状態異常シャーク   作:すばみずる

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スリップシャーク

 ◆

 

 

 

「VR機器での治療?」

『はい。インターノットにおいて、視覚異常とVR機器を関連させた記事が17件確認出来ました』

 

 狼の遠吠えの様な排気音からニューススタンドの元気な鳴き声へ。

 荒くれの怒号は無く、ンナンナという圧縮言語が下の階から響き。

 頭の下には硬い荷室の床はなく、慣れ親しんだ枕だと気付いた頃。

 ようやく燎原の夢が明けている事を確信できた寝起きに、枕元の端末から控えめな通知が届いた。

 幾許か回復した視界によってうすぼんやり光る板程度に見えるようになった端末へ音声通知の内容をそのまま呟くと、最小音量に設定されたfairyの合成音声が聞こえてくる。

 

『医療技術として認可を受けてはいませんが、市販されているVR機器によって色覚異常の修正、視覚の回復があったという投稿が5件ありました』

「なるほど」

『逆に、VR機器の使用によって視力が著しく低下したという報告も、電子機器の長時間使用を警告する文言と共に9件投稿されています』

「なるほど……?」

 

 参考になるんだかならないんだか分からない。後者には多分、VRゲームを長く遊ぶ子供への警句を含んでいる気がする。

 

『これらは光学的な刺激に基づいた、既存のVR技術によるものです。しかし、HIAセンターが新たに作成した没入型VRシステムであれば、使用時に五感を正しく誤認識させるため高精度の感覚マッピングが行われます。その情報を用いたログアウト時の正常化処理の際、正常な視覚への感覚修正が期待出来ます』

「HIAの新システムの処理内容なんて、一体どこで見つけたんだい?」

『対ホロウ6課の戦闘情報と共に、システム等の内部情報を公開していたアカウントがありました。現在は凍結中ですが、情報源を追跡しますか?』

「いや、いい。6課の情報も、うちには保存しておかないようにしてほしい」

『了解しました』

 

 どうせロクでもないハッカーかプロキシの仕業だろう。迂闊に情報を抱え込めば、それを楔に何が起こるか知れたものじゃない。

 

「タダ乗りしてるみたいで、あまりいい気はしないんだけどな」

『技術の発展は、広く公共に活用されるべきです』

 

 異常技術筆頭の電子存在がそれを言うのか。それともH.D.Dシステムを抱えている主人への皮肉だろうか。ともかく、早く治せるならそれに越したことはない。

 

「使うかはともかく、情報を集めておいて欲しい。もちろん、合法の範囲で」

『了解しました』

 

 アナウンスが終わり、端末のバックライトが消える。途端に視界が暗くなるが、天井を仰げば天窓から差し込んでくる朝日を感じ取ることが出来た。

 直に日光が降り注いでるわけではない淡いものだが、今の目にはそれが心地よい。日が出ている時間であると言う実感が持てるだけで安心出来る。

 そう、既に日光が注ぐほどの時間なんだ。普段の習慣のせいでこれが平日でも休日でも、ベッドに横たわっていると、何かしなければという罪悪感が込み上げてくる。

 それでも仰向けのまま動けない原因へ、そろそろ向き合わなきゃいけない。

 

「もう朝だよ、エレン」

 

 二度寝前と変わらず持ち上がらない右腕。その原因である押し掛けお手伝いに、半ば無駄と分かりつつ呼び掛ける。

 呼び掛け一つ程度では、当然のように腕は自由にならない。就寝中の彼女が聞き分けよく従ってくれるなら、いつも零号ホロウの休憩所で気を揉む必要だってないだろう。

 

「起きないと尻尾に触るぞ。それでもいいのかい」

 

 なので、いつも通りの最終手段を迷いなく選択出来る。いつもはボンプの体で揺すりながら言っているが、生身でもやることは変わらない。掴まれた腕を揺するように動かしつつ、エレンが頭から被っている毛布を剥がそうとする。

 こうすれば、観念して寝ぼけ眼を擦りながらも起きてくれる。そういう定型のはずだった。

 

「──まだ寝てたい」

 

 ぎゅう、と柔らかさに締め付けられる右腕。二人分の体温のせいで元から暖かい毛布の中で、余計に熱が絡みつく。包まった毛布を離さないどころか、こちらをその中へと引き込もうとしていた。

 

「どーせ予定、無いでしょ。いいじゃん、このままで」

 

 完璧な理屈だ、と言わんばかりに腕へ掛かる圧力が増す。エレンの両腕で抱えられるという事はつまり二方向ならぬ三方向からの同時攻撃ということになり各個撃破も不可能な柔らかい包囲網に沈み込み続けるということで。

 役に立たない直情的な思考を堪らず投げ捨て、無理にでも上体を起こす。

 

「朝はほら、実はコーヒーを飲むのが日課なんだ。何ならエレンだけこのまま寝ていて構わないから、僕はリンとカフェに行ってくるよ」

 

 未だ盲いたままでどうするのかとか、リンが起きているかも不確かとか、そういう問題は全て無視。とにかくここから逃げ出すことだけを考えて腰を浮かそうとして。

 

「一人じゃ寒いから、やだ」

 

 エレンの体が急に起きたかと思えば、浮かした腰ごと上体がベッドに引き戻される。哀れなプロキシの体を、斜めに横断するように覆い被さってきていた。頬と頬が、胸と胸が重なり合う。

 腕こそ自由になったものの、どう動かすと言うのか。せめて不愉快な事にならないように精一杯に体から離すように脇を広げる。強張った指が今にも攣りそうになっていた。

 

「寝る時にはあっためてあげたんだから、今度は返してもらっていいでしょ」

 

 正当な取り立てとでも言いたげな声色。それがどんな高利貸しよりも不当なものかを訴えようとする矢先。

 きゅうぅ、と。可愛らしい音が、寄り掛かってきていたエレンの腹から確かに響いてしまった。ごまかしようのない体からの訴えに、さすがの捕食者も動きを止める。

 

「……起きないと、朝ご飯が食べられないよ」

 

 腰に伸びそうになっていた攣りかけの手で、エレンの背中をゆっくりと叩く。こればかりは雰囲気も何も生理現象なんだから仕方がない。だからもう今は何とは言わないけどこういうのは諦めるしかないはずだ。あれなんか首筋に生暖かいものを感じるのはなんでですかエレンさん。硬くて湿ったものが当たってる気がするんですけどエレンさん。いやなんで両肩を抑えるんですか。太ももで脚も挟んでるのは何故ですか。いや逃げたりなんかしないですよ。というかそれって逃げられるような事をやる前振りなんじゃないですかいたたたた鋭い歯が肩に肩に肩にそんな唸られても腹の虫は僕のせいじゃいたたたたたたたた。

 抑えつけられた叫びのせいか、暴れた脚か、それを押し込めようとする尻尾の暴れ振りか、あるいはそれら全てか。諸々のお陰で起きてきたリンが部屋の扉をノックするその時まで、サメの咬合力を味わう羽目になった。

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