人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「うあー・・・・・・」
スマホを眺め続けてしぱしぱする目を抑えながら、俺は情けない呻き声を漏らした。もう時刻は17時、部屋の中は夕焼けの色で染まっている。気が付かない内に随分と時間が経っていたようだ。
さっきまでスマホで調べていたのは色々なバイトの求人だ。定期検査を受けた時、俺は医者の先生に相談した。外出を増やしていく以外にも、何か出来ることは無いかを。
『そうですね・・・・・・。外出によって視線や異性への恐怖に慣れようとするのは、少々強引ですが間違っていません。なので、次は社会の枠組みの中に入っているという自覚を持つのはどうでしょうか。在宅のバイト等ならば負担も抑えられますし、自己肯定感を高めるのにも繋がりますから。勿論、無理の無い範囲で』
医者の先生からの提案は、確かに納得のいくものだった。バイト。実家を出てから何度もやろうと考えていたが、結局実行に移せていない。他者と関わるのが怖くて尻込みしていたのだ。
だが、言われた通り在宅のバイトなら誰かと接する時間も最小限で済む。実際にやれるかは後回しにして、俺は帰宅した後スマホで色々と検索してみた。そうすると多種多様な在宅ワークがヒット。それらを調べ続ける内にこんな時間になってしまったのである。
「やっぱり怖いのか、俺」
申し込もうと思えばすぐにでも申し込めるバイトはいくつもあった。だけど、どうしても二の足を踏んでしまう。俺はバイトしたことが無いのだ。高校時代は部活漬けで、卒業前に発症してこの肉体になった為社会人経験自体が0である。
きっと、俺なんかがバイトしても迷惑をかけてしまうだろう。そんな自虐的な思い込みが心の中で渦巻いて仕方が無い。そうとは限らないと、頭では理解出来ているのに。
バイトの件も、決して無理はしないようにと先生から釘を刺されている。しかし、その言葉に甘えてもいいのだろうか。俺が健常者でないのは理解している。だけど、焦ってしまうのだ。どうにかしなきゃいけないという強迫観念が、止めようも無く湧き上がってくる。
進みたい。進めない。進みたくない。進まなきゃ。感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って制御出来ない。俺は自分の体を抱き締めるように丸まり、浅い呼吸を繰り返した。体は小刻みに震え、手足の先から温度が失われていくような感覚。ちょっと物事を考えるだけでこうなるなんて、情けないにも程がある。どうにかして落ち着かないと・・・・・・。
ぐちゃぐちゃな感情で占拠されている脳みそ、その片隅で考える。どうすれば俺の心は落ち着いてくれるのか。意識的に浅い呼吸をやめて、深呼吸に切り替えようとした。深く吸って、深く吐く。淀んだ思考を換気するように。
何十分経っただろう。あるいは何分、何時間かもしれないが、震えは少しずつ収まってきた。頭の中は相変わらずぐちゃぐちゃだけど、なんとか手足を動かすことは出来る。ちゃぶ台を支えに膝立ちになり、そのままゆっくりと立ち上がる。
重心がぶれているのか、ちょっとふらついてしまった。近場のものを頼りに一歩一歩進み、冷蔵庫の前に辿り着く。こういう時は飯を食べて薬飲んで寝るに限る。止まらない思考を睡眠で封じ込めるのだ。
冷蔵庫を開けて取り出したのは、昨日定期検査の帰りにスーパーで買っておいたパックのお寿司だ。三種類のネタが二貫ずつ並んでいる。マグロの赤身に海老、そしてネギトロ軍艦。ふと目に留まり買ったんだけど、昨日の夜は食べ忘れていた。冷蔵庫に入れておいたから賞味期限は大丈夫だろう。
これなら片付けも楽だしお湯とかを用意する必要も無い。色々と限界な今の俺には丁度いいな。パックの蓋を皿代わりに、付属の子袋を開けて醤油を垂らす。箸は・・・・・・いいや。素手でいってしまおう。
「いただきます」
手を合わせた後、マグロの赤身が乗ったお寿司を掴む。シャリじゃなくて赤身の部分を醤油に付けてから口に放り込んだ。流石にこれくらいなら一口で食べられるな。もぐもぐと咀嚼すると、想像通りの味がした。赤身特有の風味にボソボソとしたシャリの食感、わさびのつーんとする感じが伝わってくる。
不味くはないけどすごい美味しいとも言えない。まぁ、賞味期限過ぎたスーパーのパック寿司だしな。ちゃんと食べられる味だし、値段的にもこれくらいだろう。次に手に取ったのは海老のお寿司。茹でられているのか白と赤の模様が綺麗だ。
「あーむっ」
・・・・・・うん、海老だ。それ以上でも以下でもない。歯応えがあって食べ甲斐があるけど、やっぱりシャリはボソボソしている。残った尻尾部分をパック蓋の隅に置いて、ネギトロ軍艦を手に取った。萎びた海苔の感触が少しだけ気持ち悪い。
醤油を付けて口に放り込む。あ、これは美味しい。ミンチにされたトロはねっとりとした食感で、混ざっているネギはまだシャキシャキ感を保っている。ボソボソのシャリや萎びた海苔も気にならないな。それだけネギトロの主張が強いんだろう。
三種のネタを一通り味わった俺は、そのまま残り半分も食べていく。途中で喉が詰まりそうになったのでお茶を取りに行きつつ、短い時間で完食した。やっぱり食事の間は余計なことを考えたりしないで済むな。
「ごちそうさまでした」
パックを片付けた後、お茶で薬を流し込んで一息つく。あー、寝間着に着替えないと・・・・・・だけど面倒だ。シャワーも浴びないといけないのに、さっきまでの精神的ダメージで気力が全然湧かなかった。
結局、俺はそのまま布団に潜り込む。折角多少は持ち直したんだ、面倒なことは明日に回そう。最近食っちゃ寝が多くなって本当にどうしようもない。まぁ、そうせざるを得ないのが今の俺ってことだよな。純然たる事実なので受け入れるしかない。だから、うん。このまま寝てもいいか。
言い訳を重ねながら俺は目を閉じる。だってしょうがないんだ。人間、満腹になったら眠くなるんだから。現実逃避でもあるけど、それが今の俺には必要なんだ。毛布にくるまり丸くなり、お休みなさいと心の中で呟いた。
夢を見ている。夢って分かる理由は単純だ。俺は野球部のユニフォームを着ていて胸元も膨らんでいない。四肢には筋肉が付いていて、現実の体の非力さが嘘のようだ。
「ナイピッチー!」
外野から声を飛ばす。その声だって今みたいに高いものじゃなく、声変わりした後の男のものだ。グローブが馴染む手は節くれ立っていて、あちこちに豆が出来ている。これは高校時代の夢なんだろう。それも、県大会決勝の時の記憶である。
9回表、2死1.2塁。一打逆転のピンチに、俺は固唾を呑んでマウンドを見つめる。そこに立つのは同学年のエース。この三年間、苦楽を共にしてきた親友だ。遠目に見ても彼の表情は落ち着き払っている。プレッシャーも感じていないようだ。
打席には相手校の四番。この試合で既に一発ホームランを打たれている。あと1アウトで勝てるこのタイミングで、相手の主砲を迎えるとは嫌な流れだ。もし逆転を許せば一気に敗色濃厚になる。俺は祈るような思いで親友の背を見つめ続けた。
親友が振りかぶり、渾身の球を投げる。瞬く間に2ストライクを取るが、相手の四番はファールで粘り続けた。気付けばフルカウント。見ているこっちの息が詰まってしまいそうだ。
そして、ついにその時が訪れた。親友のストレートを相手のバットが捉え、白球が高く舞い上がりこちらに飛んでくる。同時に俺は走った。ホームランになるかどうか、ギリギリの軌道だ。迫る白球、目の前にはフェンス。俺は思い切り跳躍しグローブを限界まで掲げる。受け身も取れずフェンスにぶつかり、全身に衝撃が走った。
「っ」
びくりと体が震え、目を覚ます。どうやら夢の衝撃が現実まで伝わったようだ。首を回して確認するが、まだ窓の外は暗い。スマホを見ると午前4時。そろそろ日が昇る時間である。
「懐かしいな・・・・・・」
上半身を起こしながら呟く。さっきの記憶は、野球部が甲子園の切符を勝ち取った時のものだ。俺の必死の跳躍は辛うじて届き、フェンスに直撃しながらもグローブから白球を零さなかった。結果、県大会を優勝することが出来たのだ。・・・・・・まぁ、当の甲子園では一回戦で大差負けしてしまったんだけど。
グローブをはめていた左手を見る。見る影も無いほっそりとしたそれに、確かにキャッチした時の感触が残っていた。夢だけど、夢じゃない。あれは確かに俺の青春だったんだ。
「・・・・・・ふぅ」
ゆっくりと息を吐きもう一度横になる。こんな体になってしまったけど、過去は変わらない。そういえば、親友や他の野球部員達は元気にしているだろうか。卒業前に発症して、それからずっと会っていない。俺自身が会いたくなかったから。こんな姿になった自分を、見せたくなかったから。
スマホには彼らの連絡先が登録されている。何十件も連絡が来たが、発症直後の俺には返事する余裕も無かった。そのまま今に至っている。
「・・・・・・寝よう」
まだ四時だ、二度寝してしまおう。胸の奥から湧き上がる切なさと息苦しさを無視して目を閉じる。だが、瞼の裏にはあの頃の記憶が映り、窓から日が差すまで、ずっと俺を苛み続けた。
回転寿司行ったらエンガワを最低5皿は食べないと満足出来ない体になってしまった。