一月四日。年は越しても冬休みは明けきらぬ新エリー都の昼下がり。
ファーストフード店のボックス席で、エレン・ジョーは水揚げされた蛸のようにテーブルへ突っ伏していた。
溶けかけた氷がカラン、と音を立てる。その音に呼応するように、テーブルの下では太いサメの尾がけだるげに、けれど機嫌よさそうに右へ左へと揺れていた。
「あー……ねっむ」
「そりゃそうだよ。うちも結構ふわふわしてる」
「同じく同じく」
向かいの席に座るモナが呆れつつも楽しげにジュースのストローを回す。隣にいるルビーも、眠気覚ましのコーヒーをすすりながらニヤニヤと笑っていた。
昨晩──一月三日の深夜。
日付が変わって四日になる瞬間を祝うと言い出した友人たちに連行され、エレンはカラオケボックスで朝方まで拘束されていたのだ。
凛が用意したクラッカーが鳴り響き、ルビーとモナがハッピーバースデーを絶叫する狂乱の夜。
おかげで睡眠時間は削られたが、悪い気分ではなかった。
「3日から4日に変わる『一番槍』は、絶対アタシたちが貰うって決めてたんだから」
「はいはい、ありがと。おかげでフラフラだけど」
口では文句を垂れつつも、その顔には隠しきれない満足感が滲んでいた。徹夜明けの気怠さはあるが、不思議と嫌な感じはしない。むしろ、この後の予定を思えば、今の頭がふわふわと浮つく感覚さえも、高揚感の一部として楽しめそうだった。
「でも、一番おいしい『当日の夜』は残しておいてあげたんだから、感謝してよね?」
「は? 何が」
「べっつにー。ま、色んな人にたくさん祝ってもらえる方がいいじゃん?」
あえて明言はしないルビーに、エレンは頬杖をついたまま視線を逸らす。それでも揺れる尻尾のリズムが、期待を雄弁に物語ってしまう。
六日前、ボンプ越しに交わした約束。
『一週間は掛からない』『休み中には行く』。そういう言い方をしていたのだから、つまりそういうことを期待したっていいはずだ。というか期待させると分かっていて言っているのだろうあのスケコマシは。偏見で積み重ねておきながら、結局は理想が塗布される。
友人たちが祝ってくれた昨晩の狂騒も楽しかったが、本命はやはり、これから訪れる待ち人にこそあった。
スマホの画面をタップして時刻を確認する。もうすぐ午後二時。移動時間を考えれば、そろそろ連絡があってもいい頃合いだ。
ブブッ、とテーブル上のスマホが短く震えた。
エレンの手が思考よりも早く端末を攫う。画面に表示された『アキラ』の文字を、友人たちから守るように隠す。
「ほら来た! 噂をすればなんとやら、だね」
「邪魔しちゃ悪いし、今日はもう解散にしよっか」
「ええー。こっからチェイスパートかストーキングパート待ったなしじゃん?」
「待ったあるよ、それ本人の居る前に言う?」
友人たちの冷やかしを適当に受け流しつつ、エレンは緩みそうになる口元を必死に噛み殺して、通話ボタンをスワイプした。座席の陰に頭を突っ込み、聞かれないように細心の注意を払う。
「……もしもし? なに、どうかした?」
あくまで待ってなんかいないけど、電話が来たから出ただけという体を装う。
テーブルの下、他愛ない会話に花を咲かせる友人たちには見えない死角で、エレンの尻尾はメトロノームのように激しく時を刻んでいた。
受話器の向こうから聞こえるはずの声を待つ。どうせ誰にでも言いそうな人誑しらしいセリフでも用意してるんでしょ。早く言えばいいのに。
しかし、スピーカーから返ってきたのは、予想していた穏やかな言葉ではなかった。
『──ごめん、エレン。今日、そっちに戻れなくなった』
エレンの指先からストローが離れ、グラスの縁に当たって乾いた音を立てた。
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
戻れない? 今日? なんで?
「は? ……なんで?」
『スロノス区からの幹線道路沿いでホロウ災害が発生してね。治安局がルートを完全封鎖したんだ。迂回路も試そうとしたんだけど、どこも避難車両で詰まってて……』
アキラの声は、ひどく申し訳無さそうで、焦燥に駆られていた。背後でクラクションや怒号のようなノイズが聞こえるあたり、本当に身動きが取れない状況なのだろう。
不可抗力だ。彼が悪いわけじゃない。
友人たちが残しておいたと言ってくれた夜という時が、空白に変わる音がした。
「ふーん。そっか」
『本当にごめん。間に合うように出たはずだったんだけど……』
「いいって。災害ならしょーがないじゃん。別に、期待してたわけじゃないし」
気付けば、驚くほど冷淡な声が出ていた。
ダダを捏ねたい気持ちが喉元まで出かかっている。友人たちに浮かれた様子を見せていた手前、そんなみっともない真似はプライドが許さない。
『日付が変わるまでには絶対に着くよ。だから』
「だから、いいって。友達といるから切るね。じゃ」
相手の返事も待たずに、通話を強制終了した。
ブラックアウトした画面に、無表情な自分の顔が映り込む。
「エレン? どうした」
不思議そうに見つめてくる友人たち。さっきまで心地良かったはずの視線が、今は肌にさざ波を立ててくる。
エレンは残っていた炭酸の抜けたジュースを、一気に喉へ流し込んだ。
甘いはずの液体は色を失ったまま冷たく臓腑に落ちていく。
「……シフトの連絡だった。急ぎの仕事が入ったから、今から行ってくる」
「えっ、嘘。誕生日なのに?」
「しょーがないじゃん、仕事なんだから」
嘘と強がりを吐き捨てて、エレンは席を立った。
「帰る」
「ちょ、ちょっとエレン!」
友人たちの心配する声を振り切って、エレンは店を出た。
冬の空は高く、どこまでも寒々しかった。
つづく。