新エリー都、スロノス区・衛非地区。
古き良き街並みと現代の営みが混在する
適当観。人を食ったような名前のこの場所こそ、僕とリンがエーテル制御の術法を学ぶために通っている『雲嶽山』の拠点である。
由緒ある寺院としての側面も持つ場所だ。修行期間中の宿として借りている宿坊の一室は、元は香の匂いが漂う静謐な空間だった。しかし長期滞在が続く今となっては、持ち込んだH.D.Dシステムに連なる情報端末とビデオの出張貸出所の在庫も置かれ、すっかりビデオ屋の延長戦のような様相を呈していた。ここを引き払う時が来ると思うと、寂しさよりも大変さのほうが勝りそうだ。
その部屋の寝室部分、ダブルベッドの上で、三つの影が鮨詰めになって連なっている。
学校帰りの制服姿のままのエレンを真ん中にして、右にリン、左に僕。川の字になって寝そべりつつ、三人で向かいに置いたモニターに流れる映画を眺めていた。
「……あの爆発、CG安っぽくない?」
「かなり前の映画だからね。当時はあれが最先端だったんだよ」
「ふーん。ま、派手ならいいけど」
気怠げな声を出すエレンの口に、リンがスナック菓子を差し出す。エレンは視線をモニターから外さず、器用にそれを齧った。
ブラウスにスカートという学生らしい装いのエレンがここにいるのは、学校の課外授業で衛非地区の近くまで来たからもののついでだという。「こないだ映画に付き合わせておいて、今度は最近修行ばかりじゃない?」と冷やかしに来たようだったが、こうして制服のままベッドに潜り込んでくるあたり、彼女もリラックスを求めていたのかもしれない。
リンは唐突なエレンの来訪を歓迎しつつ、新作映画をエレンと共に抜け駆けで観ていた僕への当てつけを散々にした後、皆で一緒にこうしてベッドへ雪崩れ込んだのだった。
画面の中ではB級アクション映画の主人公が物理法則を無視したカーチェイスを繰り広げている。適当なツッコミを入れながら流れる時間は、日々の雑事を忘れさせる穏やかなものだった。
「エレンのほっぺた柔らかいねー。やっぱメイドさんは肌キレイじゃなきゃダメなんだ?」
「ん……リン、くっつきすぎ。暑い」
「えー、いいじゃん。エレンいい匂いするし」
文句を言いながらも、エレンはリンが腕に抱き着くのを拒まない。妹はすっかりエレンに懐いていて、頬を擦り寄せたり髪を弄ったりと好き放題だ。エレンも満更ではなさそうで、されるがままになっている。
女の子同士、仲が良いのは微笑ましい。
隣で寝転がりながらその光景を眺めていると、ふと、自分がひどく場違いで邪魔なような気がしてきた。
キャッキャと戯れる二人。そこに男が存在してしまうのは罪悪感に近いものが込み上げてくる。
ここはひとつ、女の子だけの空間にしてあげたほうが、もっと話も弾むかもしれない。午前中の座禅と術法の訓練で体も疲れている。少し離れた場所で遅めの昼寝でもさせてもらおうか。
そう判断し、音を立てないようにゆっくりと体を浮かせた。
エレンの意識は画面に向いているし、リンは今度はエレンの二の腕の感触にご執心だ。今なら気付かれずに抜け出せるだろう。
マットレスを沈ませないよう慎重に、エレンとは反対側へ身を捩り、ベッドの縁へと移動しようとした、その時。
バシッ。
乾いた音がして、腹部に重い衝撃と圧迫感が走った。
「ぐぇ」
変な声が出た。
見下ろすと、そこには太く、黒い影が巻き付いている。
エレンの尻尾だ。
今まで大人しくシーツの上に投げ出されていたはずの尾が、獲物を捕らえる蛇のように瞬時に跳ね上がり、僕の胴回りをがっしりと捕獲していた。
「どこ行くの」
低く、短い問いかけ。
恐る恐る顔を上げると、エレンは画面を見つめたまま、視線すらこちらに向けていなかった。表情は気怠げなままで、口に含んでいるお菓子をポリポリと動かしている。
だが、腰に巻き付いた尻尾の力は尋常ではない。鋼鉄の万力で締め上げられるような、逃走を断固として許さない意志を感じる。
「いや、ちょっとそこまで……二人の邪魔をしちゃ悪いと思って」
「邪魔じゃないし。動くと気散るから、じっとしてて」
「お兄ちゃん? どうしたの?」
反対側でエレンに抱き着いているリンが、不思議そうに顔を上げた。エレンの背中越しでは、僕が尻尾に捕獲されている状況が見えていないらしい。
「なんでもない。……ただの寝返りだよ」
「ふーん? 静かにしててよね、ここからがいい所なんだから」
リンはすぐに興味を失って画面に戻る。
僕は助けを求める視線をエレンに向けたが、彼女は素知らぬ顔だ。
しかし、その拘束は緩むどころか、さらに強まった。
ずる、と体が引き寄せられる。
クッションを抱き寄せるかのように、エレンの尻尾が強引に、僕の体を自分の方へと手繰り寄せたのだ。
抗う術もなく元の位置──エレンの左隣へと引き戻される。それどころか、さっきよりも距離が近くなっていた。肩と肩が触れ合い、制服越しに彼女の体温が伝わってくる。
ふわりと、潮風にも似た甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「……ん」
エレンが小さく喉を鳴らし、尻尾の先端で僕の太腿をぺしぺしと叩く。
『大人しくしてろ』という合図だろうか。それとも、『ここにいろ』という意思表示だろうか。
どちらにせよ、この状況で脱出など不可能だ。雲嶽山の修行で身につけつつある術法をもってしても、この物理的な拘束力と、精神的な引力からは逃れられそうにない。
画面の中では爆発炎上する敵基地を背に、主人公とヒロインが抱き合っている。
現実のベッドの上では、可愛らしい怪物的な尻尾に挟まれたプロキシが、諦めの溜息を一つ吐いて力を抜いた。
腰に巻き付いた尻尾の重みは、拘束具というにはあまりに温かく、心地よいものだったから。
無言のまま、エレンの肩に自分の体重を少しだけ預けてやる。エレンの口元が、わずかに緩んだのが見えた気がした。
気付けば映画は中盤のダレ場に差し掛かっていた。派手な爆発シーンが終わり、主人公たちが作戦会議という名目で長々と会話を繰り広げている。
画面の動きが少なくなったことで、余計に今の自分の状況が浮き彫りになる。
右半身にはエレンの体温。腰には強靭で、かつ生き物特有の温かみを持った尻尾。
身動きが取れない以上、視線と意識はどうしてもその拘束具に向いてしまう。手持ち無沙汰に任せて、腰に巻き付く太い尾にそっと手を添えた。
服越しではない、直接の感触。
指先で表面をなぞる。順目になでれば滑らかで、逆撫でしようとすればヤスリのように指に引っかかる独特の質感、いわるゆサメ肌。
だがその硬質な皮膚の下には、しなやかで強靭な筋肉が詰まっているのが分かる。
何気なく、指の腹でぐっと押し込んでみた。高反発の弾力が指を押し返してくる。空気がよく入った風船か、仕立てのよいボンプを揉んだときのような感触。けれど、よく触れてみると、所々が妙に硬く張っていることに気づく。
学校生活と、ヴィクトリア家政としての裏の仕事。
この尻尾は武器であり、当然ながら彼女の体の一部だ。酷使されていないわけがない。
いつも重い荷物を背負い続けているようなものだろうか。そう考えると、少し労ってやりたい気分になる。
画面を見つめたまま、無意識のうちに指に力が籠っていく。
凝り固まった筋肉の筋を探り当て、ゆっくりと、揉み解すように親指を沈める。
「……ッ、ん」
隣で、微かな声が漏れた。
見ると、エレンの肩がびくりと跳ねている。
痛かっただろうか。
加減を間違えたかと手を止めようとしたが、尻尾の力が緩む気配はない。むしろ、さっきよりも深く、僕の腰に食い込むように密着度が増している。
試しに、もう一度。今度は少し場所を変えて、尾の付け根に近いあたりを掌全体で包み込み、ゆっくりと揉みしだく。
「……ぅ、ぁ……」
エレンが口元を手で覆い、小さく息を吐き出した。
横顔を盗み見ると、気怠げだった瞳が少し潤んでいるのが分かる。頬がわずかに紅潮し、テレビの明かりを受けて艶めかしく光っていた。
まずい。
これは、ちょっと刺激が強すぎたかもしれない。
右側ではリンが「あ、ここ伏線かな?」なんて独り言を呟きながら映画に集中している。もし今のエレンの声を聞かれたら、どんな変な誤解をされるか分かったものではない。
なにより、エレン自身が必死に声を殺しているのが伝わってくる。口に運んでいたお菓子が、いつの間にか零れてシーツの上に落ちていた。
これ以上は彼女の尊厳に関わる気がする。静かに手を離し、マッサージを中断しようとした。
その瞬間。今まで僕の腰を締め上げていただけの尻尾の先端が、くねりと動いた。
こちらの太ももを叩くのではなく、撫でるような動き。
「……エレン?」
小声で名を呼ぶと、彼女は画面から視線を外さず、けれど僕にだけ聞こえるような幽き声で囁いた。
「……ストップ、なんて言ってない」
低く響き。一瞬だけこちらを向いた赤い瞳は、恨みから鋭く睨むようでありながら、上目遣いにねだるような欲深さが混在していた。
彼女は僕の肩に頭を預け、さらりと流れる黒髪が僕の首筋をくすぐる。腰の拘束が、ねだるようにぎゅうと脈打った。
これはもう、映画が終わるまで解放されそうにない。
僕は観念して、再びそのサメ肌の奥にある凝りへと指を滑らせた。