新エリー都の郊外南部。『カリュドーンの子』が根城とする街ブレイズウッドでは、今日も今日とて乾いた砂埃とエンジンの排気音に包まれていた。照りつける太陽は容赦がなく、ガレージの中ともなると蒸し風呂のような暑さだ。
そんな熱気の中。カリュドーンの子のリーダー、キング・シーザーは愛用のスパナを放り投げ、オイルと煤で汚れた手袋を脱ぎ捨てた。
「っしゃあ! 完成だぜ!」
目の前に鎮座しているのは、この荒野には似つかわしくない流線型のマシン。
乾いた砂塵と錆びた鉄の匂いが支配するこの空間で、その滑らかな曲面で構成されたフォルムは異様なほどの存在感を放っていた。シーザーの手によって磨き上げられた船体は、熱気のこもる薄暗いガレージの中でも艶めかしく光を反射し、まるで今すぐにでも飛び出していきそうな渇望を湛えている。
ジェットスキー、ウォータークラフト、呼び方は様々あるが、シーザーは敢えて水上バイクと呼び続けている。
それは少し前、郊外に点在する共生ホロウの一つから掘り出された代物だった。ジャンク品に紛れて貨物コンテナの中に埋もれていたところを奇跡的にエーテル浸食を免れ、カリュドーンの子たちによって発見されたのだ。なんたる数奇な運命だろうか。
とはいえ、侵食が無いにしてもジャンクはジャンク。バラして適当なパーツ取りをしようと誰もが思っていたものの、頭目たるシーザーは唐突に血迷った。
『バイクって言うぐらいなら、オレ様にも使えるだろ』
その無謀で浅はかな判断に仲間たちは呆れ顔で止めようとしたが、だがそれが逆にキングのシーザーの逆鱗に触れた。意地と情熱を混同させたまま、あらゆる制止を無視して修理に没頭していたのだ。
「エンジンの吹き上がりも完璧。塗装も塗り直したし、これならどんな波でも楽勝だぜ」
満足げにボディを撫でる。ひんやりとした金属の感触が心地よい。
ここに至るまで、様々な苦労があった。そもそも見つかったのが本体だけなので、水上バイク用のパーツどころかマニュアルが無い。そのため、どういった機構で動いているのかを把握するので一苦労だ。伝手を頼って関係資料を取り寄せてから、ガラクタの中から似たような部品を付けては試して削って調整してを繰り返すのが長く続いた。アクセルレバーは何度も試したがしっくり来ず、結局愛機の予備部品からツイストグリップが流用されている始末だ。
エンジンを吹かすのだってひと悶着あった。なにせラジエーターが無い事に気付かず冷却用の給水も繋いでいなかったものだから、初の空ぶかしで危うくボヤを起こすところだった。何故かガレージの外からソワソワしながら見張っていたルーシーが殴って止めていなければ大惨事になっていたことだろう。
一通りの点検を終えて腕を組んだ瞬間、シーザーの中にふとした虚しさが過ぎった。
「……で? こいつをどこで走らせるんだ?」
ガレージの外を見やる。
あるのは見渡す限りの荒野と、乾いた岩肌だけ。水溜まりすらないこの場所で、水上バイクなどただの鉄の塊だ。
達成感は一瞬で萎み、やっちまった感だけが残る。だがあっけなく溜め息が吹っ飛ばし、笑みだけを据える。
「ま、いいや。誰かに売っ払って、その金で肉でも食うか」
なんだかんだいじっている間は楽しかったのだし、それでいい。
あとはなるようになるだろう。今はまず、この暑苦しいツナギを脱ぎたい。全身汗だくで肌に張り付く布地が鬱陶しくて仕方がなかった。
シーザーは作業着のフロントジッパーに指をかけ、勢いよくへその下あたりまで引き下げる。ガムテープを剥がすような快音と共に蒸れた身体が外気に晒され、汗の匂いが蒸気のように立ち上る。
そのまま上半身を脱ぎ、袖を腰で結んだ。残されたのは、王者に相応しい風格と偉大さを誇示する胸元を頼りなく覆うチューブトップ。それも汗で透けて、健康的な肌の色を隠せていない。
「あー、あちぃ。ついでにシャワーでも浴びるか……」
さらにズボンのベルトに手をかけた、その時だった。
「おーい、シーザー。いるかい?」
ガレージの外から、聞き覚えのある男の声がした。
エンジン音や怒号ばかりが響くこの街で、その声は珍しいほど穏やかで、シーザーにとっては心地よい響きを持っていた。
「ん? 今の声……プロキシか?」
シーザーの顔がぱっと輝く。あいつが訪ねて来るのも呼ばれるのもいつぶりだろう。商談か、それともただの遊びか。どちらにせよ、退屈していたところだ。
シーザーは自分が今、半裸に近い格好であることをすっかり失念したまま、タオルで顔の汗を拭いながら元気よくガレージから飛び出した。
「よぉ! なんだよアキラ、久しぶりじゃねぇか!」
「やあシーザー、ちょっと折り入って頼みがあっ……て、うわっ!?」
日差しの中に飛び出したシーザーを見た瞬間、アキラが素っ頓狂な声を上げて硬直した。
彼の視線が、シーザーの露わになった鎖骨、汗が伝う胸の谷間、そして引き締まった腹筋へと吸い寄せられ──そうになるのを理性が強制的に引き剥がし、バッと背を向けた。
「シーザー、何で、そんな恰好、してるんだ」
「あ? 何って、着替えの途中だったんだよ。この中のを直したばっかでさ、汗かいたから……」
「だからって、そんな格好で表に出て来るものじゃないよ」
「なんだよ、減るもんじゃあるまいし」
こういうのを恥ずかしがるのって、普通は男女逆じゃねぇか? シーザーは訝しんだが、そもそも自分が恥ずかしがるのは負けだと思うので気にしないことにした。
「これくらい郊外じゃ全然アリだぜ。都会育ちはお堅いな」
「そういう問題じゃなくて……ええい」
「うわっ!?」
アキラが振り返ることもせず、手探りでシーザーの体を押し返してきた。彼の手のひらが、シーザーの汗ばんだ肩と、柔らかな二の腕に触れる。
普段はもやしと笑っていても、アキラも一応は男だ。意外と強い力で押され、シーザーはよろめきながらガレージの中へと後退させられる。
「とにかく! 服を着てくれ。シャワーに行くなら待つから。話はそれからだ」
「お、おい押すなよ! 分かった、分かったから!」
アキラの手の熱さと必死な様子に、シーザーも釣られて少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
ガレージのシャッターが、アキラの手によってガラガラと半分ほど下ろされる。薄暗くなったガレージの中で、シーザーは自分の胸元を見下ろし、小さく呟いた。
「ちぇっ。つまんねーの」
別に欲情しろとは言わないが、ここまで徹底して拒絶されれば面白くない。
じゃあどうされれば良かったのか、シーザー自身も分かっていないことに気付いてないまま、シーザーはシャワー室へと繋がる扉へ向かった。
◆
ブレイズウッドの住人ご用達のダイナー『チートピア』。 店内に充満するのは、濃厚なチーズの匂いと、鉄板で焼かれる肉の脂の香り。そんな食欲をそそる熱気の中、ボックス席に陣取ったシーザーは、塔もかくやとばかりに積み上げられたダブルチーズバーガーにかぶりついていた。
「んぐ、んぐ……ぷはっ! やっぱやること片付けた後のメシは最高だな!」
豪快にニトロフューエルで流し込み、口元のケチャップを指で拭う。
シャワーを浴びて汗とオイルにまみれた作業着から、清潔なタンクトップとデニムのショートパンツに着替えた体は軽い。濡れた髪を適当に乾かしただけのラフな格好だが、この街では誰も気にしない。
対面に座るアキラは、シーザーの食いっぷりに苦笑しつつ自分のコーヒーを啜っていた。
「相変わらずいい食べっぷりだね、シーザー」
「おうよ。で、話ってのはなんだ? わざわざここまで来て折り入っての頼みってことは、変わり種の依頼ってか?」
「お察しの通りだ」
アキラは居住まいを正すと、タブレットを取り出して地図を表示した。
海図だ。ブレイズウッドからは遠く離れた、スロノス区の湾内を描いた図。その一点が赤くマークされている。
「依頼内容は、ある無人島の調査と護衛。依頼人は『怪啖屋』の学生二人だ。彼女たちが安全にバカンス……じゃない、調査を終えて帰るまで、身の安全を保証してほしい」
「アリスってのは覚えがあるな。ふーん、学生のお守りか」
「ただ、色々いわくがあるらしい場所でね。ホロウが関わる可能性もあるし、もしかすると海上で小回りが利く移動手段も必要になるかもしれない」
海上にホロウが発生したからといって、その内部に海があるとは限らない。ポートエルピス近くのホロウでも、主な行動範囲はコンテナ置き場周辺で、水没地帯の探索はそもそも検討すらされない。
だが今回は未知の環境になる。誤った行動一つで、今まで起こり得なかった異常事態が襲い掛かってきかねない。考え得る可能性には対処をしたい、その用心深さはシーザーにはやや過保護に思えたが、理解は出来た。
「僕にはヴィクトリア家政のエレンが付いてくれることになってる。シーザー、君にはその学生たち、柚葉とアリスの直接の護衛をお願いしたいんだ」
「なるほどな」
シーザーは最後の一口を放り込みながらニヤリと笑う。普段だって、別に依頼のえり好みはしない。どんな依頼でも望むところだが、今の彼女にとっては新しいおもちゃをブン回す絶好の機会だ。笑いたくもなる。
「悪くねぇ話だ。ちょうど完成したアレを試す場所を探してたところだしな」
「受けてくれるかい?」
「ああ、もちろん。報酬も出るんだろ?」
「僕からじゃなくてアリスのポケットマネーからだからね。期待していいと思うよ」
商談成立。ニトロフューエルを飲み干して、馴染みの店員に声を掛ける。おかわりを頼む声も明るい。
ここ最近はガレージにいるか配送のどちらかしかやっていなかったものだから、エージェントとして動けるなら望むところだ。やる気も湧いて来るというもの。
だが、同時に疑問も湧く。あまりにもシーザーにとって話が出来すぎている。
水上バイクを直していたこと。それが今日完成したこと。そして、そのタイミングを見計らったかのように舞い込んだ、海に纏わるこの依頼。
まるで、最初からこうなることが決まっていたかのような。
「なぁ、アキラ。聞いていいか?」
「ん?」
「お前、なんでオレが水上バイクを持ってるって知ってたんだ? ガレージに来たのは初めてだろ」
「あー、まぁ。そうだね。アレがあるのは知っていて来たよ」
「誰からだ? 完成が近いのなんて誰にも教えてなかったのに」
「ええと。ルーシーから聞いたんだけど」
「ああ? なんであいつが、そっちにわざわざ教えてるんだよ」
アキラは少し気まずそうに視線を逸らし、それからごまかしきれないと諦めたように自分のスマホを取り出した。
「実は、こういうわけで」
差し出された画面には、メッセージアプリの履歴が表示されていた。
『そろそろ組みあがる頃だと思いますけど、どうせあの猪頭はどこで使うか何も予定を立てていない事でしょうし』
『もし水辺での依頼で役立たせる機会があるなら、一声掛ければ尻尾を振って付いて行きますわよ』
文面の最後には、やれやれと肩を竦めるようば素振りのスタンプが押されている。
「あいつ……っ!」
シーザーは思わずテーブルをバンと叩いた。代わりのジョッキを持ってきていた店員がビクッとする。
誰が猪頭だ。ついで、尻尾を振ってついて行くなんて、まるでオレ様がエサにつられた犬みたいじゃないか。畜生扱いならどっちか一つにしろ。
「っざけんなよルーシー! 見つけたらデコピンしてやる……!」
「ははは。まあ、おかげで助かったよ。ルーシーは需要と供給を正しく繋いでくれた」
「ぐぬぬ」
悔しいが、ルーシーの手回しに嚙みつける部分は、その言い様以外には無い。
予定なんて何一つ考えていなかったことも、水上バイクを走らせる場所がなくて途方に暮れていたことも。
全部見透かした上で、アキラを経由して活躍の場を斡旋するよう仕向けていた。あいつには考えてること、もとい考えていないことなどお見通しというわけか。
「……ちっ。余計なお世話なんだよ」
シーザーは悪態をつきながらも、頬が緩むのを抑えられなかった。カリュドーンの子のメンバーたちは、どいつもこいつも優秀で、小憎らしいほど気が利く。
「わーったよ。ルシアーナお嬢様の顔をお立てあそばして、アリスお嬢様のお警護をしっかり完遂してやる」
「頼もしいな。よろしくお願いするよ、荒野の覇者。おっと、水上バイクを輸送する当てもなかったなんてオチは無いようにね」
「なめんな、船の上で飲むニトロフューエルも箱ごとアイアンタスクで運んでやるよ」
まるで騎士剣を翳す様に、なみなみと注がれたジョッキを掲げてから、また一息に呷る。
乾いた荒野から、青い海へ。悪くない仕事になりそうだ。
探索者紹介終わり