人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
大家さんにお礼と共に小鍋を返してから数日後の正午過ぎ。正月ボケも覚め始める日に、俺は悩んでいた。
「うーん・・・・・・」
大家さんに対して何をお返しすればいいのか。いや、別に大家さんがお返しを求めてる訳じゃないのは分かっている。ただどうにも、俺の気が済まないだけだ。せっかく手作りのお雑煮をご馳走になったんだし、こっちも手作りの料理を作り過ぎればいいだろうか。
「いや、でもなぁ」
自炊の腕は着々と上がっていると思う。だけど、他人に食べさせられるレベルではない気がするんだよな。大家さんに料理を振る舞ったとして、美味しいと思わせるだけのものを俺が作れるのか。それが一番の問題だ。
悩む。とても悩む。いっそ店売りのお菓子とか何かでもいいはずなんだけど、うむむむむ・・・・・・。腕組みをしながら部屋の中をぐるぐると回る俺。駄目だ、こういう時は気晴らしに外出しよう。そう考えられるだけの心の余裕は出来てきたんだし。
というわけで、コートとニット帽で防寒対策をした俺は図書館にでもぶらりと向かうことにした。年末年始は休みだったけど、確か昨日か一昨日から開館しているはず。面白い本でも見つけられれば、何かインスピレーションが湧くかもしれない。
冷える街中にはそれなりに人混みがある。既に正月休みも終わり、社会は日常を取り戻してるんだろう。ニート状態の後ろめたさを感じつつも白い息を吐いてのんびりと歩く。昨日ジョギングをしたにも関わらず、足の筋肉痛は軽いようだ。少しは筋肉が付いてきたってことか。だったらジョギングの頻度や距離を伸ばそうかな。
色々と考えながら歩いていると、あっという間に図書館へと到着した。流石にそこまで混んではおらず、俺にとってはありがたい。去年に借りた本を返却した後、俺は館内を当ても無くぶらついた。何か気になる本はあるだろうかときょろきょろしながら。
結局ピンとくる本は見つからず、歴史やSFの小説を何冊か借りた俺は帰路についていた。まぁ、そう都合良くいかないよな。気晴らしにはなったし、お返しはまた後で考えればいい。そう思っていると、美味しそうな匂いが漂ってくる。今までに何回か入ったことのあるネパールカレーの店からだ。スパイシーで食欲をそそるそれに、ふと思い立った。
「・・・・・・作るか?カレーなら不味くなりようが無いって言うし」
大家さんへのお返しとして最低限のクオリティーは出せるか?そういえばカレー作り過ぎたからお隣さんに分けるみたいな話もよく聞くけど、実際はどうなんだろうか。うーん・・・・・・とりあえず、一度作ってみるのはいいかもしれない。微妙な出来だったら俺だけで食べればいいし。うん、そうしよう。
というわけで、一度アパートに戻り本を置いた後スーパーへと向かう。野菜系はそれなりに冷蔵庫に入っていたが、何よりも大事なものが足りていなかった。カレールーである。スパイスの調合とか出来るわけがないし、無難に美味しくするならカレールーを使った方が良いはずだ。
スーパーの棚に並んでいるルーは多種多様。どれを選べばいいか悩んでしまう。あんまり辛過ぎない方がいいよな、大家さんが辛いの好きか分かんないし。とはいえ甘口も人を選びそうなので、中辛くらいにしておこう。
問題はどのカレールーを選ぶかだけど・・・・・・値段が高めの奴にしようかな。高い方が美味いとは言わないけど、お金がかかってる分俺自身の調理の拙さを補ってくれる気がする。パックに書かれているレシピによると、このルーは具材少な目のカレーを作るのに向いているらしい。なら牛肉だけ買って帰ればいいな。
「ただいまー、っと」
アパートに戻ったのは午後の4時。丁度いい時間だし早速作ってみるとしよう。手荒いうがいに着替えを終えた俺は、まな板を取り出し玉ねぎを乗せた。まずはこいつを切らないといけない。包丁を手にした俺は、目に沁みるのを覚悟でザクザクと切り刻んでいく。
「いつつ・・・・・・」
やっぱり溢れてくる涙を拭いながら、容赦無くみじん切りにした。ぐおお、目が痛い。鼻もつーんってする。ゴーグルを用意した方がいいかもしれないと毎回思うけど、結局そのままにしてしまいこうやって苦しんでいるのだ。
洗面台で顔を洗った後、フライパンにサラダ油を引いてコンロにかける。十分温めてから玉ねぎを投入し、弱火でじっくりと炒め始めた。量が1/3になる程度まで炒めた方がいいらしい。数十分くらいかかるとレシピには書かれていた。
フライ返しで玉ねぎを混ぜつつ無心で炒め続ける。飽きがこないというか、むしろこういう時間は好きかもしれない。一つの物事に打ち込む時間と言えばいいんだろうか、とにかく苦では無かった。
よし、大体1/3くらいになったな。色も飴色っぽくなってていい感じだ。炒め終わった玉ねぎは一旦別の容器に移し、フライパンを軽く洗った後再度サラダ油を引いた。次は薄切りの牛肉だ。4、5cmくらいに切っておいたそれをフライパンに投入し、強火で火を通していく。
ざっと一分くらい炒めた後、水を入れた鍋へ玉ねぎと一緒に投入。沸騰させてから弱火にして、20分くらい煮込む。この時、鍋の蓋を少しずらしておくといいらしい。しっかりと煮込めたらようやくカレールーの出番だ。細かく割ってから鍋に入れ、お玉でかき混ぜていった。
弱火でコトコト、じっくりと。底が焦げ付いたりルーが溶け切らなかったりしないよう、俺は鍋をかき混ぜ続ける。ずっとコンロの前に立ちっぱなしで流石に汗が出てきた。袖で拭いつつ、鍋から立ち上る匂いを嗅ぐとちゃんとカレーっぽい。まぁ、レシピ通りに作ってるから当然だけど。
「・・・・・・よし」
とろみが付いているのを確認して火を止める。これで一応完成だ。隠し味とかも入れていないから、下手に不味くなったりはしていないはず。おたまですくって小皿に移し一口味見。・・・・・・うん、カレーだ。具材がシンプルだからか、よりスパイスの風味を感じられる気がする。普通に美味しいな。
さて、問題はここからだ。これを大家さんに差し入れするかどうか。出来としては可も無く不可も無くだけど、うーむむ・・・・・・。いや、考えるより行動するべきだろう。せっかく多めに作ったんだし、大家さんがカレー嫌いでない限りマイナスにはならないはずだ。
そうと決めたらカレーを小さめの鍋に移し、温度を保ってる内に部屋を出た。大家さんの部屋へと向かおうとした所で、俺の目にとんでもないものが映る。欄干の階段に腰を下ろして寝息を立てている女性がいたのだ。
今は一月だ。当然気温も低い。そんな状況の屋外で寝ていたら絶対に体調を崩すし、もしかしたら死んでしまうようなこともあるかもしれない。慌てた俺は小鍋を横に置き、女性の肩を掴んでゆさゆさと揺らした。
「ち、ちょっと、大丈夫ですか!?」
「ん、んー・・・・・・」
それなりに着込んでいるみたいだけど、それ以上に感じるのは化粧の匂いとお酒の匂い。顔を見ると、アパートで何回かすれ違ったことのある女性だった。俺とは生活の時間が合わないようで、あまり顔を合わせることはなかったけど・・・・・・このままにはしておけない。
「起きてください、起きて!」
「分かった、分かったってば。うるさいなぁ、もう・・・・・・。あー、頭いった・・・・・・」
目を開けた女性は、気だるげな声を上げながらも立ち上がる。が、すぐにふらついて柵に寄りかかってしまった。かなり酔っているようだ。仕方なく肩を貸すが、今の俺では非力過ぎて動かせない。女性は目を細めながら、悪戦苦闘している俺の顔を覗き込んできた。視線が合うが、緊張や痺れをなんとか飲み込む。
「あぁ、あんた。アパートのご近所さん?」
「っ、そうです、そうですからちゃんと自分で立ってください・・・・・・!」
「ごめんねぇ。よいしょ、っと」
ぐうぅ~・・・・・・
ふらつきながら歩こうとする女性をなんとか支えている所で、場違いな音が女性のお腹から響いた。どうやらかなりお腹を空かせているらしい。
「あ、あははー・・・・・・。恥ずかしいなぁ、もう。美味しそうな匂いがしたからつい鳴っちゃったみたい。カレー?」
「え、あ、そうです、けど」
小鍋に視線をやる女性に俺はどもりながら言葉を返す。予想外の状況の中、女性はとんでもないことを言い放った。
「お金払うからさ。それ、食べさせてくれない?」
じゃがいもがごろごろ入ってるタイプのカレーが好きです。原形無くなるまで煮込むのは解釈違いを起こしてしまう。