状態異常シャーク   作:すばみずる

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激戦試練末路-1階に恨みを込めて。


コロージョンシャーク

 天性の身体能力を持つサメでメイドなシリオンと、墜落するスターループを押し返した伊達じゃない歌姫。

 見目麗しいのは当然として、ホロウ調査員の荒事担当としてこれほど頼りになる二人はいない。前衛後衛と隙のない彼女たちを前に、並のエーテリアスが敵うはずもない。

 ホロウ調査を早々に終えてキャロットのデータを精査する間、またぞろチートピアで打ち上げでも行うか、あるいはインスピレーションを求めて走り屋の後部シートに乗せてもらうか。ブレイズウッドに限らず、郊外の大自然を観光するのだって悪くない。共生ホロウが点在する景色だって、遠くに見る分には見映えだけは良い。 

 そういう、仕事終わりに何をしようかと悩む楽しみの一つや二つ、エレンとアストラさんも思い浮かべていたはずだ。仕事をやる分は何の支障もない他愛も無い話。二人が何を望むのか分からないが、折角遠出するならと期待することなんて色々出てくるものだろう。

 かと言って、それのせいで浮足立ち手順を一つ飛ばすとか、微細な違和感を無視するとか、使い回されたシナリオフックにありがちなケアレスミスを起こすほど意識が低い者はここにいない。

 

『退避退避退避! ここで相手したらダメだ! 僕らよりも場所が保たない!』

「歌えればどこでもって言いたいけど、観客三人で埋まっちゃうのはキャパ少ないにも限度があるわねぇ」

「プロキシ、抱えるから方向だけ教えて。ボンプの足じゃ振り切れないよ」

 

 つまり、こうして叫びながら走る羽目になっているのは誰のせいというわけでもない。やはりホロウとは人知の想定に納まるものじゃないということか、あるいは不測の事態の予測しろと骨身に染みさせなければならないか。

 

 侵蝕の激しい、エーテル結晶で塞がりつつある石油プラント施設の廊下を僕たちは駆け抜ける。最初はイアスが先導していたものの、すぐにエレンの小脇に収まることになったのは背後の破砕音のせいだ。

 近付くもの全てを挽き潰す歪な解体者。筋骨隆々のエーテリアス三体が、狭苦しい廊下のあらゆる障害を無視して二人とボンプ一機へ狙いを定めていた。

 

『間違いない、デッドエンドホロウにいたエーテリアスと同種だ。発生したてだからかもう少し小柄だけど、破壊力に見劣りはないね』

「あら、随分詳しいのねアキラ。もしかして知り合い?」

『ああ、列車を包装紙にしたたっぷりの爆薬をプレゼントするくらいには仲良しだったよ』

 

 壁床天井がいくら壊れようとも、三体のブッチャーは勢い衰えぬまま迫ってくる。むしろ建造物だった部分が破砕されるたび、罅割れをエーテル結晶が飛沫のように覆い尽くしてエーテリアスのための空間に変貌を遂げつつある。

 

『建材への侵蝕が破壊されることで激化してるのか? このままじゃ建物の倒壊よりも先に結晶に埋もれかねないぞ』

「ていうか、もうヤバいかも──ねッ!」

 

 剪定鋏の切っ先が、壁から突き出る結晶物を叩き壊す。勢いそのままに蹴り出される鋏が道を切り開いていく様子を、アストラさんは呑気に手を叩いて称賛していた。

 

「庭仕事も様になるわね。エレン、頑張れ~」

「……別にいいけど、そっちのマイクじゃ殴れないの?」

「私がそういうのやるなら歌わなきゃいけないんだけど、足が止まっちゃうから。走りながら戦うのは十八番(おはこ)でしょう?」

「あっそ。それじゃこれ預かって」

『投げるのは勘弁してくれ!』

 

 制止が間に合わず投げ渡されるイアスの体がアストラさんの胸に収まる。受け止められた柔らかさは突然の加速度に若干相殺されいや今は緊急時緊急時。

 

「それじゃあお返しにコレ持ってて。歌の中継機に使えるから、離れていても助けられるわ」

 

 頭を振って邪念を払うボンプをよそに、代わりに小型の協律コアを受け取ったサメの刃は旋風のように周囲を切り刻みながら突き進む。台風一過の後を軽やかに走る歌姫と、その後方をなおもブッチャーたちが突進する。

 

『左の壁だエレン! そこに裂け目がある!』

 

 先導するエレンに指示すると、バリケードのように連なる結晶を正確に突き破った。エーテルの潮流を調整してやれば、人ひとりが侵入するには十分な空間の裂け目が姿を現す。

 一足先にエレンが飛び込み、くるりと回るアストラさんと抱かれたままのイアスも続く。

 迷宮のようなホロウでも、観測と測定さえ正確なら空間に出来た不安定な裂け目もそこらの道と変わらない。裂け目の安定化を解いてやれば、生息するエーテリアスをも遮断出来る緊急脱出口になり得る。破壊の鳴動から一時でも離れる事が出来て、ようやく息を整えられた。

 

「とりあえず逃げられたみたいだけど、さっきの大きいのを倒すのが依頼なんでしょう? 休憩が終わったら、またここを戻るの?」

『いや、激突するなら場所を選ぼう。今いる管制室のすぐ下は資材置き場だった場所だ。そこなら広くて戦いやすいはず』

「それなら早く行こ。ここもなんか、集まってきてるし」

 

 言うが早いか剪定鋏がぐるりと回り、金属の衝突音とエーテルの粒子が弾ける。飛来した礫のような侵蝕物質をエレンの鋏が叩き落とした音だ。

 遅れてイアスのセンサーを起動させると、周囲の壁から花のような形状のエーテリアスが這い出ている事に気付く。多くはないものの、既に膨らんで発射態勢前であることは明らかだった。

 

『すまない、fairyのアラートを発報し損ねていた。相手はアルラウネのみ、数は三』

「上等!」

 

 姿勢を低くしたメイド姿がぶれ、開花寸前の蕾へと痛烈に尾が叩き込まれる。その軌跡を辿るよう歌姫のステージマイクから放たれた波動がエーテリアスの核を射抜き、たちまち一体が塵と化した。 

 残った花弁から放たれる弾丸がエレンを狙う。だが多少追尾をしたところで、狩りの為に駆けるサメを捉えられるものではない。怯えたように逃げる四足はあっさり断ち切られ、踏み潰された花弁が床を汚して消え去る。

 

「残りは?」

「外に行ったわ!」

『進行ルート上でもある。エレンはアレを追い掛けて、下で戦ってくれ。アストラさんは上から援護を。僕は管制室のカメラと機材を使って仕掛けを用意する──』

 

 作戦の要点だけを共有して、逃げ出したエーテリアスをエレンに追わせる。

 外部の階段を律儀に下るエーテリアスに対して、手すりに足を乗せたエレンは殆ど身投げのような恰好で飛び出していく。管制室のモニタから行先のカメラ映像を確認すると、階段を降り切って呑気していたエーテリアスを鋏の刃で貫きながら軽々着地を決めていた。四階建てビルに相当する高低差だが、エレンにとっては欠伸を忘れる程度の迫力も無いらしい。

 

「彼女って芸能界とか興味ないかしら。あのアクション力ってすっごくウケると思うんだけど」

『同感だけど、エレンがみんなの人気者している姿が想像出来ないな』

「クールでかわいくてメイドでサメなんて売れっ子間違いなしなのに。もったいない」

 

 管制室から飛び降りた先は、決戦場と目していた資材置き場だ。ホロウに飲み込まれる前まで使われていただろう対侵蝕加工が施されたコンテナや燃料缶が放棄されているものの、殆どが機能を失い歪なオブジェとなっている。段ボール大の結晶を積んでは下してを繰り返しているティルヴィングに分類されるエーテリアスは、おそらく作業員が異化した姿なのだろう。知能構造体が元となったエーテリアスは、とうに空となっている車のバッテリーに噛り付くような素振りも見せている。

 一見すると間抜けな生態だが、本性は生物に対して果てない攻撃性を見せる異形たち。その中心へ降りたエレンは、エーテリアスたちからの殺意を一身に受けることとなる。エーテリアスが活性化している空間ということは、それだけ侵蝕のリスクも大きい。そもそも単身で飛び込ませるというプロキシの判断だって、傍から見れば捨て駒かと侮蔑されてもおかしくない。

 だが、サメの少女は悉くを意に介さず、取り出した飴を咥えて一言。

 

「どれくらいやってればいい?」

『三分……、いや、早いな。二分でさっきの大物たちがここに来るはずだ。そこから一分後に合図を送る。君が戻り次第、奴らを一網打尽だ』

「それまで引き付けておけってことね、りょーかい。でも」

 

 鬨の声の代わりとなったのは、凍てつく冷気を纏った選定鋏がエーテリアスの腕を切り落とした音だった。

 

「待ってる間、こいつらはみんな倒しておいていいんでしょ?」

 

 戦闘用ボンプの補助も、エージェントに味方するレゾブレムも、ホワイトスター学会が作り出した武装もない。エレンを味方していたのは、戦場に透き通る歌声のみ。

 アストラ・ヤオがステージ、ホロウを問わず愛用するマイク「ヘミオラ」が、戦いの楽曲をホロウの四方へと鳴り渡らせる。エーテルと反応する特殊な歌声、その周波数を強化させるCDはエージェントが扱う特殊なドライバディスクとは異なり、彼女のステージを作り上げるために奏でられるだけの、特別な力を持たない音楽。協律コアはアストラさんの純粋な声にのみ反応し、託されたエレンへ更なる力を与えて昇華させていく。

 アルラウネやマンドレイクが散発的に打ち込む汚染の礫も、歌姫の声は害する一切の侵入を許さない。あらゆる雑音を遮断する障壁を前に、一小節たりとも途切れなかった。

 半面、その効果距離は極めて短く、彼女一人を守るのみ。脚に縋り付けばボンプがギリギリ入るかどうか。管制室から遠く離れているエレンまではとても届かない。

 もっとも、疾走するエレンを狙えるエーテリアスなどざらにいないのだから、無用の心配なのだが。

 

「ハイハイ、一か所に集まって──」

 

 巧みな投擲と身体のバネを十全に生かした体術が、小型のエーテリアスたちを掃き掃除のように戦場中央へと集め続ける。稼働し続ける音動機は走る足跡に霜すら降ろし、刃が鳴るたび雹を散らす氷の刃を作り上げていた。

 刻み込まれる極低温に耐えきれなくなったエーテリアスが一体、また一体と凍りつき固まっていく。

 

「凍っちゃえば楽勝。あと適当に砕いといて」

「後始末に歌うなんて、ちょっと豪華すぎないかしら」

 

 そうやって零す溜め息ですら、エーテルの波動となって彫像紛いのエーテリアスを砕いてみせるのだから凄まじい。

 そうして片付けられていけば、いくら頭の代わりに孔を冠するエーテリアスでも反射とは違う反応を見せる。エレンから距離を取り、中距離からエーテル物質を飛ばそうと身構え始めた。

 しょせんは脳無しの浅知恵と、狩猟するサメは再び身を屈めようとする。しかし管制室の監視カメラ映像には、音楽へ集められてくる存在の残像を早々に捉えていた。

 

『三十秒早い! 来たぞ!』

 

 管制室から見て対面の建造物、その壁面に罅が入る寸でのところで静止が間に合い、エレンが飛び退く事が出来た。罅割れから滲み出るエーテル結晶の屹立は地響きと同様に激しく、建物全体を揺らす衝撃と共に巨大になっていく。

 周囲のエーテリアスさえ怯えを見せる衝撃音が響いて七度目。結晶の根本が砕け散り、先ほどぶりの巨体、ブッチャー三体が揃って姿を見せた。建物の亀裂からは、極彩色に輝く液体が溢れ出してきている。

 

「オエ……これ、原油ってやつ? 石油だっけ? くっさ」

『歌声に釣られる間、一直線に向かってきたのか。どこかで貯蔵施設を壊したな』

 

 粘度の高い液体はとめどなく溢れていき、たちまち資材置き場の床面を覆い尽くしていく。鼻腔から頭蓋の内側を擦るような不快感をもたらす悪臭はビルにして4階上の管制室にまで届いてきた。

 こちらが臭いに怯もうとも、鼻の無いエーテリアスたちには関係がない。むしろ汚染された化石燃料に触れたせいか、ブッチャーは当然、小型のエーテリアスも活性化してきている。エーテル物質の弾が目に見えて多く飛び交うようになっていた。

 たとえ剪定鋏の一振りで打ち払える程度のものだとしても、積み重なれば判断力を確実に削ってしまう。守りを解いた瞬間に撃ち込まれれば、そこから崩されかねない。

 歌声がエレンを賦活させてようやく今の均衡は保たれている。何か一つでも綻べば、形勢は即座に変わってしまうだろう。

 

「あーもう、しつこい!」

 

 ブッチャーたちも本格的に参戦し始め、いよいよ場が混迷極まった。揃いも揃って鉄骨や電柱、瓦礫の塊を長柄の凶器のように持ち出し、競い合うようにエレンへと振り回し続ける。

 その余波で小型のエーテリアスたちもふっ飛ばされているものの、破断面から汚染された石油を取り込んでいるのか即座に体を再構成しているのが確認出来る。巻き込む事を恐れない、そも味方意識があるのかも分からない怪物らしい在り様が今はとても厄介だ。

 対照的に、走る戦闘を主とするエレンは侵蝕された石油が足元を覆っているせいで動きを封じ込められてしまっている。足を動かすたびに消耗を強いる今の環境は、身体能力と引き換えに劣悪な燃費となっている彼女にとって無視出来るものでない。高いエーテル適正があったところで汚染物質に触れ続けるのはリスクが大きい。

 

「プロキシ? まだ掛かりそう?」

『あと少しだ……まずい、大きい攻撃が来る! 逃げてくれエレン!』

「冗談、こんなの全然──」

 

 ブッチャーが筋肉を盛り上げるほど力を溜めて放たれる一撃。たかがひしゃげた鉄骨の大振り。見え見えの攻撃に過ぎない。しかし避けようとする足が石油のせいで踏ん張りが利かず、エレンの動きが止まってしまう。

 シリオンの膂力であれば受け止めるのは難しくとも弾く事なら可能と判断したのか、攻撃から守備のために鋏が持ち替えられ衝撃に備える。

 

「──やばっ」

 

 エレンがそれを失策と気付くと同時に、巨体に伴う孔が確かに震えた。

 その蠢きはもしかすると、エーテリアスなりの笑いだったのかもしれない。

 打ち下ろされる鉄骨を、確かにエレンは弾くことが出来た。弾いた衝撃で僅かにエレンの体勢が崩されるのも想定のうち。いつもならその崩れた姿勢すら次の攻撃への布石とする程度の僅かな時間のはずだった。

 鉄骨のブッチャーの背後。もう一体のブッチャーが、手に持った電柱を振りかぶる。警告の閃光は役に立たない。如何に優れた身体能力を有していても、動かす事が出来なければ肉塊と同じ。

 仲間意識諸共潰す横薙ぎが、少女の身体を浮かせた。異常な色彩を帯びた海をサメの尾が横切り、受け止めるエーテル結晶が鈍い音を立てて崩れ落ちる。

 

「ダメよ、アキラ」

 

 管制室のコンソールを操作していたイアスの体が外へ飛び出しかけたのを、ひどく冷静な叱咤が止めた。

 

「あそこはエレンのステージ。私とあなたはバックコーラス。出しゃばったらダメ」

 

 その通りだ。いまボンプの一体が出ていったところで何になる。何の役に立たない、足を引っ張るだけだ。

 それでも、と吐き出そうとする口を積み上げる理屈で塞ぐ。どうしても、と懇願する想いをへし折る。この程度で動じてどうするのか。分かっている。なのに。どうして。

 

『マスター。イアスの離席で処理が遅れています。お早くお戻りください』

 

 道理しかないAIの言葉を重石に、煮えていた思考の温度を無理矢理下げる。

 呼吸。エーテル循環ポンプの鳴動。

 指を弾く。顔部モニタが明滅する。

 羞恥が焼いた頬を撫でる。論理コアの唸りに頭を任せる。

 同期する体の主従が逆転し、機械の沈着がようやく感情を鎮めさせた。

 

『ありがとう、アストラさん。頭が冷えた』

「どういたしまして」

 

 コンソールに戻ったイアスに向けられたのは、ホロウの只中とは思えないほど柔らかな笑みだった。未だ肉の体が主だと思っていれば、高鳴る心臓にまた邪魔されたかもしれない。少々イアスの視覚機能が全力で稼働するが問題ない。

 

「それに、ほら。ほんとに心配なんていらないかも。タフねぇ、あの子」

 

 示された資材置き場を映すモニタには 地面に突き立てた剪定鋏を支えに立ち上がるエレンの姿があった。汚れた虹を身体に被り、服の端々が破けている姿は痛々しいが、その素振りは怪我を押している風ではない。

 そういう余裕の素振りがあるとも知れない矜持に触れたのか、電柱を持ったブッチャーが再び猛る。四肢に力を貯めるそれは、飛び掛かった先を蹂躙する為のもの。受けに回ってしまえば劣勢は避けられない。足回りに不安があるなか、走ったところで振り切る速度が出せるかどうか。

 

「アキラに偉そうなこと言った手前、私も頑張らないとね」

 

 アストラさんの呟きと共に、ヘミオラに装填されていたディスクが廻る。高まったテンション(デシベル値)を受け止めるのに相応しい、己の楽曲を収録したものから彼女がもっとも尊敬するアーティスト、ヨラン・デヴィンターのものへ。

 

「この歌を世界に──いいえ。あなたに捧げるわ、エレン」

 

 高らかな宣言と共に、幻想のソナタが始まる。

 空気だけでなく、エーテルすらも媒介として震えた。周囲のエーテル結晶も、変質の燐光を帯びた地面も、エーテリアスでさえも。それらを構成するエーテルが、駆り立てるように共鳴が連鎖して奏でられていく。

 バックコーラスとは何のことだったのか。戦場どころかこのホロウにおける全ての中心であるかのように、アストラ・ヤオは天上の唄を轟かせた。

 資材置き場にいたエーテリアスたちにも、石油の湖面を震わせながら伝播していった。まるで罪科を清められたように一匹、また一匹と弾けて消え去っていく中、それでもブッチャーたちの動きを止めるには至らない。

 鉄骨のブッチャーは隠されていたもう一対の腕を解き放ち、新たな暴力へ唸りを上げる。瓦礫を担いだブッチャーは響く歌を煩わしいのか矢鱈に周囲を打ち据えて、身を護るようにエーテル結晶を隆起させている。

 そして力を溜めていた電柱のブッチャーが、エレンへと飛び掛かった。

 ガギン、と。嚙み締めた歯が砕けたような異音。咄嗟に手を当てた顎は無事だ。

 戦場を見る。電柱はエレンへと突き立てられているものの、決して到達せず空中で静止している。

 アストラ・ヤオ最高のコンディションで歌われた幻想のソナタは、協律コアを介して彼女が纏う守護を授ける。

 

「お返し」

 

 理屈を知っていようがいまいが、決定的な隙をエレンは逃さない。鋏が鳴る。鮫頭の音動機が唸り、冷気の刃を纏う鋏が血を求めるように紅い光を妖しく漏らす。

 心身共に凍り付かせる気配にブッチャーが後ずさる。だが、サメの顎から逃れるにはあまりにも遅い。

 電柱を握る拳ごと、ブッチャーの腕が切り落とされる。凍り付く腕は汚染された石油に触れても活性化しないようで、落ちた衝撃そのままに砕けて粒子となって消えていった。

 だが、いくら腕を失わせても未だに数の優位はエーテリアスにある。四つ腕に変貌した姿も、結晶に避難し気を窺うものも控えた状態。今この瞬間は優位でも、先程のような差し込み方をされてしまえば破綻は目に見えている。

 その時、イアスの電子モニタに割り込み表示が点灯する。

 

『マスター。周辺施設の掌握を完了しました。fairyを讃える場合は1を、ゴミ掃除の連絡には2を、fairyを称賛しながらゴミ掃除をする場合は3を押してください』

 

 自己顕示欲の強い電子の精霊が、待ち望んだ通知を出してくれた。音声を聞いたアストラさんは呼ぶまでもなく親指を立て応じてくれる。マイクを持ち替えエーテルの弾を撃ち出すのを止め、マイクを揺らす姿は杖先を回す魔法使いのようだ。

 

「エレン、乗って!」

 

 声敏エーテル物質の力が最大限引き出されるヒットチャート。エレンと共にあった協律コアが胸元から飛び出し、宙を舞い始める。

 かつて新年を祝った日、イアスを灯台へと運んだものより小型の足場が、今度はエレンをアストラさんの元へと運ぶ。

 が、エレンが足を掛けた時点で浮くどころか、徐々に沈み始めてしまう。

 

「んー、さすがに人間ひとり運ぶのはサビの盛り上がりでも厳しいみたいね。それともエレン、あなた年の瀬にお餅を食べ過ぎたとか──」

『呑気な考察をしてる場合じゃあないと思うけど』

 

 作られる浮力がこれくらいで耐えられる衝撃と重さがーとメイドの秘密に関わる暗算を始める歌姫をよそに、エレンは即座に最適解を導き出した。

 水面に足を乗せて沈むなら、沈む前にもう一方の足を出せばいいと言うように。乗った協律コアが浮力を失う前に、両脚と尻尾を叩き付けるように跳ね上がった。

 高く飛び上がったエレンを、アストラさんが抱きしめて管制室へ迎え入れる。

 

「なんかさっき重いとか言ってなかった?」

「重いなんて言ってないわよ! 気のせい気のせい!」

 

 言及を求める鋭い視線を無視して、アシスタントの期待通りに3のキーを押す。耳障りな音を各所で鳴らしながら動き出すのは放棄されていた作業機械たちだ。抗エーテル仕様がうまく働いていたのと、破壊が条件で侵蝕が進むこのホロウ内の特異な条件が噛み合っていたのか、操作権限すら掌握出来れば動作する程度のものが数多く残っていた。

 作業機械のアームたちはパン屋のトングのように開閉し始め、活動を開始する。ブッチャーたちが飛び出していくエレンを追い掛けようとするよりも早く、放棄された資材を次々と放り込むために。

 瓦礫をぶつける程度ではエーテリアスに痛痒も与えらえないのは承知の上だ。せいぜいが足止めか囮程度。だが、本命はそちらではない。

 

『マスター。汚染の軽微な保管庫を複数発見。当施設の管理に感謝しつつ、追加燃料の投下を開始します』

 

 ホロウにある化石燃料の類はエーテルの侵蝕を受けやすい。だが、全てではない。カタログスペックを正しく発揮した数少ない対汚染タンクたちの中に、まだ正常な燃料も残されていたのは僥倖だった。汚染された燃料を増やしてしまえばエーテリアスたちへ更なる活性を与えかねない。

 fairyの制御下にある作業機械たちが、施設に点在するまともなタンクを次々にリレーして運び込む。その間にも投げ込まれる瓦礫がエーテリアスの動きを制限する。

 

『いらついたエーテリアスがタンクを破砕し、燃料が飛散するタイミングをお伝えします。マスター、火種の準備は出来ておりますか?』

『もちろん。エレン、アストラさん、裂け目をくぐる準備を』

 

 イアスの収納ポケットから、折り畳み式のナイフを取り出す。刃先の少し欠けたそれは武器には不適格だが、高熱を伴うギミックこそ今は求められているもの。アストラさんが目敏く気付き、少し驚いたように口を開ける。

 

『3、2、1、どうぞ』

 

 囁かれる妖精の合図に従い、ただ投げ込むだけの拙い投擲。赤熱した刃が弧を描き、燃料の海へと落ちていく。

 

『くたばれ化け物、なんて』

 

 空間の裂け目に飛び込む瞬間に見えたのは、火柱に巻き上げられる粉々のエーテリアスたちだった。

 

 

 ◆

 

 

「ええーっ! 流れ星が有名って聞いてたのに、お泊りしないの?」

 

 不満げなアストラさんの声に、微睡んでいたイアスがピクリと耳を立てる。

 夕焼けが照らすホロウは徐々に縮小傾向にあるものの、消失には至らないだろう。派手に吹き飛ばした顛末の報告とキャロットのデータの測定にはまだまだ時間が掛かる。

 そのため、荒野の只中に止めた社用車の貨物部分では広げられたPCが処理を続いていた。先にブレイズウッドへ戻る事も考えたが、ホロウを観測するなら間近である事に越したことはない。

 それらが終わり次第、仕事終わりの一席を設けて新エリー都に帰ろうと提案したところ、アストラさんは露骨に口を尖らせてしまった。

 

「せっかく皆ともっとお喋り出来ると思って、パジャマだって用意したのに。ほら、エレンとお揃いのサメのやつ! アキラの分もあるのよ!」

「やけに荷物が多かったのはそれだったのか……」

 

 じゃん、と起毛のサメを見せびらかされても、アイドルと夜の密会(パジャマパーティー)なんて心臓がいくつあっても足りなくなるから自重して欲しい。

 

「流れ星が見えるのは夜がだいぶ更けてからになる。それだけ待ってると、戻る時間が遅くなってしまうよ」

「平気だってば! 明け方にこっそり事務所のトレーニング室で仮眠していれば、イヴに気付かれることなんて──」

「成程。トレーニング室には入室ログが残るよう、来週の会議で改装の提案を出しておこう」

 

 玲瓏とした声に射抜かれて、アストラさんが動きを止める。ホロウの中でも汗ひとつかいていなかった彼女の頬に一筋光が走る。

 アストラ・ヤオがあるところには彼女ありとアストラーズでも絶大な人気を誇る無敵のボディガード兼敏腕マネージャー、イヴリン・シェヴァリエ。珍しくジャケットに袖を通した姿は、荒野の走り屋にも劣らない風格を帯びていた。

 

「イヴ!? どうしてここに、っていうかお休みしてって言ってたのになんで?」

「ああ。マネージャーとしての業務は休ませてもらっている。今は護衛として働いているだけだ、問題ない」

「そんなの詭弁よ!」

 

 主従関係で言えば間違いなく主であるはずのアストラさんはキャンキャン吠えるものの、イヴリンさんは忠犬この通りと毅然とした態度を崩さない。

 

「イヴリンさん、近くにいる気はしていたけど、どうやってここまで来たんだい?」

「バイクだ。私一人ならあれが一番速い」

 

 彼女が示した先には、女性が乗るには大排気量のきらいがあるバイクが鎮座していた。

 仕事の一環とはいえ郊外で大型バイクを飛ばしてくるなんて、意外とモーターサイクルにも明るいのかもしれない。

 しかし、イヴリンさんの表情はひとっ走りした後の爽快感とは無縁の、いつもの澄ました表情だ。すなわち、いくらアストラさんが猫撫で声をあげようとも一切ブレないといういつもの状態。

 

「ねーぇ、イヴ? それじゃあ、貴方も一緒にパジャマ──」

「ダメだ。そもそも作詞の締切をいつに設定していたのか、お嬢様は忘れておられないか? 徹夜が必要とまでは言わないが、草稿程度は明日の昼には相手方の手に届けておかないとまずいぞ」

 

 ぐうの音を出ず撃沈する歌姫。そのあまりに落ち込みっぷりに、休業中のマネージャーの口から溜息が漏れる。

 

「……この後の食事会まではキャンセルする必要はない。そこで語らえばいいだろう」

「ほんと!?」

「ああ。ただ、明日は朝からノンストップのスケジュールだから覚悟するように」

 

 忠告まで聞こえているのか怪しい様子のアストラさんは、イヴリンさんに抱き着いて感謝を示し続けている。眼福。

 そんな主人を適当にあしらいつつ、イヴリンの視線はこちらに向けられた。

 

「『パエトーン』、今日一日、お嬢様のエスコートをありがとう」

「気晴らしになったのなら幸いだよ。アストラさんにはかなり助けてもらってしまったし。ああ、座ったままで申し訳ない」

「疲れているだろう、構わない」

 

 貨物台に腰掛けたまま握手を交わす。律儀な人だ。こういう人が振り回されていると思うと不憫に感じる。

 

「イヴリンさん。じつは一つ、謝っておかないといけないことがあって」

「なんだ? 食事のスケジュールを立てていた事なら特に問題はないが」

「貰っていた貴方のナイフ、色々あってあれをホロウで火種代わりに使ったんだけど、爆発に巻き込まれてしまって……」

 

 怪訝な顔をしたイヴリンさんは暫く考え込んだのち、ああ、と手を打つ。

 

「問題ない。元々廃棄するつもりだったものだからな。あれは最後に役に立ったのなら何よりだが」

「それでも、イヴリンさんから貰ったものだったから」

「うん……それなら今度、改めて君に送るためのナイフを探そう。時間が空いた時に、またルミナスクエアで会うのはどうだ?」

「別にナイフに拘っているわけじゃないけどな。ありがとう、楽しみにしてるよ」

「イヴ! このバイクって私も乗って大丈夫? 貴方の後ろに座りたいのだけど」

 

 いつの間にか離れていたアストラさんが、イヴリンさんが乗ってきた大型バイクに跨って大きな声で呼んでくる。格好こそぎこちないが、抜群のスタイルは如何なるポーズでも様になる。

 

「それは、構わないが。お嬢様は来た時のように車の方がいいのでは?」

「えーっとね……そう! 先にお疲れ様会の準備をしたくって! ご飯を食べるくらいの時間はあるって言っても、時は金なりよ。アキラが働いている間に、準備しておこうと思って」

 

 唐突な思いつきにしか見えないが、別に悪いものでもない。流石に荒野とホロウしか無い場所では飽きてしまっただろうか。

 

「そういうことらしいが、我々が抜けても大丈夫だろうか?」

「エレンもいるから心配無い。あと一時間もすれば作業も終わる筈だから、ブレイズウッドのチートピアで落ち合おう。あそこなら僕の名前を出してくれれば、厨房までフリーパスだよ」

「……君がそう言うなら、了解した」

 

 決定さえすればイヴリンさんの準備は早い。寒くないようアストラさんの身なりを整えさせたり(ジャケットを着せようとしていたが、イヴリンさんがノースリーブになってしまうからとアストラさんは固辞していた)、ヘミオラを上手いことバイクに括り付けたりと、突発的な問題でも流石の手際だ。アストラさんの衣装に似合う深紅の手袋とヘルメットを用意しているのは読みが良いのか慣れなのか。

 

「じゃ、あとでね、アキラ。それと」

 

 アストラさんが耳元へ顔を寄せてくる。ヘルメットを被ったままのせいか、どことなく威圧されてしまう。

 

「エレンにもっと、優しくしてあげてね」

 

 唐突な言葉の鈍器に聞き返す事も出来ず、バイクに飛び乗る歌姫をただ見送る。

 イヴリンさんは軽く手を振り、アストラさんは間延びする別れの言葉を赤方偏移させながら遠ざかっていった。

 

「……分かってはいるけど、さ」

 

 頭を撫でつつ、ひとりごちる。優しくしてあげて。もっともな言葉だ。パエトーンには重い過ぎる言葉でもある。

 学生ひとりを頼りにして、敵の只中に向かわせて、肝心な時に助ける事も出来ない非力さ。ああ、優しくするべきだろう。これが当然と思っていてはいけない。

 

「あのさ」

 

 毛布の下から聞こえるくぐもった声に、心臓が跳ねる。めくってみれば、エレンが片目を開けて見上げてきていた。

 

「起こしちゃったか。アストラさんは先にブレイズウッドに行ったよ。データ処理が終わったら僕らも向かおう」

「そうじゃなくて」

 

 短い言葉に焦れた色を隠さない。

 

「なんでアキラが、あたしを膝に乗せてるの」

 

 腰をぺちんと叩くひれは、いつもほどの力はない。やはり疲れているのだろうか。

 ホロウから抜け出てすぐに、エレンはいつもの突発的な睡眠をやり始めた。慌てたアストラさんに事情を説明して着替えを頼んだ後、作業をしていた膝の上に何故か載せられてしまったのだ。そこから降ろそうとしなかったのは、膝小僧より高く踝より低い理由があったような気がするがよく覚えていない。

 

「車に毛布を一枚しか積んでいなくてね。こうすれば、二人が収まるだろう?」

「そうだけど……そうじゃなくて」

 

 エレンの身動ぎが足へと直に伝わる。右へ左へ体を揺すっているのは抜け出したいのか落ち着く位置を探しているのか。

 

「その、ほら」

「うん」

「あたし、仕事してきて」

「ああ。お疲れ様」

 

 優しくしてあげて、とアストラさんの囁きが蘇る。もう一度頭を撫でてせめて労うものの、鬱陶しげに頭で押し返されてしまう。

 

「そうじゃなくて」

 

 やはり、焦れている声。答えが分からず窮していると、もごもご何か唱えたあとにようやく口を開いてくれた。

 

「…………気にしてよ、匂いとか」

 

 少し鼻で呼吸をするが、特別不快なものは感じ取れない。いつもエレンが付けているヒレの保湿クリームや飴の残り香、ソファやベッドに残していくものと同じものだ。

 

「倒れる前に着替えてくれてたから、石油臭さはもうないよ?」

「違うって。ああもう……それとも何、あんたそういうのが好きなの」

 

 そういうのって、と聞き返そうなものなら、今度は頭突きが返ってくるかもしれない。

 いや、ひょっとするとこれはこっちが臭いという意思表示なのか。それにしても毛布に顔を埋めてながら寄りかかるばかりで離れる意思が無いのが分からない。

 この機嫌の悪さを見るだけで、やはり優しくするべきというのは真っ当な意見なのだろう。けど、仕事が終わってしまってからはどうにも出来ない。

 せめて今ばかりは機嫌を直してくれますように。祈祷に近い気持ちを込めて、毛布越しにエレンの頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

「お嬢様。去り際、パエトーンに何を話したんだ? 随分呆れさせたようだったが」

「え? 別に呆れるような事はなんにも。ただ、ほら。私は魔法使いなんだから、ね」

「鼻薬でも嗅がせたのか?」

「そうじゃなくて! 魔法使いはお姫様の味方なのよ。特に、恋するお姫様の味方なの」

「彼の場合は、どちらかと言えば王子様じゃないのか? その肩書に耐えられるほどの逞しさは横に置くとして」

「アキラじゃなくて、エレンの方! ああして膝の上に乗せてもらっているのに、肝心の王子様が他の子に粉かけてたら可哀想でしょ。だから、もっと優しくしてあげないとって言ったの」

「……ん? 粉をかける? 誰が?」

「アキラが」

「誰に」

「イヴに」

「…………いや、覚えがないぞ。どういうことだ」

「さっき、次のお休みに遊びに行く約束してたじゃない! え、まさか無自覚?」

「いや違う。あれはただお礼の品を選ぶだけであってだな。お嬢様、おい何を笑ってる! お嬢様!」

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