状態異常シャーク   作:すばみずる

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クローズシャーク

 温度が下がる。

 散々に暴風雪を巻き起こしてきた星見雅にとっても、その冷気は新鮮なものだった。わずかに目を細め、それを見極めようとする。

 彼女の目の前で、爆ぜるように走る少女は在り方を変えた。これまでは力任せの一撃か、俊敏さを活かしたヒット・アンド・アウェイ。一撃と離脱こそが彼女の戦術であり、エージェントとしてのスタイルだった。

 だが、今は違う。ゆらりと揺れる赤い瞳の残光。巨大な剪定鋏に宿る、禍々しくも美しい紅い燐光。引き摺られる鋏の切っ先がコンクリートを削り続けて神経を逆撫でする。

 

「行くよ」

 

 かろうじて捉えられていたエレンの姿がブレた。予備動作のない加速。摩擦係数をゼロにしたかのような異様な挙動で、雅の懐へと滑り込む。

 

「応」

 

 言葉と同時に雅の抜刀術が閃く。神速の居合。これまでのエレンならば、その斬撃範囲から逃れるためにバックステップを選択していただろう。

 だが、今のエレンは止まらない。振り抜かれる刃に対し、自ら鋏を叩きつけるように回転した。激しい火花が散る。雅の瞳に初めて驚愕の色が走る。斬撃を回避したのではない。剪定鋏の腹と、自身の回転力が生み出す遠心力で、雅の刃を強引に弾き返したのだ。

 防御を伴う強引な割り込み。広範囲に対しての居合による斬撃という理不尽極まりない技術に対してあえて攻撃をねじ込む暴挙こそが、今のエレンの武器だった。

 

「重いな」

「まだまだ!」

 

 弾かれた雅の体勢が崩れるコンマ一秒の隙。エレンは追撃の手を緩めない。回転の勢いを殺さず、そのまま逆方向からの斬り上げ。鋏が唸りを上げ、氷の刃が波のように押し寄せる。

 彼女の攻撃性を際限なく加速させる。一撃一撃が重い。ただ速いだけではない。急所を抉り取るような殺意と、分厚い鉄板すら断ち切る重量感が乗っている。

 雅は鞘と刀身を巧みに使い、連撃を捌いていく。だが、その足は確実に後退していた。受け流しきれない。エレンの攻撃は、雅が凌ぎ切れる許容量を飽和させようとしていた。

 

 ◆

 

 瓦礫の山を越え、推定したポイントへ向かう道中。視界の端、眼下に広がる広場では熾烈な嵐が繰り広げられていた。廃墟を蒼い閃光のような剣戟が乱れ飛ぶ。それを阻むように凍てつく氷が咲いては砕け、遅れて轟音が鼓膜を叩く。

 広場の中央で激突する二つの影。一方は星見雅。無駄のない太刀筋は美しくすらあり、およそ人知の及ばない域の斬撃を繰り出している。そしてもう一方、エレン・ジョーはサメの尾を振り回し、剪定鋏を風車のように回転させている。

 正直に言えば、分が悪いと思っていた。雅さんの強さは底が知れないし、エレンの動きにも疲労が見え始めていた。

 エージェントとして特級であるのは両者とも同じだが、ぶつけてしまえばそこに優劣は生じてしまう。差が生まれる。異なる二者がある場合、避けようがない事実。そもそも痛打を与える事を主とするエレンと、剣閃で凍てつかせる雅さんでは評価軸が異なる。

 ……理屈とエーテルは何にでも付く。結局、僕はエレンを侮っていた。雅さんには敵わないだろうという気持ちを捨てきれなかった。けれど、今のエレンは違う。仮想の肉体における体力は既に危険域突入しているはずなのに、動きのキレが段違いだ。暴走機関車が氷のレールの上を滑走するかのように滑らかに俊敏に暴威を振るう。雅さんの神速の斬撃を、エレンは空を泳いで紙一重で躱し、あるいは凍気の纏う鋏の交差で受け止め、強引にねじ伏せようと迫る。

 雅さんが振るう刀で束の間の空白を生み躱すのであれば、エレンは純然たる力で当たり相殺させて食い千切る。技の雅さんに対し、暴力のエレン。その均衡が、徐々にエレンの方へと傾きつつあるようにさえ見えていた。

 僕は足を止めることなく目的の場所へと急ぐ。エレンが稼いでくれている時間を無駄には出来ない。

 辿り着いたのは広場を見下ろす半壊したビルのテラス部分だ。ここなら戦場全体を俯瞰できるし、エーテリアスの接近してきても飛び降りて逃げることも出来る。なにより目的のものがある公算が高い場所取りでもあった。

 幸か不幸か、そこには先客がいた。オレンジのスカーフを巻いた、丸っこいシルエット。こちらに背を向け、設置されているコンソールに腰掛けているボンプだ。

 見間違えるはずもない。三人目のパエトーンと呼んでいい大切な家族、イアスの姿。

 ということは、中身は当然。

 

『うっわ、えげつな……』

 

 ボンプから聞き慣れた妹の声が漏れている。彼女は戦場の様子を眺めながら、短い腕を組んで独り言を漏らした。

 

『これは、ひょっとするとひょっとするかもね』

 

 まだ気付かれている風ではない。足音を忍ばせつつ背後へと近づきながら、手持ちの札を頭の中で確認する。自爆は論外。加害出来る手段は相変わらず皆無と言っていい。そうなると拘束か。戦闘用ボンプならこちらの身が危ないが、小柄なイアスなら僕でも拘束は可能のはず。

 問題は、リンとイアス以外にもある。もしリンがfairyの協力を取り付けていたならば、厄介度は数段跳ね上がる。こと電脳空間においてあの便利な人工知能は出来ることが多すぎると言っていいだろう。

 だが。あの有能で自己主張の激しい妖精が手を貸していたとして、僕がこの距離にいても警戒を見せないということはあるだろうか?

 助けを借りている場合。借りていない場合。借りたとしても消極的な場合。

 いくつかのパターンにおける考えを巡らせる。そして、決勝戦に入る前から懐に入れたままのあるカードを取り出し、イアスの背に向けて少しひらつかせる。反応は無い。イアスからはリンの独り言が響くだけだ。

 

『手出し無用、なんて言われてたっけ?』

 

 ボンプがそっと、操作盤へと指を伸ばす。いたずらっ子が冷蔵庫のプリンを見つけた時のような声色。彼女が何をしようとしているか手に取るように分かる。

 彼女が座るのは『エーテル虚像干渉装置』の制御コンソール。メリノエの調査でもホワイトスター学会が運用していた、地形の実体と幻影を変化、あるいは転移をさせる装置。雅さんが「勝負を望める場を誂えた」と言っていたが、やはりリンがこの装置を使ってあの即席の闘技場を作り上げていたらしい。つまり、このコンソールの主導権を握れば、あの広場の地形は思うがままということになる。

 たとえば足場を一瞬ずらす、あるいは二人の背後に壁を作るだけでも戦況は変わりうる。ほんの少しの変動があれば、今の拮抗した勝負は一瞬で決着がつくだろう。フェアじゃない? いや、ホロウの調査員として良い判断だ。環境は十全に利用しなければならない。

 だがその横槍を通してしまうのは、今回のクライアントの要望にはそぐわない。

 

『でもさー、機械のトラブルって付きものだよねー。特にこういう、実験段階の装置なんて誤作動してもおかしくないし』

 

 彼女の指先がコンソールのキーに触れようとした、その瞬間。僕は素早く踏み込み、無防備なボンプの胴体を背後からガシッと掴んだ。

 

『なっ!?』

「悪いね、リン」

 

 驚愕の声と共に、短い手足がバタつく。油断している今しかチャンスは無い。いくらイアスが小柄でも出力を上げでもされたら分が悪い。近くに落ちていたデータケーブルを拾い上げてぐるりと巻く。

 あっという間に簀巻きにされたイアスが、床にごろんと転がった。

 ボンプのデジタル表示の瞳が驚きで見開かれた形に変化し、ジタバタと芋虫のように身をよじる。

 

『こんの……fairy! なんで接近アラートを出してくれなかったの!』

 

 ぐるぐる巻きにされたボンプが、床の上で悔しげに身を捩る。やはりfairyも組んでいたのか。

 スピーカーから響く妹の抗議は悲痛そのものだが、糾弾された当の人工知能はどこ吹く風だ。多重人格のようにイアスの音声回路をジャックして平然と答えを返す。

 

『本来のマスターから先払いの報酬があったため、優先的に処理を行いました。ご愁傷様です』

『先払いの報酬? 何のこと!?』

「これだよ」

 

 先ほど、わざとらしくfairyの探知にも引っ掛かるようヒラヒラと見せびらかせたのは、公共料金のプリペイドカード。既にコードが見えるように削られたそれを指に挟んで見せる。

 

「リン、君がfairyに協力を取り付けるなら、きっと無償とはいかないはずだろう。彼女のスペックを十全に発揮させるのなら猶更だ」

 

 いくら二人の店長と言えど、すぐに電力消費を解禁する判断はリンだけでは行えない。その縛りは僕も同じだ。

 

「それでも、消極的であっても協力を取り付けていると僕は踏んだ。そうしないと、僕の側にfairyが付く可能性があるから」

『……そーだよ、だから賞金取ったらその分使っていい電気量増やしたげるって言ったのに』

 

 要するに、fairyに現時点で支払える報酬はリンにはない、空手形を切っていると予想した。モチベーションの低いfairyの天秤を傾かせるために切ったのが、誰であろうと使う事の出来る公共料金の支払い代行カード。番号が見えているこれなら、fairyは独自の判断で払い込みまでしっかりやらかしてくれる。

 

「言葉を弄するより、現物の方が良いことだってある。賢いfairyなら僕の意を汲み取ってくれると思ったんだ。流石は助手1号」

『恐縮です』

 

 不確定な未来の約束よりも、即座に使用可能なリソースの方が彼女にとってよほど価値が高いことだろう。それほど電力消費を締め付けていたということでもあるのだが。

 慇懃無礼な返答に、リンが食い下がる。

 

『でも大会の賞金なら、このプリペイドカードの額面より多いのに。なんで釣られちゃうのさ』

『そちらは魅力的な提案でしたが、賞金の使用用途について助手2号のみが全てを差配出来る可能性は低く、また最近の助手2号の支出と体重増加を照らし合わせると、ここ数か月で増加したゲーム課金、交際費、特に飲食料金への補填を優先させる可能性が高く、契約不履行が十分にあり得ました』

『なっ──!!』

 

 体重増加という余計なパラメータまで参照された好き放題な物言いは聞いていてやや耳が痛い。

 fairyは言うべきことは言い終えたと判断したのか黙りこくる。愉快な漫談は終わったらしい。僕はしゃがみ込んで赤く点滅するコンソールを指差し、一応の答え合わせをする。

 

「あの広場、周りの瓦礫の散らばり方と比べて、あまりに綺麗すぎる。誰かが意図的に作ったステージだと思ったんだ。で、そういう真似が出来る装置は僕に覚えがあったし、パエトーンの半分に覚えがあるという事は、その半分も知っているということだからね」

 

 にこりと笑いかけると、リンは心底嫌そうな声を上げた。

 

『人聞きが悪いなぁ。私はちょっと、ステージの演出を手伝おうとしただけだよ』

「それがあの場では致命的な演出になるから止めたんだよ」

 

 視線を戦場へ向ける。エレンは今、自身の全てを賭けて雅さんに挑んでいる。そんな時に入る横槍を、彼女が喜ぶはずがない。この程度で申し訳ないが、助けられるものは助けてやりたい。

 

『大体さぁ、私が操作しようとした丁度のタイミングで捕まえるなんて、悪さするって決めつけて待ち構えてたってことでしょ? ひどくない? 妹がフェアプレイ精神に溢れているとかそういう信頼はないの!?』

 

 ボンプの体をよじりながら抗議の声を上げるリン。その言い分はもっともだが、こちらの言い分もある。

 

「もちろん信頼しているさ。世界で一番ね」

『だったら──』

「だって、僕が同じ立場なら、間違いなく同じことをしただろうからね」

 

 リンの動きがピタリと止まった。そう。僕がリンの立場でも、雅さんの意を汲んで同じく広場を作ったろうし、僕がコンソール前にいたら、間違いなく地形操作の誘惑に駆られていただろう。勝つためなら盤面ごとひっくり返す。それを厭わないのはお互いにそうだ。僕たちはどうしようもないほど、似た者同士の共犯者なのだから。

 言い返せないと悟ったのか、ボンプの電光掲示の丸い瞳が恨めしげに細められる。

 

『分かった、分かったよ! 私の負け! もう何もしないから解いてよ!』

「試合が終わるまではそのままで頼むよ。君の指先一つで後々のエンディングの評価が変わりそうなんだ」

『お兄ちゃんのケチ! 分からず屋! 甲斐性なし!』

 

 謂れのない罵倒を聞き流し、僕はぐるぐる巻きのイアスを抱え直して手すりの方へと向く。特等席からの眺めは絶景だ。

 

「さて、邪魔者は消えた。あとは彼女たちの決着を見届けるとしようか」

 

 広場では、青い氷と白銀の刃が、クライマックスに向けて火花を散らしていた。僕たちの小細工など不要なほどに、その戦いは鮮烈で、美しかった。

 

「……すごいな」

 

 思わず漏れた呟きは、称賛と、わずかに戦慄が混ざっただろうか。

 以前までのエレンは、やはり省エネを心がけていたように思う。最小の労力で最大の結果を出す。それはそれでプロフェッショナルな姿勢だ。

 けれど今の彼女は体力の効率など度外視している。エンジンを回転数限界まで回し続け、燃料を撒き散らしながら爆走するドラッグカー。霜を纏う一挙手一投足から繋がる怒涛の連撃は、溢れんばかりのエネルギーを持て余すかのようだ。

 本来なら回避に回るべき相手のカウンター攻撃に対し、さらに被せるように鋏を叩きつける。被弾を恐れない、肉を切らせて骨を断つ戦法。それは彼女が本来持っていた凶暴性の露見なのかもしれないし、一人きりで強者にぶつかった事による高揚が生んだ愉悦のひと時かもしれない。

 新エリー都最強の一角と謳われる虚狩りを相手に一歩も引かない姿。勝てるかもしれない。そんな予感が脳裏をよぎる。だが同時に、不安も鎌首をもたげる。

 あれは、長く続く状態じゃない。短距離走のペースでマラソンを走っているようなものだ。決着は、すぐに着く。

 

 

 ◇

 

 

 戦場は混沌を極めていた。廃墟の広場は、エレンが撒き散らす冷気によって氷の世界へと変貌しつつあった。雅もまた、守勢に回りながらも鋭いカウンターを放ち、エレンの頬や腕を掠める。VR空間のエフェクトとして、赤い粒子が舞い散る。互いに一歩も譲らぬ攻防。その均衡を破るように、空間に亀裂が走る。エレンと雅のちょうど中間に、黒い飛沫のような光が噴き出した。

 

「■■■■■!!」

 

 耳をつんざく咆哮と共に現れたのは人型のエーテリアス。調査協会ではデュラハンと命名されたそれは、実体を持つと即座に行動を開始する。即ち、ホロウ内への生物への加害という基本原則。その大きな刃のような腕が振り上げられる。エレンと雅、二人をまとめて叩き潰そうとする暴力の塊。だが。

 

「邪魔」

 

 エレンの声は冷え切っていた。視界を遮る障害物。アキラとの約束を果たす道筋に落ちている、ただの小石。彼女は視線すら向けなかった。ただ、進行方向に「それ」がいたから。回転の軌道上に、たまたま「それ」が存在したから。

 

「失せろッ!」

 

 エレンの鋏が、暴風のような勢いで振るわれる。

 同時に、雅の抜刀術が閃く。

 一瞬だった。振り下ろされようとしていたエーテリアスの腕が、エレンの鋏によって粉砕され、氷塊となって砕け散る。そして胴体は、雅の神速の斬撃によって十文字に切り裂かれていた。悲鳴を上げる間もなかった。現れたばかりの精鋭級のエーテリアスは瞬く間にデータの塵へと還った。爆散するエーテリアスの光の中を、二人は何事もなかったかのように突き抜ける。視線は互いだけを捉えていた。

 障害物が消え、視界が開けた瞬間、エレンはさらに加速する。今、この瞬間こそが好機。雅が斬撃後の硬直にあるコンマ数秒。バックステップで距離を取ると見せかけ、その反動を利用した急加速。回避行動に見せかけた、必殺の間合いへの侵入。

 

「これで──」

 

 限界まで高めた出力の解放。それは今まで見せてきたどんな攻撃よりも速く、鋭い。鋏が巨大な顎となり、雅を両断しようと迫る。雅がエレンの攻撃を見切るように、エレンもまた、雅の太刀筋を見極めようとしていた。刀を抜き放ち終えた、僅かな機の終わり。次の瞬間には氷結する剣閃が生み出されるはずの僅かな時間。ここに併せて当てるしかない。

 術理や技巧は無から生えない。何も持ちえない少女は天性の勘をもってしてこの空隙を手繰り寄せる他無く、しかし確かな好機として星見雅の体を捕らえた。

 

「──終わり!!」

 

 裂帛の気合と共に、鋏が閉じる。空間ごと断ち切るような衝撃音。巻き起こる爆風と、舞い上がる氷煙。エレンは荒い息を吐きながら、手応えを確認しようとする。

 

「見事だ」

 

 煙の向こうから、静かな声が響いた。

 氷煙が晴れる。そこにはエレンの鋏によって体を断たれた雅の姿がある。二の腕から先が鈍い音を立てて、凍結している床面を転がる。肩に掛かっていた羽織りは風に巻き上げられ宙を踊る。

 

「力、速度、気迫。どれをとっても一級品だ。純粋な破壊力ならば、今の私はお前に及ばないだろう」

 

 だが、それだけ。断たれれていたのはその腕一つ。

 雅の瞳は、どこまでも澄んでいた。そこには焦りも、恐怖もない。ただ、深い湖のような静寂があるだけ。

 

「だが」

 

 全力の一撃を放った直後の、最大の隙。それは誰であれ例外なく存在する。

 残された片腕が振るう鞘でエレンの体が空を泳ぐ。思考が白く染まる。

 

「お前の刃は、鋭すぎるがゆえに脆い」

 

 気付いた時には、雅はエレンの懐にいた。刀は鞘に収められているが、それは威力の低さを保証しない。鞘と柄、その全てを使った甲冑術。

 

「勢いに任せる程度なら、空隙に誘い込むことも容易い」

 

 雅の言葉が、冷たい水のようにエレンの意識に染み渡る。本能のままに振るった暴力、それを御せていると思っていた。これなら簡単。これなら押し負ける訳がない。

 しかし瞬間を狙っているのを狙われていたと考えられるほど、冷静さを保てる体力が残っていなかった。

 

「あ──」

 

 エレンが呻く。回避は間に合わない。防御もできない。雅の右手が、柄に掛かる。

 音が消えた。世界から色が失われた。ただ、白銀の閃光だけが、エレンの視界を焼き尽くした。

 

 衝撃はない。痛みもなかった。ただ、足元が崩れ落ちるような浮遊感だけがあった。自身を構成しているものが一瞬で消滅する感覚。強制ログアウトのシークエンスが起動する。

 崩れ落ちるエレンの視界の端で、雅が静かに残心を解くのが見えた。その表情は、勝者の驕りなど微塵もなく。ただ、好敵手に対する敬意だけが浮かんでいた。

 

 届かなかった。その実感と共にエレンの意識が、暗闇へと沈んでいく。アキラの顔が浮かぶ。勝つと言ったのに。信じてくれたのに。自分だけでいいと、大見得を切ったのに。

 言葉は音になることなく電子の海へと消える。視界が完全にブラックアウトし、冷酷に敗北を告げていた。

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