少しばかり騒動に巻き込まれたこともあり、僕は現在拠点としている適当観から一時的に六分街の「Random Play」へと戻っていた。
店のドアには「休業中」の札を下げている。
静まり返った店内のカウンターで、僕はコーヒーを片手に、ある資料を眺めていた。
資料というよりは、事後報告書と言った方が正しいかもしれない。ヴィクトリア家政のリナさんから送られてきた、あの奇妙な無人島──『崑崙』計画跡地に関する調査レポートだ。
ふと、コーヒーの湯気の向こうに、あの島の眩しい陽光が蘇る。
あの後、リナさんの号令で突入した即席チームの活躍によって、管理ボンプ「バース」は制圧され、島の周囲を封鎖していた空間の裂け目は無事に解除された。
事件発生の島到着日、調査開始の一日目、そして首謀者捕縛の二日目の夜。
嵐のような日々を過ぎた僕ら一行は、迎えのクルーザーが来るまでの三日目を、全てバカンスにすることにした。
『エレン。あなたはホスト役として、お客様たちのアテンドをお願いしますわね』
そう言ってリナさんは、エレンを柚葉たちの輪へと送り出した。
名目は案内役だが、要は同年代の友達と思い切り遊んでいらっしゃいという彼女なりの親心が込められていたのだろう。エレンは最初こそめんどくさいと口を尖らせていたが、安全だと分かったシェルターの倉庫から、率先して遊び道具を引っ張り出してきていた。
そうして始まった最後の行楽は、皆が満足のいくものだったと思う。
白い砂浜での水遊びに始まり、森の奥での探索、高台での記念撮影と、彼女たちは時間の許す限り島のあちこちへ足を伸ばしていた。
大した敵も現れなかったせいでシーザーは暴れ足りずに不満を抱いているんじゃないかと内心危惧していたが、日が傾くまで遊び倒し、心地よい疲労感に包まれている様子を見るに、このバカンスは彼女にとっても悪くないものだったようだ。
一方、僕はパラソルの下で、リナさんと協力して監視室に残されたデータのバックアップ作業を行っていた。
膨大なログを整理し、持ち出せる形にまとめる。地味な作業だが、誰かがやらなければならない。
『……いつまで仕事してんの』
不意に、視界が影に覆われた。
顔を上げると、濡れた水着姿のエレンが、不満げにこちらを見下ろしている。
『せっかくの休みなのに。ほら、行くよ』
『え、ちょっと待って、まだここが──うわっ!?』
反論する間もなく腕を掴まれ、僕はそのまま海中へと引きずり込まれた。
盛大な水飛沫を上げて倒れ込む僕を見てエレンが笑う。
結局、最後は全身ずぶ濡れになりながら、僕も心からバカンスを楽しんだ。
夕方、迎えに来たクルーザーに乗り込み、島が小さくなっていくのを見届けながら、僕たちはスロノス区本区へと帰還したのだった。
回想を切り上げ、僕は手元の資料に視線を落とす。
島で発見した案内ボンプ「ユニコ」の残骸と、リナさんたちが発見・制圧した後に電源を落とした管理ボンプ「バース」。
彼らの機体は、島でまとめたハードディスクと共に、ヴィクトリア家政を経由して新エリー都市長配下の技術系部署に送られることになった。
リナさんがまとめてくれた報告書には、あの島で何が起きていたのか、その悲しき真相が記されていた。
かつて計画されていた『崑崙』計画。
それは過保護ではあるものの、ホロウ災害に対する避難シェルターの方針と、その後の人口回復について一応の展望を持った、真面目なプロジェクトだった。
偶然利用しやすい位置に発生したホロウを活かした発電装置──アリスが『式輿の塔』の原型だと言ったもの──は、万全の安全性があったかは定かではないが、エネルギーの自給自足という点においては、ある種の理想形になっていたかもしれない。
だが、無人のシェルターを管理していた二機のAI、「ユニコ」と「バース」に異常が生じた。
原因は、長期間にわたりホロウの傍らで稼働し続けたことによる、エーテルの侵食──あるいはミアズマの影響だと推測される。ラマニアンホロウの共生ホロウだったことを鑑みると、ミアズマが漏出していても不思議ではない。ミアズマが生み出す幻自体はボンプは見ることが出来ないが、単純な暴露による侵食が長く続けば幻を見るよりたちが悪いことが起きる。
認知機能にノイズが混じった彼らは、施設内に残されていた──おそらくは研究員の私物だったゴシップ誌か何かに掲載されていた──『カルホーン文書』なる記事を発見した。
それは「楽園のような環境で過密飼育されたラットは、世代を経るごとに衰退して滅びる」という、学術的信憑性の薄い読み物だった。
しかし、ミアズマに侵された彼らは、それを本物の実験資料であり、人類の未来を予見する絶対的な真実だと信じ込んでしまったのだ。
彼らはこの文書を信奉し、実際の計画記録と統合させ、熱心に対策を練ろうとしていた痕跡まであった。
そして、ここから二体の道が分かれた。
「ユニコ」は絶望した。「人間がこんな場所で繁殖すれば、ネズミと同じように破滅する」と考え、島を隠すために迷彩フィールドを展開し、誰一人としてたどり着かないように徹底的な隠蔽を行った。
一方「バース」は、当初こそユニコに同調していたものの、次第に別の妄想に取り憑かれた。「人間なら大丈夫なのではないか?」「愛があれば壁を越えられるのではないか?」と。
彼は「こんなところに閉じこもっていては人間を救えない、招き入れて証明すべきだ」と主張し、ユニコと対立した。
記録によれば、数年前、ついにバースがユニコを強襲し、島の制御権を奪おうとした形跡がある。
ユニコは抵抗したものの、バースによって「来訪者の案内役」としてのプログラムを強制的に植え付けられてしまった。
だが、ユニコは最後の瞬間に抗った。
外装を破壊し、自らの回路を焼き切るほどの自傷を行うことで、管理者権限の一部を死守。バースをシェルター最下層の機械室へと物理的にロックし、島の迷彩を解けないように細工を施したのだ。
その代償として、ユニコは自我を喪失した。残っていたのは、バースに植え付けられた「案内役」としての自動応対機能のみ。
バースは外部へ干渉できず、実験体も呼べないまま機械室に幽閉され、ユニコはただの動く人形としてシェルター内で休眠していた。
そうして数年が経ち──あの日。
ラマニアンホロウでの異変により、島のエーテル発電に異常が発生。ユニコが命懸けで維持していた迷彩効果が剥がれ落ちた。
島に侵入してきた人間を探知したユニコは、自我を失ったまま、植え付けられた命令通りに僕たちを出迎える為にシェルターの扉を開き、その機能を停止させたのだ。
「何とも言えない話だな」
カップの中身を飲み干し、息を吐いた。知能構造体の暴走、エーテルが生んだ悲喜劇。十年はあの島で閉じ込められていたあのボンプたちに感情移入するなら悲劇かもしれない。
資料を閉じ、クリアファイルに収めた。これでこの事件は本当におしまいだ。島は再び静寂に包まれ、おそらく都市の管理下に置かれるだろう。
伸びをして、椅子の背もたれに体重を預ける。その時。
カランコロン、と。休業の札を下げているはずのドアベルが鳴った。
鍵を掛け忘れていただろうか。慌てて立ち上がると、ドアの隙間から数日振りの顔が覗いてきていた。残念ながら今日はワンピースを着ていないらしい。
「よ、よう。……いるか?」
シーザーはどこか挙動不審な様子で、店の中へ入ってきた。視線は僕の方を向いているようで、どこか別の空間を彷徨っている。
「シーザー? どうしたんだ、急に」
「あー、いや。近くまで来たから、その、寄ってみただけだ。あっちの島の件も片付いたし、お前が参ってないか確認してやろうと思ってな」
「それはどうも。おかげさまで、事後処理も終わったところだよ」
礼を言うと、シーザーはそうかと短く返し、頬を指でかいた。その顔が妙に赤い気がした。
「……ッ」
頭上の天井板から、ギシッと。重みのある軋み音が響いた。
建物の二階。誰かがベッドから降り、床を踏みしめた音だ。
「ん? リンも帰ってるのか? あいつにも挨拶しとくか」
シーザーの瞳が鋭くなる。さすがは郊外に生きる者、気配には敏感だ。
「い、いや! 誰もいないよ。この建物、たまに風で軋んだりするんだ」
「風? にしては、中から聞こえたような……」
「あー、あれだ。ネズミかな?」
我ながら苦しすぎる言い訳だ。だが、シーザーは首を傾げつつも、それ以上深く追求しようとはしなかった。
助かった、と胸を撫で下ろす。
「ま、いいか。無事な顔も見れたし、オレは行くぜ」
「あ、ああ。わざわざありがとう」
シーザーは踵を返し、出口へと向かう。
よかった、バレずに済んだ。そう安堵した瞬間だった。
ドアノブに手をかけたシーザーが、背中を向けたままピタリと止まった。
「なあ、アキラ」
「何かな?」
彼女は振り返らない。だが、その耳が真っ赤になっているのが見て取れた。
「……エレンは、最後は気絶したみたいにへばってたけどよ」
ボソリと、だがはっきりとした声で彼女は言った。
「オレ様なら、もっと体力あるからな。……あんなの、最後まで余裕で耐えてやれる自信、あるぜ?」
言い逃げのように扉を開け、シーザーは風のように去っていった。
残されたのは、呆然と立ち尽くす僕一人。
「…………」
今の言葉。
へばってた、最後の方、最後まで耐える。
それってつまり。
あの後を、突入した後の光景を、本当に最後の最後まで見ていたということじゃないか。
全身の血液が沸騰するような羞恥に襲われ、思わず頭を抱える。
店奥の階段から、ペタ、ペタ、と素足が床を叩く音が近付いてくるまで、ひたすら懊悩することしか出来なかった。
「誰か、来てた?」
気だるげな声と共に現れたエレン。寝癖のついた髪はそのままで、未だ目元に眠気が見える。
彼女が身に纏っているのは、僕の大きめのワイシャツ一枚だけ。
ボタンは掛け違えられ、広く開いた襟元からは昨晩の痕跡である赤い印がいくつも覗いている。裾からは健康的な太腿が露わになり、歩くたび、尻尾が揺れるたびに際どいラインが見え隠れしていた。
「その服、しまっていたはずだったけど、どこから引っ張り出してきたんだい」
「んー……」
エレンは僕の言葉など聞いていないようで、ふらふらとカウンターの中に入ってくると、背後から僕に抱き着いてきた。
シャツ越しの体温と、柔らかい感触が背中に押し付けられる。首元に鼻を埋めてきて、不満げに唸るエレン。
「……なんか、シーザーの匂いする」
絶対そこからは匂わない。話し声が聞こえていたのだろう。
「挨拶に来ただけだよ。エレンによろしくってさ」
「なんで?」
こっちが聞きたい。あの突入時に何があったのかリナさんを問い詰める必要がある。
「ま、いいけど」
こちらの渋い顔を知ってか知らずか、エレンは興味なさげに呟き、ガブリと僕の肩口に甘噛みした。
痛さとくすぐったさが綯い交ぜになる感触。声をあげなくなった自分が少し恨めしい。
「エレン、とりあえずちゃんと服を着てくれ。ここじゃ外から見えかねないし」
「やだ」
即答だった。
彼女は僕の耳元に顔を寄せ、悪戯っぽく、けれど熱を帯びた声で囁く。
「どうせまた脱ぐし。お休み、まだ終わってないでしょ?」
有無を言わさぬ力で、僕は再び二階への階段へと引きずられていく。
適当観に戻って修行を再開するのは、もう少し先になりそうだった。