状態異常シャーク   作:すばみずる

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フッキングシャーク

 ポート・エルピスの波止場に打ち寄せる潮の香りは、新エリー都の喧騒を忘れさせる特有の静けさを持っている。

 学校帰りの気怠さを引きずったまま、エレン・ジョーはなんとなく海が見たくなってこの港へと足を運んでいた。鞄を肩に掛け直し、サメの尾を緩やかに揺らしながら歩いていると、ふと見慣れた背中が視界に入った。

 桟橋近くで釣り道具を広げている青年。アキラだ。

 彼が時折この港で釣り糸を垂らしているのは知っているし、釣果を持って夕食の糧にしているのも珍しくない。けれど今日の彼は、どこか雰囲気が違った。いつもの穏やかで少し抜けたような空気ではなく、妙に浮き足立っているというか、ピントがずれているような違和感がある。

 

「何してんの」

 

 背後から近付き、気だるげな声を掛ける。

 アキラは驚く様子もなく振り返ると、のんきな笑顔を向けた。

 

「ああ、エレン。魚釣りに行こうと思ってね」

「ふーん」

 

 見れば分かる。問題はそこじゃない。エレンは目を細め、彼の足元に置かれた不釣り合いに巨大なクーラーボックスを一瞥した。

 

「この季節って、何釣れるの」

「ひなまを釣りに行くんだよ」

「……は?」

 

 予想外の単語にエレンの思考が一時停止する。ひなま? そんな魚、聞いたこともない。

 

「ひなま釣りって言うだろう? 3月が旬の魚でね、塩焼きにすると凄くおいしいんだよ。特にこの時期のひなまは脂が乗っていて最高なんだ」

 

 アキラはさも当然のように、淀みなく語り続ける。

 最初はくだらない冗談かと思ったエレンだったが、彼があまりにも真剣な顔でもっともらしいウンチクを並べ立てるものだから、だんだんと自分の知識が間違っているのではないかという気すらしてきた。

 本当に、そんな魚がいるのだろうか。いや、でも。

 

「じゃ、釣りポイントまで行く船を待たせてるから。また後でね」

「え、あ、ちょっと……」

 

 エレンが止める間もなく、アキラは釣り竿を担いでそそくさと桟橋の奥へと歩き去ってしまった。その後ろ姿を、エレンはただ呆然と見送ることしかできなかった。

 釈然としない。

 ひなま。ひなま釣り。口の中で反芻してみても、やはり得体の知れない言葉だ。

 

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、気付けばエレンは六分街のビデオ屋『Random Play』へと足を向けていた。あのアキラの態度について、妹のリンにでも聞いてみようと思ったのだ。

 カラン、とドアベルを鳴らして店内に入る。

 

「リン、ちょっと聞きたいことが……って」

 

 声を掛けようとしたエレンは、カウンターの前で足を止めた。

 店番をしているはずのリンが、なぜかフル装備の釣り人姿で立っていたのだ。防水のフィッシングベストに長靴、頭にはつばの広い帽子。おまけに、店内だというのに足元には波飛沫を浴びたような水滴が落ちている。

 

「……何してんの、あんた」

 

 うろたえるエレンをよそに、リンは満面の笑みで振り返った。

 

「あ、エレン! 見て見て、今日は大漁だったの! 活きのいいえいがまを釣ってきたんだよ!」

「えいがま……?」

 

 また知らない単語だ。動揺するエレンの目の前で、リンは足元にあったクーラーボックスの蓋を勢いよく開けた。

 

「ほら、まだ生きてるやつ!」

「うわっ……!」

 

 クーラーボックスの中身を見て、エレンは思わず後ずさった。

 氷水の中に詰まっていたのは、どう見ても魚ではない。プラスチック製の映画のパッケージだ。しかも、それらはまるで本物の魚のように、ビチビチ、バタバタと跳ね回っている。

『定時の神話』が跳ねて水飛沫を上げ、『星の涙』が底の方でうねっている。

 

「これ、捌いて今夜のオススメ棚に並べるんだー。エレンも食べる?」

「食べるって、何を……ッ!?」

 

 狂気じみた光景に、エレンの背筋を悪寒が駆け抜ける。活きのいいえいがまが、ぬらりとこちらを向いた気がした。

 

「────ッ!!」

 

 

 弾かれたように、エレンはベッドの上で上体を起こした。

 激しい動悸。背中にはびっしょりと冷や汗をかいている。

 荒い息を吐きながら周囲を見回すと、そこは見慣れた自室だった。カーテンの隙間から、朝の光が薄らと差し込んでいる。

 

「……夢……」

 

 サメの尾が、不安げにシーツを搔く。

 あまりにも意味の分からない、不条理な悪夢。ひなま釣り。活きのいいえいがま。

 

「……アホくさ」

 

 頭を抱え、乱れた髪を掻きむしる。どうしてあんな夢を見たのか。疲れているのだろうか。

 ふと、枕元に放り投げてあったスマホの画面が明るくなっているのに気付いた。

 手を伸ばして確認すると、アキラからのメッセージアプリの通知だった。

 

『おはよう、エレン。急で悪いんだけど、グラビティシアターで「春の映画祭り」があるんだ。もし暇なら、一緒に行かないか?』

 

 春の映画祭り。

 その文字列を見た瞬間、エレンの脳裏に、クーラーボックスの中でピチピチと跳ね回る映画のパッケージのビジュアルがフラッシュバックした。

 ぬめりを帯びたプラスチックケース。ビチビチという水音。

 

「……うぇ」

 

 急激に気分が悪くなり、エレンは口元を押さえた。あの夢の感触が、まだ妙に生々しく残っている。

 映画祭りなんて行ったら、あいつらがまた跳ね出しそうな気がしてならない。

 エレンは眉間を揉みほぐしながら、片手でフリック入力をした。

 

『外行くのダルい。うちに来て映画見るならいいよ』

 

 送信ボタンを押し、即座にスマホをベッドの端へと放り投げる。

 返信を待つ気すらない。どうせ彼は、少し困ったように笑いながらも了承するはずだ。

 エレンは再び毛布をすっぽりと被り、サメの尾を抱え込むようにして、二度寝の体勢へと深く沈み込んでいった。

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