状態異常シャーク   作:すばみずる

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スペントシャーク

「アキラ店長、調子はどうですか?」

 

 予選一位の結果を背負いつつVR機器から出ると、そこには対ホロウ六課の才女、月城柳が立っていた。

 端末に届いていた無数のお誘いメッセージを思い出す。その中には悠真や雅さんからのメッセージも含まれていたはずだ。六課の面々が関わっている以上、柳さんがここにいるのも当然のことだろう。

 

「やぁ。相棒のお陰でなんとかやれているよ。僕が足を引っ張らないようにしないと」

「ご謙遜を。予選でエリア情報取得率が百パーセントを達成したのは、今のところ貴方だけですよ」

「昔からそうなんだ。ゲームでは隅から隅まで回らないと気が済まない性質でね」

 

 TVアレイに謎のマスがあったら多少無理をしてでも踏みに行く。マルセルの迷宮で行けそうな高台があれば、たとえ何度イアスの鳴き声を聞くことになっても飛び込んでいく。この点はリンだって同じはずだ。むしろあの妹は、僕以上に執念深くマップの端まで歩いて埋めていく。ビデオ屋の店主として、棚の隙間を埋めるのと同じ性分なのかもしれない。

 

「……目立ち過ぎたかな?」

 

 少しばかりの不安が口をつく。予選の結果は上々だが、目立つことはプロキシとして必ずしも良いことではない。注目は時に、余計なトラブルを呼び込む。

 

「どうでしょう。確かに抜きん出た実力だと伝わったと思いますが、他の予選突破者たちも相応に派手でしたから」

「へぇ、それはどういう──」

 

 僕の言葉よりも、僕の背後の方に柳さんの注意が向いていると気付いた時。振り返ってみると、ちょうどエレンの体がぐらりと傾いたところだった。

 慌てて支えると、エレンの頭が僕の肩にこてんと落ちた。瞼は落ちきって、尻尾がだらりと床に垂れていて、規則正しい寝息が漏れている。いつもの癖だ。

 柳さんは迅速に、しかし慌てた様子を見せずにエレンへ駆け寄って声を掛ける。

 

「聞こえますか? 分かりますか? 脈拍は正常、瞳孔は──」

「えーっと、済まない柳さん、応急手当は平気だ。心配してくれてありがとう。これ、彼女のクセみたいなものなんだ」

「クセ、ですか?」

 

 柳さんの眉がわずかに上がる。信じられない、という表情が彼女の整った顔に浮かぶ。気持ちは分かる。戦場を駆け抜けていたサメ娘が、こんな風に突然眠りにつく姿は、誰だって面食らうだろう。

 

「たくさん運動した後だとこうなりがちみたいで。疲れて寝ているだけだから、大丈夫だよ」

「そう、ですか」

 

 困惑の色が抜けていない柳さんをよそに、エレンを背中に担ぐ。脱力しきった身体はぐにゃぐにゃしていてコツがいるが、足を持つところまで体勢が整うとエレンは自然と腕が動いて縋りついて来るから楽だ。仕事が終わるたびこうなるのだとしたら、ライカンさん辺りで身体がおんぶ慣れしているんだろう。

 

「傷病の類でないなら安心しました。ですが、眠るにしてもあまり時間が……」

 

 柳さんが掲示板の予定表に目をやる。僕もそちらに視線を移すと、他の予選がどれだけ長引いても、本戦開始まで一時間程度しかないことが分かる。

 エレンの寝起きは悪くない。普段なら、軽く揺すればぱちりと開けたりする。ベッドを占領されてしまった時も、尻尾を叩いてやればすぐ反応する。

 だが今日の彼女は朝から動いてばかりで、まとまった休憩が取れていない。首筋を撫でるこの深い寝息では、さすがに一時間で目を覚ますのは難しいだろう。

 

「仕方がないさ。無理をさせるわけにもいかない。棄権するよ」

 

 そう口にした瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。エレンが本戦でどんな活躍を見せるのか見たかったという気持ちが、ほんの少しだけ顔を出していた。あるいは彼女をどのように活躍させてあげられたのかという想いもあった。

 だが彼女の体調を優先するのはプロキシとしての判断で、友人としての責務だ。気持ちを押し込め、柳さんに軽く笑ってみせる。

 

「いえ。それなら少し、お待ち下さい」

 

 柳さんが踵を返し、運営スタッフの詰め所へ向かう。彼女の背中からは、いつもの冷静沈着な雰囲気に加え、何かを企むような気配が漂っていた。エレンを背負ったままの自分には、ただその後ろ姿を見送るしかない。彼女の足音が遠ざかる中、エレンの寝息が耳元で小さく響く。軽いのに重い、矛盾した負荷と熱量が背中を苛む。メイド服の布地が肌に触れる感触が今日に限って鮮明だ。

 HIAセンターのロビーは、予選を終えた参加者や観客のざわめきで満たされている。VR機器の冷却ファンの音や、スタッフの無線通信の断片が混じる。エレンの尻尾が小さく揺れるたび、自分の重心が少し傾げた。これが尻尾を持つシリオンたちの日常なんだろうか。

 数分後、柳さんが戻ってきた。彼女の表情はいつも通りだが、どこか満足げな空気をまとっている。

 

「店長さん。本戦は明日の朝に延期しました。エレンさんを休ませてあげられる時間は確保出来たかと」

「本当かい? けど、どうして」

「大会運営に、六課へ出動要請が掛かったため棄権したいと相談しましたところ、予定変更を申し出てくださったんです」

「――それは」

 

 対ホロウ六課の知名度を活かした手口は、他の誰にも真似できない横紙破りだろう。規律正しくを信条にしていると思っていた柳さんが、こんな大胆な計らいをしてくれるとは思ってもいなかった。

 

「でも、出動と言うには相応の現場が必要だろう。そこは大丈夫なのか?」

「問題ありません。緊急性は低いですが、可能ならばと要請を受けていた現場はありましたから。ここ最近続いていたラマニアンホロウの変調調査を、イベントを理由に他の課に肩代わりしてもらっていたんです。明日の朝にはまた戻ってきます」

「それじゃあ、柳さんたちこそ休みなしじゃないか。無茶をしてはいけない」

 

 思わず声に力がこもる。柳の気遣いはありがたいが、六課の面々が過労で倒れるような事態は避けたい。

 言葉通りなら、柳さんたちは今すぐ動かなければいけない筈だ。実力者たちとはいえ、彼らもVRでの戦闘を終えた後。無尽蔵に動けるわけではない。ホロウ調査は大なり小なり神経をすり減らし、時には肉体だって削れる仕事だ。

 

「課長なら何も頓着せず修行と言って果敢に挑むでしょうし、浅羽隊員は気の抜き方を弁えているので問題ありません。蒼角はこのイベント参加者ではないので、終わったあとは家に送り届けます」

「それで、柳さんは?」

「あら。問題があると、思われますか?」

 

 眼鏡の奥が一瞬、鋭く光る。だがすぐに柔らかな笑みが戻り、冗談めかした口調で続ける。

 

「私も、適度に休憩を取る術は心得ています。ご心配なく。それに、店長さんと腕を競う機会は無為にしたくありませんでしたし」

 

 その言葉に、かつてブレイズウッドで囲まれた時のような緊張感を思い出し、返す言葉が見つからない。ただ頭を下げるしかなかった。

 

「ありがとう、柳さん。本当に助かったよ」

「どういたしまして。それでは、また明日。エレンさんにもよろしく」

 

 柳が踵を返し、喧騒の中へ消えていく。

 エレンの体重がなんだか少し重くなったように感じた。彼女の寝息は変わらず穏やかで、まるで何も知らない子供のようだ。

 

 

 ◆

 

 

「ほら、エレン。仮眠室に着いたよ」

 

 HIAセンターの二階、仮眠室エリアに辿り着く。漫画喫茶のようなブースが並ぶ空間は、参加者やスタッフが仮眠を取るための場所だ。蛍光灯の薄暗い光が、パーティションの壁に冷たく反射している。受付で鍵を借り、幸運にも隣り合った二部屋を確保できた。エレンを背負ったまま、ブースのドアを開ける。

 狭い部屋には簡素なベッドと小さなテーブル、薄暗い照明があるだけ。必要最低限の設備だが、清潔感があって落ち着ける。壁には防音シートが貼られているから、下階の利用者がエキサイトでもしない限りは静かなものだ。

 エレンをそっとベッドに下ろすと、彼女の体がマットレスに沈み込む。メイド服の裾が少し乱れ、赤い瞳は閉じたまま。尻尾がベッドの端を弱々しく叩く。

 彼女の寝顔を見ていると、今日の戦場での姿が頭をよぎった。鋏を振り回し、エーテリアスも他の戦闘員もまとめてなぎ倒す姿。あの獰猛な動きと、今の無防備な寝姿は、相反しているというのにひどく馴染む。

 

「今日はお疲れ様。朝までしっかり休憩してくれ」

 

 そっと毛布をかけてやると、エレンの手が不意に僕の手首を掴んだ。細い指先に意外な力がこもっていて、思わず動きが止まる。彼女の肌の温もりが、掌を通じてじんわりと伝わってくる。

 

「……一緒に居ないの」

 

 ここはそういうお店じゃありませんよお客様。まさか自分がこのセリフを喉に詰まらせる側になるとは思わなかった。

 寝ぼけた声は、いつもより子供っぽい。普段のぶっきらぼうなエレンからは想像もつかない響きだ。彼女の熱を感じた記憶が、ふと頭をよぎる。いや、今はそんなことを考える場面じゃない。

 一瞬、彼女の隣に腰掛けてしまおうかと考えてしまう。狭いベッドに二人、寝そべるエレンに寄り添うように座るイメージ。だが、すぐにその考えを振り払う。この狭いベッドで二人なんて、彼女が落ち着いて寝られないだろう。いや、僕が落ち着かないだけかもしれない。

 

「一人ならベッドも広いだろう? ゆっくり寝てくれよ」

「んー……」

 

 笑いながら手をそっと離そうとするが、エレンの指はまだ離さない。ただの吐息に過ぎないのに殴られるような感覚。赤い瞳が薄く開き、眠気と混じった何かでこちらを見つめる。薄暗い照明の下、彼女の瞳は捉えどころがなく、読み取れない。

 だが、ここで甘やかすのは彼女のためにならない。軽く頭を撫でて、声を柔らかくする。

 

「明日の相手はもっと大変かもしれないぞ。雅さんと遭遇した時、疲れてるからって逃げるしか無いのは、僕は嫌だなぁ」

 

 実際には疲れていようがいまいが、無尾の斬撃から隠れられる想像は僕にはできないのだが。あの狐耳を前にして一体どうすればいいのか、対策は未だ思いついていない。

 

「……うー」

 

 不満げな唸り声を漏らしつつ、エレンの手がようやく緩む。彼女の指が離れる瞬間、ほのかな温もりが名残惜しく感じる。

 毛布をもう一度整えてやり、部屋を出る。ドアを閉める瞬間、彼女のストッキングに包まれた脚が毛布の端から伸び、ぽいぽいと靴を脱ぎ落していた。

 隣のブースに入って、鍵をかけて、ベッドに腰を下ろしたところでようやく一息つくことが出来た。

 このセンターは慣れたものだ。半日過ごす事だって珍しくなく、この仮眠室だって何度利用したことか。

 それなのに、壁の向こうにエレンがいるだけで普段とは空気が違って感じた。彼女の寝ぼけた顔が頭にちらついてしまうのは、僕も疲れているのだろうか。こんな時は映画でも流せれば気を紛らわせられるのに。

 

 アラームを付けるために端末を手に取った瞬間、ノックノックの着信音が鳴った。画面を見ると、発信者はエレン。すぐ隣の部屋にいるのに、電話とはどういうことだ? 身構えつつも、端末に耳を当てる。

 

「エレン? 寝るんじゃなかったのか?」

 

 電話に出ると、スピーカーから眠たげな声が流れてくる。

 

『……寝るまで、なんか話してよ』

 

 随分なわがままを言ってくれる。こんな時間に、こんな場所で、こんなエレンからのリクエスト。苦笑が漏れる。旅行先か何かと勘違いしてやいないか。

 だが、まぁ。甘やかすのは良くないと思っていても、わざわざ電話してまで言われてしまうと応じたくなってしまう。

 ベッドに寝転がり、端末を耳に当てたまま話し始める。他の利用者の邪魔にはならないよう、布団を被って声は小さく。

 

「仕方ないな。じゃあ、最近観た映画の話でもしようか。グラビティ・シアターでリバイバル上映してたSFアクションモノなんだけど。賞金稼ぎの女の子が、想いを寄せる少年を追い掛けるって話で──」

 

 話しながら、エレンの反応を確かめていく。返ってくるのは小さな寝息だけ。時折、「ん……」とか「ふぁあ……」とか、聞き取れない呟きが混じる。

 頑張って眠ろうとしているのか、あるいはどうにかして起きて話を聞こうとしているのか。どちらにしても、壁の向こうの彼女はもう夢の入り口に立っているのだろう。柳さんの助けがあったのだから出来れば前者であって欲しいけど、いじらしいメイドも悪くはないので後者の可能性も捨てがたい。

 

「で、少年が乗っていたロボットが巨大化してしまう。少女たちはなんとか対抗するけど一人は捕まってしまい……」

 

 あらすじを語っていた舌が自然と止まる。気付けばエレンの寝息は、完全に規則正しいリズムに変わっていた。

 通話を切る。毛布を剥いで見上げた10分ぶりの天井。わずかな時間だったのに、テープを一本巻き取ったような充実感があった。

 薄暗いブースの天井を見ながら考えていたのは、明日の本戦のこと。勝ち上がっているだろうA級S級のエージェントたちとの対抗戦術ではない。エレンは一体、どんな戦いを見せてくれるのかという、期待の方が大きかった。

 

「僕も少し眠っておかないとな」

 

 目を閉じると、エレンの寝息がまだ耳に残っているような気がした。薄暗い部屋の中で、聞こえない音だけが鮮明に響く。

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