リモートシャーク
六分街、夜。Random Playの店内は静寂が訪れていた。
一階の謎めいた(あるいはあからさまな)扉の奥、ずらりとモニターが並ぶ工房のソファに、エレン・ジョーは深く身を沈めている。膝の上には工房への扉を開けてくれたボンプを乗せて、労わるように頭を撫でている。
「あー、だる。店番って、いつもの客引きよりしんどいじゃん」
噛み潰した飴を再補充しながら、エレンは溜め息を吐ききった。行儀も忘れてだらりと体を投げ出すが、咎めるものは誰もいない。普段は主たちが団欒を築いているこの場所も、彼らが不在だとどこか広く寒々しい。
本来であれば店頭に立つべき兄妹は、ここしばらくスロノス区にある半島、衛非地区に出向いている。雲嶽山の宗主から手取り足取り腰取り術法なるものを教わっているとエレンは伝え聞いているものの、深く聞くほど興味は湧かない。兄妹がいないということさえ分かっていればエレンには十分だった。
二人が衛非地区へ行っている間、留守を預かったのはイアスと同型のボンプたち。しかし愛くるしいボンプたちだけでは何かと不安に思ったアキラたちは、ほうぼうへ頭を下げて馴染みのエージェントたちに応援を頼んだ。
そうして出来上がったのは、ぐるりと回る当番制の応援表。一日に一人、店先に立つ一日店長まがいのことをやってもらっており、今日はエレンが任命されていた。
『お疲れ様。本当に助かったよ』
虚しい好き放題に飽きていたサメのもとに、申し訳なさそうな、けれど柔らかい青年の声が響く。ヤヌス区からスロノス区、区境を跨いだ遠方にいようとも、アキラはエージェントたちに丸投げにはせず、一日の終わりには必ず連絡を入れるよう心掛けていた。
「別に。依頼ならやるだけ。で、日報? ぎょーむきろく、話さなきゃダメなんだっけ?」
エレンはもう一つ、大きなため息を吐いてから膝の上のボンプを抱え直す。ほんのりとした温かさが、立ちっぱなしの脚を癒やしてくれている気がした。
『覚えていることを適当に話してくれればいいよ。テキストファイルで何キロ以内にまとめて、なんてガラに合わないだろう?』
「そんな学校の宿題みたいなのやってらんないって。えーっと、何があったっけ……」
エレンは尻尾をダラリとソファから床に垂れ落とし、今日一日の報告を始めた。
「客の数は基準と同じくらい。昼過ぎに来たガキが『スターライト・ナイト』のシーズン1がないって泣きわめいてウザかった。在庫管理どうなってんの?」
『貸出中だったんだな。一期なら確かに借り手が多いし、戻ったら本数を増やせるよう手配しよう』
「ふーん。ま、適当にあしらったからまた来るか分かんないけど」
言葉を継ぎながら、エレンの手は手持ち無沙汰を埋めるように膝の上のボンプを弄っていた。
丸みを帯びた頭を指先でなぞり、ピンと立った耳のようなパーツを指の腹で揉みしだく。ゴムのような、それでいて人肌に近い温もりを持つシリコンの感触が指に吸い付く。
「あとは、夕方くらいに141の袋持った常連が来てさ……なんか、新作のお菓子入ったとか、どうとか。店先に試供品置けないかとか言ってたけど、断って良かったよね」
『……っ、あー。うん、そう、だね』
「聞いてんの? で、そのお菓子が──」
エレンはボンプを抱き枕のように胸元へ引き寄せ、顎をその頭頂部に乗せた。自身の体重を預けるようにぎゅうっと力を込めると、ボンプの柔らかいボディがエレンの豊かな胸の形に合わせて歪む。
『う……ごめん、ちょっと、回線が……』
「は? こっちはクリアに聞こえてるけど」
スピーカーから返るアキラの声が、どこか上擦っているように聞こえる。電波障害だろうか。エレンは不満げに鼻を鳴らし、抱きすくめたボンプの背中を、猫をあやすように指先でツーとなぞり上げた。背骨にあたるラインを尾骶骨から首筋へ。
『んっ……! ま、待った、エレン、ちょっとストップ』
「なによ。報告続けてるじゃん」
エレンはムスッとして、抱えているボンプをぎゅっと強く締め付けた。
アキラが遠い場所にいて、多分忙しく過ごしているのは分かっているが、その態度は気に入らない。
「そんなにアタシの話、退屈? それともそっちでよろしくやってる感じ?」
『いや、違うんだエレン。そうじゃなくて……』
スピーカーから、困り果てたような吐息が漏れる。
『……そんなふうに抱きかかえられてたら、正直、集中できないんだよ』
「は?」
エレンが瞬きをした瞬間、膝の上の物体が──06と銘されたスカーフを巻くボンプ、レムが短い両手をパタパタと振った。
『ほら、これ、要はイアスと同じような手段でレムと繋いでいるから、その』
「なにがまずいの。言ってみなよ」
『……声だけじゃなく、エレンの体温も感触もリアルタイムで伝わってきているんだよ』
「……――」
思考が空白になったのは一瞬。すぐに、カァッと熱が頬を登ってくるのが分かった。
じゃあ、なに。さっきまで手慰みに撫で回していたのも、胸に押し付けていた感触も、全部筒抜けだったということか。
「変態」
『不可抗力だよ! そういう仕様なんだから仕方ないだろう!』
慌てふためくアキラの声に、エレンの中の羞恥心は、即座に加虐心へと塗り替わった。
アキラの指摘があって尚、エレンは抱擁を強める。
「へぇ……全部、伝わってるんだ」
エレンはニヤリと笑ったことに反応するかのように、レムの瞳がンナナと戦慄く。
『エ、エレン?』
「だから、それの何がまずいの。こうされたら、どうなるわけ?」
言うが早いか、エレンはボンプを自身の顔の高さまで持ち上げると、そのつるりとした頬へ自身の頬を擦り寄せた。
熱い。機械の排熱ではない、生き物のような温もりがそこにある。
「アキラ。ここ、あったかいよ」
『っ、だ、ダメだエレン、それは……手元が狂う……!』
「そんなんで狂うとか、パエトーンも大したこと無いじゃん。それとも、なんか別の問題でもある感じ?」
わざと甘ったるい声を出しながら、エレンはボンプの首元──アキラの首筋に相当する場所へ、ふぅ、と熱い吐息を吹きかけた。
『分かった、分かったから、降参! 僕の負けだ!』
スピーカーから悲鳴に近い降伏宣言が響く。それを聞いて、エレンは満足げに喉を鳴らした。
「ん。分かればよろしい」
何の勝負かも分からないやり取りに勝ち誇ったエレンだったが、ふと、腕の中のボンプの柔らかい中にある硬質な骨格の感触に気付き、力が抜けた。
伝わっていると言っても、所詮は擬似的なものだ。
アキラの体温も、匂いも、心臓の音もしない。
「……はぁ」
からかう気力が萎んでいく。代わりに、胸の奥に澱のように溜まっていたものが顔を出した。
エレンはボンプを抱き直すと、今度はただのぬいぐるみのように、あどけなくその頭に顎を乗せた。
「ね、アキラ」
エレンは一度言葉を切り、膝の上のボンプの丸い頭を、愛おしげに両手で包み込んだ。
電光モニタの瞳が無機質に、けれどどこかアキラに似た優しさでこちらを見上げている気がした。喉の奥で躊躇いが小さく渦を巻くが、触れている掌から伝わる温もりが、彼女の背中を押した。
「次、いつ会える?」
問いかけは、思ったよりも幼い響きを帯びて落ちた。
スピーカーの向こうで、アキラが息を呑む気配がする。電波に乗った沈黙はわずか数秒。けれど、エレンの尻尾が不安げに床を叩くには十分な長さだった。
『一週間は掛からない。五日後にそちらへ行くさ』
迷いのない、確かな約束。
張り詰めていた肩の力が抜け、エレンは深く息を吐きながら、ボンプの額にこつんと自身のおでこを預けた。
無機のボディ越しに、遠く離れた彼と熱が触れ合ったような錯覚を覚える。
「ん。待ってる」
エレンは目を閉じ、遠く離れたアキラの気配を想像しながら、ボンプ越しに伝わる微かな温もりを抱きしめた。
「早く帰ってきて。……充電、切れそうだから」
小さく呟いたその言葉は、通信に乗っただろうか。
答える代わりに、ボンプの手が、エレンの肘を優しく撫でた。
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