C107出ます
破断した鉄筋コンクリートの骨組みが互いに支え合い、絡みついた隙間を息を潜めて抜ける。埃っぽい空気とVR空間に再現されたホロウ特有の微かな刺激臭が混ざり合い、没入感を増していく。
倒壊した建物の残骸が作り出した袋小路──結節点の所在を示す場所だ。端末のセンサーが微弱に反応を拾い続け、青白い光点が画面上で脈打っている。
観測地点、その中心に、黒い塊が床を這うように蹲っていた。ダウンジャケットのようにモコモコとした防護服を纏い、ヘッドセットを着けた丸い頭部。匂いを嗅ぐ獣のように、床面に鼻先を押しつけて蠢いている姿は、紛れもなくボンプだ。協会貸与の調査用モデルではない。形状はあまり見覚えがない──市販品のカスタム品? スコット前線基地の研修で見たボンプ群の中に似たようなシルエットがあったかもしれない。
アンビーが外で待ち構えていたのなら、これが彼女の「調査員」パートナーに違いない。てっきりトリガーでも潜ませているのかと身構えていたが、彼女の『眼』では調査機器の精密操作に向かないか。いずれにせよ、戦闘用ボンプなら厄介な相手だ。少なくとも僕より強い。
物陰から慎重に覗き込みながら、握りしめていたデータの起動タイミングを見計らう。自衛用に用意しておいた爆破プラグイン──ホロウ探索でイアスが使用していたのと同等のものだ。本来ならミニボンプに付属するもので生身の人間が扱えない高出力爆薬だが、VR空間なら誤魔化して運用できるのだから便利なものだ。零号ホロウや断層においても世話になった一品。これなら、不意打ちで並の相手を一掃できる。
理想は、この場でボンプを仕留めること。大会のルールに「調査員が攻撃してはいけない」とは一文も書かれていない。多少の感覚フィードバックの痛みと引き換えに、敵チームの調査員無力化で50ポイント。悪くない取引だ。ただ、相手が戦闘用に設計されたボンプなら、確実に巻き込める距離を取らねばならない。
息を殺し、足音を立てず、射程を測って──その瞬間、ボンプがぴたりと動きを止めた。まるで空気の振動を察知したエーテリアスのように、頭部をわずかに傾ける。
『ンナ? アンビー、やられちゃった?』
可愛らしい声が、袋小路に響いた。子供のように甘ったるく、しかし流暢で、人間じみた抑揚。協会のボンプで人語を介す個体は何体か見たことがあるが、それらとは格段に違う。以前、アストラさんカチャコに近いが、この電脳空間で?
ボンプはぴょこんと立ち上がり、こちらに振り向いた。
電光の瞳が瓦礫越しに僕を正確に捉える。迷いのない視線。
『むむむ、対ホロウ行動部では無いっぽい。あそこ以外に彼女を越えてくるチームがいるなんて思ってなかったよ。キミのチーム、結構すごいのかな?』
如何なる手管か、いるのが知られてしまっているらしい。息を潜めてもごまかすのは無駄だ。観念して姿を晒す。
「そうだとも。特に相棒は凄腕だよ。君の相棒を、きっちり足止めしてるさ」
とりあえず相手の様子を探りながらエレンを褒める。ボンプの瞳がわずかに輝きを増しただろうか。武器を取り出す素振りはないが、ボンプはその小柄な体格に似合わず、ベアトラップから聖剣にオフィス用品と何でも隠し持てる構造だ。油断は禁物。
「けど、アンビーが不甲斐ないなんて思わないで欲しい。彼女は一級のエージェントだ。特に、あの装備を着けている時はね」
『だよね〜。一番火力が出せるんだから、普段からあの装備にしていればいいのに』
口調は軽いが、ボンプらしからぬ滑らかさ。遠隔操作特有の遅延は感じさせない。いや、もしかして、ボンプのアバターを被った人間──あるいは知能構造体か? こんなイベントにボンプ姿で潜り込む意味はよく分からないが。
「シルバー小隊時代の装備を指定したのはキミなんだろう? 理由があるのかい?」
『だって、せっかくゲームに参加するんだもの。やるなら本気を出してもらわないとね。きっかけは『トリガー』の頼みで仕方なくだったけど、彼女とならバリバリ勝てそうだし』
やはりトリガーの紹介だったか。となると、防衛軍所属の誰かか。しかし、軍属にしては少しばかり緩い気がするが、大丈夫なのだろうか。
『でもさ〜、ボクも戦いたかったのに、アンビーったら過保護なんだよ? 前に出たら危ないの一点張り。こっそりポテト状の爆反装甲とか、ハンガーガー型の銃火器とか偽装データを積んでみたけど、ぜんぶ剥ぎ取られちゃったんだ。調査員の役割なんだから、武装しちゃダメだって……つまんないよぉ』
ぬいぐるみのような体に似つかわしくない、不満げな声。電光の瞳に、微かな敵意の光が宿る。──来た。
『だから、相手の方から来てくれてよかった~。ボクの得点になってもらうよ。あ、間違えた。もらうンナ』
その瞬間、ボンプが腰のホルスターから小型爆弾を取り出した。あからさまな黒色の球体が鈍く光る。投擲の構えはコミカルだが、遅れればアウトだ。
こちらも負けじと、握りこんだ爆破プラグインを起動準備。
「困ったな。奇しくも同じ構えだ」
投擲される寸前、手を突き出してこちらの爆破データを良く見えるように掲げる。ボンプの瞳が、わずかに拡大された。
「この手の爆弾は誘爆するものだ。自分の一撃分ならお互い耐えられるだろうけど、誘爆分の二発目も食らったら共倒れだろうね」
ボンプはぴたりと動きを止める。目が一拍遅れて瞬き、やがて息を吐くように肩を落とした。モコモコの防護服がわずかに萎む。
『うーん、確かに……それはやだなぁ。せっかくここまで勝ってたのに、自爆オチはないよね』
「結節点の調査の後先に取得ポイントの差は無いし、暴れたところで共倒れしたら元も子もない。どうだい、ここは停戦ってことで」
言い終わる頃には殺気が霧散し、場の空気がゆるむ。ボンプは爆弾をホルスターに戻し、ふんふんと鼻歌のような電子音を鳴らしながら、結節点の調査を再開した。どうやら了承してくれたらしい。拍子抜けする展開だが、今のうちに調査を済ませるのが得策だ。僕も端末を構え、隣に並んで作業を始める。
未詳のボンプと並んでデータ収集するという奇妙な構図。画面上で同期するエーテルの反応を横目に、そのおかしさの源泉を眺めてしまう。
「……キミは、その。ボンプなのかな?」
『当然! どこからどう見てもボンプだよ? ンナ』
その語尾のごまかし方がいかにも不自然で、つい吹き出しそうになる。ボンプは調査を続けながら体を揺らす。
『ほら、触ってみてもいいよ。ボンプだって証明してあげる』
差し出された腕に、そっと触れる。柔らかい金属のような感触──確かにボンプ特有の材質だ。VRならパラメータ調整で偽装は可能だが、ただの遊びにしては出来が良すぎる。重み、振動のフィードバック、すべてが本物のようだ。
ボンプは僕の観察など気にも留めず、端末を操作し続けている。
『今回の調査場所の反応はみんな弱いね。次の結節点どう探そうか迷ってるんだ。キミはどう思う?』
「おや。堂々とした探りだね」
『そんなんじゃないよ、単なる暇つぶし』
「そうだな。信号が微弱すぎるなら、走り回って探すのが一番だ。ホロウ内と仮定されているならレクリエーションじみた目印は期待できないから、もう足を頼りにするしかない」
『だよね〜。協会のボンプをコピーしておけば良かったよ。あれ、車両ユニット付きで速いんだ。予選でもあれで逃げられた時は困ったんだよね。結局、相方の戦闘員を逆さ吊りにしたら助けようとして出てきてくれたけど。ふふ、面白かったよ』
「……なんというか、あまりボンプらしくないな」
『あ、ンナンナ』
「そっちじゃなくて。いや、口調もそうだけども」
隠すつもりがあるんだかないんだか。そのわざとらしい調子に、思わず肩の力が抜ける。妙に会話が弾む相手だが、どこかズレている。
調査機器の操作も的確だし、何より人がボンプの体を操る時の不自然さがあまりにもない。ボンプの振りをしてぶりっ子スキルを磨いている自分には分かる。とても猿真似とは思えない絶妙なこなれ感がある。
知能構造体ならある意味納得出来るが、言ってるやり口が機械にしては無神経に感じる。アンバランスな振る舞いだ。
やがてボンプが端末を仕舞い、くるりとこちらを向いた。顔文字のような表情パネルが楽しげに瞬く。
『じゃあね、プロキシくん。楽しかったンナ。またどこかで会おうよ~』
軽く手を振って、瓦礫の隙間を抜けていく。その動きは驚くほど軽やかで迷いがない。モコモコの防護服が影に溶けるように消える。
外から聞こえていた戦闘音が、いつの間にか止んでいた。剣戟の残響も無く、静まり返る。エレンとアンビーの戦いも終わっていたのだろうか。僕の調査も完了に近づいていると端末が伝えてくる。
その時、背後から足音が近づいてきた。振り返ると、エレンが剪定鋏を担いだまま立っていた。息を少し乱し、メイド服の裾に僅かな焦げ跡。黒ずんだ布地が、戦いの激しさを物語る。
「エレン、大丈夫か?」
彼女は小さく頷き、鋏を収めながら唇を噛む。目元に苛立ちの色が濃い。
「仕留め損ねた。……変なボンプみたいなのが出てきたと思ったら、煙幕ばらまいて逃げられた」
エレンは周囲を警戒するように見回す。目線に落ち着きがない。取り逃したのがよほど響いているのか、あるいはバツが悪いのか。
ちらりと視線を床にやる。当然だがボンプの姿はもうない。ただ、瓦礫の隙間へ続く足跡のような痕跡が、ノイズの海に消えていく。
「僕もボンプの足止めをしようとしなかったのが悪い。あまり気に病まないでくれ」
「それは別に、アキラの仕事じゃないじゃん」
「そういうわけでもない。僕がキチンと自爆出来なかったのは悔やまれるよ」
「は?」
真ん丸に見開かれたエレンの目が、急速に細くなる。
「自爆って、何」
「ほら、零号ホロウでもたまにあっただろう。イアスが持っていた爆弾でこう、ドカンとエーテリアスごとやるアレだよ」
「あれはボンプだから大丈夫なんでしょ。アキラがやって骨残る?」
「さすがにそこまで貧弱じゃない。プログラムである程度の爆風は操作出来るし、多少痛いくらいだ。誘爆のリスクはあるけど今回はそれが役立ったし……」
説明を続けているのに、エレンはむっとした顔のままで睨んでくる。尾がぴんと立っているのが視界の端で分かる。
「それ、結局使ったの」
「え? ああ、いや。抑止力の見せ札としてだけ」
「どんなやつ?」
「こういう――あ」
一瞬のことだった。手のひらに乗せた爆破プラグインの3Dモデルを、張り詰めていたエレンの尻尾が弾き飛ばした。
反応する間は当然なく、吹っ飛ぶ爆弾のアイコンはあるいは彼女の狙い通りに瓦礫の隙間に消えてしまう。衝撃で起爆するものでなくて助かった。
「バカなマネするなら、次は頭に行くから」
再度、サメの尾が空を裂く。耳元を走る黒い軌跡は風切り音を伴う。
「ええっと、心配してくれるのは嬉しいけど――」
「あんたの体とか痛いとかはどうでもいい」
顔を赤らめるでも目を逸らすでもなく、混じり気なしの本気の顔で言われる言葉にしてはあまりに情が無いが本当にどうでもよさそう。
「邪魔者を片付けるのはあたしの仕事だから。余計なことしないで」
言い切ったエレンはくるりと背を向けてしまう。突き放すような事を言いながらもその背が自然体なせいで、不思議と弁解も謝罪も浮かんでこない。きっとそういうものは望んでないだろう。
捜査終了を知らせる端末。言葉が思い浮かばないまま、得られた調査情報を得点に替える。
声を掛けるのも、肩を叩くのも、何か違う。結局何も出来ず、無言のままエレンの隣を通り過ぎ出口へ向かう。彼女もまた、何も言わずに後を歩く足音が響く。