人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「うわ、確かに全然違うなこれ」
ジョギングが終わりアパートまで戻ってきた直後。自分の腕を見ながら俺は感嘆していた。肌が全然赤くなってない。ヒリヒリもしないし、凄いな日焼け止めって。その効果を実感していると、欄干を降りてきたお姉さんが抱き着いてきた。
「へーい!どう、お肌大丈夫だった?」
「ちょ、俺汗だくですから・・・・・・!」
なんとか引き剥がす。先日の一件から、この人はことある毎に抱き着いてくるようになった。嫌ってわけではないんだけど、精神衛生上よろしくない。後は普通に暑いしな、うん。
「ふぅ・・・・・・それで、えっと。日焼け止めはばっちり効きました。ありがとうございます、お姉さん。俺、こういうのは全然詳しくなくて」
「効果があったならよかったよ!私の肌も紫外線に弱くてさ、気を抜くとすぐに皮がべろんべろんになっちゃうんだ。だからスキンケアには気を使ってるんだけど・・・・・・」
スポーツウェアなので日に晒されている俺の腕をじっと見つめた後、お姉さんはにっこり笑った。自分のことでもないのに、実に満足気だ。
「うん、ばっちりだね!君の肌に合ったみたいで何より!」
どうしてこんなことになっているのか。単純な話、一度日焼け止め無しでジョギングに出ようとした所をお姉さんに目撃されてしまったのだ。なんの対策もしていないことを話すとキツめの口調で窘められ、手持ちの日焼け止めを見せてくれた。
何種類もあって選べない俺に、お姉さんはいつもはしないような真剣な表情で吟味してから一つの日焼け止めを差し出してくる。勢いと圧に押されるまま、肌が露出してる部分にそれを塗ってジョギングに出たんだけど・・・・・・。結果はさっきの通りだ。
「いや、本当にありがとうございます。こんなに効果があるんですね、日焼け止めって」
「やっぱり初めてだったんだ。大事だよー、日焼け対策は。紫外線は女の敵なんだから」
その言葉には曖昧な笑みを返しつつ、ゆっくりと欄干を上る。結構な距離走ったけど、前みたいに足が震えることは無い。見た目はほっそりとしたままだけど、着実に筋肉が付いているようだ。
「あ、そうだ。日焼け止め、部屋にあるんでお返ししますね」
「いいよいいよ、そのままあげる。ほら、次買う時に手元にあった方が分かりやすいでしょ?容器に色々書いてあるけど、基本同じのを買っておけば多分大丈夫だから」
「いやでも、ただで貰うわけには・・・・・・」
「私からはお金貰わないのに、自分だけ払おうとするのはよくないぞ―。ほら、前におすそ分けしてくれたピーマンの肉詰めすっごい美味しかったし。そのお礼ってことで!」
あれはへたり込んでいた時に助けてくれたお礼で・・・・・・そう反論しようともしたけど、キリが無いのでやめておこう。お姉さん、案外強情なんだよな。いや、それは俺も同じか。どうしようか考えていると、いきなり頬をつつかれた。
「ほら、そんなふくれっ面しないで。あ、そうだ。だったらちょっと付き合ってもらおうかな。少し待ってて」
そう言ったお姉さんは自分の部屋に入っていき、すぐに戻ってきた。手にしているのはジップロック。中には醤油のような色の液体が満ちていて、その中に何かが浮いている。
「えっと、これは」
「お刺身を漬けたやつ!昨日の夜職場でお刺身を貰ったんだけど、この暑さだしすぐ悪くなりそうでしょ?そしたら同僚がパパっとこうしてくれて。だから傷んではいないと思う」
「・・・・・・え、俺にくれるんですか?いや、日焼け止めも貰ったのにこれ以上は」
「いやぁ、私一人じゃ食べ切れない量が残っててさ。だから、貰ってくれるとこっちも助かるんだ。駄目かな?」
俺にメリットしか無い提案だ。でも、断るのも収まりが悪い。渋々受け取ると、お姉さんは満面の笑みのまま部屋の中へと去っていく。うーん、貰ってばっかりだな。情けない気分になりつつ俺も部屋に戻り、受け取ったジップロックを眺めた。漬け汁に浮かんでいる刺身は思っていたよりも多い。丁度いいから夕飯のおかずにしよう。
「うーん・・・・・・」
引っ越してきてから二年弱。まともな人生ではないと自覚はしているけど、近所付き合いってこんなものなのか?助けられてばかりで申し訳無くなってしまう。いや、ありがたいのは事実なんだけど。俺は複雑な気分を抱えながら、まず汗を落とす為に浴室に向かった。
「さて」
日も沈み夕飯時。野球のナイターを鑑賞しつつ、ジップロックを冷蔵庫から取り出した。ジッパーを開けると、しょっぱそうな匂いに混じり生姜の風味も漂ってくる。漬け汁を捨て、中の刺身を確認してみた。
「おー・・・・・・」
やっぱりけっこうな量がある。それに種類も。漬け汁の色に染まってるから分かり辛いけど、マグロやサーモン、イカなんかも入っている。滅茶苦茶美味しそうだ。俺はパックご飯を大きめの茶碗に盛り、そこに刺身を全部乗せる。あっという間に漬け丼の完成だ。
「いただきます」
手を合わせ、早速一切れを箸でつまんで口に運んだ。噛むと漬け汁が染み出し、次いで海鮮の旨味が口内に広がる。あ、これ駄目だ。バカみたいにご飯が進む味がする。耐え切れなくなり一気に白米をかき込んだ。美味い。しょっぱいだけじゃなくて、ねっとりした刺身の食感と本来の旨味が食欲を刺激してくる。マグロかな、多分。
次はイカっぽいのを咀嚼。うん、こっちも美味い。よりねっとり感が強くて、食感だけならマグロよりも俺好みだ。サーモンも油っぽさはそのままに良い感じに漬け汁が沁みている。ヤバい、パックご飯一つじゃ足りないぞ。
結局もう一つのパックご飯も温め、米の一粒も残さず平らげてしまった。流石に満腹だ。というより食い過ぎでお腹が苦しい。・・・・・・明日、素振りと壁当てでカロリーを消費しよう。幸い日焼けの問題も解決したし。そんなことを思いつつ手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
食器を片付けた後、まだ続いてる試合を眺めながらちゃぶ台の横に腰を下ろした。こんだけ食べておいてすぐ横になるのはよろしくない。というより食事直後に横になること自体が消化に悪い。自分を戒めつつ、スマホの画面に映るプロ野球選手達を見つめた。
「どうすっかなぁ」
頭によぎるのはお姉さんの笑顔。これだけ色々貰っておいて何も返さないのは、俺としても気分がよくない。ただ、毎回毎回自炊のお裾分けってのもな・・・・・・。うーん、悩ましい。あれこれ考えていると、スマホから鋭い打撃音が聞こえてきた。うわ、いつの間にか満塁になってる。
一旦思考を中断し試合に集中した。甲子園も見てるからか、最近は野球をやりたい欲がどんどん増している。多分、いい傾向なんだろう。問題は一人用の練習しか出来ないことだ。それだけでも、今の俺には十分だと言い聞かせる。
満塁ホームランに湧く歓声を聞きながら、俺は膨れたお腹をさすった。消化には時間がかかりそうだ。
主人公の自己評価は未だに低いです。滅茶苦茶立派に生きているんですけどね。