「暑くないのはいいけど、変な虫がいたらヤだな。浜辺にテント張ればいいんじゃない?」
隣を歩くエレンが、手にした得物で邪魔な下草を払いながら不満を漏らす。
文句を言いつつも、彼女は僕から離れようとしない。二の腕が触れそうな距離をキープして歩く彼女の様子に少しだけ意識を持っていかれそうになる。
白い砂浜から森へ足を踏み入れると、空気はガラリと変わった。美しくも刺すように眩しい白が無くなった代わりに、木漏れ日に照らされる緑が鮮やかだ。森林特有の湿気を孕んだ熱気はあるものの、頭上を覆う木々の葉が直射日光を遮ってくれているおかげで、体感温度は幾分かマシになる。
砂混じりだった足元が、次第に湿った土と落ち葉の感触へ変わっていくのを確かめながら周囲を見渡す。
「海辺の方が虫は少ないかもしれないけど、風が強くなった時にまともに影響が出てしまうし、満ち潮に気付かず浸水、なんて可能性もある。出来れば森の中にスペースを見つけたいかな」
「へー、そう。プロキシ様は用心深いことで」
「臆病者だからね。……っと、あそこなんてどうかな」
少し開けた場所を見つけた。木々の密度が低く、地面も平坦だ。
海側には防風林代わりの低木が並んでいるが、隙間から浜辺の様子も確認できる。
あそこなら風も防げるし、テントを張りやすいだろう。そう思って近づいた、その時だった。
「……ん? アキラ、あれ」
エレンが足を止め、木々の奥を指差した。
彼女の指し示す先。緑の蔦と苔に覆われて一見すると岩肌のように見えるが、その輪郭はあまりにも直線的すぎた。自然界には存在し得ない、人工的な直角。
僕たちは顔を見合わせ、慎重にその場所へと近づいた。
「これは……建築物、か?」
這う蔦を掻き分けると、風化して変色してはいるものの、確かにコンクリートの壁面が現れた。
壁は横へと続いており、その先には巨大な金属製の扉が鎮座していた。高さは2、3メートルほどあるだろうか。錆びついてはいるが、その重厚さは圧倒的だ。表面には識別番号のような塗装の痕跡と、新エリー都の防衛施設で見かけるような警告を描く記号が微かに残っている。
「こっちは扉……だよね。開くの?」
試しに取っ手のような突起に手をかけてみたが、ビクともしない。少なくとも、今すぐにどうこうできる代物ではない。
「エリー都時代の貨物倉庫……違うな、シェルターじゃないかな。ホロウ災害を想定して作られた本格的なやつだ。ラマニアンホロウで見たものよりは古い気がする」
「シェルター? こんな無人島に?」
「かつては有人島だったか、重要施設の避難先だったのかもしれない。……ふむ」
扉の隙間を埋めるように生えた苔を撫でながら、一つの推論を組み立てる。
「柚葉が言っていた海賊についての伝説、もしかしたらここが関係しているかもしれないな」
「伝説っていっても、こんな倉庫みたいな建物じゃお宝なんてありそうに見えないけど」
「運び込まれる備蓄資材。誰も中を確認できない堅牢な扉。軍が関わっていたなら、一般に説明もそれほどされなかったかもしれない。そういうものに尾ひれをつけて、という具合さ」
「あー。中身はただの避難所なのに、勝手に期待されちゃったわけだ」
エレンはつまらなそうに扉をコツンと蹴った。
幽霊だの財宝だのを期待していた柚葉には悪いが、現実は得てしてこういうものだ。夢もロマンもない、無骨なコンクリートの塊。それがこの島の正体だろう。
「ま、怪しい儀式の跡とかよりはマシか。とりあえず危険な生き物の巣じゃなさそうだし、テント張るならここらでいいんじゃない?」
「そうだね。壁際なら風も防げるし、この前のスペースをキャンプ地としよう」
それからしばらく経ち。リナさんが大量の物資と共に戻った後。
太陽が水平線へと傾き空が茜色に染まり始めた頃に、島を一周してきた探索班も帰還した。
「ただいまー! いやー、歩いた歩いた……って、なになにこれ! すっごい立派な扉!」
元気な声を上げて戻ってきた柚葉だったが、すぐに目の前の異様な光景に足を止めた。設営されたテントの背後に、巨大な鉄の扉があるのだから無理もない。
「うお、こいつは頑丈そうだな。昔の要塞か何かか?」
「……中から何か出てきたりとか、しませんわよね?」
「今のところ開く様子は無いから、大丈夫だと思うよ」
シーザーは物怖じせずコンクリートの壁をバンバンと叩いて感触を確かめている。重い音が響くが、壁はびくともしない。
アリスだけは少し引き気味で耳を伏せているが、扉が苔生してまともに開かない様子なのを見て胸をなでおろす。
「それで、島の様子はどうだった?」
「うーん、それがねぇ……」
柚葉はリナさんから受け取った水を飲みながら、鉄扉から視線を外し、少し残念そうに報告を始めた。
「島自体は結構大きいんだけど、なんか変なんだよね。あちこちに舗装された道路の跡があったり、パイプみたいなのが地面から突き出てたり」
「やっぱりそういう感じか」
「アキラたちは何か気付いたの?」
僕がシェルターの推察を話すと、柚葉は分かりやすく溜め息を吐いてその場に座り込んだ。
「じゃあ、ただの公共事業の跡地だったかもしれないってこと?」
「その可能性があるかな。今見た感じだと、少なくとも海賊や殺し合いとは縁が無さそうだ」
「はぁ~……ま、そんなとこかぁ」
「まあまあ、柚葉。私は安心したのだわ。海賊や幽霊がいなくて良かったですもの」
「目的の半分……三分の一くらいはそれ目当てだったんだけどね。まぁいっか」
「三分の一? 残りは何なのかしら」
「んー? アリスが怖がってるのを眺めることと、みんなと一緒に遊ぶこと」
「なっ──もう! 柚葉ったら!」
項垂れる柚葉をアリスが慰めていたはずが、いつのまにかアリスが遊ばれてしまっていた。柚葉も本気で悔しがっている風ではないし、アリスも柚葉の気落ちが少なくて安心しているように見える。
「ま、敵がいねぇならそれでいいじゃねぇか。オレ様としちゃあ、ちょっと暴れ足りねぇ気もするけどよ」
「シーザーさん、走り回ってらしたのにまだ体力が有り余ってますの?」
「おう! それでも腹は減ったけどな。アキラ、飯にしねぇか? 飯!」
花より団子、ロマンより肉。シーザーの有意義な提案により、一同同意の上で夕食の準備に取り掛かることにした。バーベキューコンロには既に火がくべてあり、温まった網が材料たちを今か今かと待ちわびている。
周囲は既に薄暗く、満天の星空が広がり始めていた。遠くに波音が響く中、パチパチと爆ぜる焚き火の明かりが、僕たちの顔を照らし出す。
「よっしゃあ! 肉だ肉! どんどん焼くから食えよ!」
トングを構えたシーザーはすっかりバーベキュー奉行として君臨していた。網の上で焼かれる厚切りの肉が良い匂いを放っている。
リナさんと料理をどうやって遠ざけようか密かに悩んでいたが、シーザーのお陰で助かった。こうして堂々と陣頭指揮を執るゲストがいるなら、リナさんもそちらへ託す方がよりよい奉仕になると自然に離れてくれている。
「おいしー! やっぱり外で食べるご飯は最高だね!」
「焼き加減が絶妙なのだわ! シーザーさん、料理も得意なんですのね」
「へへっ、郊外じゃあ日常茶飯事だからな。任せとけ!」
文明の跡地だろうが何だろうが、星空の下で食べる食事は格別だ。アリスと柚葉が嬉しそうに肉を頬張る。ニトロフューエルの缶を煽りつつ、エレンも静かに微笑んでいる。
「皆様、お飲み物は足りておりますか? シーザー様も焼いてばかりいないで、どうぞお寛ぎください」
「リナさんもそうだよ。柚葉達のことはいいから、一緒に食べよ」
給仕に専念していたリナさんの手を、柚葉がぐいっと引っ張った。
「まぁ、お気遣いなく。皆様のお世話をするのが、今の私の役目ですもの」
「お役目だなんて、ここはお屋敷では無くってよ、リナさん。リナさんに畏まられてしまうと、私も家に居る気分になってしまうのだわ」
「そうそう。メイド服だって着てないんだから、羽を伸ばそうよ。ほら、リナさんの分の串も焼けたって!」
アリスも反対側の手を取り、半ば強引に座らせる。
左右から少女たちに囲まれ、リナさんは少し驚いたように目を瞬かせたが、やがて柔らかな笑みをこぼして頷いた。
「ふふ。では、お言葉に甘えさせていただきますわね。ああ、食後のデザートもございますから、お腹を空けておいてくださいね」
「えっ」
デザートという唐突な命の危機に、今日一番心臓が高鳴った。だが、その冷や汗を拭うようにエレンが囁いてくる。
「市販のマシュマロを串に刺して焼くだけだから、だいじょぶ」
「ああ、そうか。良かった」
「多分ね」
「たぶん……?」
口の端だけで笑うエレンに心臓の鼓動に拍車が掛かる。それはたぶんときめきではない。まさか焼くという一動作だけで紫に染まり触手が生えてエーテル化合物化するなんてマルチアクションは起こらない筈。
こんな穏やかな時間なら、このままずっと続いてもいい。冷えた缶ジュースを傾けながら、そんな益体も無いことを考えてしまっていた。
翌朝の目覚めは清々しいものだった。自然の奏でるBGMは、寝入りも寝起きも不快さを感じさせない。
静かだが断固たる主張が実って確保された一人用の小さなテントから這い出して、登り始めていた朝日を眺める。普段の生活習慣からは考えられない早起きだ。
大きく伸びをして、視線を海へと向ける。そこにはどこまでも広がる水平線だけがあった。昨日まで停泊していた白いクルーザーの姿はない。
「……三日後、か」
事前の取り決め通りとはいえ、いざ当事者になると思うところはある。
ここは浅瀬が多くクルーザーの長時間の停泊には向かないし、燃料の補給も必要だ。彼らは一度本区へ戻り、指定の日数後──三日後の朝に再び迎えに来ることになっている。
つまり今の僕たちは、正真正銘の孤立状態にあるということ。すなわち文明から切り離された孤島でのサバイバル、などと言うと映画の題材になりそうなシチュエーションだが、頼もしい仲間たちと快適なベースキャンプがあるお陰か、少しの緊張感はあっても危機感は乏しい。
「あ、アキラおはよー! 早起きじゃん!」
タオルを首にかけた柚葉が、顔を洗い終わったのかさっぱりした表情で近づいてくる。
「おはよう柚葉。昨日はよく眠れたかい?」
「ぐっすりだよ! 波の音が子守唄代わりってのも悪くないね。……で、今日は約束通り、付き合ってもらうよ?」
「ああ、分かってる。昨日の調査の再確認だろう」
「そ! 昨日は柚葉達だけだったからさ、アキラの視点で見てほしい場所があるんだよね」
朝食を済ませた後、僕たちは再び二班に分かれて行動を開始した。
拠点防衛と言う名のリゾート満喫のため、リナさん、シーザー、アリスはキャンプ地に残留。
僕と柚葉、そして護衛役のエレンの三人が、改めて島内の調査へと向かうことになった。
「ほら見て、あそこ!」
森の中を歩き始めて数十分。柚葉が指差した先には、地面から突き出た錆びたパイプがあった。
蔦に覆われて分かりにくいが、人工的な金属の質感は隠しきれていない。
「昨日言ってたパイプか。通気口、かな」
「それっぽいよね? こういうのが島のあちこちにあるの。シェルターの規模は分かんないけど、多すぎるって感じるくらい。柚葉の勘だと、この島の地下にはシェルター以上にすっごい広い空間があると思うんだよね」
「随分大がかりな話になってきたな。防衛軍の秘密実験場が、なんて筋書きは御免被りたいけど」
しゃがみ込んでパイプの耳を澄ませてみたが、風を切る音以外、機械の駆動音などは聞こえない。たとえそういう施設があっても、機能を停止しているのだろう。
「実験場ねぇ。もっとこう、古代遺跡の入り口とかなら燃えそうなのに」
「海賊はどこいったの。つか、こんな何もないところもう一回回る意味ある? 昨日三人で見たんでしょ」
「プロの視点で見たら何か分かるかもって思ったの。ねぇアキラ、ホロウの反応とかない?」
「今のところは、全く」
携帯している計測器を確認するが、数値は安定している。エーテル濃度は正常値。空間の歪みを示す波形もない。ただの森だ。
それから一時間ほど島を巡ってみたが、結果は芳しくなかった。舗装された道路の痕跡や、風化した監視塔らしき残骸は見つかったものの、それらは全て過去の遺物であり、現在進行系の脅威や謎を感じさせるものではない。
「うーん……やっぱり面白そうなのは無さそうなのかな、この島。そしたら午後からは皆でビーチバレーでもする? 賞品はアキラで」
「やる」
「僕の人権は?」
柚葉が傍迷惑な遊びへのスイッチを入れようとしていた、その時だった。
僕のポケットに入っていた通信機が、けたたましいアラーム音を鳴らした。
「わっ!? な、なに!?」
「通信だ。……アリスから?」
通話ボタンを押すと、ノイズ混じりの声が響く。
『……キラ、アキラ! 良かった、繋がったのだわ! 大変なの! すぐに戻ってらして!』
「どうした! 何かあったのかい!?」
『扉が! あの頑丈な扉が、勝手に開いたのだわ!』
「なんだって!?」
『それに、中からボンプが……ボンプが出てきて……ううぅぅ……!!』
アリスのおかしな泣き声と共に通信が途切れる。
「アリス!? どうしたんだ!」
「早く戻ろ! なにかされたのかも!」
柚葉が即座に反応し、来た道を駆け出した。僕とエレンも顔を見合わせ、その後を追う。
ボンプに襲撃でもされたのだろうか。それにしてはアリスの反応が妙だった気がする。
脳内で事態の想定を繰り返しつつ、僕たちは全速力で駆け出した。