撮影会と言う名の検証を終えた後、僕は一旦キャンプから離れ、人気のない木陰で機材の調整を行っていた。
自分の感覚、柚葉からの証言、そしてもう一つの計測結果から、やるべき事は定まった。
結論から言えば、この島を監視している「視線」の正体は、ホロウ特有の空間の裂け目を利用した覗き穴である可能性が高い。
記録状態にしておいたエーテル計測器の履歴を確認すると、撮影会ごっこの際の視線が強まったタイミングに合わせて、エーテル濃度が僅かだが上昇していた。意図的にエーテル濃度が低く保たれているこの島において、それはあまりに不自然な揺らぎだ。
あるいは、僕たちが「視線」として認識しているものは、裂け目から漏出しているエーテルそのものなのかもしれない。戦闘員でもない自分がまるで達人のように殺気を感じ取れていたのを考えると、そう考えた方が自然だ。
本来、空間の裂け目などそう容易く制御できるものではない。それが出来ればプロキシなんて商売あがったりだ。だが、この島の周囲の海が既に裂け目によって封鎖されている事実を鑑みれば、ここの施設にはホロウの性質をある程度コントロールする技術が存在すると仮定して動くしかない。
もっとも、裂け目による封鎖はともかく覗き穴については、隠し通せずこちらに感づかれている以上、欠陥品なのかもしれないが。
「なら、こいつの出番だ」
調査機材として持ち込んでおいた、ポール型のデータスタンドを組み立てていく。
本来はホロウ内でキャロット作成の為のデータ収集に使うものだが、内部プログラムを書き換えて微細な空間震も検知出来るようにしておく。
こちらから干渉することで裂け目を広げて通り道にすること自体は、本来のホロウ調査でも行われていることだ。今回はその穴が小さい、あるいは不可視にされているため少し勝手は違うが、やること自体は変わらない。向こうが覗き穴を開いた瞬間、こちらからドアをこじ開けて、覗き魔の部屋に土足で踏み込む。
組み立て終えたデータスタンドは1メートルほどの高さになった。作用する範囲は限界まで広げて半径6メートルほど。場合によっては固定せずに動かして回る必要が出て来るかもしれない。
あとは、覗き穴を最大まで開かせる手立てが必要だ。
キャンプ地に戻った僕は、直ちに根回しを開始した。
通信機は使えない。盗撮ひとつにこんな手間を掛けるようなシステムなら、メッセージアプリの盗聴程度なら労なく行うことだろう。妙な動きをしようとした保護対象に『手厚い』対応をする、なんてことは起こしたくない。
それに。せっかくこっそりと作戦を起こすなら、もう少し洒落っ気が欲しい。
まずは、優雅にティータイムの準備をしているリナさんのもとへ。
「リナさん、紅茶のいい香りですね」
「あら、店長様。ふふ、鼻が利きますわね。ちょうど淹れ終わったところですの」
「なら、お茶請けにこれを。……配膳を手伝うよ」
僕はクッキーの缶を差し出しながら、その死角になる位置でナプキンに見せかけたメモと、小さな起動リモコンを滑り込ませた。
「まあ。……気が利きますこと」
リナさんは眉一つ動かさず、缶と一緒にそれらを受け取ると、カップを持ち上げる動作の影で瞬時に内容を一読した。
『今夜決行。合図と共に起動を頼みます』
彼女はメモを握り込み、ふわりと慈愛に満ちた微笑みを僕に向けた。言葉はない。だが、その完璧な淑女の笑みこそが、最強の了解の合図だ。
次は、いまだ沈黙を保つシーザーのテントへ。
リナさんから受け取った紅茶とクッキー、それに少し腹に溜まるものをトレイに乗せて、固く閉ざされた入り口の前に置く。
「シーザー、置いておくよ」
声を掛けつつ、トレイの底に折り畳んだメモを挟み込んだ。
『昨日の責任は取る。必ず島から出すから、力を貸してくれ』
僕が離れて数秒後、テントの中からガサゴソと何かが這い出るような音がし、素早い動きでトレイが引き込まれた。
そしてすぐに、空になった皿とカップだけが突き返された。
……食欲はあるらしい。これなら戦力として計算できそうだ。
最後に、柚葉。
彼女も既に、この島のきな臭さには勘付いている。ネタになるからとせがまれて渡しておいた崑崙計画の資料、それを木陰でレポートにまとめていた彼女の横を通り過ぎざまにメモを渡す。
「後はアリスか。まだ気付いていないみたいだし、どう説明したものかな」
「ん? じゃあ、それ柚葉に任せてよ。あのお耳にこしょこしょってやったげるから」
柚葉はヒラヒラとメモを振り、ニヤリと笑う。
「柚葉たちなら警戒されないと思うんだよね」
「へえ。何か確信でもあるのかい?」
「だってほら。ここの目的って、要は数を増やしたいってことでしょ? 女の子同士の絡みなんて、向こうから見たら非生産的じゃん?」
伝達にかこつけてアリスに何をするつもりなのかは聞かないことにした。ともあれ、この状況を楽しんでくれる図太さは頼もしい。
これで舞台装置と助演は整った。あとは主役のスカウトしなければ。
◆
「いた」
夕暮れの浜辺。キャンプ地から少し離れた防風林の木陰。二本のヤシの木に吊るされたハンモックが、ゆらゆらと揺れている。
中にはタオルケットで作られた巨大な芋虫のような塊があった。隙間から飛び出したサメの尾が、メトロノームのように気だるげにリズムを刻んでいる。
「エレン、ちょっといいかな」
近付いて声を掛けると、タオルの隙間から赤い瞳がちらりと覗いた。
目が合った瞬間、バッとタオルケットが閉ざされる。
今は気分じゃないかと思ったが、すぐにタオルの合わせ目から細い指が一本だけ突き出され、ちょいちょい、と手招きされた。
「……?」
訝しみながらも顔を近付ける。すると、エレンはタオルケットを少しだけ広げてみせた。
薄暗い布の中で、白い肌が光る。その上に走る鮮烈な黒と赤のライン。
以前にあとでと焦らしていた、黒地に赤の幾何学模様が入った水着姿。メイド服の時とは違う、布面積の少なすぎるその姿。健康的なへそのラインと、押し潰された胸の谷間が目に焼く。
「ん」
言葉を失っているのをまるで無視して、エレンが顎をしゃくる。中に入れと促すように。そう読み取る自分も大概だが、表情一つ変えないエレンも負けていない。
「いや、流石に、それは、」
「いいから」
身を引いた僕の腕を、エレンの手がガシリと掴んだ。
抵抗する間もなく、強引にハンモックの中へと引きずり込まれる。世界が反転し、不安定な浮遊感に包まれる。外界から遮断された薄暗い密室。ぐらりぐらりと掻き回される平衡感覚と平常心。
しばらく揉み合いになった後。落ち着いた時、すぐ目の前にエレンの顔があった。甘いお菓子の匂いと、微かな潮の香り。そして、肌と肌が触れ合う生々しい体温。
「添い寝なら帰ってからいくらでも付き合うから、今は……」
宥めようとする僕の言葉を無視し、エレンは僕の胸に顔を埋めてきた。濡れた髪が首筋にかかり、吐息が鎖骨をくすぐる。縋るような接触。
しばらくの沈黙の後、胸元でくぐもった声がした。
「ここに来てから、ずっと気持ち悪かった」
独り言のような呟き。
「あんた見てると、何か変な気配がして。鬱陶しくて、ずっとイライラしてた」
検証と観察で得られた情報と合致する情報だ。それのせいで苛立つ気持ちは分かる。
「でもこうやって包まってると、マシになってるかも」
エレンがさらに身を寄せてくる。彼女の言う通り、自分も視線は感じていない。布一枚の遮蔽物だが、狭い空間なら監視の判定が弱まるのか、隙間に入ってこれないのだろうか。
それも新たな知見として覚えておくが、それはいい。そうでなく。
「ちょっと、休憩させて」
こちらが相談をする間もなく、安堵したようにエレンは息を吐き、抱き着いたまま安らかな寝息を立て始めた。
作戦を考えるなら、今じゃない。彼女の情動を効率よく煽るのであれば、ここでは我慢させて、データスタンドを仕掛けた場所で存分にやらせた方がいい。焦がれている方がより効果が見込める。
それでも。そうだとしても。抱え込んだものを抱き締めなおしながら、時間が過ぎるのを待つ。
常に熱を帯びていた彼女が落ち着けているこの瞬間は、大切にしなければならない。
後で説明した時、どれだけデリカシーの無い計画を立てたんだと罵倒されようとも。
釣床越しの日が沈み、夜が来る。