人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「ここか・・・・・・」
諸々の荷物を携えて、俺はスポーツジムの看板を見上げていた。ここまで歩いてきた時点でそれなりの運動量だがそこはそれ。軽く深呼吸をした後、入り口の自動ドアをくぐる。
「すみません、えっと、初めての利用なんですけど」
「初回利用のお客様ですね。こちら、入会などは不要となっております。料金表は・・・・・・」
緊張しながら受付の人に話しかけると、手慣れた様子でスラスラと説明してくれた。事前に調べていた情報と齟齬は無い。入会は不要で、一か月の間に利用出来る回数券を購入する感じだ。
回数が多ければ多い程、一回当たりの料金は安くなるらしい。でも、今日はとりあえず様子見ということで一回利用の券を購入。受付を済ませロッカールームに移動した。・・・・・・女性用の方に。
「・・・・・・」
何か、悪いことをしてるような気分になってしまう。幸い他の利用者はいないようだけど、俺は気まずさを感じていた。確かに今の俺の体は女だ。だから、女性用のロッカールームを使うのは別に犯罪ではないはずなんだけど・・・・・・。
いや、実際どうなんだろう。医者の先生やカウンセラーさんの話では、社会の混乱を避ける為に性別が変わる奇病の存在は隠されてると聞いていた。だから法整備も進んでいないと。確かにその通りだ。性別だけじゃなくて見た目もがらりと変わってしまう病気なんて、まるで創作の世界の話なんだから。
他の人が来る前に手早く着替え、トレーニングルームに移動する。公営のジムということだけど、施設は結構充実しているように見えた。利用客もそれなりにいる。ストレッチで全身をほぐした後、とりあえずランニングマシーンを試してみることにした。
いつものジョギングと変わらない気もするが、まずは慣れた運動から入った方が精神的にも楽なのだ。速度を設定し早速走り始める。周囲の景色が変わっていくジョギングと違って、ランニングマシーンはひたすら走るだけだ。これはこれで悪くない。純粋に、走ることだけに集中出来る。
「ふぅっ」
20分程走った所で一旦休憩。タオルで汗を拭きながら、用意していた給水ボトルから水分を補給した。中身は薄めたスポーツドリンク。部活で飽きる程飲み慣れた味で、水分が全身に染み渡るようだ。
さて。上半身も鍛えたいけど、どの器具から試すべきだろうか。男だった時は部活で筋トレをよくしてたけど、あの頃のやり方じゃ今の体が持たない。特にベンチプレスとかは絶対駄目だ。そもそも補助が必要だし。
悩んだ結果、軽いダンベルから始めることにした。無理はせず、まずは2kgから。以前なら重いとも思わない程度の重量だが、この細腕には十分な負荷になる。しっかりとダンベルを握り込み、上げて下ろすを繰り返した。立ち上がりながらやることで、腕以外も鍛えられるのだ。
両腕に溜まっていく疲労。やり過ぎれば逆効果なので、区切りの良い所で中断する。そろそろ時刻は正午。お弁当も作ってきたし、ここらで昼休憩にしよう。ダンベルを片付け、俺は一旦ロッカーに向かった。
休憩室の隅に腰を下ろしつつ、俺は持ってきたお弁当をテーブルに広げる。献立はパックから詰め替えただけの玄米に、鶏ささみとブロッコリーを茹でて麵つゆであえた奴。プチトマトと梅干しだ。健康的だな、うん。
「いただきます」
まずは鶏ささみを一口。薄味だけどこれはこれで美味しい。ブロッコリーの方も味が沁み込んでいるのでおかずには十分だ。玄米も香ばしいし、梅干しの酸っぱさもいいアクセントになっている。少し物足りなさを感じるが、毎日好物だけを食べてちゃ健康に悪い。それに、決して不味くはないのだ。
プチトマトを口に放り込みながら周囲に視線をやる。お昼時というのもあって休憩室はそれなりに賑わっていた。平日なので若い人は少なく、中高年が多い印象だ。幸い、年若い俺を気にする人はいないっぽい。助かる。
「ごちそうさまでした」
観察しつつも食べ終えて、弁当箱を片付けた俺は時間を潰すことにした。食べてすぐの運動は体に悪い。それに、四肢の重さは少しも回復していなかった。当然だ、そう短時間で回復するような負荷ではトレーニングにならない。つまり、この疲労はちゃんと鍛えられているという証明でもある。
「ふぅ・・・・・・」
スマホで時間を潰しながら、午後はどんなトレーニングをするか考えた。と言っても選択肢は少ない。俺の体力は結構削られてるし、無理をしたら逆効果。そもそも筋トレは長時間に渡って行うものじゃないのだ。
足や腕を酷使しないとなると、腹筋辺りを鍛えるべきか。確かこのジムには、座った状態で上半身を捻って腹筋を鍛える器具があったはず。正式名称は分からないけど。よし、午後はそいつから始めよう。やる気がある内に追い込んどかないとな。
「つ、疲れた・・・・・・」
やり過ぎた。馬鹿か俺は。全身くたくたな上明日の筋肉痛が約束されている状態のまま、這う這うの体でジムを後にする。久しぶりに本格的な筋トレが出来て調子に乗っていたらしい。重い体を引きずって、昼下がりの街を進んでいった。
帰ったらシャワーを浴びないと。日の光があるおかげで外でもそれ程寒くないが、全身のべた付きは中々耐え難い。ジムにはシャワールームも併設されていたけど、流石に利用するのは無理だった。女性用のロッカーを使うのさえそれなりの覚悟が必要だったんだ、シャワーなんてとんでもない。
街中を歩いていると、全身の疲労以外にもかなり腹が減っていることに気付く。あの簡素なお弁当だけでは足りなかったのか、それとも筋トレで追い込み過ぎたのか。どちらにしろ腹ペコだ。
ぐぅ・・・・・・
近くの飲食店からいい匂いが漂ってきて、それに反応したのかお腹が鳴った。いや、駄目だ。別に食事制限とかをするつもりは無いけど、今日くらいは我慢しないと。生活にメリハリをつけるのは大事だし、自制心も鍛えなきゃいけない。
美味しそうな匂いを振り切り、俺はアパートまでの帰路をのろのろと歩く。このザマだと、ジム通いは一週間に一度くらいが適切かな。ジョギングは継続しつつ、明日の筋肉痛の様子を見てから詳しく決めればいいだろう。
さっきから空腹を主張し続けるお腹を押さえ、周囲に気付かれないように祈る俺。あぁもう、もう少しだけ静かにしててくれよ。人が少ない通路を選びながら、ようやくの思いでアパートに辿り着くのだった。
質素で健康的な食事もたまにはいいものです。