状態異常シャーク   作:すばみずる

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フロントラインドールズ

 ルミナスクエアの歩道の上を、アレクサンドリナ・セバスチャンは音もなく滑るように移動していた。

 通行人たちが驚きの視線を向けるのも無理はない。彼女の靴底は地面から数センチほど常に浮いており、重力という世界の理から優雅に逸脱しているのだから。決してその豊満な肢体にうつつを抜かす者ばかりではないはずだ。

 けれどその軽やかな移動とは裏腹に、リナの心はずしりと重かった。

 食材の詰まったトートバッグの重さのせいではない。現在契約を結んでいる「ご主人様」から賜った、あまりに突拍子もない依頼のせいだ。

 

『あー、僕の中のミューズが枯渇しそうだ! リナ、インスピレーションが必要なんだ!』

 

 口癖のように嘆く声が耳元で再生されるかのようだ。

 ここ最近、リナがご主人様と仰ぐことになった方は、新進気鋭の芸術家だ。感性が豊かと言えば聞こえはいいが、要するに気難しい変わり者である。

 彼が今朝、朝食のオムレツを突きながら叫んだオーダーはこうだった。

 

『「この世のものとは思えないほど美しいビーチ」で、「水着の美少女たちが戯れている」生写真が欲しい! 合成じゃダメだ、本物の光と肌の質感が必要なんだ!』

 

 はっきり言ってしまえば、頭の悪い、いかがわしい欲望に聞こえる。

 しかし相手は芸術家。エロティシズムと芸術は紙一重であり、彼にとっては創作の源泉たる死活問題なのだろう。

 そしてメイドたるもの、主人の望みは完璧に叶えなければならない。

 被写体に関してはさいわいツテがある。なんならリナ自身が水着を着る覚悟もある。ヴィクトリア家政のメイド長として、可否はともかくプロポーションの維持には自信があるし、ご主人様の望む「美少女(広義)」の枠には収まるはずだ。たぶん。

 問題はロケーションだ。「この世のものとは思えないほど美しいビーチ」などという場所が、そう都合よくあるはずがない。景勝地を探そうにも、ホロウ災害で閉鎖に追い込まれたリゾート施設は両の手の指で足りないほど。縁のあるファンタジィリゾートに赴くかとも思ったが、ひと気の感じられる観光地のビーチで撮影したところで、偏屈な感性をお持ちのご主人様では認めはしないだろう。

 

「困りましたわね」

 

 夜に影を探すような徒労を思いため息交じりに独りごちたその時、エプロンのポケットで端末が震えた。ディスプレイに表示された名前を見て、リナは少しだけ表情を緩める。

 同じ職場の可愛い後輩、エレン・ジョーだ。

 

「はい、リナですわ」

『あー、もしもしリナ? 今、平気?』

 

 受話器越しに聞こえる声は、いつも通りの気だるげなものだ。しかし、リナの耳にはその奥にある僅かな浮つきが聞き取れた。

 

『あのさ、ボスからも連絡いくと思うんだけど……アタシ、次のシフト、ちょっと外れることになったから』

「あら、またシフトの変更ですの? 最近、ずいぶんと頻繁にお休みを申請されているようですけれど……有給は計画的に残しておかないと、いざという時に大変よ」

『ちがうし。休みじゃなくって……仕事入ったの。指名の依頼』

「お客様からのご指名?」

『うん。……あの、六分街の、ビデオ屋の店長』

 

 その単語が出た瞬間、リナは慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべざるを得なかった。

 エレンの声は無意識なのか少し早口になっている。

 

『なんか、スロノス区の湾内に出てきた? 島の調査に行くことになったらしくてさ。護衛が必要なんだって。で、わざわざアタシを指名してきたわけ。……ほんと、人使い荒いっていうか、めんどくさいっていうか』

「あらあら、うふふ」

『……なに』

「いえ? すっかり頼りにされていますのね、と思いまして。店長様も、エレンなら背中を預けられると思っているのでしょう。良い事だと思いますわ」

『別に。頻繁に呼ばれても面倒なだけ』

 

 電話越しでも、彼女が尻尾をバタンバタンと床に叩きつけている様子が目に浮かぶようだ。

 微笑ましい。実に微笑ましい青春だ。

 リナがからかうように喉を鳴らすと、エレンは居心地が悪くなったのか、早々に会話を切り上げようとした。

 

『とにかく、そういうことだから。留守の間、よろしく──』

「──お待ちなさい、エレン」

 

 通話終了ボタンが押される寸前、リナは鋭い声で制止した。

 頭の中で、パズルのピースがカチリと嵌まる音がした。

 店長様からの依頼。

 孤島の調査。

 そして、エレン・ジョーという被写体。

 

「あなたが請け負う仕事の話、もう詳しく聞かせていただけますかしら?」

『え? だから、島の調査で……』

「その島……もしかして、『人の手が入っていない、美しいビーチ』があったりしませんこと?」

 

 リナの脳裏に、芸術家のご主人様の顔と、アキラ店長の顔が重なる。

 一石二鳥。いや、一石三鳥だ。

 ご主人様の依頼を達成し、可愛い後輩の征く路を見守り、あわよくば自分も店長と共にバカンスを楽しめる。

 

『えっと、噂じゃ白い浜辺はあるとかなんとか。人は入った事が無いっぽいとか、そんなのは聞いたけど』

「決まりですわね」

 

 他に手がかりは無いのだから、このチャンスに乗るしかない。

 リナは宙に浮いたまま、くるりと軽やかにターンを決めた。重かった心が、今は羽のように軽い。

 

「その依頼、ヴィクトリア家政として全力でバックアップさせていただきますわ。いつ出発ですの? 私も同行します」

『リナ? 何言ってんの?』

「店長様には私から話を通しておきますわ。さぁて、まずは最高の水着を用意しなくてはなりませんわ」

『え、ちょ、マジで?』

 

 エレンの困惑の声をBGMに、リナはルミナモールへとを滑り出した。

 

 ルミナモールにある高級ブティック『金子籠』。その一角にあるリゾートウェア専門のコーナーは、まだ季節が早いこともあって客足は疎らだった。

 だからこそ、リナはその優雅な試着タイムを存分に堪能できていた。

 

『なんでわざわざビデオ通話に変えるのさ』

 

 試着室の壁に立てかけたスマホの画面で、エレンが呆れたような顔をしている。

 背景を見るに、彼女は自分の部屋にいるようだ。クッションを抱きかかえ、頬杖をついている。

 

「こういうものは、自分の見立てを絶対視しないことが肝要よ。第三者の目として、エレンの意見も必要不可欠ですわ」

『めんどくさ』

「まあまあ。それよりご覧になって? これなんてどうかしら」

 

 着替え終えたリナは、自撮りでもするように持ち上げたスマホのカメラに向かって頭から足先まで全身を晒した。

 今、彼女が身に纏っているのは、深いロイヤルブルーのビキニだ。

 露出度は高いが、レースのパレオが腰回りを彩ることでヴィクトリア家政のメイド長としての品格を損なわない、ギリギリのラインを攻めた一着。

 だが、その品格以上に目を引くのは、やはり彼女自身の肢体だろう。

 豊かな胸元は布地から溢れんばかりに主張し、くびれた腰から伸びる脚線美は長く伸びやか。白磁のような肌と深い青のコントラストは、芸術家でなくとも息を呑む美しさだ。

 

『…………』

「エレン? 画面が固まっているようですけれど、電波が悪くて?」

『……ううん。なんか、凄すぎて引いてるだけ』

 

 エレンが少し拗ねたように視線を逸らした。

 

『ていうかさ、リナ。それって無自覚なの? 目に毒ってやつじゃん』

「あら? お褒めいただき光栄ですわ」

『褒めてないし。なんか見てるだけでお腹いっぱい。てか、自分のスタイル見せつけたいだけじゃないの?』

「まさか。私はただ、ご主人様と店長様に失礼のない格好を選びたいだけですわよ?」

 

 そう言って、リナはわざとらしく胸元を強調するようにポーズを取ってみせた。

 エレンがうわぁと露骨に嫌そうな顔をする。その瞳の奥に、同性としての羨望と、自分にはない年上という存在へのジェラシーが混ざっているのをリナは見逃さなかった。見せ甲斐がある。

 リナは満足げに微笑むと、素早く着替え終えてからそのビキニを購入候補としてカゴに入れた。

 

「さて、次は本命ですわね」

『本命?』

「ええ。エレンの水着ですわ」

 

 リナはハンガーラックの方へ移動し、目星をつけていた数着をピックアップして画面に見せた。

 黒を基調としたスポーティなもの。赤のラインが入ったアグレッシブなデザイン。そして、少し冒険した紐の面積が少ないもの。エレンの事だからサメの意匠がある方が好むかもしれないが、ここはもう少し対象年齢を上げていいところだろう。

 

「エレンのサイズなら把握していますから、試着なしでも問題ありませんわ。ほら、以前採寸した時のデータもありますもの」

『ちょ、ちょっと待って! 勝手に選ばないでよ!』

 

 画面の向こうでエレンが慌てて身を乗り出した。

 

『何でこっちも水着が要るわけ?』

「ご主人様の要望は水着の美少女『たち』ですもの。私ひとりでは複数人にはならないわ。こちらの都合で申し訳無いけれど、協力してもらいます」

『水着だったら学校で使ってるやつ持っていくけど』

「それはそれで良いと思われるのは不穏なので止めておきましょう」

 

 今度は全員がスクール水着の絵面が欲しいなどと言われると、如何なメイド長の堪忍袋でも耐えきれない。

 

『てか、そのデータいつのやつ? 去年の健康診断の時でしょ?』

「ええ、そうですけれど。何か問題でも?」

『……も、問題、あるし』

「おや?」

 

 エレンの声が急に小さくなった。

 抱きかかえていたクッションに顔を埋め、上目遣いでこちらを見ている。その頬が、ほんのりと桜色に染まっている。

 

『……その、さ。最近、ちょっと……変わったっていうか』

「変わった? 髪型ならいつも通り可愛らしいですわよ?」

『髪じゃなくて! ……体型』

 

 エレンは一度言葉を切ると、意を決したように、蚊の鳴くような声で言った。

 

『……最近、ちょっと……大きくなった……から……胸と、お尻』

「…………」

『……去年のサイズだと、多分、きつい……かも』

 

 沈黙が落ちた。

 リナは数秒間、瞬きを繰り返した後、満面の笑みを浮かべる。

 

「あらあら、うふふ」

『わ、笑うな!』

「いえいえ、笑ってなどいませんわ。……そうですか、成長期ですのね。素晴らしいことですわ」

 

 なるほど、道理で最近のエレンはどこか艶めかしい雰囲気を纏っているわけだ。

 少女から大人へと変化する、最も甘く、不安定な時期。その変化を、一番に見せつけられるのはさて誰なのだろうか。

 

「分かりましたわ。では、少しゆとりのあるサイズ……あるいは、成長したお体をより魅力的に魅せるデザインを選び直しませんとね」

『余計なお世話! ……あーもう、恥ずかしい!』

 

 エレンがクッションで顔を完全に隠してしまった。

 リナは慈愛に満ちた眼差しで画面を見つめながら、ワンサイズ上の、しかし露出度は変わらない──むしろ、その成長を際立たせるような大胆なデザインの水着へと手を伸ばした。

 

「店長様も、きっと喜んでくださいますわよ」

『うるさいっ! 切るよ!?』

 

 音割れする寸前のがなり声すらも、今のリナには心地よい音色に聞こえた。

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