人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「ふぃー」
午前中にジョギングを終わらせ、納豆ご飯で軽くお昼を済ませた俺は再び出掛けていた。目的地は行きつけの喫茶店。寡黙なマスターが経営するコーヒーが美味しい店である。
今日は日差しが強く、コートを着ていると暑いくらいだ。しかし、脱ぐと寒さを感じるという微妙な感じ。気温自体は低いので着込んでいるけど、ジョギングの時は体温が上がってるのもあってあまり寒さを感じなかった。季節の移り変わりを感じるな。
「よし、と」
見慣れた道を歩き、喫茶店に到着。さほど緊張もせず扉を潜り入店した。香ばしい匂いが俺を鼻をくすぐり、マスターがいつもの仏頂面で歓迎してくれる。
「いらっしゃい」
「こんにちは、お邪魔します」
どもらずに返事出来たのは何度も通っているからだろうか。空いている席に座りつつ、これも見慣れたメニューを眺めた。いつも注文するのは酸味とフルーティーさを味わえるエチオピアの豆。他の豆も試してみたけど、俺にはこれが一番美味しく感じたのだ。
「すみません、いつものエチオピア豆で、淹れ方も同じでお願いします」
マスターに注文して背もたれに体を預ける。店内には微かにクラシックっぽい音楽が流れていて、安心出来る雰囲気だ。アパートでもないのにここまでリラックス出来る場所は珍しい。俺のメンタルが改善したのもあると思うけど、何よりこの喫茶店が凄いんだろう。と、
「少しいいかい、お客さん」
「は、はい?」
コーヒーが運ばれて来る前に、マスターが俺の座ってる席へとやってきた。も、もしかして何かやらかしたか?不安が湧き上がってくる俺に、マスターは厳めしい表情のまま言葉を続ける。
「新メニューの開発をしていてな。お客さんの注文するコーヒーに合うと思うんだが、食べて感想をくれんかね。勿論お代は頂かないよ」
「あ、へぇ・・・・・・わ、分かりました。俺で良ければ」
予想外の提案に驚きながらも了承すると、マスターは頷きながら戻っていった。新メニュー・・・・・・?新しいスイーツとかだろうか。というか、役得だな。突然のことで緊張したけど、マスターの腕は確かだ。食べられないようなものが出てくることはあり得ないだろう。
いつもより少しウキウキした気分でコーヒーが運ばれてくるのを待つ。外から日の光が店内に差し込み、ぽかぽかと暖かい。眠気を誘うような気温だ。全身の力を抜きながら、俺は穏やかな気持ちで寛いでいた。
程無くして注文が運ばれてくる。いつもより少し時間がかかったのは新メニューの準備をしていたからだろうか。って、え・・・・・・?
「あ、あの。これって・・・・・・」
「新メニュー案の一つ、スモークサーモンのサラダだよ。このコーヒーには合うはずだ。では、ごゆっくり」
コーヒーと一緒に食べるものにしては明らかに奇妙なメニューに、俺はサラダの乗った皿とマスターの顔を交互に見直す。しかし、マスターは頷きを返して去っていってしまった。残されたのは湯気を立てているコーヒーカップと、新メニューだというスモークサーモンのサラダ。えっと、これ、本当にコーヒーに合うのか・・・・・・?
不安しか無いけど、マスターの方が俺より圧倒的にコーヒーに詳しい。覚悟を決めて、俺は手を合わせた。
「い、いただきます」
フォークを手に取ってサラダをつつく。名前の通りスモークサーモンと、後は玉ねぎやアボカドが和えられているようだ。白いのはクリームチーズだろうか。出来るだけ全部の具材を刺して、口に運んでみる。
「んぐ・・・・・・」
うん、美味しい。塩分が強めに感じるスモークサーモンに、アボカドとクリームチーズが合わさっていい感じだ。玉ねぎの食感と風味も相性がいい。ただ、コーヒーと合うのか・・・・・・?サラダを咀嚼し飲み込んだ後、半信半疑のままコーヒーを口に含む。
「・・・・・・ん、おお?」
違和感が無い。むしろコーヒーの酸味やフルーティーさ、微かな甘みが引き立っているように感じる。マジか、こんなことあるんだな。サラダを食べてから更にコーヒーを一口。凄いなこれ、サラダとコーヒーなんて組み合わせなのに味が全然邪魔してないぞ。
もしかして、しょっぱいものやクリーミーなものってコーヒーと相性いいのだろうか。こうやって実際に口にしてみるとさっきまでの不安が嘘のようだ。滅茶苦茶美味しくてどんどん食べて飲んでしまう。気が付けば皿もカップも空になってしまっていた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて一息つく。改めて感じるのは、マスターの新メニューの巧みさだ。コーヒーはスイーツ系とかパン系しか合わないと思っていたのに、まさかこんな食べ合わせがあるなんて。そもそもスモークサーモンサラダ単品でもクオリティーが高かった。余程料理の腕がいいんだろうな。
これなら絶対に売れる。最初はさっきの俺みたいに疑われるかもしれないけど。食べれば相性の良さは歴然だ。そう確信した俺は、テーブルから立ち上がりコーヒーを淹れているマスターの元に向かった。
「あの、新メニューのサラダ、凄く美味しかったです。えっと、紙とペンを貸してくれませんか?感想書きたいので」
「そうか、そりゃよかった。ちょいと待っとくれ」
感想を話しても、口下手な俺では伝えきれるとは思わない。なのでマスターから紙とペンを借り、出来るだけ書き記すことにした。こうやって文章にしておけば読み返せるし、我ながらいい発想である。
結構な時間をかけてしっかりと書いていく。衝撃と感動が、マスターに少しでも伝わる様に。多分コストとかの問題もあるんだろうけど、実際にメニューに並んでほしい。というか俺がリピートしたいのだ。
「よし」
感想をびっしりと書き記して、一旦読み直し確認する。うん、変な所はなさそうだ。レジに向かい、料金と一緒に紙を差し出した。
「あの、本当に美味しかったです。メニューに採用されたら絶対に注文しますね」
「そこまで気に入ってくれたか。こりゃ嬉しいな。うむ、お客さんの意見を参考にしっかりと検討するよ。では、またのお越しを」
そう言ってくれたマスターは微かに微笑み、会釈を返してくれる。俺も頭を下げた後、店の外に出た。いい満足感だ。次の来店が既に楽しみだな。暖かな日差しの下、俺はスキップでもしたい気分でアパートへの帰り道を歩き始めた。
意外な組み合わせが滅茶苦茶美味しいってことがあるのが食事の面白い所です。やっちゃダメな食べ合わせもありますけどね!