閉店後のRandom Play。店内にはいつも通りの夜が流れていた。
カウンターで返却されたソフトの状態を一本ずつ確認し、済んだソフトをリンとボンプたちがあるべき定位置へと差し戻していく。今日の客入りは可もなく不可もなく。ビデオ屋の一日の締めくくりとはかくあるべしという光景である。
そんな中、端末が着信音を鳴らした。
「……おや」
画面に浮かんだ『エレン・ジョー』という名前に、少しだけ意外の念を抱く。
彼女からの連絡は大抵が『ヒマ』『行く』『飴買っといて』という程度のメッセージで、遊びの連絡ならもう少し長いくらいだ。通話をかけてくることはそれほど多くない。
「もしもし、エレン?」
『あー、アキラ。いま平気?』
「大丈夫だよ。ちょうど作業の切れ目だ」
『そ。……えっと』
「ん?」
スピーカーの向こうで微かに衣擦れの音がした。それから数秒の沈黙。
電話で話すような、口ごもる何かがあったのか。気長に待っていると、ガサゴソと身動きする気配のあとに言葉が続く。
『あのさ』
「うん」
『長期の契約が、入って』
「そうか。大きい仕事なんだね?」
『ん。……だから、しばらく。そっち、行けない……かも』
末尾に行くほど弱々しくなるエレンの声。気疲れしているのかもしれない。ヴィクトリア家政の仕事は激務だ。学業との二足の草鞋なのは彼女も同じなのだし、大型契約の前ともなれば気も張るだろう。
「難しい依頼なのか、聞いてもいいかい?」
『依頼は別に、たいしたことない。なんか、お偉いさんの子供のお世話しろって』
「子供のお世話? ……エレンが?」
思わず聞き返してしまった。
脳内で勝手に上映が始まる。ソファに沈み込んだまま微動だにしないベビーシッター。泣き出した子供とどちらが先に折れるかの根比べを開始するベビーシッター。最終的に子供と並んで昼寝に入り、帰宅した依頼主に発見されるベビーシッター……というのは些か低く見すぎか。
「悪いけど、あんまり想像できないな」
『悪かったね』
「責めているんじゃなくて、適性の話だよ。ほら、君は基本的に世話を焼かれる側の才能で食べているタイプだから」
『誰が。いちおうメイドやってるんですケド』
む、とスピーカー越しに気配が尖る。よし、いつもの調子に戻ってきている。萎れているより張り合いがある方がいい。
『別に、あたしが立候補したんじゃないし。一人息子に付けるなら年が近い方がいいんだって。それで、あたしにねじこまれた』
「なるほど?」
『で、ソレがなんか遠くの学校行くから、一緒に付いていけって。あたしの単位もなんとかするからって』
「雇い主のことをソレなんて言うものじゃあないよ、エレン」
頷きながら考える。年の離れた大人にかしこまられるより、歳の近い相手がついた方が子供の側も気が楽ということか。リナさんやライカンさんに付き従われるのは頼りになるが、息が詰まるという気持ちも分からなくもない。
だが事情は分かった。業務連絡をしてくれるのはありがたい。
「そうか。ああ、それならちょうどよかった」
『…………は?』
「実は僕たちも、しばらく六分街を離れるんだ。プロキシ関係……というより体調に関わる案件で、また遠くまで行くんだよ。店もしばらく閉めることになる」
『ふーん……』
「だから、エレンの方も忙しいなら気が楽だよ。せっかく店に来てもらっても、僕らが留守じゃ申し訳ないからね。お互い頑張ろう」
エレンと会えないのは寂しいが、あちらもいそがしいのなら仕事の間隔が噛み合っていると言っていいだろう。喜ばしい事だ。
そう思えたはずなのに、スピーカーの向こうでガリッ、と飴を噛み砕く音がした。
『……アキラさ』
「うん?」
『もうちょっと、こう……心配とか、ないわけ』
「心配?」
質問の意味を測りかねた。心配。何を。誰が。新しい契約のことか。子守という初めての業種で気弱になっているのかもしれない。珍しいが、だったら掛けるべき言葉は決まっている。
「大丈夫だろう。エレンなら、どんな仕事でもどんな場所でも活躍出来るさ。『パエトーン』が保証する」
世辞ではなく本音だ。彼女の仕事ぶりを誰より間近で見てきた。巨大な剪定鋏を軽々と振り回しエーテリアスを刻み、それでいて現場の被害は最小限。依頼主としての僕は、エレン・ジョーというエージェントに満点以外をつけたことがない。
だから、胸を張ってそう請け合ったのだ。
「…………エレン?」
そうだというのに、この沈黙はどういうことなのだろうか。
今度のそれはさっきまでのものと質が違った。何も震わしてこないスピーカーから重力波が飛んできている気がするほどとてもグラビティ。
『…………そういうんじゃなくて、いや、もういい。じゃね』
ぷつり。
通話終了の表示が、僕の顔を薄青く照らした。
「?」
端末を握ったまましばし固まった。どこかで何かを間違えたのは分かるが、記憶を再生し直してもどのカットで間違えたのかが分からない。
励ました。信頼を伝えた。互いの健闘を祈った。減点要素が見当たらない。
新しい仕事への緊張か、疲労による恋人欠乏症。長期契約の前は誰だって気が立つし、そういうものだろう。落ち着けばきっとまた元通りになるはず。
「お兄ちゃん?」
振り返ると、リンが腕を組みながら実に平坦な半目でこちらを見ていた。
「いまの通話、録音してた?」
「してないけど。何故?」
「後世に残すべき0点だったから」
「……会話に採点制度があるとは知らなかったな。参考までに、どこが減点だった?」
「解答用紙は返却されませーん。残念でした」
辛辣な審査員はそれ以上の講評を拒否し、バックヤードの向こうへ消えていった。
映画なら千本単位で観てきたはずなのに、たった数分の通話ひとつ答え合わせができない。
所在なくなった端末をポケットにしまい、巻き戻しのできない上映もあるという当たり前の事実を少しだけ噛み締めた。
◆
それから暫くして。僕らは雲の上にいた。
空域機密特区・ロスカリファ。空に浮かぶ電算の島。
「こんにちは、アキラさん。先日お借りした映画、お返しします」
「やぁ、ヴェリナさん。お気に召していただけたかな?」
「ええ。ファンシーな絵面の奥に、登場人物たちの哲学を感じさせる描き方は独特ね。こちらはこれで最終巻なのかしら?」
「いや、続き物だね。まだソフト化はされていないけど、たしか先週にグラビティ・シアターで封切りされたかな」
ヴェリナ・エガード。外務計策局の総務官にして、僕たちのこの島での窓口に当たる人物。
絹糸のような銀髪に、隙のない立ち居振る舞い。手の中では畳まれた扇子がゆったりと遊んでいる。
肩書きの上では監督官と被監督者ということになるのだろうが、諸々の事件を通した今では当人同士にその意識は薄い。ビデオ屋の屋台を黙認してくれているのも彼女の恩恵があるし、調査報告に無駄な書式を求めないのも彼女だ。
有能で、貸し借りの帳簿が恐ろしく正確で、そして多分、僕がその帳簿の「貸し」側に回ることを絶妙に嫌がらない人である。
「今日は返却だけですか?」
「いいえ。折り入って、お願いごとが一つ」
ぱらり、と扇子が開く。
「明後日、新エリー都から『留学生』がいらっしゃいます。TOPS財政ユニオンの構成企業、その御曹司です」
「おっと……」
いきなりの重い話題に面食らう。名目上、『パエトーン』はメイフラワー市長麾下の調査員と言っていい立場だ。権力構造的に対立しているTOPS関係者は、基本的に相性はよろしくない。例外はTOPSを監査する立場にある『黒枝』の関係者だろうか。
こちらの警戒を汲み取ったのか、ヴェリナさんは表情を和らげて見せた。
「構成企業と言っても中枢からは一歩離れた、いわば傍流ですわ。それほど警戒は必要ありません。オルブライト空輸という物流企業はご存知?」
「オルブライト……ああ、天馬エクスプレスと違って、ホロウ外での運送を主とするあそこ?」
「ええ。TOPSの他企業が動いたのを切っ掛けにロスカリファの情報を掴み、商機と見たのでしょう。最近、接触が多くなってきているわ」
「ふむ」
考える時間稼ぎに、淹れておいた紅茶に手を付ける。自分の手で淹れたものは控えめに言っても色付きのお湯でしかない気がする。無駄にしたのが安い茶葉でよかった。
「お話としては、そのオルブライトのところのお子さんがオーレリア学院に留学するということだろうけど。外計局がよく許可を出したね?」
「たかが物流企業一つがロスカリファへの架け橋を求めてご子息を留学させたところで、どれほどの益になるのか。むしろTOPSに食い込もうとする企業なら、ロスカリファの技術目当てに何か企てがあるのでは、そういう懸念ね?」
「まぁ、そうだね。あるいは古典に則るなら、むしろロスカリファ側が子供を人質に取っていると見えなくも無いけど」
「あらあら、うふふ。なんて人聞きの悪い。アキラさんまで役人のようなことを仰るのね。困ってしまうわ」
言葉とは裏腹に、上品な笑みには一切の困惑が感じられない。この程度の穿った言い分は聞き飽きているのだろう。
ひとしきり微笑み合ったあと、ヴェリナさんは色付きのお湯を飲んでからほうと息を吐いて言葉を継ぐ。
「ロスカリファは空の浮島。正直なところ、物資はいつも潤沢とは言えません。その負担を少しでも解消するために物流企業と縁を結ぶのは、アキラさんの想像以上に重要なことよ」
「だろうね。出過ぎた事を言ってしまいすまなかった」
「謝らないで頂戴。懸念することは十分理解出来るもの」
ぱちり、と閉じた扇子の音が空気を切り替えた。
「立場はどうあれ、新エリー都からの民間留学生は貴重な存在です。外計局としては粗相ができません。そこでご相談なのですが、出迎えの席にあなたとリンさんも同席していただけないかしら。同郷で、しかも学院の先輩がいるとなれば、先方のご子息も心強いでしょうから」
「僕は構わないけれど……自分の口から言うのもなんだけど、そんな出迎えの場に釣り合うかな?」
「あら、お忘れかしら。あなたの立場はメイフラワー市長も保証しているようなものよ。むしろ、ロスカリファよりもTOPSからの方が覚えがよろしいのでは?」
覚えがよろしいと言うべきか、『黒枝』とつるむこともある市長付きの調査員なんて厳に警戒されるだろうというべきか。あるいはこれもロスカリファ側の牽制のつもりかもしれない。
しかし、ヴェリナさんがわざわざこうして足を運んで頼みに来ているのを無下にするのは心苦しい。目の前で美貌を晒しながら頼まれてしまえば、元より断る気も失せるというものだ。
「分かりました。お受けします」
「助かるわ。当日はご当主の名代の方と、随行の使用人の方が数名。そちらのご案内は私共で対応するから、あなたはご子息のお相手をお願いします」
頷きかけて、ふと思考の端に何かが引っかかる。
「……ヴェリナさん。その、随行の方々というのは」
「え?」
「……いや。何でもない」
馬鹿馬鹿しい、と僕は首を振る。新エリー都にお偉いさんが何人いると思っているんだ。企業の総帥、議員、名士、資産家。その子供の総数ときたら星の数ほどだ。考えるまでもない。
それでも。もし、と思う考えは、静かに頭の中で進んでいた。