が固く嵌められていて、両腕の自由が奪われてしまった。
「外さないよう…キミの闘志がなくなるまでねぇ!」
押さえ込まれ、マウントポジョンをとられると同時に、束縛姫が振り上げた拳が俺の顔に容赦なく振り落とされる。
「ねぇ、好きだよ、大好きだよ!負けたって言って!」
礫のような拳に反して言葉で好意を向けてくる状況に俺は困惑し、意識が飛びかける。
「私を助けた、私を倒した…キミだけが、どうしようもなく欲しいんだよぉ!」
「……」
殴られる度に、口が切れて、だらりと赤いものが流れ出てくる。
口の中が、鉄の味で充満する。
敗北の味。
「…負けた…負けたよ…」
俺は、情けなく降参の言葉を吐き出した。
もう目の前もぼんやりとしか映らないが、束縛姫の口の端がつり上がっていたところだけは判別できた。
…俺が正義というつもりは毛頭ないが、ただこの悪の化身による欲望のみの蹂躙に、途方もない無力感を抱いた。
俺は、なんなのだろう…
…何かが、ぐしゃりと潰れたような気がした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
路地裏の片隅で、俺は不良と殴りあっていた。
いや、明らかな力の差で蹂躙していたといった方が正しいだろう。
あの日、束縛姫に敗者という烙印を押された俺は、ただひたすらに喧嘩に明け暮れるようになった。
ただ無差別に、無秩序に、目に入る全ての悪いものを。
「なぁ、もうやめてくれよぉ…」
今しがた叩きのめした一人が呻くが、俺はそれを勢いよく蹴り飛ばした。
虚無だ。俺の手で敗者を増やしたところで何も変わらないというのに。
まばらに降る雨粒が、熱くなった身体をわずかに冷ます。
俺は目を閉じ、回顧する。
束縛姫に負けたことで、プライドも失い。
守ることができなかった彼女に対して、自ら音信を絶った。
慕ってくれていた仲間達にも、別れを告げ。
…俺の大部分を構成するものを切り離した。
正義も大義もないカラになった俺は、ただの悪童になった。
「ユウセイくん♪今日も最高だねぇ♪」
そんな俺に対して、唯一、束縛姫は変わらずに俺に執着している。いわく、「さらに好みの顔」になったとのこと。
「こいつらみんなノビてるね~また違う奴ら、探しにいこうよ~」
「あぁ」
「ね、手繋ごうよぉ」
「…好きにしろ」
「じゃあ遠慮なく♪…ねぇ、ユウセイくん?優しかったキミも良かったけど、今のキミが一番生き生きしてるよ。結局のところ、キミも私と同じ穴の狢だったんだよ」
「…」
「だってさあ、やってることは同じ喧嘩でしょ?その度合いはあってもさ、いくら取り繕っても根っこは同じ、悪なんだよ」
「あぁ…」
事実、今は何の躊躇もなく人を叩きのめしている。
拳を痛めるわけでも、心を痛めているわけでもない。
こんな人間が、正しいわけがない。
「だから、悪いもの同士、寄り添って生きていこう?…まぁ、嫌って言ってももう離れてあげる気なんてないんだけどさぁ♪」
繋がれた手に力が加わる。
キツい締め付けに俺は嘆息し、束縛姫は満足そうな表情を浮かべていた。
「また私たちだけで殴り愛、しようねっ!」
俺は敗北者なのだから、正しくあろうとか、人情とか、もう考えるのも煩わしい。
どうせこのイカれた女と、体が使い物にならなくなるまでか、どうにもならない権力に阻まれるまで、戦っていくしかないんだ。
強いものにひれ伏すのは、生物の性だろう。
屈服し、全てを投げ出した俺は思考を止め、ただ歩みだした。
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次の物語は、少しだけスタイルチェンジできたらと考えています。