状態異常シャーク   作:すばみずる

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プロボーグシャーク

 白い廃墟の空を、風よりも速く駆ける。サメの背にしがみつきながら感じるのは、アバター越しにすら痛いほどの風圧と、背中から伝わる彼女の体温、そして躍動する筋肉のしなやかさだ。

 邪兎屋を騙し討ちした後、僕はまたエレンの背中という『名誉な特等席』に収まっていた。

 目指すべき場所はただ一つ。最強の敵が待つ決戦の地のみ。

 視界の端を流れる景色はもはや線にしか見えない。普段のホロウ調査であれば、危なっかしくて到底了承できない安全性を度外視した強行軍だ。平時ならエージェントが確実に踏破できる安全なルートを選ぶが、今は勝算をコンマ1パーセントでも引き上げるため、時間節約を最優先に道なき道を征く。

 片腕で必死にエレンの首元を抱き締め、空いた片手で最低限のナビゲートをリアルタイムで行う。シビアなものだ。こちらの演算以上に、実働するエレンへの負担は途轍もないはずだ。一秒後に崩落する瓦礫を蹴って数メートル飛び上がれ、などという指示は、出来の悪いレースゲームを強要されているようなものだろう。おまけにコンテニューも無い一発勝負で、加えて即興の探査なのだから正解とは限らない。しがみついているだけの僕ですら、遠心力で思考が頭蓋の壁に叩きつけられそうになるのを歯を食いしばって堪えていた。

 それでもエレンの足取りに迷いはない。こちらのオペレートに一片の疑いも見せず、複雑に入り組んだホロウを踏破していく。伝わってくる彼女の息遣いは荒いが、その背中はどんな揺れにも耐えうるほど力強く、頼もしかった。

 彼女の肩に回した腕に力がこもる。密着した背中から伝わる彼女の鼓動は早鐘を打っているが、決して乱れてはいない。そのリズムが、僕自身の心臓の音と重なっていくような錯覚を覚える。

 

「はい、墜落注意!」

 

 短く叫んだエレンが、空中に浮かぶ足場を蹴り砕いて跳躍した。浮遊感と落下感がない交ぜになり、視界がぐるりと回る。普通なら悲鳴を上げるような高さからの、三半規管に拷問を掛ける強襲エントリー。

 だが、不思議と恐怖はない。エレンがこれから挑む相手に比べれば、重力なんて些細な障害でしかなかった。流れる瓦礫の隙間、その向こう側から、異様なほどの静けさが漏れ出しているのを感じる。それは戦闘の喧騒が途絶えた静寂ではない。台風の目に敷かれた凪のようなもの。そこに『彼女』がいる。繰り返されていた巡回はいつの間にか止まっており、隠蔽の欠片もない反応に動きは見られない。

 

 やがて、開けた空間に出た。そこはかつて広場だった場所を演出しているのだろう。周囲を崩れかけた高層建築に囲まれ、中央には噴水の残骸のようなオブジェが鎮座している。そして、その残骸を踏み締める人影が一つ。浅葱色の羽織を静かに揺らし、一振りの刀を携えた「虚狩り」が立っていた。星見雅。彼女は約束の刻限を待つかのように目を閉じ静止していた。武人かくあるべしとでも言うかのように、ピクリとも動かない。

 エレンは速度を落とし、噴水から少し離れた瓦礫へ蹴りつけるように動きを止める。急制動のGに耐えながら地面に降り立つと、エレンは小さく息を吐き、乱れた前髪を払った。

 

「なんで突っ立ってんの」

 

 エレンの声が静寂に響く。友達へ呼び掛けるような気軽な言葉に雅さんは目を開き、ゆっくりとこちらへ向き直った。その瞳は澄んでいて、戦いの最中だというのに殺気立った様子はない。ただ、張り詰めた冷気のような静謐さだけがある。

 

「リード取ったまま逃げ回るかと思ったのに。余裕じゃん」

「捉迷蔵の修行は望むところではない。純粋な勝負を望める場を誂えたのなら、成すべきことは一つだ」

 

 雅さんの視線が、エレンの背後にいる僕へと向けられる。

 

「それに、戦いで余計な負担はあるべきではない」

 

 何を負担と呼んでいるのかは明白だ。妥当な物言いに返す言葉もない。

 

「仮に此方から攻め込んだとして、お前が背負うプロキシを斬らずに済ませる自信が、今の私には無かった。戦いに集中する為には、地に足を付けて挑むべきと判断した」

 

 淡々と告げられた言葉に含みの色は無い。高速移動中のエレンを襲撃すれば、背負われている僕は回避運動の余波で振り落とされるか、あるいは雅さんの剣技の巻き添えになる可能性が高い。単に勝ちを拾うならそれでも良かったはずだが、彼女はそれを由としなかった。

 ――あくまで語られた通りの修行を期待するなら、雅さんは仕掛けてこないとは踏んでいた。

 

「……手加減されたってこと?」

「配慮だ。リンからも釘を刺されていた。『お兄ちゃんはちょっとした段差でも転ぶし、すぐに危ないことに首を突っ込むから、戦う時は周りをよく見てあげて』と」

 

 リン、君は一体何を吹き込んでいるんだ。お兄ちゃんはそこまで虚弱じゃないぞ。

 

「へぇ。あたしが守りきれないとでも思ってんだ」

 

 エレンの眉がぴくりと跳ねる。彼女のプライドを刺激するには十分な言葉だったようだ。

 

「万が一の話だ。事ここに至れば、気にする必要もない」

 

 刀の鯉口を切る、その所作一つ一つが洗練されていて、見ているだけで肌が粟立つようなプレッシャーを感じる。

 これが新エリー都最強の一角。対ホロウ六課の長。

 僕は拳を握りしめ、エレンに声を掛ける。

 

「エレン。僕はここから離れて、北側の結節点に向かう」

 

 エレンはこちらを振り返らず、ただ背中で頷いた。

 

「分かった。行って」

「無理はしないでくれ、と言いたいところだけど」

「分かってる。勝つよ」

 

 短い言葉に込められた意志の強さ。僕はもう一度強く頷くと、二人の間合いから外れるように走り出した。

 戦いが始まってしまえば、何も出来ない。歯痒さはある。結局はエレン一人に重荷を背負わせる申し訳なさもある。

 それでも自分の役割を果たすしかない。直近で言うなら、僕が結節点を探査して回り、ポイントで優位に立つこと。それはエレンとの勝利を近付ける確かな手段の一つだ。

 瓦礫の角を曲がる直前、振り返った視界の端で、黒と浅葱色が対峙する光景が焼き付いた。そこからはもう、僕の介入できる領域ではない。

 

 

 ◇

 

 アキラの足音が遠ざかり、気配が物陰へと消える。それを確認してから、エレンは改めて目の前の相手を見据えた。

 星見雅。何度か顔を合わせたことはあるが、こうして敵として対峙するのは初めてだ。噂に違わぬ、いや、それ以上の圧力。立っているだけで周囲の空気が凍てつくような感覚は、ホロウの深層で強大なエーテリアスと遭遇した時のそれに似ている。

 だがエレンの中に湧き上がったのは恐怖ではない。苛立ちと、そして抑えきれない高揚感だった。

 

「わざわざ待っててくれたことには感謝しとくけどさ」

 

 エレンは剪定鋏を肩に担ぎ直し、挑発的な笑みを浮かべる。

 

「そこまでお膳立てしなきゃいけないほど、自分たちが有利だと思ってるわけ?」

「有利、不利の話ではない。これは礼儀だ」

「礼儀ねぇ。……じゃあさ、そもそも六課ってだけで反則級に強いのに、そこに『パエトーン』までくっつけるのは礼儀に反してないの?」

 

 エレンの言葉に、雅がわずかに首を傾げる。

 

「どういう意味だ?」

「そのまんまの意味。あんた一人でも十分強いじゃん。なのに、サポートに最強のプロキシまで用意して、万全すぎでしょって話。厨パで勝って楽しい?」

 

 エレンにしてみれば、ただでさえハイスペックなキャラクターに、課金武器と最強サポーターまでつけたような理不尽さを感じていた。勝つためには手段を選ばないのが戦いとはいえ、ここまで露骨だと面白くない。しかし、雅はきょとんとした表情で瞬きをした。

 

「チュウ……パ? すまない、厨房と関係があるのか?」

「……はぁ。いいよもう、説明するのもダルいし」

 

 天然なのか、世俗に疎いのか。拍子抜けする反応に、エレンの毒気も少し抜かれる。だが、雅はすぐに真剣な眼差しに戻り、言葉を続けた。

 

「言葉の意味は分からぬが、お前が言いたいことは理解できる。過剰戦力ではないか、ということだろう」

「そーゆーこと」

「否定はしない。だが、此度の戦いは実戦を想定した修行だ。ホロウにおいては、どのような理不尽な状況が訪れるか分からない。あらゆる事態に対応するため、取れる最善の手を尽くすのは当然のことだ」

 

 雅の言葉に淀みはない。彼女にとって、これは単なるゲームやイベントではないのだ。自身の刃を研ぎ澄ませるための、真剣勝負の場。そして、彼女はふっと表情を緩め、どこか誇らしげに付け加えた。

 

「それに。彼らは私にとって、大切なプロキシだからな。出来るなら共にある方が良い」

 

 その言葉を聞いた瞬間、エレンの胸の奥で何かがざわりと波打った。大切なプロキシ。それは単なるビジネスパートナーとしての評価なのか、それとももっと個人的な感情が含まれているのか。雅の真っ直ぐな瞳からは、その真意までは読み取れない。

 ただその言葉が、先ほどアキラと交わした「依頼」という建前を、鋭くえぐってくるような気がした。

 

「ふーん」

 

 エレンは鼻を鳴らし、興味なさげに流すふりをする。だが、握りしめた鋏の柄には、自然と力がこもっていた。

 たぶん、自分は気に入っていない。エレンの冷静な部分がそう理解する。

 そう、気に入らない。その余裕も、正論も。

 そしてアキラたち兄妹を当然のように自分のものとして語るその口ぶりも。

 

「ま、いいけどね。誰が相手でも、あたしが勝つだけだし」

「良い気迫だ。それでこそ、ここまで勝ち抜いた甲斐がある」

 

 雅が腰を落とし、構えを取る。エレンもまた、重心を低く沈める。サメの尾が興奮に打ち震え、コンクリートの地面を激しく叩いた。合図はいらない。

 張り詰めた空気が限界を迎えた、その瞬間。

 

「ッらぁ!」

 

 エレンが動いた。だが、走り出すのではない。担いでいた巨大な剪定鋏を、渾身の力で投擲した。

 風を切り裂く轟音と共に、鉄塊と化した鋏が雅へと一直線に飛来する。常人ならば反応すらできない速度。だが、雅は眉一つ動かさない。

 

「小細工を」

 

 冷徹な声と共に、抜刀。神速の居合いが、飛来する鋏を正面から捉える。激しい金属音が響き渡り、火花が散る。鋏は雅の斬撃によって弾かれ、高々と空へ舞い上がった。

 武器を失ったエレン。雅の追撃が迫る──かと思われた。しかし、雅の視線は地上ではなく、空へと向けられていた。

 

「なにっ」

 

 そこには、弾かれた鋏を空中で掴み取り、身を翻すエレンの姿があった。重力を味方につけたエレンが、頭上から流星のごとく降り注ぐ。振り下ろされる刃には、自身の体重と落下速度、そしてシリオンの膂力が全て乗せられている。

 

「受け止めてみなよ、虚狩りッ!」

「シィイ──!!」

 

 雅は迎撃の体勢を取る。引いた刃を再び走らせ、空からの凶刃を迎え撃つ。氷の刃と、鋼の鋏。二つの力が激突し、白い廃墟が鳴動した。

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