渇いた空気が車窓から吹き込む。今となっては慣れたものだが、煤けた気配を薄らと含む匂いはやはり街とは違う場所なのだと思い出させた。
いつものように社用車で走る郊外の道だが、今日の車内は少しばかり様子が違った。
「ンナ?」
「そうそう、ンナンナ」
助手席に座るエレンの膝には少し窮屈そうに収められた尻尾と、更に窮屈ながらうまいこと隙間に収まっているイアスがいる。イアスの呟きにボンプの
「あ、エレン。私も飴貰っていいかしら」
「いいけど、マンゴー味のしか無いよ」
「それがいいの。二人ともおいしそうに食べてるんだもの!」
ふーん、と気のない返事(エレン的にはおそらく普通の相槌)をしながら、後部座席から伸びてきた白い手に棒付き飴を載せる。
なんとなくバックミラーに視線をやると、稀代の歌姫ともあろうお人がひと山いくらの飴の包み紙を嬉しそうに剥いているのが見えた。何でもない所作だというのに目を惹かれてしまうのはそれがスター性というものなのだろうか。
「もしもーし。ちゃんと運転してる?」
唇に挟まれる飴を羨ましく思っていると、わざわざ耳元まで顔を寄せてくるサメ娘のもっともな叱責が耳を叩いた。
「ごめん、少し集中が切れてた」
「しっかりしてよ、ご主人サマ」
お叱りに続いて本日二本目の飴が口へ差し込まれた。ひょっとすると餌付けのつもりなのかもしれない。
しかしエレンの手管はバカにしたものではないようで、後部座席の歌姫はまさしく飴一つで嬉しそうに笑っている。
「やっぱりおいしい! 私もイヴから貰った飴をたまに舐めるけど、喉に良いものだからって変わった味のものしかくれないのよね。こういう甘いだけのって久しぶりだわ」
「アストラさんのことを慮っているんだね。さすが敏腕マネージャー兼ボディーガードだ」
「あげた後に言うのもアレなんだけど、食べ物の制限とか無いわけ? 有名人なんだし……」
「平気よ。いつもは『女帝らしい』ことが求められるけど、今日は友達と一緒の完全オフなんだから。それに」
飴をタバコのように咥えたアストラは、芸術品に等しいステージマイクを持ち上げて鏡越しにウインクしてくる。あと一秒でも見惚れていれば、後続車からのクラクションでコンサートする羽目になったかもしれない。
「これからホロウに向かうんでしょう? それなら、カロリーはむしろ摂っておかないと」
「うん、それにはさんせー」
「ンナナ、ナナ……(食べるのはいいけど、そろそろゴミ箱が包み紙で溢れちゃうよ……)」
イアスの危惧は都合よく聞き流されて、いよいよ尻尾の中へと埋もれてしまった。女性というものはきっかけさえあれば一人足りなくとも簡単に姦しくなるもので、あれよあれよと持ち込んだお菓子の品評会が開催される。
どこか覚えのある賑やかさ。しかし今回はホロウへ向かう最中だと言うのに、この緊張感の無さはどういうことなのだろうか。
四日ほど前の事。
店仕舞いの札を降ろしたRandomPlayの店内。商品陳列の棚をどかしたスペースにはテーブルが並べられ、決闘者たちが激戦を繰り広げていた。
「僕の場には既に必殺の布陣が揃っている。次がファイナルターンになるのは間違いないよ」
「ぐぬぬぬ……いや、まだだ! 俺は対戦を諦めないぜ! このドローに俺の全てを賭ける!」
「パイセンがこの場をひっくり返すには全除去でも引くしかない。だが貧乏が祟ってピン刺しで留めてるせいで、可能性としちゃあまりにも低い」
「だけどその低い可能性に賭けるから面白いんだよねぇ、ああいう瞬間は。もっとも、追い込まれるような状況にならないのが一番なんだけどさ」
僕の前のプレイマットには+1/+1カウンターが積み上げられたボンプたちが整然と並び、相対するビリーの盤面はエーテリアストークンが寂しく一つ残るだけ。彼我の戦力差は絶対的である。
しかし、その程度で諦めるなんてことは邪兎屋の一員としての矜持が許さないだろう。わざわざカードゲーム用に誂えた柔らかい指先が自慢のハンドユニットが、山札のカードを器用に挟んで大仰に腕を振る。
「俺のターン、ドロー!! そのまま強欲なボンプを発動で2枚ドロー! これで!」
「やったかパイセン!」
「ダメだったわ! 対戦ありがとうございました!」
「ありがとうございました。これでマッチ戦は2-1で僕の勝ちだ」
爽やかに手札を放おったビリーと握手を交わし、戦績表に勝ち星を書き込む。見物していた荒野のチャンプと病弱な射手が手を叩いて賑やかした。
「いやー、店長つえぇな! 本当に始めたてか?」
「もともと別のゲームを触っていたから、飲み込みが早いだけだよ。デッキだって借り物だしね」
「ウチの大将はルール覚えるところで投げちまったが、今度はルーシーでも誘ってみるか」
「そういえば課長も修行の一環とか言ってパック買ってたなぁ。副課長も子供の頃は触ってたとか」
「店長、さっきの盤面なんだがよ、カウンター載せる先をバリスタボンプじゃなくてラベジャーボンプにしてればもっと早く勝てたんじゃねえか?」
「ビリーが除去握ってるかと思って日和っちゃったんだ。防御札が無い状況でリーサルまで進めちゃうのは抵抗があるんだけど」
「けどある程度リスクは飲み込まないと、いざという時に勝ちを逃すことになる。悩ましいね」
四人で感想戦に勤しんでいると、二重の溜息が背後から投げ掛けられる。
戦績表を回収しにきたリンは微笑ましいものを見る程度の顔だが、冷え切ったエレンの顔はまるで理解に苦しむといった風だ。
遊びに来たというのに店の中で興味のないものが展開されているとなれば仕方がないかもしれない。
「学校でも休み時間にやってる男子がいるけど、何が面白いのこれ」
「仕方が無いんだ、男の子はみんなカードゲームが大好きなんだよ」
エレンの呆れきった態度に弁明するとビリー、ライト、悠真がうんうんと頷く。これが結束の力だ。
「郊外でも電気がいらない遊びは貴重だからな」
「アーケードゲームと違って目もそんなに疲れないし」
「昔のカードでもうまく売り抜けば利益が出るって親分が言ってたぜ」
歪んだ悪例は聞き流すとして。
「だからって、大の大人がわざわざ店の場所貸してやること?」
「もちろん。むしろ、大人になってからでも遊べる場所があるっていうのが重要なんだ」
ほら、と他のテーブルを示してやる。白熱した戦いを繰り広げる大人たちからは、日々のしがらみから解放された清々しさが見える。
「これが兄弟との絆のカード!! 行くぜ富轟──」
「すまんが打ち消しだ。あとアンドー、ここは現場じゃないから叫ぶのはやめてくれ……」
「オレはパエトーンではなく勝利をリスペクトする! 手札からパワー・ボン──」
「じゃあそれにチェーンで罠カードの起動ね。これで融合モンスターは場に出せないけど何かあるかしら〜?」
「ありません。投了です。お疲れ様でした」
言うほど白熱してるだろうか? まぁ妨害一枚メタ一枚で機能不全になるのもカードゲームの華だ。気にしてはいけない。
「ふーん。で、本音は?」
「場所代は割とおいしいし、これを機会に映画化されてる関連作を借りていってくれればいいなぁって」
溜め息を吐かれようが構うものか。商売とはそういうものだ。
なお今回の場所代は甘いもの好きの熊さんことベンさん経由で白祇重工の交遊費から出ている。会社のオリエンテーションとして試験しているらしい。導入達成を願うばかりだ。
「ヴィクトリア家政でやってる人はいないの?」
「全然。そんなの業務内容にあるわけないじゃん」
「そうなんだ。ライカンさんは頼んだら懐からデッキ出してくれそうだけど」
「リンはどうなの。お兄ちゃんがアレだからおんなじ感じ?」
「アレなんて言わないで欲しいな」
「私はお兄ちゃんと付き合うくらいで、アレくらいの熱意はないかな」
「アレ扱いはやめてくれないかな」
カードやってる人間が変人みたいな言い振りじゃないか。
「おっと、忘れるところだった。店長、少しいいか。副業についてなんだが」
デッキを片付けて今度は悠真に席を譲ると、ライトさんが声を潜めて囁く。
プロキシとしての業務で何かあるらしい。リンに他の案内を任せて工房の方へと案内する。
「ひと月ほど前、郊外のホロウでやってもらったエーテリアス駆除なんだが、今度はデカブツがうろつき始めてな。また駆除の依頼と、ついでキャロットの作成も頼めないかと大将から言付かってる」
「問題無いよ。うちはアフターケアも万全だ」
「助かる。それで、エージェントなんだが……」
「カリュドーンの子は確か、新入りが来るせいで忙しいんだろう? 心配ないさ、前の調査でも一人で大活躍した頼りになるエージェントがいるから」
退屈そうにしていたエレンを呼んで事情を伝えると、二つ返事で了承を貰えた。
即座にソファでだらけるメイドの姿にライトさんは意外そうな顔をするが、不足は無いと判断したのか頷いている。
「学校休めないから、週末でいいなら」
「分かった、じゃあ今週末に郊外へ行こうか。朝に迎えへいくよ」
「前の日に泊まるからいい」
後は報酬回りの話でも、とエレンの隣に座ろうとしたその時。バァン、と軽快な音ともに工房の扉が開け放たれた。
「話は聞かせてもらったわ! ……あ、ごめんなさい。大丈夫だった?」
即座に身構えたライトさんとエレンをよそに、闖入者は堂々と豊満な胸を張ったかと思えば、転がされた
サングラスを掛けるというかんぺきな変装を施されたその姿は、先ほどカード大会でも参加していたものでもある。
「あー……選手名デタラメチャーハンさん? どうしたんだい?」
「郊外に行くんでしょう? 私も連れて行ってもらえないかしら」
一応気を使って選手名で呼びかけたものの、即座に外されたサングラスに配慮が砕け散る。何もかも諦めたような表情のリンが工房の扉を閉めてくれたのが救いだ。
いま最も熱いと言っていい曝け出されたご尊顔に、さしものエレンも尻尾を立てて反応した。
「あれ、あんた……」
「久しぶりね、エレン! 元気だった?」
ボンプを座らせたデタラメチャーハン……もといアストラ・ヤオは、今度はエレンへと狙いを定めた。子供のように駆け寄ったかと思えば、抱き着いて撫で回すのだからコミュニケーション強者はおそろしい。
エレンが嫌がりやしないか心配だったが、その予想とは裏腹に尻尾の先まで大人しい。ヒレを触らせようとはしていないが、殆ど無抵抗だった。
「アストラさん、これは遊びの予定じゃないんだ。相応に危険が伴うよ」
「エレンが一緒なら安心よ。一緒にホロウのボディガードしてもらったこともあるんだから」
笑い掛けるアストラさんに、エレンは唯々諾々と頷きで返す。エレンが借りてきたサメのようになるなんて、なかなか珍しい反応だ。
「エレンとアストラさんで繋がりがあるとは。……ああ、そうか。ヴィクトリア家政って本来は超セレブ御用達だものな」
「そうよ。私、これでもセレブだもの」
えへん! と声まで出して自己主張される。実際、新エリー都で十の指に入る資産は持っていそうだ。一番の資産と言えば本人になってしまうのだろうが。
「あとは、イヴリンさんが許してくれるかどうか」
「そっちも平気。もともと今週末はあなたと遊びに行きたいから空けてもらっていたの。イヴにもたまには休んでって言ってあるから、どこへ行こうが大丈夫よ」
知らない予定を組まされそうになっていたのはともかく。イヴリンさんの事だから、休んでと言われようが陰ながら見守るに違いない。後でスケジュールを伝えておこう。
「ちなみに、郊外へ行きたいっていう目的は?」
「インスピレーションのため!」
「歌詞の締切からの逃避と翻訳しても?」
星を湛えたような瞳が濁りながらも逸らされた。そういうことらしい。
理由はどうあれ、どうやら決意は固いらしい。頷いておかないと進行しないようなので、両手を上げつつ了承を伝える。
「分かった。正直、アストラさんの助けがあればかなり楽になるし、お願いしよう。エレンもそれでいいかい?」
「まぁ、だいじょぶ」
「二人ともありがと! 週末が楽しみだわ!」
ひとしきりエレンを抱き締めて頭を撫で尽くしたアストラさんは、ご機嫌なまま店を後にした。
嵐のような一幕を静観していたライトさんは、迷惑料として差し出したニトロフューエルを飲みながら薄く笑う。
「あれが新エリー都の女王様か。てっきり鉄面皮の姫君かと思っていたが、中身はルーシーにも負けず劣らずのじゃじゃ馬のようだな」
「そこまで荒くれはしてない……と思うけど。奔放なところは似てるかもね」
案外、アストラさんも郊外で生活するようになれば同じように鞭を振るうようになるのだろうか? バットの代わりにスタンドマイクを振り回す姿をぼんやりと思い浮かべ、頭を振って幻想を追い払う。
「それにしても、顔見知りとはいえエレンがああも押されっぱなしなんて。流石に彼女相手には緊張したかい?」
「別に、嫌な感じじゃなかったから。それに、色々教えてもらったし」
「色々って?」
歌でも教えてもらったのだろうか。問い掛けに答えることなく、エレンは工房のソファを占領し続けた。
MtGと遊戯王しか知らない。
後編に続く。