状態異常シャーク   作:すばみずる

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バインドシャーク

 数分前。白亜の廃墟の屋上で、通信越しのニコの提案を聞き終えた時のことだ。

 

「アキラ」

 

 袖を引く感触。軽く、しかし無視できない強さだった。

 しゃがみこんだままのエレンが、下から僕を見上げている。その瞳は普段の気だるげなものとも、照れ隠しの不機嫌顔とも違う。

 

「一緒に動くの、本気?」

 

 ニコからの怪しげな取引じみた共闘依頼。その誘い文句は当然、隣にいるエレンにも通信から漏れ聞こえていただろう。

 露骨に胡散臭い言葉を僕が即決したことを、考えが浅いのではないかと咎めているのかもしれない。あるいは、以前に揉めそうになった相手と手を組むことに不満があるのか。

 

「やるよ。攻め手が増える利点は大きい。リスクは……まあ、ニコを信用しきれないことくらいかな。合流した途端に『騙して悪いが』と襲われる可能性は無くは無いけど、それをするといよいよ邪兎屋に勝ちの目は無くなる」

 

 ニコは根っからの拝金主義者だ。たとえば転売で一発当てるとして、売る事が出来てもそれに満足せず『もっと高値が付いたはずなのに』と機会損失を嘆く性格をしている。

 そんな彼女が、僕らという戦力の無駄使いを許容するはずがない。より高値、つまりより高い順位が狙える内はある意味安全だ。

 

「最後の一撃が刺さる瞬間を警戒しておくのは前提として、それでも雅さんとの戦闘終了間際までの協力関係は維持されるはずだ。弱点である僕の方に奇襲してくるかもしれないけど、リンの横槍を牽制するとでも理由を付けて彼らから離れておくことは──」

「いらない」

 

 短く、断定的な言葉が僕の思考を断ち切った。

 理屈の糸を無造作に噛み千切るような、鋭い響き。

 

「邪魔。やめて」

 

 ダンッ、と。

 サメの尾が苛立たしげにコンクリートの床を叩く音が響いた。それは威嚇射撃に等しい拒絶の意思表示。

 しゃがんだままのエレンは膝を抱えて、ふいと視線を逸らしてしまう。

 ここまでエレンが拒否反応を示すのは意外だった。合理的で効率重視のやり方を好む彼女なら、人手が増えて楽ができるならそれに越したことはないと考えるはずだ。ましてや格上の相手。使える手札は一枚でも多い方がいい。

 だが。口をきゅっと結ぶエレンの顔を見て、自分の失態に遅れて気付く。

 何も相談せずに即決するべきでは無かった。共闘後の負担は全て前衛であるエレンが背負うことになる。それなのに数字上の勝率だけで判断してしまうのは無神経すぎたのかもしれない。

 かと言って、今からニコにやっぱり無しでと言うのは惜しい。こちらから提案すればどれだけふんだくられるか分かったものではないが、売り込まれて来た今ならまだ対等に付き合える。なんとか軌道修正出来るよう、エレンが納得しやすい言葉を舌の上で探す。

 

「……確かに、上手く進み過ぎると三対一をやった後に一対二をやることになる。それなら、ニコだけでも戦場からは遠ざけるように提案するとか──」

「違う」

 

 サメの咬合力はライオンには劣るというが、人の骨を砕いて甘えた考えを粉砕するには十分過ぎる。

 僕の小手先の提案は食い千切られ、彼女の喉の奥につかえていた本当の望みだけが吐き出された。

 

「邪兎屋なんかいらない。あたしだけでいい」

 

 エレンは少し拗ねたように唇を尖らせ、上目遣いに僕を睨む。

 その瞳に宿っていたのは、怒りではない。もっと湿度を帯びた、切実な訴えだ。

 

「あたしのこと、信じてよ」

「──」

 

 信用も信頼も当然している、と口にする意味は無い。既にエレンは信用されていないと思って、そう言っているのだから。

 僕がニコの提案に乗ったこと。それはつまり、『エレン・ジョー単独では星見雅に勝てないと、アキラが判断した』という証明に他ならない。

 彼女のプライドを、そして僕に向けられた信頼を、僕は「効率」という言葉で上書きして無視していた。

 だからといって、ここで機嫌を取るために言葉を弄するのは違う。それは彼女の強さに対する、別の形の侮辱になるからだ。

 一度、深く息を吸い込む。肺に満ちた冷たい空気が、思考の澱みを洗い流していく。

 

「エレンだけだと、雅さんには勝てない」

 

 あえて、その冷たい事実を口にする。

 エレンの眉がピクリと跳ね上がり、尾が戦慄く。反論が飛んでくる前に、僕は言葉を継ぐ。

 

「だって雅さんにはパエトーンが、僕の妹が組んでいる。あれは狡いよ」

 

 虚狩りの剣技に、半分とはいえパエトーンの支援。その二つが合わさった相手に、エレンとて無傷では済まない。エレンの実力を疑っているわけじゃない。相手の戦力が過剰なのだ。

 そういう建て付けの話をエレンは望んでいないと分かっているが、敢えて無視をする。

 

「だから、邪兎屋が要るって?」

 

 雅さんは強い。リンが組んでいれば尚更強い。だから勝つ手段をずっと考えていた。ニコとビリーを利用するのは当然として、数で圧倒して如何にリンを落とすか、雅さんが修行を求めるならその意識にどれだけ隙が出来るか。

 

「ああ。使えるものはなんでも使う、それがパエトーンのやり方だからね。ホロウレイダーから歌姫まで、誰であれ適しているなら使わせてもらっているよ」

「ふーん。節操なし」

「依頼を達成する事こそがプロキシの目的だ。そこに貴賤は無いよ」

 

 そこまで言い切っても、エレンの瞳から強い光が失せることはなかった。むしろ、その赤色は一層深く、逃げようとする僕の心を射抜くように見据えている。

 

「今この時は依頼でも何でもない、余暇(イベント)の時間だ。付き合ってもらっているエレンには悪いけど、楽な方に流れるのは仕方がない」

 

 実際、僕自身にはこのイベントに対する確固たる目的意識なんてものは希薄だった。ニコからチラシを貰って成り行きで参加し、手なりで勝ち進んできたに過ぎない。だからこそ、自爆なんていつもはしない手を思い付いただけでやろうとしたし、ニコの提案に乗ることに躊躇はなかった。楽をして勝てるなら、それに越したことはないのだから。

 

「だがもし、そう、依頼達成の条件が決められているなら、使う手だって選ぶ。怪盗団と治安局をかち合わせない配慮くらい僕だってするさ」

 

 けれど、目の前の少女は違った。彼女はこの場において、僕と彼女という二人だけで勝利することに、明確な価値を見出している。その想いを、効率の一点張りで踏みにじるのはあまりに無粋だ。

 だからと言って、「僕と一緒に頑張りたかったのかい?」なんて甘ったるい確認をするのは野暮の極みだ。そんなことを口にすれば、彼女は羞恥で僕を切り刻むか、確実にへそを曲げてしまうだろう。

 必要なのは『建前』だ。僕はあくまで効率を最優先する無神経な機械で、人の機微に疎い鈍感な男。そんな融通の利かないポンコツを動かすために、エレン・ジョーという依頼人がわざわざ言葉にして形式的な『依頼』を行わなければならなかった──そういう舞台装置があればいい。彼女に「一緒にやりたい」と言わせるのではなく、「仕事」として発注させる。そうすれば、彼女のプライドも、照れ隠しの不機嫌も、すべて守られる。

 

「それで、エレン・ジョー。君は今、僕に依頼をしているのかい? 『他の手を借りず、自分たちの力だけで勝利をもぎ取りたい』と、そう望むわけだ」

 

 問いかけにエレンの瞳がわずかに揺れ、そして力強く肯定の色を帯びる。

 

「もしそれが君の『依頼』だと言うのなら、プロキシとして受けないわけにはいかないな」

 

 エレンは数秒、僕の顔をじっと見つめていた。探るような、あるいは噛み付く場所を探すような視線。だがやがて、彼女は大きく息を吐き出した。

 

「……じゃ、よろしく」

 

 拗ねたような色はまだ残っているが、その声には納得の色が滲んでいた。

 関係の修復はなった。あとはこの状況をどうするかだ。

 

「さて、ニコとの合流はどうしようか。向こうも動いているから、断るならタイミングを考えないと」

「まだ間に合うでしょ。乗って」

 

 ほら、と。しゃがんだまま背中を示すエレン。

 その背中は華奢で、とても成人男性一人を運べるようには見えない。

 

「エレン、それはちょっと。それならニコに合流は無しって伝えればいい」

「いいから。どうせなら兎も食べちゃえばいいじゃん」

 

 サメの尻尾がぶんぶん振られ、早くしろと急かしてくる。その動きは、獲物を前にした捕食者の余裕の様にすら見える。

 物騒な提案だが、冷静に考えれば理に適っている。ニコはこちらを利用する気満々だったし、こちらも彼女らを利用して雅さんへの露払いにしようとしていた。騙し討ちは気が引けるが、勝負の世界だ。向こうだって僕らを切り捨てるタイミングを虎視眈々と狙っていたに違いない。

 それにエレンの言う通り、単に無視するよりここで邪兎屋を脱落させてしまえば、不確定要素を排除できる上にポイントも稼げる。

 問題は、ここから合流地点までの距離だ。ニコが指定した時間は刻一刻と迫っている。遅刻して不審がられるのは良くない。平然と間に合わせるには最速で移動する必要がある。

 チラリと、エレンの背中を見る。……妹よりも年下の女の子に運ばれる成人男性という絵面は、正直なところ男の矜持に関わる重大な問題なのだが。

 振られる尻尾が遅いと空気を裂き続ける。これ以上待たせれば、兎を狩る前に僕が齧られかねない。

 

「……分かった。頼むよ」

 

 覚悟を決めて、僕は大人しくその背中に身を預けることにした。恥は掻き捨てだ。プロキシとして正しい判断だと自分に言い聞かせながら、エレンの首にそっと腕を回す。

 飴の甘い香りはきっと気のせいだろう。ひんやりとした体温。けれどその奥にある筋肉は、バネのように収縮して爆発の時を待っている。

 

「飛ばすから、しっかり捕まって」

「いやそれはちょっと、心の準備が──」

「舌、噛まないでね」

 

 言うよりも早く、世界が反転した。エレンが跳ねる。重力なんて忘れたかのような加速。

 抗議の言葉を言う事も出来ず、僕は必死にエレンへ縋り付くことしか出来なかった。

 風切り音が耳元で唸る中、彼女の楽しげな声がかすかに聞こえた気がした。

 

「ちゃんと掴んで、見てて。落とすよ」

 

 僕らは白い廃墟を駆ける一陣の風となって、邪兎屋の待つ場所へと急行した。

 

 

 

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