状態異常シャーク   作:すばみずる

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キュケオーンシャーク

 夜のルミナスクエアは昼間とは違う顔を見せる。『黄金の日』が近いともなると尚更だ。

 行き交う人々の喧騒もどこか浮ついた熱を帯びており、そこかしこの店が祭日に向けて飾り付けの前準備をしている。

 そんな極彩色が目前に迫る夜の中、グラビティシアターの重厚な扉が開かれ、映画鑑賞を終えた客たちが吐き出されてきた。

 その流れに混じって、エレン・ジョーもまた夜の空気へと身を浸す。

 映画館特有の空調の効いた乾燥した空気から開放され、川から流れてくる少し湿った夜風が頬を撫でるのが心地よい。隣を歩くアキラと肩が触れ合う距離感も、まぁ悪くない。

 映画の内容自体は、正直エレンの好みど真ん中というわけではなかった。ロボットが銃火器で撃ち合い、小難しい政治劇が繰り広げられるスペースオペラ。けれどアキラが楽しみにしていた作品だし、こうして隣で一緒に時間を共有できたのだから、トータルでは満足の判定が出せる。

 だから、エレンの機嫌は良かった。

 良かった、のだが。

 

「……あのシーンの演出、やっぱり監督の過去作のオマージュだったな。話題になっていたミサイルの残弾数についてはソフト版で確認しておかないと……」

 

 隣を歩くアキラは、エレンの方を見ようともしない。

 その視線は手元の薄い本──ロボットとボンプが雄々しく描かれた、映画『機動黄金魔神号 閃光のンナナ 殺気(キルケ)の魔女』のパンフレットに釘付けだった。その口から漏れるのは感想の共有などではなく、もっと深い、深淵なるオタク特有の独り言。

 

「ねぇ、アキラ」

「最後の機体の変形機構、あれは玩具化を見越してのデザインだろうけど、劇中の重力下での挙動としては少し無理が……」

「……ねぇってば」

「え? あ、ごめん。何か言った?」

 

 ようやくこちらを向いたアキラの目は、まだスクリーンの向こう側を見ているようだった。生返事。上の空。エレンの眉間にピクリと皺が寄る。

 せっかくのデート──明言はしていないがそのようなもの──の余韻が、急速に冷めていくのを感じた。映画の興奮が冷めやらないのは分かる。マニアックな早口考察を聞かされるのも、業務上応対する必要もあり慣れているから許容範囲だ。

 けれど、完全にこちらの存在を袖にするのは、流石にどうなのか。

 エレンは小さく溜め息を吐き、揺れていた尻尾をパシンとアスファルトに叩きつけた。

 

「もういい。アタシ、ティーミルク買ってくる」

 

 投げやり気味に告げても、アキラはパンフレットの文字を追うのに忙しいらしい。ああと適当な相槌を打つだけで、足は映画館の出口付近から動こうとしなかった。

 彼女と一緒なのにほっとくなよ。口の中で毒づきながら、エレンはアキラに背を向けた。

 少し冷たい態度を取れば追いかけてくるかとも期待したが、背後からはブツブツ呟く声が遠ざかるだけ。

 エレンはフードを目深に被り、苛立ちを紛らわすように早足で交差点を渡った。

 ルミナスクエアの一角にある人気店『リチャード・ティーミルク』。夜になっても行き交う人の多さからか珍しく行列は出来ている。今のエレンにはこの待ち時間すら、頭を冷やすには丁度いいかもしれない。

 最後尾に並び、スマホを取り出そうとした時だった。

 

「よう、エレンちゃんじゃん」

 

 馴れ馴れしい声が掛かった。

 顔を上げると、二人組の男が立っていた。着崩した服が似合う、いかにもな若者たち。エレンは記憶の引き出しを漁るが、該当するファイルは見当たらない。

 

「……誰?」

「えー、冷たいなぁ。忘れちゃった? ほら、この前。深夜のルミナでさ」

 

 男の一人が笑いながら距離を詰めてくる。

 

「カラオケの割引チケット買うために、一緒に行ったじゃん。そっちから俺らに声掛けてきたろ?」

 

 エレンの脳裏に、薄ぼんやりとした記憶が蘇る。

 確かにそんなこともあった気がする。深夜限定の割引券を手に入れるため、たまたま近くにいた暇そうな連中を捕まえて連れということにした事が何度かある。確か、アキラに止められてからはやめていた。

 さも縁があるように語られても、エレンにとって彼らは購入制限のある券を確保するための道具AとBでしかなく、顔も名前も覚える必要のないモブキャラだった。

 

「あー、はいはい。そーゆーこともあったかもね」

 

 興味なさげに返事をして、エレンは視線を外す。

 これで会話は終了のつもりだった。だが、男たちはエレンの態度を何か勘違いしたのか、さらに図々しく踏み込んでくる。

 

「奇遇だしさ、この後また一緒に行かね? 今度は俺らが奢るからさ」

「パス。連れがいるし」

「えー? 一人で並んでんじゃん。嘘つくなよー」

 

 男の手が伸びてきて、エレンの肩に置かれた。既に刻まれていた眉間のシワが、フードの陰でより深くなる。

 馴れ馴れしい接触に対して、反射的にスカートの下で尻尾が跳ねた。

 ホロウの中のように、このまま全力で振り回して薙ぎ払ってやろうか。重心が攻撃のそれに移行しかけた、その時。

 

「エレン!」

 

 交差点の向こうから、声が響いた。

 バタバタと慌ただしい足音と共に、息を切らせたアキラが駆け寄ってくる。パンフレットを握りしめたままのその姿は、お世辞にも格好いいとは言えない。

 状況が飲み込めていないのか、アキラはキョトンとした顔でエレンと男たちを交互に見た。

 

「……知り合い、かい?」

 

 間の抜けた質問。男たちにナンパされているという発想は無いらしい。ただ純粋に、エレンが友人と話していると思ったのだろう。

 その鈍感さに呆れつつも、エレンの中で膨れ上がったものが霧散していくと同時に、自然と身体が動く。

 

「うん、そーらしいよ。なんか前、カラオケ行ってたっぽいー」

 

 エレンは努めて明るい棒読み声で答えながら、自然な動作でアキラの腕に自分の腕を絡ませた。

 押し付けられる柔らかい感触と密着する体温。突然のことにアキラが硬直するが、エレンはお構いなしに体重を預ける。

 

「でもごめんねー。今日はこの人と一緒だからー。じゃーねー」

 

 言葉はぎこちなさしか無かったが、その目は笑っていなかった。アキラの到来で掻き消えた殺気が無言の圧力となって、赤い瞳から放たれている。

 男たちはエレンとアキラ──明らかに親密な距離感の二人を見て、バツが悪そうに顔を見合わせた。

 

「あ、ああ……そうか。悪かったな、邪魔して」

 

 口ごもりつつ詫びを入れて、男たちは足早に雑踏へと消えていった。

 嵐が去った後には、状況を理解できていないアキラだけが取り残されている。

 

「えっと……今の人たちは?」

「別に。なんでもない」

 

 エレンは組んでいた腕を解こうとして、別にこのままでもいいかと力を込め直しふぅと息を吐いた。

 アキラはポカンとした顔で、去っていった男たちの背中を見送っている。

 

「タイミングいいじゃん」

「タイミング?」

 

 アキラはまだ事態が飲み込めていないらしく、小首を傾げている。

 エレンは絡めた腕を解くどころか、さらに自身の体へと引き寄せた。二人の間の隙間が完全に消失し、薄い布越しに互いの鼓動が伝わるほどの距離。

 

「そ。虫除けスプレー代わり」

「虫除けって……ああ、そういうことか。何かされたわけじゃないなら良かったけど」

 

 ようやく合点がいったのか、アキラの表情から強張りが消え、代わりにバツの悪そうな苦笑が浮かぶ。

 

「ごめん。パンフレットに夢中になりすぎた。ふと横を見たらエレンがいなくなってて、慌てて追いかけてきたんだ」

「ふーん」

 

 エレンは鼻を鳴らした。

 完全に忘れていたわけではなく、いなくなったことに気付いて走ってくる程度には気にかけていたらしい。その事実が、ささくれ立ったエレンの機嫌を少しだけ撫でていく。

 ほんの少しだけ、だ。

 

「で? 反省は?」

「してる。すごく」

「口だけならなんとでも言えるし」

 

 じとりと上目遣いで睨むと、アキラは観念したように肩をすくめた。

 

「なんでもお詫びします。とりあえず、ティーミルクは僕に奢らせてくれないかな」

「一番大きいの。トッピング全部乗せで」

「了解」

 

 素直に財布を取り出すアキラを見て、エレンはようやく口元を緩めた。

 列が進み、カウンターで注文を済ませる間も、エレンはアキラの腕を離さなかった。会計のためにアキラが体を捻ると、それに合わせてエレンも動く。そのたびに豊かな胸の感触が腕に押し当てられていることに、この鈍感なプロキシが気付いていないはずがない。

 耳の端が僅かに赤くなっているのが、その証拠だ。

 動揺しているくせに、人前だからか、あるいはエレンの機嫌を損ねるのを恐れてか、振りほどこうとしないのが可笑しくもあり、愛おしくもある。

 

 商品を受け取り、二人は再びルミナスクエアの夜道へと戻った。

 片手にはずっしりと重いLサイズのティーミルク。もう片方の手は、アキラの腕をしっかりとホールドしている。

 ストローを咥え、濃厚な甘さを吸い上げると、脳の芯まで糖分が染み渡っていくのを感じた。

 

「ん、おいし」

 

 甘い。ミルクも、空気も、今の状況も。

 

「機嫌、直った?」

 

 恐る恐る聞いてくるアキラに、エレンはストローを離してニヤリと笑ってみせた。

 

「さぁね。まだ映画一本分くらいはマイナスかな」

「厳しいなぁ……」

「当たり前でしょ。デート中に他のものに現を抜かすとか、重罪だし」

 

 あえて「デート」という単語を口にすると、アキラが喉を詰まらせたような音を立てた。

 その反応を楽しむように、エレンは彼の方へ頭を預ける。

 アキラの服からは、微かに古い本のような乾いた匂いがした。それはエレンにとって、どんな高級な香水よりも落ち着く、日常の匂いとなっていた。

 さっきの男たちに向けたざらついた感情はもう、欠片も残っていない。

 代わりに胸を満たしているのは、どろりとした独占欲。

 誰にも渡さない。視線一つ、思考の欠片一つだって、他の何かに奪われるのは面白くない。

 それはまるで、治癒することのない病のようにエレンの身体を蝕んでいる。けれど、その熱は決して不快ではなかった。

 

「ねぇ、アキラ」

「ん?」

「一口、いる?」

 

 エレンは自分が口をつけていたストローを、アキラの口元へと差し出した。

 一瞬の躊躇い。けれどアキラは、拒否することなくそのストローを咥え、一口だけ吸い込んだ。

 

「……甘いな」

「でしょ」

 

 満足げに頷いて、エレンは再びストローを自分の唇で挟んだ。

 夜風に揺れるスカートの下。サメの尻尾が機嫌よく左右に揺れ、時折寄り添う者の太腿をぺしぺしと叩いていた。

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