状態異常シャーク   作:すばみずる

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エンバーミングシャーク

 時刻は午前二時を回った頃。波音だけが規則的に響く静寂の夜。キャンプ地は寝静まり、焚き火の跡も既に白い灰へと変わっている。

 一人用のテントの中で寝袋に包まってみたものの、意識だけ冴え渡っていた。

 浜辺での鮮烈な思い出。エーテル反応のない閉鎖空間。起こり過ぎた様々な出来事が喉に刺さる小骨のように眠りを妨げている。

 仕方無い。散歩代わりに、一人でやりたかった事を済ませておこう。

 

 音を立てないよう慎重にテントを抜け出し、暗闇に沈むシェルターの入り口の前に立つ。昼間は冒険心をくすぐる遺跡に見えたが、月明かりの届かない暗がりに続くそれは、巨大な生物の口腔のように不気味な威圧感を放っていた。

 

「よし、行くか」

 

 荷物を担ぎ直して、懐中電灯の光を頼りにしながら重厚な扉の敷居を跨いだ。途端、カビと錆、そして埃の混じった停滞した空気が鼻をつく。ヒヤリとした冷気が肌を撫で、思わず身震いする。

 足音を忍ばせて廊下を進む。かつて誰かが歩いたであろう通路には、何一つ生活感が残っていない。ただ無機質な壁が続くだけだ。

 自宅のソファで流していた映画を思い出す。こんな徒歩の描写が映画にあっても、演出家の怠慢だと笑っていただろう。たぶんそうやって笑わないと、喉を鳴らして唾を飲み込んでいるのをリンに笑われるだろうから。

 

 柚葉の記した地図を手掛かりに進んでいく。大体が備蓄庫になっていたり、電力不足で稼働していないせいで正体が掴めないが、いくらかの検討はつく。

 いくらかの分かれ道を曲がっては通り過ぎてから突き当たる。何の変哲もない扉が目的地だった。柚葉の地図には、管理人室と仮に記載されている。

 ドアを開ける。壁一面に並んだモニターのほとんどは死んでいるが、中央のコンソールだけが赤いLEDを点滅させ、生きていることを主張している。リナさんの見立てによると、空調システムはかろうじて生きていたらしい、が。

 

「思っていたより動いているな」

 

 肩に掛けていた携帯用のバッテリーを下ろす。これで無理矢理にでも給電させて情報を得ようと思っていたが、見たところ空調システムどころか警備設備まで待機状態に入っている。

 不安定な電力供給という話だったから、これは一時的なものなのだろうか。あるいは、徐々に供給される電力量が増えてきている?

 これが夜から昼間に掛けての変化なら、太陽光によるものかもしれないと思えた。あるいは風力や潮流? それにしては誰もそんな設備は見かけていない。安定性に欠ける発電となると、他に何があっただろうか。

 ここを調査することで、それも分かるかもしれない。埃を払い、キーボードに向かう。電気が生き始めたのなら、むしろ自分には好都合だった。インターフェースは古いが、知能水晶体でホロウ内のデータスタンドと接続した時と比べればアクセスは容易だ。

 

「パスワードか。ユニコから抜いたものでいけるか? ……よし」

 

 ボンプ向けに用意されたアカウントでログインをすると、いくつかの情報がまだ読み取れた。出てきたファイルを復旧しつつあるいくつかのモニターに表示させる。

 特に容量の大きなものを前面のモニターに表示される。ファイル名は『崑崙』。胡散臭い名前だ。映画のタイトルには使えなさそうだ。

 中身をスクロールしていくうちに、僕の眉は自然とひそめられた。

 

『ホロウ災害による人類総数の激減に対する、緊急的個体数回復プログラム。完全閉鎖環境下において外敵要因を排除。衣食住の保証を行うことで、グループの生存ストレスを極限まで低下させる。生殖および育成活動へのリソース集中による人口増加と種の保存を目的とする……』

 

 書かれていることは真っ当で、高尚ですらある。終わりの見えないホロウ災害に怯える人類にとって、安全な箱庭でただ命を繋ぐことに専念できる環境は、文字通りの楽園として計画されたのだろう。

 かつての指導者たちが、人類という種を絶やさないために必死で考え出した再興の切り札。

 

「随分とまあ、おめでたい計算だな」

 

 思わず乾いた声が出た。呆れに近い無関心が胸をよぎる。

 机上の空論だ。人間は計算式通りに増える数字じゃない。外敵がいなくなれば、今度は内側で別の問題が起きるのが世の常だ。こんな理想論だけで人類が救えるなら、新エリー都の苦労なんてないだろうに。

 冷ややかな感想を抱きつつ、ラットを用いた事前実験データを閲覧しようとして指が止まった。

 

「――――」

 

 明滅する壁面のモニターの一つ。そこに、ノイズ混じりの映像が映し出されていたのだ。

 場所は、廊下ではない。個室だろうか。姿見のようなものが見える。

 そこに、白い影が映っていた。画質が悪く、はっきりとは見えない。だが、それは人の形をしていた。白く長いワンピースのような服。ゆらり、ゆらりと。当てもなく彷徨うように、廊下の奥へと歩いていく。

 

「な、んだ?」

 

 誰もいないはずのシェルター内。

 柚葉たちはキャンプで寝ているはずだ。エレンやシーザーの服とも違う。強いて言えばリナさんのロングスカートが近いが、いくら不鮮明な映像でもメイド服の黒色と見間違える色ではない。

 脳裏に、柚葉が話していた海賊の幽霊の話や、映画で見た数々の死亡フラグが過ぎる。やめろ。想像するな。ここは科学の世界だ。幽霊なんて非科学的な存在がいるわけがない。

 だが、もしあれが――たとえば、そう。過去の、辿り着いていた住人だとしたら? あるいは、実験が生み出してしまった未知のエーテリアスだとしたら?

 

 立ち上がった拍子に椅子が鳴る。

 正直に言えば、今すぐ回れ右をして暖かい寝袋に潜り込みたい。僕の専門はプロキシであって、ゴーストバスターではないのだ。

 しかし、もし。あれが幻覚でなく、実体があるものならば。クライアントの安全を守る必要はある。あんな正体不明のナニカを、寝ているみんなの近くに放置しておくわけにはいかない。

 幽霊という可能性は可及的速やかに除外する。そうしたかった。

 機材を操作して、表示されている映像がどこなのかを読み取る。残念ながら近い。

 

「……確認、するだけだ。そう、確認するだけ」

 

 呪文のように唱え、僕は震える手で懐中電灯を握る。恐怖と義務感を天秤にかけ、僅かに重かった義務感の方へ体を預けた。

 

 

 

 映像で白い影が消えた先を目指して廊下を早足で進んでいると、前方からパタパタと音が聞こえてきた。

 風の音ではない。紛れもない、何かが床を蹴って走る音だ。

 音の軽さからして巨漢の怪物などではないだろうが、こちらの接近に気付いて逃げ出したということか。幽霊が足音を立てて逃げるものなのかは分からないが、遭遇戦を避けられたことに安堵しつつ、僕はその発生源である部屋へと飛び込んだ。

 

「いない、な」

 

 中は空っぽだった。

 更衣室のような場所だ。壁には曇った鏡が掛けられ、床には埃が積もっている。

 懐中電灯で床を照らし、目を細めた。埃の上に、点々と続く足跡がある。靴跡ではない。指の形まではっきり見て取れる、裸足の跡だ。

 

「裸足の、女……?」

 

 映像の情報から合わせるとそうなる。ベタだ。あまりにもベタすぎる。これで長い黒髪で顔が見えなかったら役満だぞ。恐怖を紛らわせるために脚本に文句をつけながら、部屋から出ていっている足跡の向かう先を見る。

 まだ近くにいるはずだ。恐怖を好奇心と義務感でねじ伏せ、その先へと踏み出した。

 足跡が向かった先は出入り口とは別方向だった。柚葉も探索を後回しにした、迷路のようなメンテナンス通路になっている。

 逃げている相手は焦りながらも知恵を回しているのか、所々の資材を倒してバリケードのようにしていたり、あるいは足跡を消そうと布で擦ったような痕跡がある。

 だが、甘い。一度目を閉じ、深く呼吸をした。

 雲嶽山での修行により、儀玄師匠から教わった追跡の法はこういう時に便利だ。

 

「よし、見える」

 

 たとえ闇の中であっても、揺らぐ気配は掴み取れる。暗視ゴーグルの代わりになってくれれば言うことはないんだが。

 角を曲がるたびに気配は濃くなる。相手は地の利がないのか、行き止まりを避けようとして逆に追い詰められているようだ。

 

 そして、長い直線の廊下の先。

 突き当たりの扉の前で、白い影がガチャガチャとノブを回しているのを見つけた。

 

「そこまでだよ」

 

 僕は声を上げると同時に、懐中電灯を構えた。構えようとした。

 風を切る音がした。続いて、乾いた衝撃音。手元で響き、強烈な痺れと共に懐中電灯が弾き飛ばされた。床に転がったライトは一度だけ明滅し、プツンと光を失う。

 

「なっ!?」

 

 石つぶてか。暗闇の中で、光源だけを正確に狙撃したというのか。

 驚愕に動きを止めた僕を尻目に、影は必死に扉を開けようとしている。だが、長年放置された鉄扉は錆びついているのか、ガタガタと音を立てるだけで開く気配がない。

 

「くっ、開かねえ……!」

 

 微かに聞こえたその声は、呻き声ではなく、焦りに満ちた人間のもののようだった。

 それに、物理的な石を投げてきたり、ドアノブと格闘したりする幽霊がいるものか。

 相手が実体のある人間だと分かった途端、萎縮していた心が急激に膨れ上がった。人間相手なら、話も通じるし取っ組み合いもできる。

 

「逃げないでくれ!」

 

 地面を蹴り、無防備な背中へと飛び掛かる。

 こちらの接近に気付いた相手が、弾かれたように振り返り――いや、扉に向き直った。

 

「ええい、邪魔だッ!」

 

 焦燥の叫びと共に、影の左腕が唸りを上げた。

 駆動音。人間の腕が生み出す音ではない。機械仕掛けの剛腕が、錆びついた鉄扉へ全力で叩き込まれた。

 爆発のような轟音と共に、蝶番がひしゃげ、分厚い鉄の扉が紙細工のように外へと吹き飛んだ。

 

「は?」

 

 その馬鹿げた破壊力と、見覚えのある左腕のシルエットと、その見覚えとは無縁の筈の白いワンピース。思考が空白に染まる。

 だが、慣性の法則は待ってくれない。

 飛び掛かった勢いのままの僕と、扉を殴り飛ばした勢いで前のめりになった白い影。

 扉の先には、床がなかった。

 あるのは夜空と、眼下に広がる黒い海面だけ。

 崩落していたのだ。この通路の先は、断崖絶壁に繋がっていた。

 

「う」「あ」

 

 重力が消失する。

 月明かりの下、ふわりと広がる白いワンピースと、一房の長い髪が美しく舞うのが見えた。

 スローモーションのような落下の中、僕たちはもつれ合うようにして、暗い海面へと吸い込まれていった。

 




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