状態異常シャーク   作:すばみずる

30 / 59
レイテントシャーク

 白い廃墟が、轟音と共に悲鳴を上げた。

 上空から振り下ろされた質量と速度、そしてシリオンの膂力が込められた剪定鋏の一撃。それは並のエーテリアスであれば容易く粉砕し、地形ごと変えてしまえるほどの威力を持っていた。

 だが、その暴威は一点で静止している。

 砂煙が晴れる。そこには、切っ先を天に向けたまま微動だにしない星見雅の姿があった。彼女が振るう刀──無尾のわずか数センチの柄頭で、エレンの全力の一撃を受け止めていたのだ。

 

「チッ」

 

 エレンの口から、乾いた音が漏れる。

 確かな手応えがあった。金属と金属が噛み合う、骨まで響くような衝撃も。けれど、どれだけ力を込めて押し込もうとしても、そこから先へ数ミリたりとも進まない。

 

「良い重さだ。迷いがない」

 

 涼やかな声と共に、雅の瞳が細められる。

 次の瞬間、エレンの視界がぶれた。雅の手が僅かに柄を握り、力を溜めたように見えた──そう認識した時にはもう遅い。

 居合の構えのまま放たれた衝撃は、エレンの体を剪定鋏ごと弾き飛ばしていた。

 空中で四肢を捻じり、どうにか身を翻して瓦礫の上に着地する。だが衝撃を殺しきれず、靴底が地面を削ってようやく止まった。

 納刀の構えで受けて、抜刀すらしないままの勢いで吹き飛ばされた。痺れが走る指先で鋏を握り直しながら、エレンは一連の動きを反芻する。なんて出鱈目な強さだ。瞳に警戒の色を濃くして雅を睨みつける。

 

「やっぱヤバいね、あんた」

 

 雅は刀を構え直し、静かに足を踏み出す。

 その歩みは遅いようでいて、瞬きの間に距離を詰める縮地の一歩だ。エレンは反射的に鋏を振るう。横薙ぎの一閃。

 だが、刃は空を切る。雅の姿が揺らぎ、残像すら残さず消えたかと思えば、既にエレンの懐に潜り込んでいた。

 

「遅い」

 

 切っ先ではなく、鞘に収めたままの鋭い突きがエレンの鳩尾を打つ。

 呼吸が止まり、視界が白む。仰け反りかけた体を、尻尾を地面に突き刺して無理やり制御する。

 だが、追撃は止まない。エレンが力任せに振るう大振りの攻撃を、最小限の動きで躱し、捌き、あるいは刀の側面で滑らせていく。

 攻撃が当たらない。当てさせてくれない。

 当たりさえすれば。自然とその思考が頭を埋める。最短最速の仕事効率を目指すのならば、一撃で仕留められるか否かの見極めが自ずと鍛えられる。それで言えば、雅の華奢な体をほんの一薙ぎで削り切る自信はエレンにあった。

 だが、当たらなければどれだけ力強くともただの素振りに過ぎない。対して、雅の攻撃は正確無比にエレンの隙を穿つ。

 

「くっ……!」

 

 舌打ちを一つ、エレンは戦場を駆け出した。

 正面からの打ち合いが不利なら、機動力で撹乱する。瓦礫を蹴り、壁を走り、三次元的な軌道で雅を翻弄しようと試みる。サメが海中を泳ぐように、エレンは白い廃墟を高速で滑走する。

 ダッシュの初速に乗せた、急襲の一咬み。死角からの斬撃。だが、雅は見もせずに刀を背後に回し、火花と共に防ぐ。頭上からの強襲。雅は半歩下がり、エレンの鼻先を斬撃が掠める。

 速さでも、エレンが劣っているわけではない。トップスピードなら、あるいはエレンの方に分があるかもしれない。だが、雅には先が見えているかのようだった。エレンが筋肉を収縮させ、地面を蹴るその瞬間の予備動作、あるいは視線の動き、呼吸の揺らぎ。それら全てを読み取るかのように、先回りして待ち構えている。エレンが加速すればするほど、自分から雅の刃に飛び込んでいくような錯覚に陥る。

 

「動きに無駄が多い。身体能力に頼りすぎて、技の繋ぎ目が粗雑だ」

 

 戦闘中だというのに、雅の口調はまるで道場の師範が門下生を指導するかのようだ。それがエレンの神経を逆撫でする。

 

「うるさい!」

 

 エレンは叫びと共に、尾を振り回す。音動機が生み出す冷気を纏ったサメの一撃。雅はそれを跳躍で躱す──ことはしなかった。あえて踏み込み、尾の直撃を鞘で受ける。衝撃で吹き飛ばされるかに見えたが、雅は勢いのまま居合へと繋げ、その回転力に変えて斬撃を放った。

 鮮烈な閃光。エレンは鋏を盾にするが、防ぎきれない衝撃が全身を駆け巡る。VR空間での命が削れるエフェクトが散る。

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 重い音を立てて膝をつく。

 肩で息をするエレンを見下ろし、雅は刀についた架空の血糊を振るう動作をした。

 パワー、スピード、タフネス。エレンが持ち得る武器のすべてが、雅という高みを前にしては子供の遊びのようにあしらわれている。刀傷だけでなく、染み入るような凍気の蓄積も体を重くする。雅はまだ、息一つすら乱していない。

 

「才能はある。シリオンとしての身体能力も、天性の勘も申し分ない」

 

 雅は静かに告げる。称賛の言葉だが、今のエレンには敗北の宣告にしか聞こえない。

 

「だが、お前が振るうのは暴力だが、私が振るうのは技術だ。その差は、膂力だけで埋まるものではない」

 

 エレンは自分が優れていると思っていない。ただ持って生まれたものと、少しばかりの要領の良さで、大抵のことはなんとかなってきた。ホロウでの戦闘も、メイドとしての仕事も。

 優れていると驕ったりしていない。だが、ボスやリナに褒められ、カリンちゃんに頼られ、パエトーンのお眼鏡にかなっている。

 彼らに認められているのであれば、優秀さの自認など石ころ程度にしかならない。

 その認めてくれている人でさえ、目の前の存在は別格であると語っていたのだという事実が、今になって胸を突いた。

 頭のどこかで、冷めた思考が囁く。ここで負けても、アキラは責めないだろう。むしろ、よくやったと頭を撫でてくれるかもしれない。相手が悪かった、と言ってくれるかもしれない。それは優しい世界だ。甘くて、居心地の良い、ぬるま湯のような。

 

『あたしのこと、信じてよ』

 

 自分の声が脳裏に蘇る。あんな大見得を切っておいて、無様に負けて帰るのか。アキラに依頼した。自分たちの力だけで勝ちたいと。それをアキラは受け入れた。エレンが勝てると信じて、背中を預けて離れていった。

 その信頼を、ただ無謀な子供のワガママという結果にして終わらせるのか。

 

「それは、イヤ」

 

 エレンの手が、剪定鋏の柄を強く握りしめる。ミシミシと、グリップが悲鳴を上げる。

 

「まだ……終わってない」

 

 ゆらりと、エレンが立ち上がる。足は震えている。体は悲鳴を上げている。だが、その双眸に宿る光は、消えるどころか、より昏く、深く燃え上がっていた。雅の眉が、ピクリと動く。

 

「まだやるか。その意地は嫌いではないが」

「意地とか、そんな安っぽいもんじゃないし」

 

 エレンは深く息を吐き出す。肺の中の空気をすべて入れ替えるように。熱くなった思考を冷却するように。小手先の技術も、駆け引きも通じないなら、もっと単純な話だ。相手が技で上回るなら、それを凌駕するほどの力で、速さで、理不尽でねじ伏せればいい。

 エレンの周囲の空気が、急激に冷え込んでいく。それは単なる比喩ではない。音動機が過剰駆動を始め、冷却機構が悲鳴を上げているのだ。足元の瓦礫に霜が降り、パキリと音を立てて忽ち凍りついた。

 雅が目を細め、構えを低くする。先ほどまでの指導者のような余裕は消え、獲物を前にした狩人の目になっていた。

 

「ほう」

 

 エレンは答えない。ただ、口元に飴玉を放り込むように、自身の内側にあるスイッチを切り替えた。

 眠気を誘う甘さはもういらない。必要なのは、凍てつこうが噛み潰す貪欲さ。鋏の刃に纏わりつく冷気がエーテルにも干渉するように細かな氷を玉のように散らせ、青白く輝くかのようだった。

 髪の先まで神経が通り震えた気がした。皮膚の先の先まで空気の流れを読み取れる全能感。自分のポテンシャルがどこまでも届くと、根拠もなく信じられる。

 何より──あの「パエトーン」が期待してくれたのだ。だったら、それに応えてやるのが、専属メイドの務めだろう。

 

「ご主人サマにおねだりしちゃったから、さ」

 

 エレンは嗤っていた。その笑みは、凶悪で、美しく、そして底知れない捕食者のそれだった。

 雅の肌が久方振りに粟立つ。目の前にいるものが敵として切り替わった事に、知らず高揚を覚えていた。

 

「──全部、喰い散らかしてやる」

 

 氷の爆発と共に、エレンの姿がかき消えた。




Ver1.9999→2.0
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。