人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
バスに揺られながら、俺は俯いてスマホを操作していた。バス内は満員というわけでもないけど結構な人が乗っている。緊張が解けず椅子に座り縮こまったまま、スマホの画面に映るWEB漫画に意識を集中しようとした。
「・・・・・・うぅ・・・・・・」
どうしてこんなことになっているのか、勿論理由はある。久しぶりの外出から数日後。自分で決めた目標の通りに散髪に行くことにしたのだが、一つの問題が浮上した。床屋まで距離が遠く、徒歩で行くのは結構厳しそうなのだ。
普段はバスに乗っているが、今の精神状態で他者と閉鎖空間にいるのはしんどい気がする。出来れば避けたい。しかし、徒歩も不安なのだ。野球部で鍛えていた頃の体じゃないから、体力の限界が分からない。本来なら軽くランニング出来る出来る程度の距離でも、今の俺はあの頃とは違う。そもそも、つい先日まで引きこもっていたんだ。体力があるわけ無い。
というわけで、仕方なくバスで移動しようと思ったのだが・・・・・・予想以上にキツい。他人との距離が近く、自分から離れたり出来ないからだ。クソ、完全に見誤った。出来るだけ目立たないよう静かにしているしかない。頼む、早く着いてくれ・・・・・・!
「あの」
「ひっ」
突然声を掛けられ、口から小さな悲鳴が漏れる。震えながら顔を上げて声のした方を見ると、不安そうな表情を浮かべた女性がこちらを見つめていた。挙動不審な俺の様子に心配して声をかけてくれたようだ。
「大丈夫ですか?顔色が悪いですけど・・・・・・」
息が苦しい。心も体も痺れたようになってしまう。ふとよぎるのは、ナンパされた直後のこと。あの時も、通りかかった女性が心配して声をかけてくれたのを思い出した。何も答えられず逃げ去ってしまったんだっけ。
「だ、大丈夫、です」
なんとか声を絞り出す。逃げ場が無いから返事をするしかなかった。それに、ここで返事出来れば少しでも前に進める気もしたから。女性は心配そうな様子のまま、頷いて視線を逸らしてくれた。丁度目的地のバス停に到着し、他の乗客と一緒に下車する。
「ふぅ・・・・・・はあぁ・・・・・・」
荒い息を吐きながら、俺はバス停のベンチにへたり込んだ。別に大したことじゃない。ただ俺が過敏に反応してしまっただけだ。背もたれに体を預けて力を抜き、ぐったりとしたままスマホを確認した。床屋の予約時間までまだ30分以上ある。ここから徒歩で10分もしない場所にあるので、それなりに余裕はあるな。
何か不測の事態があるかもと思って早く出てきて助かった。このベンチで休んでから向かおう。いや、ここバス停だし一応移動した方がよさそうだ。でも、この状態で歩けるか?四肢が痺れるような感覚が抜けていない。
バス停のベンチで休み続けても、次にバスが来た時に乗らなかったら奇異の視線を向けられてしまうだろう。そうなれば更に悪化してしまう可能性が高い。俺はどうにかこうにか立ち上がり、安息の場を求めて歩き始めた。
へろへろの状態で街中を彷徨うが、中々丁度いい場所は見つからない。どこかの店に入ろうかとも思ったけど、時間が微妙なので憚られた。いっそこのまま床屋に向かった方がいいかもしれない。幸い、痺れるような感覚があっても歩けてはいる。
とにかく、一番避けるべきなのは動けなくなること。第二に目立たないことだ。視線を集めてしまったらこれ以上にキツいことになる。多少足取りがふらついていてもそこまで気にされないなら、このまま床屋に向かってしまおう。それが一番のはず。そうと決めた俺は、細心の注意を払いながら床屋へと歩みを進めた。
「ふうぅ・・・・・・」
床屋を出て一息つく。散髪中に痺れも取れて、俺はなんとか持ち直していた。いや、本当に危なかった。床屋の人が干渉してくるタイプだったら俺はもう立ち直れなかっただろう。本当、引っ越した直後に見つけていてよかったな、うん。
しかし、疲労自体はそう簡単に消えない。このまま帰るんじゃなくてどこかで一休みしたい所だ。少し早いけど昼食にしてもいいか。そうと決めた俺は、目立たないよう慎重に歩きつつ周囲を確認する。床屋こそ何度も通っているものの、この辺りの店に入った経験は0だった。
「さて、と」
不自然にならない程度にキョロキョロと飲食店を探す。余裕が無かった頃は、こうやって街並みを見渡しもしなかった。いや、今も余裕は無いんだけど。前を向いて歩くだけでいっぱいいっぱいだ。
過去と今を思い返していると、街並みの中に見慣れた店を発見した。昔よく行っていたハンバーガーのチェーン店だ。他のチェーン店より少しお高い奴。丁度混んでなさそうだしあそこにしようかな。アパートの近所にハンバーガー店は無いので、随分とご無沙汰だ。
人混みを避けるようにこそこそと入店する。うん、やっぱり結構空いてるな。店にとってはよくないかもしれないけど、俺にとってはありがたい。そのままレジに向かい、店員と目を合わせないようにメニューを確認した。
頼みたいものは大体決まっている。このチェーン店の看板メニューの一つであるトマトチーズバーガーだ。輪切りになったトマトが挟んであることが特徴で、瑞々しさと酸味が肉の旨味を引き立ててくれる。折角だしセットにしよう。心身の疲労もあって腹ペコだ。と、
「あれ・・・・・・?」
値段を見て呟きが漏れた。数年前と比べて、結構な値上げがされているようだ。・・・・・・なんだろう、時の流れを感じる。その間、俺は何も成長出来ていないのに。ネガティブに傾きそうな気分を無理くり飲み込んで、俺はトマトチーズバーガーのセットを注文した。店員から番号札を貰い、隅っこの席に腰を落ち着ける。
「・・・・・・」
駄目だ駄目だ。ここで気分が落ち込んでもなんにもならないんだから。というか繊細過ぎるだろ俺、濡れたティッシュレベルだぞ。ぎゅうっと目をつむって自責の思考を追い出す。幸い、注文時も今も店員や他の客に不審がられてはいないはずだ。大丈夫、大丈夫・・・・・・。
「お待たせしましたー」
「わっ!?あ、ありがとうございます・・・・・・」
思い悩んでいる内にすぐ注文が運ばれてきた。いや、俺がうだうだしている時間が長かっただけか。というかわざわざ席に運んでくれるんだな。急に声をかけられて跳ねた心臓を宥めながら、トレイに乗っているものを見下ろす。包み紙に入ったトマトチーズバーガーにフライドポテト。ドリンクはジンジャーエールだ。
「よし。いただきます」
心臓を落ち着かせてから手を合わせる。トマトチーズバーガーを持ち上げると、昔よりもボリュームがあるように感じられた。まぁ、俺の手が小さくなっているせいだろう。そのまま思い切りかぶりつこうとするが、どう考えても口の大きさが足りない。しょうがないので前歯で削る様に食べることにした。
「あぐ、あむ・・・・・・」
た、食べ辛い。パンとか肉まんとかよりも遥かに。それでもなんとか咀嚼すると、あの頃と変わらない味が口の中に広がった。トマトとミートソースの風味が牛肉のパティを引き立て、玉ねぎのみじん切りもスパイシーでいい。バンズは柔らかくふっくらとしていて、全体をまとめてくれている。
美味しい。別のチェーン店のハンバーガーも好きだけど、こっちの方が新鮮って感じがするんだよな。なんの根拠も無いけど。味わって飲み込んだ後、ジンジャーエールで口の中をさっぱりさせる。次はフライドポテトだ。やや太めな見た目も懐かしい。
さくりとした表面に、中のポテトはいかにも芋!って感じがする。フライドポテトはポテトチップスに近いと思ってるんだけど、そういうスナック感が薄い。どっちかというとじゃがバタみたいな感じか?
取り留めの無いことを考えつつ、俺はどんどん食べ進める。この体は小食だけど、さっきまでの色々でエネルギーを使ったからか食欲は落ちなかった。先にポテトを食べ終わり、トマトチーズバーガーの最後の一かけらを口にする。しっかりと味わって飲み込んだ後、ジンジャーエールも飲み干した。
「ごちそうさまでした」
ふぅ、お腹いっぱいだ。満足感が凄い。やっぱり、美味しいものを食べると多少なりとも気分が晴れるな。昔からの好物ならなおさらだ。少しだけ感慨に浸った後、俺はトレイを片付け店を出る。後はアパートに帰るだけだ。
「た、ただいま・・・・・・」
ハンバーガーで得た活力は帰りのバス内で一気に削れてしまった。靴を脱いだ俺はよろよろと洗面所に向かい、気付けの為に顔を洗う。鏡に映る少女はショートヘアになっていて、随分さっぱりとした印象だ。ただ、その表情は疲れ切っている。
「お、オーケーだ。ちゃんと散髪して帰ってこれたんだから」
俺は自分を鼓舞するように呟くが、それで疲れが取れるわけでもない。タオルで顔を拭いた後、いつものように横になった。実際目標は達成している。また一歩前進したと言えるはずだ。
次はどうしよう。久しぶりに図書館に行ってみようか。まぁ、どっちにしろまた何日か休んでからだ。時間を空けないと心身共に持ちそうにない。というか数日後は定期検査の日だった。自分だけで病院に向かえるだろうか。今日の消耗がどれだけ回復するかが心配だ。それとも、また車を出してもらうか?いや、流石にそれは・・・・・・。
どうしようか考えつつ俺はお腹をさする。かなりのボリュームだったハンバーガーセットは、未だに俺へと満腹感を与えていた。また今度、散髪の時に寄ってみよう。次は何を食べようか。思考がズレていくままに、俺はスマホでハンバーガー店のメニューを検索する。定期検査の件は明日考えることにしよう。今日は疲れたからな、うん。
モ〇バーガーはオニオンリングが最高。オニオンリングだけ1kgくらい食べたい。