人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「駄目だ、全然動かないぞこれ」
洗濯機が壊れた。元々中古の小さいやつを購入したんだけど、一年ちょっとでガタが来たらしい。どのボタンを押してもうんともすんとも言わなくなってしまった。
時刻は朝。いつもこの時間に洗濯機を回し、ベランダに干した後夜までに回収するのを三日置きくらいでやっている。いやまぁ、一日の洗濯物の量が少ないし毎日やる必要は無い気がして、うん。
とにかく、今の洗濯機の中には三日分の衣服やタオルが溜まっている。仕方ないから洗濯機は買い替えるとして、問題はアパートに届くまでだ。流石にその間洗濯物を溜め続けるのは色々とよろしくない気がする。そもそもそんなに着替えも持ってないし。
困り果てた俺は、スマホで検索しアパートの周辺を調べ始めた。コインランドリーとかが近くにあればいいんだけど、少なくとも外出中に見かけた記憶は無い。最悪洗わずに着回すしかないか・・・・・・と、そう思っていた俺は近場にあるコインランドリーを発見した。
どうやら普段行かない路地の方にあったようで、徒歩で20分くらいの位置だ。よかった、これなら洗濯機が届くまで凌げる。急いでネット注文しなくても大丈夫だな。とりあえず、溜まってる分はコインランドリーに行って・・・・・・。
「あ」
ここで俺は気付いた。コインランドリーに行くには致命的な問題があることを。単純な話だ、洗濯物を全部入れられる程大きいバッグが無い。
「う、うーん・・・・・・」
どうしよう。普段大量の荷物を運ぶことなんて無かったし、スーパーでの買い物もレジ袋で済ませていた。流石にレジ袋では容量が足りなさそうだし、無理に詰め込んだら破れてしまうかもしれない。慌てて部屋を漁っても、洗濯物を全部入れられる何かを見つけることは出来なかった。
しょうがない。いつものバッグに入れられるだけ入れて往復することにしよう。別に一気に全部を洗濯しなきゃいけない理由は無いからな。最低限、新しい洗濯機が届くまで凌げればいいんだから。
とりあえず、俺は入れられるだけの洗濯物をバッグに詰め込み部屋を出る。スマホの位置案内を頼りにコインランドリーへと向かった。・・・・・・結構重いな。肩にかかる重みは、かつてのスポーツバッグの比じゃない。実際の重さは半分以下だと思うけど。非力さを嘆きつつも、俺は目立たない程度に先を急いだ。
ごうんごうんと音を立てて回るドラム式洗濯機。俺はその様子をちらちら確認しながら、コインランドリー内の椅子に腰掛けてスマホを操作していた。壊れた洗濯機の代わりを色々調べているが、正直どれがいいのか全然分からない。大きさは壊れた奴と同じくらいにしたいけど・・・・・・。
色々と考えている内に洗濯機が止まる。コインランドリーのものだからか高性能で、一々入れ直さなくても乾燥までやってくれる優れものだ。こういうのを買ってもいいかもしれないけど、もう少し小さめのサイズはあるのだろうか。後で調べようと思いながら洗濯物を取り出し、バッグに詰め込む。後何回か往復しないといけないし、さっさとアパートに戻ろう。
「よっ、と」
膨れたバッグを肩にかけてコインランドリーを後にする。少し曇り空だな。これは一雨来るかもしれない。このタイミングで洗濯機が壊れたのは逆に良かったんじゃないか?コインランドリーで乾燥まで済ますことが出来たし。そうこじつけながら、俺は息が上がらない程度に足を早めた。・・・・・・が。
「げっ、降ってきた」
コインランドリーから出て5分もかからず雨粒が降り注ぎ始める。慌てて辺りを見回し、見つけた店へ逃げ込むように入店した。外からはどんどん激しさを増す雨の音。ギリギリ濡れ鼠にならずに済んだみたいだ。
「いらっしゃい」
「っ!?」
背中に声をかけられ振り返ると、そこには4、50代くらいの男性が立っていた。どうやらこの店・・・・・・コーヒー専門店のマスターらしい。厳めしい表情はアパートの大家さんにちょっと似ている。
「好きな席にどうぞ」
「あっ、は、はい」
どもりながらも返事をして近くのテーブル席に座る。声をかけられた動揺と驚き、緊張で顔が熱い。見た感じ店内は空いているけど、カウンター席に座る勇気は無かった。他人と向かい合うのが怖いのだ。
深く息を吸い、吐く。なんとか平静を取り戻しつつ、俺はメニュー表を手に取った。手書きで年季を感じさせるそれには色んなコーヒーの種類が記されている。俺は缶コーヒーでも美味しく飲める貧乏舌なので、こういう本格的なコーヒーを飲んだことは無かった。値段も少しお高めだ。
コーヒーの種類毎に書かれている達筆な説明を読むけど、違いがいまいち分からない。うーん・・・・・・まぁいいや、ここは適当に頼んでしまおう。
「あの・・・・・・すみません。この、エチオピアの豆の奴をお願いします。淹れ方は、お任せしてもいいですか?」
抑揚が変にならないように、ゆっくりと口を動かす。幸いマスターには伝わったようで軽く頷いてくれた。コミュニケーションによる緊張とはまた別の緊張を覚えちゃってるな。普段来ない雰囲気の店だから、純粋にビビっているのかもしれない。
ほどなくして、コーヒーを淹れる機械(名称が分からない)からいい匂いが漂ってくる。上手く説明出来ないけど、普通のコーヒーよりも匂いが濃い気がした。それに、なんかフルーティーさも感じる。そういえばコーヒー豆って実際には豆じゃなくて果物なんだっけ。いや、種がそうだったけか?
気になった俺がメニュー表を読み直すと、コーヒーノキという植物に生った実から取り出した種がコーヒー豆になるらしい。昔の人はなんでこんな利用方法を思いついたんだろう。歴史に思いを巡らせていると、マスターがコーヒーを運んできてくれた。と、
「あれ、これ・・・・・・」
「あぁ、初めてのお客だからサービスだよ。ごゆっくり」
小皿に乗ったクッキーが三枚。戸惑いの声を上げると、マスターはぶっきらぼうに言い戻っていってしまう。こっちとしてはありがたいけどいいんだろうか。まぁ、好意には甘えさせてもらおう。とりあえず、俺はコーヒーが注がれたお洒落なカップを手にする。口元に運ぶとさっきの匂いがより強く香った。一口啜ってみる。
「・・・・・・!?」
え、うわ、なんだこれ。苦みは勿論あるんだけど、酸味とフルーティーな風味が強い。砂糖やミルクを入れてないのに、なんというか味が色々する。多層的と言えばいいんだろうか、それらが混ざり合ってなんとも言えない美味しさを引き出していた。
正直コーヒーとは思えない。今までコーヒーを飲んだ時も、深みやコクというのはなんとなく感じていたけど・・・・・・これは完全に別物だ。やっぱり値段がいいと味もいいんだな。サービスしてくれたクッキーともよく合う。細かく砕かれたナッツの食感も俺好みで、思わず口元が綻んでしまう。
出来るだけ長く味わおうとしたが、結局10分程度でコーヒーもクッキーもいただいてしまった。満足感が凄い。外の様子は、どうやら通り雨だったようでもう止んでいる。余韻に浸りたい所だけど、洗濯物の件があるのでもう出てしまおう。
バッグを肩にかけ立ち上がりレジに向かう。マスターは相変わらず厳めしい顔だけど、大家さんで慣れているからかそこまでの恐怖は感じなかった。会計を済ませた後、勇気を出して口を開く。
「あ、の。コーヒーにクッキー、とても美味しかったです。また、来ます」
今もなお男性と接するのは怖い。だけど、これだけは伝えたかった。だって本当に美味しかったから。マスターは数度瞬きした後、微かに微笑み頷いた。
「またのご贔屓を」
緊張で四肢が固くなるのを感じつつも、俺は会釈して店を出る。湿り気混じりの外の空気を大きく吸って、再び差し始めた日の光の元歩き出した。
お高めコーヒー、お安めコーヒーとはまったく別の飲み物説。