かなり遅くなってしまった…
「ほれ、飲め飲め!」
「わっとと、そんなに注いだら溢れるって!」
俺は久方ぶりに地元に帰郷していた。
高校を出てから上京し大学に入ったものの、必須科目を複数落としたことが尾を引き3年次にあえなく中退。
日銭を稼ぐためにアルバイトに明け暮れるも、多くの職場でやらかしてクビになり、日に日に減っていく預金残高に恐ろしさを感じたのだ。
つまり。
帰郷でなく無様に逃げ帰ってきた。という表現が妥当なのだ。
「どうだ?旨いだろ。地元の酒は!お前が成人したら飲ませてやろうと思ってた酒だぞ!」
「そうだね…」
背中をバンバンと叩く父さんの手がいやに懐かしく感じる。
こんな無様な形で逆凱旋をかました俺を、家族を始め地元の人々は温かく迎えてくれた。
勝手に飛び出して上京した身だから、こんなに迎え入れてくれるとは露ほども思っていなかったのに…。
「まぁ、タカヤが帰ってきてるって言って一番喜んでいたのは、真弥ちゃんだけどなぁ!」
顎に蓄えている髭を撫でながら、バカでかい声で父さんは言う。
田代 真弥。
俺と同い年の女子で、昔から繋がりが深かった。
親父さんがここら辺一帯の地主で、そこの一人娘だったからこの町ではどこに行っても大層可愛がられていた。
なによりその容姿は田舎という枠組みを除いても飛び抜けていて、この町で彼女に恋するのは一種の通過儀礼のようなものだった。
現に大学でも彼女ほど綺麗な女子に会ったことはなかったんだけど。
「ちょっとおじさん!…そ、そんなことないわよ!タカヤが帰ってきたぐらいで、取り乱したりしないわ!」
和やかな飲みの席に参加していた真弥は顔を紅潮させながらそう言った。
「そうかぁ?結構あたふたしてたと思うんだがなぁ!ガハハッ!」
「もう!そんなこと言ってるとおじさんの分のお酒もらっちゃうんだから!」
「おいおい!それは勘弁!こんな日ぐらいじゃないと大っぴらに酒飲めないんだからさ~」
この喧騒も昔を思い出して、ふと笑みが溢れる。
戻ってきてからわかる地元のありがたみというのは、こういうものなのだろうか?
宴もたけなわ、あらかた酒を飲み干した父さんや親族は広間で大イビキをかきながら寝ている。
俺はちびちびと残った酒を飲みながら刺身に舌鼓を打っていると、隣から声を掛けられる。
「ねぇ、タカヤ」
「なにかな、真弥」
「抜け出さない?」
「…そういうことは、もっと静かな空間で言うべきことだと思うけど」
イビキの大合唱が響いてる所で聞きたくない台詞だ。
「まぁ堅いこと言わずに。行かない?」
真弥は車の鍵をクルクル回している。
酒飲んでるくせして。
「あのさ…田舎でも治外法権ってわけじゃないぞ?」
「あっ。…歩いて行こっか!」
外は設置されている街灯がポツリポツリとあるが、それだけでは心許なく感じる。
とはいえ今日は漆で塗られているような闇夜の空にぽっかりと月が浮かび、地表を照らしているため割りと明るかった。
俺達も例外なく月に照らされながら舗装が甘くなっている道を歩いていると、真弥が口を開いた。
「タカヤ。私聞きたかったことがあるんだけど」
「…何?」
「なんで高校出た後東京に行っちゃったの?私、本当にに心配しちゃったんだから」
「それは、まぁ…」
東京に行けば何か違うのではないかという安直な理由は口に出しづらい。
…ここは大真面目な建前を答えるか。
「大学で必死に勉強して、良い企業に勤めたかったから」
「でも単位落として中退したんだよね?それって本当に勉強に力を入れてたってことになるのかな?」
一撃。返す刀でバッサリと。
事実だからなおさら悲しい。
「…まぁ、色々あったんだよ。うん」
これ以上身の上を話すと塞がっていた心の傷口が開いてしまいそうだった。
「そうなんだ~。まぁ何はともあれ帰ってきて良かったよ」
月明かりの下で柔らかく微笑む真弥はどこか浮世離れしていて、本当に同じ田舎で育った人種とは思えなかった。
「…真弥はどうしてたんだ?俺がいない間、何してたんだ?」
「んー。まぁお父さんの下で仕事してたかなぁ。私はあんまり大学とか興味なかったからさ」
「そうだったのか?」
確か国立大に行けるぐらいの学力はあった気がするが。
まぁ、彼女は大学に行かなくともこの町にいる限りは安泰だとは思うが。
「うん。私、もう固めたから」
「何を?」
「人生設計、かな?」
田舎の中では開けた中心街に差し掛かる。
およそ人がところ狭しと歩いている都内には及ばないが、多少は人の往来が増えてきた。
「タカヤはさ、これからずっとここにいるんだよね?」
「ん…あぁ、まぁ。深く考えてないけど」
実際問題、帰ってきたは良いが当座の目処が立っていない。
町での働き口もあまりないだろうから、今になってどうしようかというところだ。
「ならさ、うちで働く?」
「いいのか?」
「うん。まぁ人手が欲しいって理由もあるんだけどさ。タカヤにも真っ当に働いてて欲しいし…」
それは渡りに船だ。
俺は思いがけないチャンスに顔を綻ばせた。
「それにさ~」
「うん?」
「自分の把握できる場所にいてほしいじゃん?」
「え…」
赤ら顔で愉しそうに笑っている真弥とは対照的に、周囲の温度が一気に下がった気がした。
今の言葉はなんなのか。
歩きながら言葉の意味を反芻していると、目当ての店が見えてくる。
「いや~。今日は良い夜だねぇ」
…考えすぎか。
赤ら顔の真弥を見て、馬鹿馬鹿しくなってしまった。
ふと空を見ると月はいつの間にか厚い雲に隠れていて、隙間から寄り添っていた星だけが煌々と輝いていた。
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「よっ!」
「久しぶり~」
懐かしさ溢れる居酒屋に入ると、見慣れた顔がそこにいた。
短く刈り込んだ髪が特徴的な川俣。
緩めのパーマをかけており、フワフワしている雰囲気を醸し出している佐賀。
どちらも高校時代の同級生で、よくつるんでいた。
「久しぶりだな、川俣。佐賀も」
「おう!ビックリしたぜ!全然連絡取れなくなった奴がふらっと帰ってきたんだからよ!」
「何で連絡してくれなかったの~」
「そうよそうよ!なんで私に話すらしないで出ていったのよ~!」
久方ぶりにあった二人に加え、酔いが回ってる真弥までくだを巻き始めている。
「なんか、勝手に出ていってすぐに、町の人に連絡を取るのは格好悪いかな~と思ってさ」
つまるところ、ちっぽけな見栄で彼らとは連絡を取っていなかった。
聞けば川俣も佐賀も町内に根を張っていて、二人は付き合っているとのことだ。
「そろそろ結婚したいと思ってんだ」と頬を掻きながら語った川俣の照れ臭そうな顔に寄り添う佐賀は今の俺にはとてもまぶしく感じた。
…同時に数年前は同じ高校生だったはずなのに、いつの間にか人生経験に大きな差がつき始めている気がして少し気持ちに翳りが浮かんでしまう。
「うっぷ、飲み過ぎた…タカヤ、明日私の家に来てね~」
「わかった」
ハイペースで飲み続けていた真弥はついに酔い潰れたので、先にタクシーで家路に帰した。
あんなに酒を飲むタイプだったのか…
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それなりに賑わっていた店の中は気がつくと俺と川俣、佐賀だけになっていて、こじんまりとした雰囲気を醸していた。
「それにしても、高校の時タカヤは真弥と何で付き合わなかったんだ?」
各々の酔いがさらに回ってきたころ、ビールを一気に呷った川俣が尋ねてくる。
「へ?」
「そうねぇ。あれだけいつも一緒にいたのに付き合ってなかったのが不思議だったわ」
「いやいや、付き合うって感じじゃなかったでしょ。親友みたいな感覚だったんだよ」
そう。
恋人というには距離が近すぎたのだ。
俺と真弥は恋情というよりも友情で繋がっていたと思う。
いわゆる悪友のような間柄というところか。
そう言うと川俣と佐賀は顔を見合せ、しかめ始めた。
「…あのな、タカヤ。真弥のことなんだが」
そして、二人が周囲を見回した後に小声でポツポツと語り始めた。
「タカヤが東京に行った後、真弥はその…なんと言っていいか…とにかく不安定だったのよ」
「仕事もやってはいたけど、親父さんが心配するぐらいにはな…」
「まぁ、一時期を過ぎたら急にけろっとし始めたんだけど…」
明かされる情報の洪水に、俺は処理するのに時間を要した。
「え、えっとつまり…なんかヤバい感じだったってこと?」
さっきまでは全くそんな素振りはなかったんだけど…
本当なのか…?
「とにかく、真弥には気をつけろ。もしかしたら…」
川俣が深刻な顔をしながら紡ぐ言葉を待つと、不意に後ろから声をかけられる。
「お客さん、そろそろ店じまいなんで…」
店主が、眉毛をハの字にしながら申し訳なさそうに言ってきた。
「もうこんな時間か。まぁ、今度また話そうか」
「また連絡ちょうだいね?」
「あ、あぁ…わかった」
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翌日の昼頃、約束通り真弥の家に行くと、鮮やかで広々とした日本庭園が俺を迎え入れた。
…昔来たことあるけど、こんなに広かったかっけ?
庭園にそぐわないコンテナみたいなのもあるし。
それに、一応面接するっていってたから履歴書も持ってきたけど、事務所とかでやるものじゃないのか?
俺は呼び鈴を鳴らすと、女性が玄関引き戸から出てくる。
「澤田様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。久方ぶりでございます。使用人の植崎です。どうぞこちらへ…」
「あ、どうも…」
中に足を踏み入れると、通路には豪華絢爛を絵に描いたような壺や絵画が飾られていて、思わず目が向いてしまう。
その中には幼少時の真弥の写真が額縁に入れられているものも結構あった。
一人娘の写真は宝物なのだろう。
満面の笑みを浮かべる真弥の傍らには当時の同級生達が写っている。
…あれ、俺が写ってるやつ全然ないな…。それなりに一緒にいたから写っているものもあると思ったが。
「可愛いでしょう…お嬢様は」
「え、ええ。まぁ」
「こちらは徒競走で1位を取った時の写真…またこちらは合唱コンクールで歌っている写真…これは…修学旅行時でしょうか。ずいぶんと大きくなったものです」
歩きながら感慨深そうに目を細める植崎さんに、俺は思い出す。
そういえばこの人は昔から真弥の側にいた人だった…。
柔和な笑みは変わっていないが、顔に刻まれた皺は確かに時の流れを表していた。
「こちらのお部屋でお嬢様がお待ちでございます。それでは、また…」
植崎さんはそう言うとどこかへ立ち去った。
…なんだか、就職活動みたいだな。
ノックし返答を待つ。
「お入りください」
「失礼します…」
部屋に入ると黒縁メガネをかけた真弥が生真面目な顔をしてソファに座っていた。
…もっとフランクなやり取りになると思っていたが、どうもそんな感じがしない。
「そちらにお掛けになってください」
「え、えぇ、はい…よろしくお願いします」
俺は履歴書を封入した封筒を渡す。
そもそも、昔からの友人を相手に面接するなんて、なんともむず痒いな…
「履歴書を拝見させていただきます」
真弥は涼やかな目元をより鋭くすると、目を通していく。
「拝見いたしました。では、これより面接を始めさせていただきます」
「あぁ…はい。よろしくお願いします」
「それでは、早速ご質問させていただきます。澤田さんは、現在お付き合いされている方はいらっしゃいますか?」
…はい?
なに、その質問は。
「…え?」
「現在お付き合いされているか、されていないか、それをお伺いさせていただいております」
あまりに真剣なトーンで聞いてくるものだから、困惑してしまう。
こんな質問って、面接の場では絶対NGだろ。
「あ…いや、いません」
「そうですか、ありがとうございます。では次に…」
真弥は軽く頭を下げたあと、すぐに次の質問を口にする。
「将来、ご結婚されたいという意志はありますか?」
それ仕事と関係ある?
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なけなしの経歴を書き綴った履歴書はほとんど日の目を見ることはなく、真弥は終始個人的な質問を真剣な瞳で聞いてきた。
「…はい。これで面接は終わりとなります。結果は後日…というわけではなく、即合格です~!」
「あ、はい」
切り替えが早すぎる。さっきまでの厳粛な言葉遣いは一気に鳴りを潜め、俺が知っている真弥に戻った。
「いや~ごめんね?採用するにあたって、形式的に面接はしたほうがいいって、植崎さんに言われてさ!ほら、縁故採用でフリーパスなのもあれかなって~」
「仕事貰えるだけでもありがたいわ。拝み倒したい」
「私が現人神よ!」
「うわ、そこまで言うか…?」
「引かないでよ…」
まぁ外見の美しさは確かにビーナスのようだとは思うが、口に出してはやらない。
そんなことを言っていると、真弥は近くにあった棚から分厚い紙束を取り出し始めた。
「それは何?」
明らかに分量が多く、びっしりと用紙内に埋められている文字は読むのにも多大な労力がかかりそうだ。
「契約書だよ?だから確認よろしく!確認できたら2箇所署名した後に印鑑押してね!」
「え、でもこれちょっとした冊子になるレベルなんだけど…」
いくらなんでもこれを全部読むのはしんどい。
契約は重要なものだと思うけれどこんなに中身が厚いものなのか?
アルバイトの時はもっとペラペラだったんだが…
「……読まないの?書かないの?」
俺が訝しんでいると、正面から真弥がじわりとした圧を傾けてくる。
その圧に耐えかね、俺は首を縦に振った。
「わかったわかった!読むから待っててくれよ!」
「よしよし!じゃあ私、お茶淹れてくるから!」
「あっ、おい!」
…植崎さんがいるなら任せればいいのではと思ったが、真弥は行ってしまった。
俺は何ページにもわたる契約書に目を通すが、どんどんめくる手が重くなっていく。
当然だ。大量にある文字の羅列を読み込むのはしんどい…。
…そもそもこういうことがきちんとできれば大学中退なんかしていない。
「なんか、しんどいな…もう全部読んだって体でサインするか」
生来の面倒くさがりが限界を迎え、指定された2箇所の署名欄にフルネームを書き、印鑑を押す。
あー、ダルい。もっとこういうのを簡単にしてくれよ、社会。いちいち難しいんだって。
「あ、もう読み終わったんだ?」
「おあっ!」
いつの間にか側に立っていた真弥がこちらを覗き込んでいた。
急に後ろから現れんな、ビックリするだろう!顔が良いのを自覚してくれ。
「はい、書き終わったぞ」
「うんうん。署名捺印、たしかにたしかに~」
俺が紙束を渡すといやに上機嫌になるの真弥。
そんなに俺が入社することが嬉しいのかと考えてしまったが、あまりに自意識過剰だと思い、やめた。
「よし、じゃあ早速今日から仕事して貰おうかな!あ、指導は植崎さんにお願いするから!」
そう言うと真弥は携帯を取り出し電話をかけると、数分もしないうちに植崎さんが来る。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「植崎さん、タカヤにお仕事を教えてあげて」
「承りました。…では澤田さん、改めてよろしくお願いします」
「あっ、こちらこそお願いします…」
それにしても、俺はなんの仕事をするんだ?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「無事採用されたようで何よりでございます」
「いや、助かりました…今後どうしていこうかまだ考えていなかったので…」
あの後、なぜかニマニマしながらお茶を飲む真弥を置いて植崎さんと部屋を出た。
隣を歩く植崎さんの背筋は天井から吊られているようにピンと張られていて、格好がいい。
俺も釣られて背筋を伸ばす。
「それで…あの、仕事ってなにすればいいんですかね?」
「この庭園の清掃になります」
「そうなんですか…」
想像してたのと違う…
田代家が所有しているという工場が町にあるからそこで働くのかと思ってた。
「それでは、こちらをどうぞ」
植崎さんは懐から一台の携帯を取り出すと、それを渡してくる。
「社用携帯です。業務中に何かありましたらこちらで連絡を取ることになりますので、肌身離さずお持ちください」
「…わかりました」
「それと、大事なことを一つ。敷地内のコンテナハウスには入らないようお願いします。あの場所は清掃不要ですので」
「はぁ…」
「それでは、適宜判断に迷うことがありましたら私にご連絡していただければと思います。それでは」
そう植崎さんは言い残すとまるで競歩の選手のような速度で歩いていく。
え、ここで放置されんの?
ポツンと一人残された俺は、取り敢えず箒を持って庭園に出ることにした。
「おお…」
外に出て庭園を見渡すと、砂利敷きの中に石畳や灯籠が敷き詰められ、池にはでっぷり肥えた鯉が数匹、ノロノロと泳いでいた。
「外、掃除するところ無くね…?」
清掃が行き届いているのか、落葉が落ちている様子もない。
植え込みも素人目にもわかるぐらいにキチンと剪定されているようだった。
これでは仕事をしたくても出来ないのでは…?
「あ~あ、どうすっかなぁ」
手持ち無沙汰になったところで、近くの縁側に腰をかける。
このままじゃ、給料泥棒になりそうだ。
「あら、見ない後ろ姿だ」
「うわ!」
ふと、後ろから掛けられた声に体がビクリと反応する。
振り返ると、同年代ぐらいの女性が立っていた。
全然気配感じなかったんだけど…。
「サボりかい?」
「いや、これは、そう!一息ついてただけです」
「ふ~ん」
訝しげな視線を向けてくる女性は俺の隣に座った。
女性の顔を見ると、透き通った中性的な顔立ちで、どこか少年のような面影がある。
「君、もしかして今日から入ったの?」
「ええ…まあ、そうです」
「どおりで」
そういえば、他の従業員の方へ挨拶をしていなかったな…
痛恨のミスだ。
「あの、ご挨拶が遅れてすみません。今日からお世話になる澤田タカヤと申します…」
「ん。よろしく。水野です。澤田君は元々町内の人なのかな?」
「そうです。以前東京に引っ越したんですが、戻ってきまして…」
あれ、なし崩し的に話し始めちゃったけど、この人もサボってない?
「ふうん。わざわざこんな辺鄙な町に戻ってくるなんてねぇ…中々珍しい気がするけど。君ぐらいの歳ならなおさらねぇ」
「ははっ、そうかもしれないですね」
思わずそら笑いしてしまう。
そりゃそうだ。
東京に行けば何かあるとふんわりした幻想だけ持って飛び出した結果、大学に馴染めずテストもまともに点が取れないし、バイト先にも迷惑かけまくった。
普通の大学生ならこなせるはずのことが、できなかった。
「水野さんはどうなんです?ずっと町内にお住まいなんですか?」
「あー、そうそう。修学旅行以外では県外に出たことないねぇ」
「はぁ、珍しいですね…」
「私はなぜかそこまで都市圏への憧れがなくてねぇ。別にこの生活に不満があるわけでもないし」
「そんなもんですかね…」
「そんな人がいてもいいんじゃない。別におかしくなんてないと思うけどね…」
「ま、何かあったら私を頼りなよ…これも何かの縁だからさ」
「あっ、ありがとうございます…」
「いいって。じゃあ、私は持ち場に戻るからさ」
水野さんは立ち上がると、手をひらひらと振りながら室内に戻っていく。
…何か、不思議な雰囲気を持ってる人だったなぁ…
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
数週間、仕事に入ってみてわかったことがある。
…非常に暇だ。
いつも通り、適当に掃き掃除をして、勤務時間終わりまで時間を潰そうと思った矢先だった。
ぐるぐると庭中を歩いていたからか、例のコンテナハウスの近くまで来ていた。
「これ、一体なんなんだ…」
物置として使われているのだろうか?
植崎さんからは立ち入るなとは言われているが、そう言われると少し気になってしまう。
周辺には誰もいない。
「こっそり…入ってみるか?」
ダメと言われると気になってしまうのが人間の性。
ドアノブを掴むと、鍵がかかっていなかった。
入るなと言った割には、不用心な気がするなぁ…
「入りますよぉ…」
中に入っていくと、木目調の内装が見えた。
テーブルの上にパソコンが一台、寂しげに置かれている。
だが、そんなものよりも。
真っ先に異常が表れている壁に意識が向いた。
「これ…これも…」
所狭しと壁に飾られている俺だけが写っている写真。
額縁に入れられているものもあり、丁寧に保存されているのがわかる。
「なんで、こんなに俺の写真がここに…」
正直、多量の「自分」が飾られているのは気味が悪い。加えて俺自身が写っていることに気づいていないような写真もある。
つまり、隠し撮り。
また、写真の中には正方形ではなく切り取られて、歪な形になった写真もある。
「…なんだよこれ」
自分が認知していない写真があることに戸惑いが滲む。
見なければよかったと、遅い後悔が俺を責め立てた。
…それになにより、ここは気配がおかしい。
俺以外に誰もいないはずなのに、粘りつくような視線をひしひしと感じる。
「…さっさと出て、見なかったことにしよう」
もう、下手なことはしないと心に決めて出口に向かった直後だった。
ふと脇を見ると、奇妙なモノと目が合ってしまった。
それは生きた人間じゃない。
けれど、視線がある。
「……!!」
息を呑み、それに触れる。
台座に鎮座する人の顔が描かれた木彫り。
丁寧に着色されているその面相は自分がよく知っているものだった。
「これ…俺だ…間違いない…」
自分の顔は毎日鏡で見ているからよくわかる。
何の意味があってこんなものがあるのか。
もはや恐怖よりも混乱が勝ってくる。
ドン!!
「うひゃあっ!」
突然外から大きく何かを叩きつけるような音がこだまし、驚きのあまり尻餅をついてしまう。
誰かが俺の存在に気づいたのか!?
「あっ!」
驚いた衝撃で木彫りを手放してしまい、鈍い音が響く。
すぐに拾い上げ、どこも壊れていないかを確認するが、特に目立った傷はない。
「よ、よかった…」
滝のように流れ出す汗を拭い、一息つく。
入ってはいけない場所に入り、その上物品を壊してしまうなんて、クビになってもおかしくない。
木彫りを元の位置に戻し、周囲を警戒しながらコンテナハウスから出る。
「…危なかったぁ」
それにしても、ここにある「俺」は一体、なんなのか。
見えない意図に身震いし、恐れおののくしかなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
驚愕の光景を目撃してしまった俺は仕事が終わると、ふらふらと町中のチェーン店のファミレスに腰を下ろした。
つい最近知り合った水野さんを連れて。
「良いね~、久々の外食だよ」
あの出来事を1人で抱え込みたくなかった俺は、「何かあったら頼ってくれ」と言われたことを真に受けて、水野さんに話を聞いて貰おうとしたところ、快諾してくれたのだ。
「どう?こっちの生活には慣れた?」
「そうですね…でも、やっぱり東京とは違いますね」
「まぁね、そりゃそうだ…私はよく知らないけど」
「…正直、迷ってるんですよね。このままこの生活を続けるか、もう一度挑戦してみるか…」
「また東京に出るってこと?」
「そうですね…どうしても、ずっとこのままっていうのが想像つかないし、なにより刺激も無さそうで」
「刺激ってそんなに大事かねぇ…ま、最後に決めるのは君だから、私からはなんとも言いがたいかな」
水野さんは俺の話を聞きながら、注文したものを平らげていく。
かなりの健啖家のようだ…。
「それと…もう一つ相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
「なに?」
「その、庭園にあるコンテナハウスのことなんですけど…。入ってはいけないって言われてたのに、入ってしまいまして…」
「……あ、そうなんだ。どうだったの?」
「俺の写真が壁一面にあって、あと俺の顔に似ている木彫りがあったんですよ。…ちょっと、驚いてしまったんです」
「おお~。ヘビーだねぇ。…普通ないよね、そんなこと。まぁでも…そんなことをする人が誰か、君も見えてきてるんじゃないかな?」
「誰が、それを飾り、置いておいたのか」
…真弥。
直感だが、頭に顔が浮かびあがった。
「君はパンドラの箱を開けてしまったみたいだねぇ。真弥さんの秘密を自ら暴いちゃったんだからさ」
「その代償は、高くつくと思うよ」
俺はいつの間にか真顔でこちらを見据える水野さんの視線に射竦められ、縮こまった。
「取りあえず食べなよ、注文したもの冷めちゃうよ」
「は、はい…」
優しげな声音に反して、目がまったく笑っていない。
料理に手をつけるもまったく味がしなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ファミレスから出ると、閑散とした駐車場に黒いワンボックスカーが数台留まっていた。
そこから続々と降りてくる黒服達。
「な、なんなんだよ…」
「もう、観念しなって」
言葉を失っている俺の肩に手を置く水野さん。
黒服達の間を縫うように真弥がこちらに向かって歩みよってくる。
「真弥さん、役割全うしました」
「水野さん、連絡ありがとね。でも良かった~。タカヤ。…また私から離れようとするかもって。気が気じゃなかったよ」
「…!?何でそれを」
「種明かししよっか。水野さんが君を張ってたの。私が君の行動を見逃さないようにね」
「え…」
そうか、初日に俺に接触してきたのも、そういう意図があったのか…。
「あと、社用携帯も持たせといたでしょ?GPSで追跡できるようになってるんだよね。保険の意味も兼ねて、君の居場所も常に把握してたんだよ」
確かに、俺は肌身離さず社用携帯を持ち歩いていた。
それが普通だと思っていたから…
「それとさ、タカヤ…コンテナハウス入ったでしょ?…無鉄砲な君ならやると思ったんだよね。入っちゃいけないって言ったのにさ」
「まあでも、あれが引き金になったってところかな。あそこは私の想いが詰まった場所…見たんでしょ?」
「君がいない間、私はただひたすらに仕事に向き合ったよ。君が帰ってくることを信じていたから。そうしたら、チャンスが巡ってきたってわけ」
「…タカヤが出ていった直後はおじさんにタカヤの居場所を聞こうと思ったんだけどね。私も余裕がなかったから、自分でも何するかわからなくて…結局待ち続けるって結論になったの」
「……」
俺は絶句するほかなかった。
仮に、俺が帰郷しなければどうするつもりだったのだろうか。
執着の果てを、垣間見た気がした。
「結果的に、君は想像以上に酷い状況で帰ってきたからさ。長かったけど…次はないよね。もうここで、決めちゃおうか?」
「な、なにをだ…」
「私と結婚する話」
俺の言葉に被せるように言う真弥。
その言いきり具合から、真弥の中では確定事項としていることに、鼓動は加速していく。
「…一度持ち帰らせてくれないか?」
このままだとよく考えることもできず、将来が決定してしまう。俺の未来予想図はまだ方向性すら決まっていないのだ。
「ダメだって。またどこか行っちゃったら困るし。…タカヤ。なんで自ら不幸になろうとするの?キミは失敗したじゃない。普通の人間なら、一度の失敗で懲りるはずだと思うよ?」
ズバッと、一太刀で俺の言葉は斬られた。
真弥は本当に痛いところを執拗に突いてくる。
「……」
「お金も、道を切り開く能力もないのにどうするのかな?それなら私とここで安穏な日々を過ごした方がいいんじゃない?」
「私ならダメなキミを受け入れてあげられる。愛しているから、そんなことは瑣末な事なんだよ…」
「…そうだと思いませんか、おじさん?」
真弥が後ろを振り向いて呼び掛けると、黒服の間から見覚えのある体格の人物が出てくる。
「父さん…」
「タカヤ、父さんも真弥ちゃんの意見に大賛成だ。確かにお前が高校を卒業した後、お前の希望どおり誰にも言わずに東京に送り出した。けれど、もう好きに放っておくより、真弥ちゃんにお前を任せたほうが絶対に良いと考え直してな…」
「マジかよ…」
父さんまで懐柔されていたのか…
いつの間にか、俺の逃げ場がどんどん切り崩されている。
俺は半ば諦めかけていた。
真弥の理論に反論することができないというのもあるが、
何よりも、桁外れの執念を持つ真弥に抗うほどの気概がなかった。
「さぁ、もうわかったんじゃないかな?私の覚悟が…ねぇ?」
この重苦しい空気の中で、必死に足りない頭を回していく。
自由を諦め、真弥という存在に一生を預けるのか。
…いや、改めて考えたら何が問題なんだ?
こんなクズな俺に、今後これ以上のビッグチャンスがあるのだろうか?
たった、これからの人生をこの小さな町で過ごすだけで、多くのことに困らずに生活していくことができる。
不確定な刺激より、高水準の平凡。
何故か、照れ臭そうにしていた川俣の顔が浮かぶ。
「私のものになってください…私とこの地に骨を埋めましょう?」
「あぁ…そうした方が良いかもしれないな…」
「…嬉しい」
目の前に真弥は涙ぐみながら、俺の前で高級そうな小さく四角い箱を開ける。
中から出てきたものを俺の細い指に嵌める。
その煌めきは、とてもまばゆかった。
「それとこれもね」
真弥は一枚の紙を渡してくる。
「契約書…?」
「タカヤ、面接終わりに署名してくれたよね。私と共に過ごしますって」
書面をよくよく読んでみると、真弥と同棲する趣旨が細やかに記載されていた。
…あ。
よく読まずに、そのまま署名してしまったやつ…
「私、もう絶対にタカヤから離れない…タカヤも、私を離さないでね」
水面下で張り巡らされた糸が俺を縛りあげた瞬間を、生涯忘れることはないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「というのが、俺とお母さんが結婚したきっかけなんだよ」
「ふーん。お母さんって昔からお父さんのこと大好きだったんだね」
「まぁな。…お父さんもお母さんのこと大好きだぞ?」
「でもお父さんダメダメなのに、何でお母さんは好きになったんだろうね~」
「……」
結婚までの馴れ初めを聞かれたから、かいつまんで話したが…9歳になる娘の言葉の切れ味が鋭すぎる。
そりゃあまぁ、俺はほとんど家にいるからなぁ。
分かりやすくカッコいいお父さんではないかもしれない。
真弥が稼いで、俺が家のことをやるというのは、真弥の中では規定事項だったらしい。
結婚したらすぐにそう言われたのだ。
「そうだなぁ。逆にダメダメだったから、お母さんは放っておけなかったんじゃないかな?」
「そーなのかなぁ…?」
「美弥も好きな人が出来たらわかるさ」
俺は美弥の頭を撫でる。
面影は俺に似ることなく、昔の可愛いかった真弥そのままだ。それ事態はとても良いことなのだが。
「いるよ~好きな子~」
「え」
聞きたくなかった言葉が弾丸のようなスピードで射出され、俺は固まってしまう。
どこの馬の骨だろうか。
俺の目の色が黒いうちは、許したくない。
「同じクラスのね、アカヤ君って言うの!」
興奮した様子で、美弥はスケッチブックを取り出す。
そこには、アカヤ君と思われる似顔絵が描かれていた。
真弥譲りの才覚があるのだろう。まだまだ荒々しいが特徴がはっきりしている似顔絵だった。
「アカヤ君ね、足がとっても速くて、カッコいいんだよ!
わたしね、大きくなったらアカヤ君と結婚したいな~」
「待て待て、お父さんは認めないよ!アカヤ君がどんな子かわからないけど…」
「…お父さん?わたし、お母さんにこう言われてるの。「好きな人ができたら、絶対に目を離したらダメ」って。だから、邪魔したらお父さんのことキライになっちゃうかも」
「……」
真弥の思想が娘に刷り込まれすぎている。
実の娘から「邪魔」とか「キライ」って言葉が出ただけで、俺は今すぐ寝込みたくなった。
「でも、アカヤ君もわたしとお話ししてるとき、すごく楽しそうなんだよ!きっと、わたしのこと好きなんだと思うな~」
「ああ、うん。そうだといいね…」
こうなったら、みなまで言うまい。
まだ見ぬアカヤ君とやらに、合掌。
受け継がれる執着の遺伝子に凡夫である俺は畏怖しながらも、人並みの幸せを享受していた。
ハッピーエンド…