状態異常シャーク   作:すばみずる

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ランディングシャーク

 出港してからしばらく経ち、追い詰められた哀れなプロキシが素肌を晒される騒動も落ち着いた頃。海上の様子が一変した。

 それまで快晴だった空が、まるで境界線でも引いたかのように分厚い雲に覆われ、視界が乳白色に染まり始めたのだ。

 霧だ。それも、船首の数メートル先すら霞むほどの濃霧。

 肌にまとわりつく湿気が、先ほどまでのカラッとした潮風とは異なり、どこか重苦しい粘り気を帯びているように感じる。

 

「……なんだか、急に不気味になってきたのだわ」

 

 甲板でタオルを羽織ったアリスが、不安げに周囲を見回した。

 柚葉が脅かすために話したという海賊の幽霊や踊るエーテリアスの話が頭をよぎっているのだろうか。ウサ耳が警戒するようにピーンと立っている。

 確かにただならぬ雰囲気だ。ホロウの中での緊張感を想起しても仕方がない。だが用意しておいた計器類は、こちらの予想に反して穏当な動作を見せている。

 

「安心してくれ。機械で示している数値は正常だ。エーテル濃度の上昇も見られない」

「ほ、本当かしら? 慰めではないのよね?」

「ああ。これはただの海霧だよ。事前に調べていたけど、この海域では寒暖差のせいでよく発生するらしい」

 

 僕の言葉を裏付けるように、クルーザーの速度は落ちていない。操舵室にいる船長もまた、レーダーやソナーを信頼し、迷いなく船を進めていた。視界不良に伴い安全の為に速度は落としているものの、航行自体には一点の淀みもない。プロの仕事だ。

 ただの気象現象。肌感覚でも、機械の計測でも、頭でも分かってはいる。けれど、この世界から切り離されたような静寂と白さは、本能的な警戒心を逆撫でするには十分だった。エレンも無言で飴を噛み砕き、シーザーも腕組みをしてじっと霧の奥を睨んでいる。

 

 緊張が数分ほど続いた、その時だった。

 前方の霧が、突如として開けた。

 まるで劇場のカーテンが引かれたかのように乳白色の世界が左右に流れ去り、強烈な色彩が目に飛び込んできた。

 

「わぁ……っ!」

 

 誰かの感嘆の声が漏れる。

 突き抜けるような青空。エメラルドグリーンに輝く浅瀬。そして、その奥に広がる純白の砂浜と、鬱蒼とした緑の木々。

 横濫島。そこには怪しい伝説の欠片もなく、ただただ手つかずの楽園だけが広がっていた。

 

「到着だな。思ってたより綺麗なもんだ」

 

 シーザーの呟き。リナさんも静かに頷き、その光景に目を細めている。

 クルーザーは島の沖合、水深が十分に確保できるポイントでエンジンを停止し、アンカーを下ろした。ここからは上陸の準備だ。

 当然ながら、無人島だろうあの島に桟橋などという気の利いたものはない。あるいは噂の海賊の港でもあれば、と言ってしまうと、きっとアリスは噂を思い出して拒否反応を示すことだろう。

 そうなると上陸用のボートを使うのが定石だが、その前にやるべきことがある。シーザーが自身の水上バイクへと向かい、慣れた手つきで固定ベルトを外し始めた。

 

「っし、まずはオレが先に行って安全確認してくるぜ。アキラたちはそっちのボートで来な!」

「あ、待って! それなら柚葉も行く!」

 

 制止の声を上げたのは柚葉だった。目を輝かせてシーザーに詰め寄る姿は、背丈に見合わぬ圧がある。

 

「第一上陸者は、調査を希望した柚葉がやるべきだと思うんだよね! それに、そのバイクの後ろに乗ってみたい!」

「おいおい、危ねぇぞ? 何があるか分かんねぇんだからよ」

「平気平気! 何かあったらシーザーが守ってくれるんでしょ? 荒野の覇者がついてるなら安心だし!」

 

 柚葉の屈託のない信頼と、好奇心に満ちた瞳。

 それを向けられて、シーザーが悪い気を起こすはずがなかった。彼女はニカっと口角を上げ、持ち前の腕っぷしでバイクを押し込み海面へと着水させる。勢いよく上がる飛沫に紛れてシーザーが乗り込み、間髪入れずエンジン音が海上に響き渡る。

 

「いい度胸だ。気に入ったぜ! なら乗れ! しっかり掴まってな!」

「やった!」

「ゆ、柚葉!? 本当に大丈夫!?」

 

 アリスの悲鳴をよそに、柚葉は救命胴衣を着込むと、軽やかに水上バイクの後部座席へと飛び乗った。釜之介はリュックのように柚葉の背に固定されており、しっかりと傘を抱え込んでいる。

 

「行くぞ! 振り落とされんなよ!」

「おー!」

 

 柚葉がシーザーの腰にしっかりと腕を回すのと同時に、爆音を響かせながら二人は猛スピードで白い砂浜へと一直線に突き進んでいく。水しぶきを上げて突き進むシーザーの姿は、こと騎乗する乗り物については非凡な才能を感じさせた。

 そういえば彼女、小型船舶の免許は持っているのだろうか。問い詰めた方がいいのか。怖いから聞かない方がいいのか。

 いずれ開けなければいけない不安に一旦蓋をしてから、残った一同に向き直る。

 

「元気なことだ。じゃあ、僕たちも行こうか」

「ええ。アリス様、参りましょう」

 

 呆気にとられるアリスをリナさんがエスコートし、僕たちはクルーザーに備え付けられていたテンダーボートへの乗り込みを開始した。

 船長がクレーンで降ろしてくれたボートは定員も十分でエンジンも付いている。これなら荷物を含めても全員で移動できる。

 リナさんがふわりと浮遊してボートに降り立ち、アリスの手を取る。エレンは面倒くさそうに、しかし身軽に飛び降りた。最後に僕が乗り込み、操舵を握る。

 

「それじゃあ、出発だ」

 

 ボートのエンジンを始動させる。

 先行するシーザーと柚葉が立てた白波の軌跡を追いかけるように、僕たちは純白のビーチへと舳先を向けた。

 

 

 

 ボートの底が砂を擦る感触と共に、僕たちは白い砂浜へと上陸を果たした。

 エンジンを止めると、先に到着していたエンジン音とは対照的な、興奮した声が飛び込んでくる。

 

「凄かったー! 風圧で顔が変形するかと思ったけど、あのスピード感は病みつきになりそう!」

「だろ? 波に乗る瞬間、ちょっと腰を浮かすのがコツなんだよ。海でも陸でも似たようなもんんだな」

 

 そこには、濡れた髪をかき上げながら目を輝かせる柚葉と、得意満面で胸を張るシーザーの姿があった。

 柚葉は未だ興奮冷めやらぬといった様子で、身振り手振りを交えて今の体験を熱弁している。よほど気に入ったらしい。

 

「あんな体験、衛非地区じゃできないもんね。あ、泅瓏囲ならなんかあるかも? 自分でも運転できたら最高なんだけど」

「ははっ、さすがにいきなりは無理だけどよ。そんなに気に入ったんなら、今度郊外に来な。オレ様のバイクのケツに乗ってツーリングと洒落込もうぜ」

「えっ、いいの!?」

「おうよ。ま、アリスほどのリアクションは期待できねぇかもしれねぇけどな」

「あ、あら……その節はどうもお世話になりましたわ」

 

 シーザーの言葉に、ボートから降りたアリスが少し照れくさそうに頬を掻いた。以前にも彼女はカリュドーンの子の一団に混ざり風になった事があった。その時の光景を思い出すと少し口元が緩んでしまう。ともあれ、異文化交流は順調のようだ。

 微笑ましい光景は良い事だが、そればかりでは話は進まない。リナさんと視線を交わして頷き合った。

 

「さて、みんな。無事に上陸できたところで、予定通り行動を開始しようか」

 

 僕が手を叩いて注目を集めると、全員の視線が集まる。

 

「事前の打ち合わせ通り、ここからは二班に分かれる。柚葉、アリス、シーザーの三人は探索班だ。このまま島を外周に沿って調査しつつ、内陸への安全なルートや特異な反応がないかを確認してくれ」

「りょーかい! 隊長は柚葉がやるからね!」

「私も、しっかり観察していくのだわ」

「任されたぜ。島の端っこまで案内してやるよ」

 

 元気よく手を挙げる柚葉に、頼もしく請け負うシーザー。アリスも真剣な表情で頷いている。予想に反してお化けの気配が薄いからか、希望とやる気が湧いてきたらしい。

 

「僕とリナさん、エレンは設営班だ。日が暮れる前にベースキャンプを確保し、宿泊の準備を整える。万が一、何かあったらすぐに無線で連絡を取り合うこと。いいね?」

「承知致しましたわ」

「あたしらは留守番ってことね。はいはい」

 

 エレンは気だるげに返事をしつつ、口の中の飴を転がした。不満そうに見えるが、広い島内を歩き回るよりは定点での護衛の方が楽だと判断しているのだろう。尻尾が機嫌良さそうに左右に揺れているのがその証拠だ。

 

「それじゃ行こっか、アリス、シーザー!」

「おう、遅れるなよ!」

「ええ、参りましょう!」

 

 柚葉たちは簡単な装備確認を済ませると、すぐに足跡のない砂浜へと駆け出していった。はたから見れば海水浴を楽しむ一行そのものだ。

 その背中が見えなくなるまで見送り、僕は大きく息を吐く。さて、こちらも動かなければ。

 

『荷物降ロシタゾ!』

『オワッタ! オワッタ!』

 

 騒がしい電子音が浜辺に響いた。そちらを見ると、リナさんが連れている二体のボンプ、ドリシラとアナステラが、ボートから降ろしたコンテナの山の上で跳ねていた。

 

「ふふ、二人ともご苦労様」

 

 リナさんが優雅に微笑みかけると、二体のボンプは嬉しそうにその周りを旋回し始めた。

 設営資材はこれで揃うが、宿泊の為にはもう少し物資が必要だ。

 

「店長様、私は一度クルーザーに戻って、残りの荷物を運んで参りますわ」

「ああ、そうだね。量も多いだろうし、僕も手伝うよ」

 

 力仕事なら男手の出番だ。そう思って袖をまくろうとした僕を、リナさんは緩やかに首を横に振る。

 

「いいえ、お気遣いなく。重さも大したものではありませんし、浮いている私の方が積み下ろしがスムーズですから」

「でも、全部任せるのはさすがに悪いよ」

「でしたら、店長様にはもっと重要な任務をお願い致します」

 

 リナさんは少し悪戯っぽく目を細めると、砂浜の奥、木々が生い茂る境界線を指先で指し示した。

 

「エレンと共に、この近くでキャンプに適した場所を探してきていただけますか? 風が通って、地盤がしっかりしている場所などを」

「場所の選定か。確かにそれは重要だけど」

「ええ、とても重要ですわ。それに」

 

 リナさんは一歩近づき、僕にだけ聞こえるような声量で囁く。

 

「お二人の時間も必要でしょう?」

 

 言葉が喉を詰まらせ、咄嗟に視線を横にやってしまう。エレンは業務連絡後の雑談の内容など気に留めていないようで、退屈そうに砂浜の貝殻を蹴って遊んでいる。

 帽子のつばを掴み、下げる。日差しが顔に掛かって欲しくなかった。

 

「必要かどうかは、ともかく。まずはやるべきことをやらせてもらうよ」

「ふふ、良い成果を期待しておりますわ。さぁ、行きますわよ、あなた達」

 

 さて、彼女にとっての良い成果とは一体どれのことなのか。

 リナさんはふわりと宙に浮くと、ボンプたちを引き連れて滑るようにボートの方へと戻っていった。

 残されたのは波音と、僕と、暇を持て余したサメのメイドだけ。

 

「行った?」

 

 ボンプたちの騒がしい声が遠ざかったのに気付いて、エレンが顔を上げた。

 

「ああ。リナさんは荷物を取りに行ってくれたよ。僕たちはその間に、テントを張れる場所を探そう」

「じゃ、さっさとやろ。……リナのことだから、余計なこと言って無ければいいけど」

 

 後半は独り言のような呟きだった。勘がいい。

 

「で? どこ行くの、ご主人サマ? あんたに付いてけばいいんでしょ」

 

 何を言わずとも彼女は隣に並ぶ。その信頼に応えられるよう、せいぜい堂々と見えるよう森へと足を踏み出すことにした。

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