中天から傾いた太陽が、白い砂浜を灼熱のステージへと変えている。
波打ち際から少し離れた平坦なスペース。ネット代わりのロープを挟んで、四つの影が激しく交錯していた。
「――らぁッ!」
気合一閃。砂を爆ぜさせ、空へと躍り出たのはシーザーだ。鍛え上げられた背筋が弓なりにしなり、太陽を背負った肢体が逆光の中で美しいシルエットを描く。狙いすました右腕が、振り下ろされる戦槌のようにボールを打ち抜いた。
乾いた打球音が青空に響き渡る。凄まじい速度で放たれたスパイクは、唸りを上げて敵陣のコートへと突き刺さろうと迫っていた。
「ん、よっと」
その凶弾の軌道上に黒い影が割り込む。エレンだ。
気だるげな表情とは裏腹にその動きはなんと素早く、まるで疾風だ。瞬時に落下点へと滑り込むと、組んだ両腕で正確にボールを弾き上げた。
衝撃を殺されたボールがふわりと高く舞い上がる。
「ナイスレシーブ、エレン! そーれっ!」
すかさず落下点に入った柚葉が、軽やかなステップと共にトスを上げる。ラッシュガードの上から締めているハーネスなどまるで意に介さず、その動きは伸びやかだ。彼女が上げたボールはエレンの頭上へとピタリと吸い込まれ、既に跳躍の態勢に入っているサメの射程圏内へと収まる。
「ほら、お返し!」
エレンが跳ぶ。海辺だからこそ殊更象徴的な尾が、砂飛沫を煌めかせながら宙を舞った。
シーザーのような剛力はない。だが鞭のようにしなやかなスイングから放たれたボールは、鋭いコースを描いて相手コートの隅へと飛んだ。
「私だって、やってやるのだわ!」
標的になったのはシーザーの後衛を守っていたアリスだ。飛んできたボールへ果敢に挑もうとするその意気や良し。だがエレンの放つ鋭利な一撃は容易くは返せず、コートから大きく球が外れてしまう。
万事休すかと思われた、その瞬間。
「させるかよ!」
勇猛な影がアリスの脇を横切る。着地したばかりのシーザーが、人間離れした瞬発力でカバーに入っていたのだ。砂塵を巻き上げながら飛び込み、地面スレスレでボールを拾い上げる。
「ナイスカバーなのだわ、シーザーさん!」
「へへっ、こんなもんよ! ほらアリス、やったれ!」
「ええ! 浜辺のアリスは、無敵なのだわ――!」
兎のシリオンの面目躍如とばかりに、白い薄衣を纏った少女が青天を飛ぶ。シーザーが高々と上げたボールに目掛け、双色の瞳を陽光に輝かせる。
「ちょっ、アリス、サーベル投げるのはヤバいって!」
「安心なさい、峰打ちなのだわ」
「投擲でどうやって!?」
「いいじゃん、やってみなよ。生皮剥いだげる」
「エレンもサメだからってウサギ相手にダメだって! ハサミも禁止!」
ボールと口撃は繋がり、ラリーは終わらない。
ネット際で睨み合うシーザーとエレン。声を掛け合うアリスと柚葉。飛び散る汗と砂。弾ける笑顔と、時折混じる嬌声。
極彩色の水着と、黒のメイド服と、武骨なプロテクター。ちぐはぐな衣装が太陽の下で鮮やかに舞い、そのたびに健康的な肌色が眩しく主張する。
その宴はここが謎の無人島であることや、ましてや脱出不可能な閉鎖空間であることなど微塵も感じさせない。
カシャ、カシャ、と電子音が小気味よく響く。
砂塵が舞わない範囲からファインダーを覗き込み、砂浜で繰り広げられる熱戦を追いかけているつもりなのだが、これが難しい。
被写体のレベルが高すぎる。それは造形美という意味でもそうだが、機動力もこちらの想定を遥かに超えているせいでオートフォーカスが悲鳴を上げている。油断するとエレンがただの黒い残像になり、シーザーが巻き上げた砂煙で画面が埋め尽くされてしまう。心霊写真か、あるいは戦場カメラマンの記録映像か。
いつか共に撮影会をした知能付きのカメラなら容易く写るだろうが、いつもの手持ちでは難易度が高い。
「動きが激しすぎる。これじゃあ水辺の妖精たちじゃなくて防衛軍の訓練風景だ」
撮影した画像をプレビューしながら、思わずぼやきが漏れる。
構成の問題もある。依頼主である芸術家のオーダーは『この世のものとは思えないほど美しいビーチでの水着美少女たちの戯れ』とか言う頭にティーミルクでも詰まっているかのようなものだったはず。
アリスと柚葉は完璧だ。だが、その横にメイド服のサメと、プロテクターを装備した荒野の覇者が混ざっているカオスな構図は果たして芸術的観点から許容されるのだろうか。
「ふふ。撮影の調子はいかがですの?」
不意に、柔らかな日陰が僕を覆った。
ファインダーから目を離すと、優雅に佇むリナさんが氷の入ったグラスを差し出してくれていた。
「ありがとう、リナさん。……調子は、まあまあかな。依頼主の先生が、前衛的な作風を好むことを祈るばかりだよ」
「助かりますわ。私の腕では、あの子たちの動きを捉えるどころか、油断するといたずらっ子達が見切れて映り込んでばかりでしたから」
「これくらいお安い御用さ。普段から記録を残すのは慣れてるからね」
礼を言ってグラスを受け取る。冷たい水が喉を潤すと、ようやく人心地ついた気がした。
リナさんはふわりと僕の隣に浮遊し、同じように楽しげな四人を眺める。いたずらっ子のボンプ二機はボール回収係に徹しているが、時折ボール争奪戦に巻き込まれかけて慌ただしく逃げ出してはケタケタと笑っている。
波音と歓声。こうして一歩引いて見ていると、本当に平和なバカンスの一幕だ。
「それにしても、シーザーはともかくエレンも着替えないとは思わなかったな」
レンズ越しではなく、肉眼で彼女たちを見やりながら独り言のように漏らす。
シーザーは気恥ずかしさが勝ったのだろうが、エレンに関してはてっきり、リナさんや柚葉と遊ぶ流れになれば着替えるものだと思っていた。
「あら。エレンの水着が見られなくて、残念でしたか?」
リナさんが口元に手を当て、悪戯っぽく目を細める。
今更取り繕う必要もない相手だ。グラスを足元に置いてカメラを構え直し、声が上ずらないことだけを気にする。
「ああ、残念だ。とても、心底ね」
「まあ」
「せっかくの海だ。彼女が波と戯れる姿を写真に収められなかったのは、プロキシとしても、一人の男としても痛恨の極みだよ」
混じり気のない本心を淀みなく言い切れた。横目でリナさんの様子を伺うと、驚いたように瞬きをして、それからクスクスと楽しげに笑った。
「ふふっ、正直でよろしいですわ。そのお言葉、あとであの子にも聞かせてあげたいくらい」
リナさんは微笑みを浮かべたまま、視線を再びコートの中へ戻す。
スパイクを決めてハイタッチをする柚葉とエレン。その姿を愛おしむように見つめ、そしてぽつりと呟いた。
「あの子なりに、気を張っていたいのですわ」
声のトーンが、少しだけ下がる。
「何が起きても、すぐに牙を剥けるように」
その言葉に、浮つく浜辺の空気が遠のいた気がした。
エレンがメイド服を脱がない理由。それは単なる職務への忠実さや面倒くさがりな性格だけではない。それは分かっている。彼女が背を押した尾の感触は忘れていない。
そしてそれを代弁するリナさんの横顔にも、隠しきれない怜悧な影が宿っている。
「リナさん」
「ご安心を。不確定な情報の口になど致しません。どうか、店長様の良きようにお願い致します」
深々とした礼は、ヴィクトリア家政のメイド長である彼女には慣れ親しんだ気品ある姿だ。
だがこの時ばかりは、その姿を正面から見る事が出来なかった。彼女の完璧な所作は絶対的な信頼と、その裏に共犯者としての覚悟を突きつけてくるようで、直視するにはあまりに眩しく、そして重い。
だから僕は、逃げるようにファインダーを覗いた。
カシャ。
静寂の中に、電子音が落ちる。
顔を上げたリナさんは、レンズの向こうで目を丸くしていた。
普段の慈愛に満ちた微笑みでも、何かを企むような悪戯な笑みでもない。不意を突かれた、少女のような無防備な顔。
「店長様?」
「おっと。ここにもオーダー通りの被写体がいたから、つい」
ファインダーから目を離し、わざとらしくおどけてみせる。
リナさんは一瞬だけ頬を朱に染めたが、すぐにその意味を汲み取ってくれたらしい。柔らかな笑みを浮かべ、困ったように眉を下げた。
「まあ。口がお上手ですこと」
「本心だよ。あっちの躍動感ある被写体もいいけど、大人の魅力も記録に残しておかないとね。もう少しいいかな?」
「ふふ、他でもない店長様のオーダーとあらば」
リナさんはグラスをテーブルに置くと、パラソルの支柱に軽く背を預けた。
特に指示を出したわけではない。なのに、少し顎を引き、流し目を向けるその仕草だけで、絵画のような構図が完成してしまう。ロイヤルブルーの水着が、彼女の透き通るような白磁の肌をこれ以上なく引き立てていた。
「もう少し、体を右に」
「こうかしら?」
「そう。目線だけこっちに……いいね」
最初は数枚のつもりだった。だが、レンズ越しに見る彼女の魅力に、指が止まらなくなる。
リナさんもまたレンズを意識し始めたのか、ポーズが徐々に変化していく。
最初は慎ましやかだった手つきが、ゆっくりと自身の髪を梳き、あるいはパレオの結び目に触れ。
憂いを帯びた瞳が、レンズを通り越して直接僕の網膜を刺す。
「アキラ様」
名前を呼ばれただけなのに、鼓膜が痺れた気がした。
いつの間にか彼女との距離が縮まっている。ファインダー越しに見える彼女の唇が艶めかしく濡れているのが分かる。潮風のせいか、それとも。
「いい写真は、撮れておりますか?」
「ああ。最高だ」
喉が渇く。さっきグラスを受け取ったのが嘘のようだ。足元で、溶けた氷が音を立てた気がする。
彼女はもうポーズを取っていない。ただこちらを見つめているだけだ。それだけで、強烈な色を帯びたかのよう。
シャッターを切る音だけが、早鐘を打つ心臓の音のように響く。
リナさんが一歩、こちらへ踏み出した。
僕もカメラを下ろし、吸い寄せられるように彼女へと手を伸ばしかけ――視線を、感じた。
「ッ?!」
それに気付いてようやく、狭窄していた視野が戻る。身震いのような素振りを見せたリナさんもきっと同じなのだろう。
僅かな間だった。そのはずだ。しかし、ここが衆人環視のビーチであることも、数メートル先で仲間たちが遊んでいることも、頭の片隅に追いやられていた。
「ええと、その。困らせるつもりはなくて」
咄嗟に口からよく分からない言葉がついて出る。まるで誰かに言い訳をするように。
「問題ございませんわ、店長様。ほら、皆さんがお呼びのようですわ」
リナさんは何事もなかったかのように微笑むと、パラソルの外へ視線を流した。
その先では、勝負を終えたらしい四人がこちらに手を振っていた。幸いにも、彼女たちの熱気は試合の方に向けられており、こちらの際どい空気には気付いていないようだ。
「おーいアキラ! こっちのペアの勝ち! すごかったんだから!」
「へへっ、アリスとの連携攻撃がバッチリ決まったぜ!」
砂まみれになりながらも清々しい笑顔を見せるシーザーと、その隣で息を切らしつつも誇らしげに胸を張るアリス。どうやら即席ペアながら、相性は抜群だったらしい。
柚葉とエレンのペアは負けたようだが、こちらも楽しげだ。
「いやー、完敗完敗。シーザーのカバー範囲が広すぎてボールが落ちないんだもん」
「ま、楽しかったらいいんじゃない。で? 用意したとか言ってた賞品はなんなわけ」
エレンが砂を払いながら尋ねると、柚葉はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて胸元を探る。
「えぇ〜? そりゃもう、エレンも知ってるはずだよ」
「……あ、何。マジでそのつもりだったんだ」
手品のように取り出されたのは、木の葉色の短冊のような紙片。
そこには簀巻きにされている哀れなビデオ屋の店長が達者なイラストとして描かれている。
「優勝したお二人には、賞品として『パエトーン一日使い放題券』が贈呈されまーす!」
「はぁ!?」
「な、なんですって!?」
僕が吹き出すよりも早く、シーザーとアリスが素っ頓狂な声を上げた。探索結果をまとめている時にでも仕上げたのだろうか。無駄に手回しが良い。
「おいコラ柚葉! プロキシを景品にするんじゃねえ!」
「そ、そうなのだわ! アキラはモノではありませんのよ! ……で、でも、一日なんでも……?」
「なんでも言うこと聞いてくれるって! 肩揉みから荷物持ち、添い寝までオプション豊富だよ! 有効期限は特に設けておりませーん」
柚葉の適当な売り文句に、二人の頰が目に見えて赤くなる。
シーザーはそんなのいらねえよとぶつぶつ言いながらそっぽを向いたが、チラチラとこちらを見ているのがバレバレだ。アリスに至っては使い放題と口の中で反芻し、耳を真っ赤にして固まっている。
「それじゃあ、無事賞品として授与されたパエトーンさん? コメントどうぞ?」
「クーポンのご利用は本店の窓口で、店舗印が付いているもののみ受け付けるよ」
無事に戻った後も二人がこれを覚えていたら、次は適応範囲は副店長のみと言い訳しようか。
そうこうする内に日がずいぶん傾いてきた。そろそろ一度引き上げようという空気になり、皆が散らばったボールやタオルの片付けを始めた頃。
ふと、背後に気配を感じた。
「ねぇ」
心臓が跳ねる。いつの間にか忍び寄っていたエレンが、僕のすぐ後ろに立っていた。
その赤い瞳は、獲物を値踏みするような、あるいは何かを探るような、じっとりとした光を湛えている。
「エレンか。驚かせないでくれよ」
「リナと、何話してたの」
核心を突く問い。声のトーンは平坦だが、そこには明確な疑念が含まれていた。先ほどの視線の主が誰だったのか、答え合わせをされた気分だ。
「別に大したことじゃないよ。写真の写り具合を確認してもらっていただけさ」
「ふーん。顔、近かったけど」
「それは、モニターが見づらかったから、かな」
しどろもどろになる。何もやましいことはしていない。未遂だが。どうしてこうも不貞を問い詰められるような気分になるのか。
エレンはジト目で僕を見つめたまま、しばらく無言で圧を掛けてくる。
だがやがて、ふいと視線を外すと、小さな溜め息をついた。
「ま、いいけど」
エレンが一歩、距離を詰める。
周囲にはボンプたちと戯れるリナさんや、シーザーと談笑する柚葉たちがいる。死角と言えば死角だが、誰かが見ればすぐに気付く距離だ。
彼女は僕の目を見据えたまま、自身が着ているメイド服の襟元に手を掛けた。
「ちょっ」
僕が息を呑む前で、彼女の細い指が器用に第一ボタンを、続いて第二ボタンを外していく。
きっちりと着込まれていた黒い布地が緩み、鎖骨のラインと、その奥にある柔らかな膨らみの谷間が露わになる。
その白い肌の上に、鮮烈な色が走っていた。
黒地に、赤の幾何学模様。
下着ではない。それは紛れもなく、水着の布地だった。
「着てないなんて、言ってないし」
エレンは口の端だけで笑い、呆然とする僕に顔を寄せる。
「全部終わったら、ちゃんと見せたげるから」
トン、と指先で僕の胸をつつく。
「それまで、いい子で我慢してて」
それだけ言い残し、エレンはボタンをすばやく留め直して去っていった。
網膜に焼き付いた鮮やかな白と赤と黒のコントラストは強烈で、当分幻覚を抱くことになりそうだ。
この島の探索が終わるまでは、彼女たちの手のひらの上で転がされ続けることになるのだろうか。