スロノス区本区の沿岸に位置する「ファンタジィ・リゾート」近郊の桟橋。
早朝の冷たく澄んだ空気の中、波音だけが静かに響くその場所に、不釣り合いな重低音が近づいてきた。
地響きのようなエンジン音と共に現れたのは、カリュドーンの子たちが誇る大型トレーラートラック、アイアンタスクだ。巨大な図体の割には滑らかなブレーキ音と共に、桟橋の脇につけるよう停車する。
「ふわぁ……眠みぃ。シーザー、着いたよぉ」
眠そうに目を擦りながら、運転席からパイパーが降りて大きく伸びをする。続いて助手席のドアが開き、シーザーが軽やかに飛び降りた。
「おう、サンキューパイパー! 朝早くから悪かったな」
「いーよいーよぉ。あたしもたまには海が見たかったしぃ」
先に到着して一連の光景を見ていたアリスが物珍しそうに、けれど少し気圧されたように近づいていく。彼女にとって「カリュドーンの子」やその乗り物たちは知っている存在だが、早朝の海辺で見る巨大な鉄の塊はまた別種の威圧感を放っているらしい。ウサ耳がピコピコと忙しなく動いている。
「あら、今日はいつものバイクではありませんのね? シーザーさん」
「ん? おお、アリスじゃねぇか! ご依頼ありがとな!」
シーザーは豪快に笑いながら、華奢なアリスの肩をバシバシと叩いた。アリスがあうっと小さな声を上げてよろめくが、シーザーに悪気はない。むしろ、これでも力の加減をしているつもりなのだろう。
「今日ばっかりはバイクじゃあ積めない代物だからな、パイパーに運んでもらったんだよ」
言いながら、シーザーはアイアンタスクの荷台を指差した。それに合わせてパイパーがレバーを動かすと、油圧音と共にコンテナの側面が展開し、中に鎮座していた流線型のマシンが朝日に照らし出された。先日仕上げたばかりの水上バイクだ。
シーザーは自慢げにアリスを荷台へとエスコートする。それは雇い主へのアピールでもあったが、おニューのおもちゃを見せびらかしたい気持ちが大半を占めていた。
「わぁ……素敵! とっても立派なマシンなのだわ!」
「だろ? こいつがありゃあ、海の上でも『猪突猛進』だぜ!」
「ええ! 正面から見るとシンメトリーなところが特に素晴らしいのだわ!」
「しんめとりー?」
よく分からない部分が加点になったものの、賞賛してもらえたシーザーは豊満な胸を張る。
そんなシーザーの様子を見て、アリスは少しだけ安心したように息を吐いた。一見粗野に見えるが、彼女たちは裏表がない。未知の島へ行く不安の中で、この頼もしさは何よりの救いだ。
一方、その少し離れた場所では、もう一つの異文化交流が行われようとしていた。
桟橋の係留杭に腰掛け、気だるげに海を眺めつつ船を漕ぐエレン・ジョー。彼女は特に誰とも会話することなく、ただ出発の時を待っていた。口先にはいつもの棒付きキャンディを咥え、見ようによっては寝たまま煙をくゆらせているかのようだった。
アキラとリナはクルーザーの操舵担当と打合せをすると言い、その間お待たせするゲストの歓待をエレンは任されていた。
とはいえ、到着したアリスと柚葉も二人できゃいきゃいしているため、エレンは「もーちょい待ってて」と最初に一言言うだけで仕事が終わっていた。大体、軽食の用意も椅子も何もない港で歓待も何も出来るわけがない。
そこへ、興味津々な様子の柚葉が近づいていく。アリスがシーザー達へ向かっていき手持ち無沙汰になり、暇つぶしのターゲットにエレンを選んだらしい。
「ねぇ、あなた。エレンだっけ。ヴィクトリア家政の人なんだよね?」
「……ん? そうだけど」
エレンは億劫そうに片目だけを開けて柚葉を見た。
柚葉は物怖じすることなく、ニコニコとした笑顔でポケットから何かを取り出した。
「あたし、浮波柚葉。よろしくね。これ、お近づきの印にどうぞ」
差し出されたのは、色鮮やかな包み紙に入ったキャンディだ。
エレンは少し怪訝そうな顔をしたが、好物を無下にすることもできず、それを受け取った。
「どーも」
エレンは器用に包み紙を剥き、その赤い飴玉を口に放り込む。その瞬間を、柚葉は期待に満ちた目で見守っていた。
あれはただの飴ではない。折角なら衛非地区の味を知ってもらおうと思い用意した、特製のカラシ飴だ。口に入れた瞬間、火を噴くようなうま辛さが襲うはず。初対面のイタズラとしてはかわいいものだ。
「…………」
しかし、エレンの表情はピクリとも動かない。頬の中で飴を転がし、カリッと噛み砕く音さえ聞こえた。エレンにとって多少の辛さ程度、メイド長の食事と比べれば常識の範囲内だった。
「……あれ?」
「なに?」
「い、いや。辛く……ない?」
「辛い? ……ああ、ちょっとピリッとするかも。アクセント?」
エレンは不思議そうに首を傾げた。
アクセント、で済むレベルではないはずだ。柚葉は頭をひねりながら、自分のポケットに残っていた同じ飴を取り出し、恐る恐る口に含んだ。
瞬間。舌を焼くような激痛と、鼻に抜ける強烈な刺激臭。誰だ、こんなものをうま辛いと言ったのは。真斗の強がりを真に受けるんじゃあなかった。
「ぐっ、うぅ……っ!!」
柚葉は目を白黒させ、口元を押さえて蹲った。辛い。痛い。涙が出てくる。
そんな柚葉を見下ろすエレンは溜息をつくと、自分のポーチから別の飴を取り出し、柚葉の目の前に差し出した。
「ほら」
「うぅ……?」
「口直し。これ、ちゃんとした甘いやつだから」
ぶっきらぼうだが、そこには明確な善意があった。
柚葉は涙目でその飴を受け取り、急いで口の中の地獄を中和する。広がるマンゴーの甘さがエレンの不器用な優しさと重なって、なんとも言えない敗北感と共に染み渡った。
この子はただ者じゃない。柚葉の中でエレンに対する評価が、気だるげなメイドから底知れない強者へと書き換わった瞬間だった。
「長らくお待たせして申し訳ございません。船内でのおもてなしの準備が整いました」
そこへ、船内での打ち合わせを終えたらしいリナがタラップから降り、一同へ声をかけた。
甲板からは少し疲れたような、しかし安心したような顔をしたアキラも姿を見せる。
「どうぞ中へ。シーザー様のお荷物を搬入次第、出発致しますわ」
朝日の中、一行はそれぞれの期待と荷物を抱え、クルーザーへと乗り込んでいく。
アリスは少しおっかなびっくりとタラップを渡り、柚葉は口の中の甘さに安堵しながらそれに続く。エレンは気だるげに、しかしアキラの姿を見て少しだけ足早になった。
それぞれの思惑を乗せて、船出の時は近づいている。
◆
「おはよう、シーザー。何か手伝えることはあるかな?」
「おう、プロキシ。こっちは大丈夫だ。すぐ終わっから」
挨拶もそこそこに、水上バイクの積み込み作業が始まった。
クルーザーに搬入搬出用で搭載されているクレーンが、低い駆動音を唸らせて水上バイクを吊り上げる。朝日を反射して輝く流線型の巨体が、シーザーの巧みな操作で宙を滑るようにクルーザーの後方へと運ばれていった。
アリスが手配したクルーザーは大型プレジャーボートと呼べる規模の代物で、船尾にあるスイムプラットホームに水上バイクを据える事も容易い。着地するとシーザーは淀みなく固定作業に入る。ラッシングベルトでクルーザー側の固定金具とバイクのフックを繋ぎ、ベルトのラチェットを巻き上げてしっかりとテンションを掛ける。
揺れでは微動だにしないが、バックルを弾けば瞬時にロックが解除される。海上で何かあればここから飛び乗ってロックを外し、そのまま海へスライドさせて急行する即応仕様とのこと。そのためカバーは掛けず、キーはシリンダーに挿したままだ。
「手際が良いね。海には慣れてるのかい?」
「まさか。この腕だぜ」
鈍く光る金属の義手がヒラヒラならぬカチャカチャと音を鳴らして揺れる。肘から先を機械の義手で補っているとは思えないほど堂々とした立ち振る舞いに忘れさせられていたが、確かにそれでは泳ぎも海も縁遠いだろう。
「海の事なんてたいして知らねえけど、こういう備えは陸でもどこでも変わらねえもんだろ」
「そういうものかな。……いま気付いたんだが、その腕だと水上バイクに乗るのって結構リスクが高いんじゃないか?」
「ああ? ビリの字が海辺で壊れた事は無いし、大丈夫だろ。おーい! 積み込み終わったぜ! 出していいぞ!」
潮風による故障ではなく、海面に落ちた時の心配をしているのだが。陸上での頼もしさの象徴でもあるが、こと海の上となるとそのまま彼女を海底へ引きずり込む重りにもなり得る。
だが、シーザーの顔には一点の曇りもない。落ちなきゃいいという単純明快な理屈が彼女の中では成立しているらしい。
シーザーの合図でクルーザーが発進する。呑気に海を眺めているこの暴れん坊覇者は、どうにも危なっかしく見えて仕方がない。
「せめて救命胴衣は着けてくれ。ほら、手伝うから後ろを向いて」
「ん。これ男物じゃねえか」
「シーザーの……装備も込みだと、これがぴったりだよ」
キミの体格だと云々と言えば、たとえシーザーでも面白く思わないだろう。実際、いつもの胸甲を着たまま装着するならサイズは限られる。
「本当に着けなきゃダメか? 動きにくいし、なんか邪魔だし……」
「我慢してくれ。ツール・ド・インフェルノの王者が親指を立てながら沈んでいくのを見たくないんだ」
「そうかよ。ま、落ちなきゃいいんだろ、落ちなきゃ」
文句を言いつつも、シーザーは大人しく僕にベルトを締めさせてくれた。
そうこうしている間にクルーザーのエンジン音が一段階高くなる。船体が切り裂く波が徐々に高くなり、港の景色は既に後方へ遠ざかっている。
潮風が強くなる。都会の埃っぽい空気とは違う、塩と太陽の匂いを含んだ風だ。
「よし、どっちも固定は完璧だ。前の甲板に行こうか」
「おう。お嬢様方の様子でも見てやろうぜ」
僕たちは船尾デッキを離れ、階段を上がってメインの甲板へと向かった。
まだ日は昇りきっていないが、海上の日差しは既に夏のそれだ。眩しさに目を細めながら甲板に出た瞬間。その視界は、明るさとは違う予想外の彩りに埋め尽くされた。
「あら、店長様。お疲れ様ですわ。お任せして申し訳ございません」
優雅な声と共に振り返ったリナさんの姿に、思わず息を呑む。
彼女が纏っているのは、深いロイヤルブルーのビキニだ。腰回りには同色のレースのパレオを巻いているが、それがかえって素肌の白さと、重力に逆らうような肢体の豊満さを強調している。普段のロングスカートで隠されつつもスリットで見え隠れしていた脚線美が、容赦なく陽光に晒されていた。
「リナさん、着替えたのかい? いったいいつの間に」
「ええ。現地に着いてからでは時間が勿体ないですから。それにご主人様のオーダーに応えるには、今のうちから肌を太陽に慣らしておきませんと」
リナさんは事もなげに言うが、その破壊力は凄まじい。よく見れば周囲で飛び回り雑務をするボンプたち、ドリシラとアナステラも水着に合わせたような衣装を纏っている。
そして、目を見張るべきは彼女だけではなかった。
「あ、来た来たアキラ! ね、この水着、覚えてるよね?」
元気よく手を振ってきたのは柚葉だ。ピンクのラッシュガードは前が僅かに開いており、下に着ている水着を覗かせている。そこへ吸い寄せられる視線を収めてやろうとばかりに、ハーネスの胸元にはカメラが鎮座していた。頭上のサングラスを直しながら不敵に笑う様子は、いつか共にした夏を鮮明に思い出させてくれる。
「あ、あまりジロジロ見ないでほしいのだわ……! その、一年ぶりに着たのだけど、変ではないかしら……?」
その隣で、柚葉の立てたパラソルの影に隠れるように縮こまっているのはアリスだ。白を基調としたフレアワンピースの水着とピンクのタブリエの組み合わせが、桜色の電光表示が賑やかなバックルのついたベルトで纏められている。こちらも柚葉と同じくリゾート再建の際に着ていたものと同じだが、改めて見るとその清楚さと魅力のバランスが絶妙だ。ただ本人は落ち着かないのか、しきりに髪の先をいじりながら上目遣いでこちらの様子を窺っていた。
「柚葉とアリスもか。調査が目的なのに、もうバカンス気分じゃないか。気が早いな」
「アリスがはしゃいで海面を間近で眺めてたら水被っちゃって、ついでに柚葉も着替えちゃったの。ねー?」
「ゆ、柚葉! 余計なことは言わなくていいのだわ!」
華やかな水着姿の三人に囲まれ、甲板は一気にリゾートの空気に変わっていた。
ふと視線を横に向けると、エレンだけは手すりに寄りかかり、いつものメイド服のまま海を眺めていた。
「エレンは着替えないのかい?」
「は? なんで仕事中に着替えなきゃなんないわけ。護衛なんでしょ?」
表情からして照れでもツンでも怠慢でもない、純度百パーセントの真面目な発言。こういう時のエレンは愚痴は言っても意外と職務に真面目だ。
正論だ。ぐうの音も出ない。けれど彼女のそういった頑なさが、かえって水着姿を見たいというこちらの期待値を無自覚に上げていることに本人は気付いていないだろう。
「同感だな。これから仕事だってのに、浮かれすぎじゃねえか」
シーザーもエレンに同意するかのような口ぶりだが、その目線はリナさんや柚葉たちを羨んでいるように引き付けられている。
こちらの方は、少し背を押してあげた方がいいのかもしれない。
「シーザーは着替えないのかい?」
「は、はぁ!? オ、オレがか!?」
尋ねた言葉にシーザーは飛び上がらんばかりに動揺した。顔を一気に赤くして、ブンブンと手を振る。
「いやいやいや! ねーよ! ガラじゃねぇだろ!」
「そうかな? シーザーならスタイルもいいし、似合うと思うけど」
「だ、だからっ! あんなヒラヒラしたもん着て、ヘラヘラ笑ってられるかよ! 似合わねぇよ、絶対!」
断言してからそっぽを向くシーザー。その反応は着たくないというより、単に気恥ずかしさが勝っているだけのようだ。鍛え上げられた腹筋や健康的な肌は彼女たちに負けず劣らずだと思うが、無理強いはすまい。
それに。何故だか彼女は持っていないという言い訳をしなかった。ということは、そういうことだろう。
「分かったよ。気が向いたらということで」
「お、おう……ま、気が向いたらな」
シーザーは安堵したように、しかし少しだけ名残惜しそうに息を吐いた。
中で休むと言い残して船内へ行くシーザーを見送ると、いつの間にか背後へ迫っていたエレンが呟く。
「で、言い出しっぺはどうするの?」
「え」
振り返る隙もなく、肩と腰を掴まれる。ぐいぐいと衣服を引っ張るちからはとてもつよい。
「あんたのことだから、どうせ下に履いてるでしょ、水着。準備が良いのが売りだもんね、プロキシは」
「いや、その、確認の為に触ろうとするのは止めてくれないか。手を入れるのもちょっと」
「ふーん。アキラのバッグの中、水辺用の帽子と上着はあるのに、下履きだけ一枚ないねぇ。エレンの見立て通りじゃない?」
「柚葉? なんで勝手に荷物を漁っているんだ??」
「お召し物はどうぞお任せを。綺麗に畳んでおきますので。日焼け止めも如何ですか?」
「リナさん???」
咄嗟にアリスへ助けを求めようとしたが、その瞳は赤らんだ頬と同様に両手で隠されている。
指の間から覗くオッドアイの煌めきのせいで、僕のこれからを期待しているのだけは理解した。どうやら味方はいないらしい。