状態異常シャーク   作:すばみずる

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センシブシャーク(前)

「お兄ちゃん、HIAセンターに行くって言ってたよね。外歩くの大丈夫なの?」

「明暗くらいは分かるようになってきたから平気だよ。エレンも助けてくれるし」

「でも寝ぼけて首を怪我してるのに。心配だなー」

「平気だよ。血が出るほど強く──あー、ぶつけなかったから」

「だと良いけど。エレンも気を付けてあげてね。普段の2割増しでボケてると思ったほうがいいから」

「分かった」

 素直に頷いているその人こそが寝ぼけるんじゃ、と言えば睨まれるくらいは弁えている。

 ライカンさんが昨日の内に仕込んでいてくれたサンドイッチを拝みつつ頂いた後、外出する旨をリンに伝えた。朝から騒いでいたせいで外出可能な状態か疑わしい視線を投げかけられてはいたものの、fairy経由で治療の目処があることを話せばあっさりと了承してくれた。

 没入型VRシステムについてのfairyの調査は思いのほか早く済み、そしてそれが実用に耐え得るものとすぐに分かった。なにせ、以前に受けた依頼で関連しているものがあったからだ。

 H.D.D.システム紛いの技術でビデオ屋にやってきていたボンプが持ち込んだ、シミュレーションから脱出出来なくなった知的構造体の救助依頼。その舞台となった大企業肝入のVRシステム「デジタル戦場の騒乱」は求めていたVRシステムに近いものだった。

 カチャコと名乗ったボンプとは既に連絡を取り、アカウントを借りる算段は付いている。後はセンターまで向かうだけだ。

「ルミナスクエアかぁ。午前は店閉めて、車出そうか?」

「電車で行くからだいじょぶ。それに、帰りで迎えに来てもらうわけにはいかないでしょ」

「それもそっか。じゃあエレン、お兄ちゃんのことお願いね。食玩とガチャは2回までで、続けようとしたら蹴っていいから」

「兄のことを犬か何かと思ってないかい?」

 いい大人がガチャの我慢が出来ないなんて恥ずかしいことがあるわけないだろう? 

 

 妹からいらない訓戒を賜ったのち、ようやく外出の準備が整った。落し物をしても気付けないから持ち物は最低限に。包帯は目立つので目隠しにはサングラスを掛け、左手をエレンに預ける。

 慣れた場所とはいえ見えないまま店から出る一歩目こそ躊躇したものの、踏み出してしまえば後は簡単だった。

 手を引くエレンも思いのほか丁寧で、こちらの歩幅に合わせて進んでくれる。電車に乗り込み手すりを掴んで一息つくまで危うげなく、拍子抜けとも言える。

「混んでるから、ちょっと詰めるよ」

 大人しくしている姿に気を抜いていたせいで、そう言って手を離したエレンが自分の懐に収まるのを正面から受け止めるしか無かった。顎を肩に乗せるほど乗車スペースの節約が必要なほど混むことなんて、通勤ラッシュ時以外にあるだろうか。身をよじろうにもサメの尾が腰を抱えてしまい、大人しく手すりを掴んでいるしかない。

「あんまり動いてると、痴漢と間違われるかも。それでもいいの?」

 エレンが嘯いた恐ろしい言葉はあまり洒落にならない。せいぜい挙動不審に見られないよう体を固まらせる程度しか抗いようがなかった。

 周囲の喧騒から逃げるように電車を降り構内を出れば、HIAセンターはすぐそばだ。急ぐあまり交差点向こうの出口に出てしまい、信号待ちの時間も惜しい。

 周囲からの見えない視線に刺されている錯覚に苛まれるなか、肩を叩かれたのはひどく肝を縮めた。

「店長か? なんだ、その似合わないサングラス」

 若々しい爽やかな声に、サングラス越しに見える猫耳のシルエット。ビデオ屋のお得意様でもある治安官、セス・ローウェルだ。

「やぁセス。お勤めご苦労様……」

 知り合いと分かって一瞬気が緩むが、すぐ警戒レベルを引き上げる。セスは極めて善良な人間だ。体調を崩していることが分かればあれこれ世話を焼こうとしてしまうだろう。こちらの事情にも丁寧に首を突っ込んで来るし、ネコとは首さえ入れば侵入してくる液体だ。こんな状況で裏稼業を嗅ぎ付けられてもごまかしきるのは難しい。

「アキラ、早く行こ」

 答えに窮していた所に、並んで手を繋いでいた筈のエレンがわざわざ腕に抱きつき直して前に引っ張った。

 あわや前門のネコ、後門のサメの気配に死を予感する。

「──あ!」

 今日は日差しが強いねとか、ついさっき荒野のチャンピオンから貰ったんだとかろくでもない選択肢しか浮かばなかったが自分だが、しかしセスの反応は想定とは違う慌てようだった。

「す、すまない店長。野暮だったよな、本当にごめん」

 狼狽した声が徐々に後ずさるのが分かる。

「オレ、オシャレとかは分からないけど、そのサングラスはたぶんイカしてると思うぞ! 今度一緒にマフラーでも着けたらいいんじゃないかな! じゃっ!」

 ドップラーめいた残響を残して、早熟の治安官は立ち去っていった。なるほど、確かに逢引の最中に見えれば気まずくなって勝手に離れてくれる。サメの機転がネコを上回ったらしい。

「助かったよ、エレン。うまく勘違いしてくれたね」

 感謝への返答は足がもつれかけるほどの駆け足だった。

 むっつりと黙り込むエレンに押し込まれたシミュレーターでは、久方ぶりに十全と感じる事が出来た視覚に酔いながらも解放感を味わう事が出来た。エレンを暇させてしまうのが気掛かりだったが、彼女は彼女でいつの間にやら職員たちから飴を貰って甘やかされながらシミュレーションのランキングを塗り替えているようだった。

 そういえば、エレンとはゲームセンターでスコア争いをする仲でもある。ゲームはお手の物ということだろう。

 互いに楽しむというには少し乾燥したものだったが、お裾分けに貰った飴を口に放り込んでくれたのを考えるに不満の無い行楽になってくれたと思いたい。

 

 いつも以上に動いたような錯覚を冷ますために、川辺のベンチに腰掛ける。

 左手に慣れた暖かさはなく、今はニトロフューエルの四角い缶が収まっていた。

「どう? 治ったの?」

「まだちょっとヒリヒリする」

 今朝犠牲になった首筋に手を当てながらわざとらしく言うと、脇腹を軽く小突かれた。

「そっちじゃない。目のほう」

 目隠し代わりのサングラスをずらして心配かつそっけない声の主へ目線を向けると、ぼんやりと赤い虹彩と視線が交わった気がした。インクの滲んだ印刷物に擦りガラスを重ね合わせているような視界。

「少しは効果あり、かな」

「そ。じゃあ、来てよかったんじゃない」

 たった一回の体験で効果が確認出来たなら十分だ。あとはデータさえ取れれば馴染みのハッカーと電子の妖精を超融合して電気代を生贄に捧げれば家庭用の試験機でなんとかならないものか。

「このあと、どうするの?」

 センターでのVR体験を一通り済ませていたら、昼を通り過ぎで遠景のホロウが茜色を蝕む頃になっていた。

「お昼はセンターで済ませたし、どうしようか。特に用事がないなら家に──」

「じゃあ、さ」

 握られていた手が軽く引かれる。つられて動いた体がエレンの肩に受け止められた。

「ここ寒いし、疲れたし。ちょっと休憩してこ」

 雑踏へ紛れてしまう小さな声は、酷く耳をくすぐった。

 

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