状態異常シャーク   作:すばみずる

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アンブレラシャーク

 朝から降り続く雨は、夕方を迎えても一向に勢いを弱める気配がなかった。むしろ暴風まで混じり始め、2階の窓を打ち据える雨粒の音が店内までけたたましく響いている。

 六分街の街頭も、今日ばかりは人通りが絶えていた。ビデオ店『RandomPlay』の1階カウンターで、外の荒れ模様を扉の小窓越しに眺めながら小さく息を吐く。

 

「こんな土砂降りじゃ、さすがにこれからお客さんが来ることもないよね」

 

 退屈そうに陳列棚の埃を払っていたリンが、カウンターに肘をついて同意を求めてきた。

 

「そうだね。今日はもう、早仕舞いしてしまってもいいかもしれない」

「賛成! じゃあ閉店の表示出してきちゃうね」

 

 リンが入り口に向かおうとした、その時だった。

 カラン、と。強風に煽られたような乱暴な音を立てて、玄関の扉が開いた。

 

「うわっ、いらっしゃいませ……って、エレン!?」

 

 リンの驚いた声に視線を向けると、そこには見慣れたサメの尻尾──と、頭から爪先までずぶ濡れになったエレンが立っていた。

 被っているフードはべったりと額に張り付き、その制服までぐっしょりと濡れている。あちこちから滴る水滴が、店の床に瞬く間に小さな水たまりを作っている。

 

「傘持ってなかったの?」

「……駅出た途端に、壊れた」

 

 不機嫌そうに唸るエレンの手には、無惨に骨が折れ曲がったビニール傘の残骸が握られていた。突風に煽られてひっくり返ってしまったのだろう。ただでさえ体温の低そうな彼女が、雨水の冷たさでわずかに震えているように見える。

 

「もう、ずぶ濡れじゃない! 連絡してくれれば迎えに行ったのに!」

 

 リンは呆れながらも手際よく動いた。すぐさま奥からタオルを引っ張り出してくると、エレンの頭にガシガシと被せて水気を拭き取る。

 

「とりあえずこれ、いつものバスタオルね! 風邪ひく前にシャワー使ってきな!」

「ん、ありがと……」

 

 リンからバスタオルを受け取ったエレンは、僕の顔をちらりと見てから、まるで自分の家であるかのように当然の足取りで二階へと上がっていく。

 僕の私室に繋がる階段を上るその後ろ姿を見送りながら、リンは「あーあ、床拭かなきゃ」とぼやきつつも、どこか世話を焼くのを楽しんでいるようだった。

 

 しばらくして、二階からシャワーの水音が聞こえなくなった。

 店じまいの作業をあらかた終え、スタッフルームのソファでテレビのニュース番組を眺めていると、階段を下りてくる軽い足音が聞こえた。

 

「あ、上がったみたいだね。エレン、風邪ひきそうにない? ……って、ちょっと」

 

 リンの声が途切れる。振り返った僕の目にも、その理由はすぐに分かった。

 シャワーを浴び終えたエレンが身にまとっていたのは、見慣れた彼女の私服でもなければ、もちろん濡れた制服でもない。

 

「……エレン。どうして僕のクローゼットから、勝手にシャツを引っ張り出しているんだい?」

 

 彼女が着ているのは、間違いなく僕の大きめのシャツだった。エレンの華奢な体格にはダボダボで、肩のラインはずり落ち、袖は指先まで隠れている。

 さらに問題なのは、下だ。シャツの裾が長すぎるせいか、ショートパンツらしきものを穿いているのかどうかすら外からはまったく見えない。いや、見えてはいけないからいいのだけど。

 

「服、濡れてて着れないし。リンの借りようかと思ったけど、サイズ合わないから、アキラのでいいかなって」

 

 サイズが合わない、という言葉に妹が何か言いたげに眉をひそめたが、エレンは意に介さない。

 

「洗濯機回しちゃったけど、良かった?」

「あ、待って待って。一緒に入れるのあるんだ」

 

 リンが置きっぱなしにしていた靴下などを抱えて二階へ上がっていく。

 エレンはそれを見送った後、そのまま迷うことなくスタッフルームへ足を踏み入れ、僕が座っているソファの隣を陣取った。

 さらに当然の権利とばかりに、彼女の太いサメの尻尾がどさりと僕の膝の上に置かれる。シャワーの後とは言え雨に濡れていたせいか、いつもより少しひんやりとしていて、そして重い。

 

「髪、まだ濡れてるよ」

 

 手元にあった乾いたタオルを彼女の頭に乗せてやり、わしゃわしゃと適当に拭く。水に濡れて帰ってきたイアスを拭いてやる時を思い出す。

 エレンはしばらくされるがままになっていたが、やがて不満げに鼻を鳴らすと、僕の手からタオルをひったくった。

 

「こっちは自分でやる。それより、そっち」

 

 エレンが押し付けてきたのは、いつぞやも見せられた保湿クリームのボトルだった。

 

「シャワー浴びたから、尻尾乾燥する。ちゃんとケアして」

「はいはい」

 

 言われるがままにクリームを手に取り、膝の上の尾に塗り広げていく。鱗の感触を確かめながら、丁寧に馴染ませる。タオルを頭に乗せたエレンは気持ちよさそうに目を細め、僕の肩にこてんと頭を預けてきた。

 シャンプーの匂いが雨の匂いを上書きしていく。

 

「今日は、何か用があったのかい」

「新作のCD出るから、向かいの店でそれ見るついでに顔出すつもりだった」

「なるほどね。今日はもうずっとこの調子だから、明日の朝、学校に行く前に見ていくといい」

「そんな早くからやってるかな、あの店」

「朝から深夜までずっと開いてるよ。生活リズムが不安定なプロキシも頼りにしてる」

 

 

「ええ……」

 

 他愛のない会話の中へ、不意に、底冷えするような声が響いた。

 顔を上げると、淹れたてのホットミルクを三つお盆に乗せたリンが、ジト目でこちらを見下ろしていた。

 その視線は、ただ呆れているというレベルを超えている。

 

「あ……いや、これは」

 

 ハッとして、自分が今置かれている状況のヤバさを再認識した。妹の目の前で、自分のシャツを着た(下を穿いているか分からない)女の子の尻尾を撫で回し、肩を貸している。弁解の余地がない。

 

「え、エレン。いつもライカンさんに任せているからって、僕に頼ってきちゃダメだぞ。自分のことは自分で……」

 

 苦し紛れにごまかそうと完璧な執事の名前を引っ張り出す。だが、それは火に油を注ぐだけだった。

 エレンが片目をうっすらと開け、不機嫌極まりない低い声を出した。

 

「ボスにこんな事させないし。アキラだからさせてるの」

 

 そう言って、彼女はさらに僕の膝に尻尾を押し付け、あまつさえシャツの裾から覗く白い太ももを無防備に投げ出した。

 反論を許さないその堂々たる態度に返す言葉を失ってしまった。

 リンはホットミルクが入ったマグカップを、ドンッと傍のテーブルに置いた。

 

「はいはい、ごゆっくり」

 

 完全に匙を投げた妹のその一言は、どこか諦めに似た響きがあった。

 僕の力弱い視線を背に、リンはカップを一つ持ち大きな溜め息を吐いて二階への階段を上っていく。

 パタン、と上の扉が閉まる音が響く。

 スタッフルームに残されたのは、遠くからの雨音と、僕の肩に体重を預けて満足そうに目を閉じているサメの寝息だけ。

 手の中にある尻尾の重みと、シャツ越しに伝わってくる彼女の微かな体温。

 

「まいったな」

 

 小さくこぼした愚痴は誰に届くわけでもなく。僕はただ、彼女の尻尾にゆっくりとクリームを塗り続けるしかなかった。

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