人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う   作:てぬてぬ@TSF

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61.豚肉のコーヒー煮込み

行きつけの喫茶店。最早常連客になっている俺は、マスターからのお誘いを受けて店を訪れていた。なんでも、スモークサーモンサラダに続く新しいメニューを考えたらしいんだけど・・・・・・また俺に味見をしてほしいようだ。別に舌が肥えている自信は無いが、直々に頼まれたのだから答えないわけにもいかない。

 

「こんにちはー」

 

定休日の看板がかかっている正面の入り口を避け、教えてもらった裏口から中に入る。厨房に繋がっていたようで、入った途端コーヒーの香りが鼻をくすぐった。すんすん鼻を鳴らして香りを楽しんでいると、エプロンを着けたマスターが出迎えてくれる。

 

「いらっしゃい。適当な席にかけて待っといてくれ。もうすぐ仕込みが終わるんでな」

 

「あ、はい」

 

レジ横を通り適当な座席に座る。どうも、マスターは俺のことを気に入ってくれているらしい。どうしてかは全然分からないけど。俺は軽く伸びをしながら、新メニューが運ばれてくるのをのんびりと待った。

 

定休日なのにクラシックの音楽が店内にかかっているのは、俺を気にかけてくれているからか。それとも純粋にマスターの趣味か。どっちにしろこの雰囲気は心地いい。他の客がいないこともあり、いつも以上にゆったりと寛ぐことが出来ていた。

 

それにしても、新メニューは一体どんなものなんだろうか。事前に何も教えてもらってないので完全に未知だ。スイーツ系か、それとも前回の新メニューのような斬新なものか。多分、どっちでも美味しいことは間違い無いだろう。それだけマスターの腕は信頼出来る。

 

時間にして十数分程。スマホも弄らずぼーっとしていた俺の元にマスターがやってきた。手にはトレイと、それに乗っているのは大きめの深皿だ。ビーフシチューとかに使う奴っぽい。それと二切れのパン。フランスパンを切ったもののようだ。

 

「お待たせしました。これが新メニューなんだが・・・・・・まぁ、前みたいに感想を聞かせてくれ」

 

目の前に置かれた深皿には、ちょっと予想外のものが入っていた。見た感じは何かの煮込み料理に見える。具材は玉ねぎにニンジン、細いのはゴボウだろうか。そして、大きめの角切り肉がごろごろと入っている。多分豚肉かな。

 

しかし、何よりも気になるのはその香りだ。明確にコーヒーの香りが漂ってきた。目の前の料理とは少しミスマッチな感じがするけれど・・・・・・。

 

「えっと、これは」

 

「豚肉のコーヒー煮込みだ。と言っても、本当にコーヒーで煮込んだわけじゃない。焙煎した豆を隠し味に使った程度でな。まぁ、香りが強いから主張も強いが・・・・・・味の方は保証するよ」

 

マスターの説明を受け、俺は成程と頷いた。煮込みのスープは確かに暗褐色だけど、コーヒー色というには結構違う。真っ先に感じたコーヒーの香りの他にも、出汁かソースのような食欲をそそる匂いが混じっているようだ。

 

「じゃあ、いただきます」

 

フォークを手に取り、手を合わせる。マスターが見つめる中、まずは角切りのお肉を突き刺した。口に含み咀嚼すると予想以上に柔らかい。一噛み毎に肉汁が溢れ、旨味が口内に広がっていく。

 

「んっま・・・・・・!」

 

肉の旨味だけじゃない。何らかの香辛料の風味に繊細な味付け、そしてコーヒー豆による香ばしさ。味の奥に感じる苦みが全体を引き締めているみたいだ。続いてニンジンを食べるが、こっちも非常に美味しい。よっぽど煮込んだのかとても柔らかく、芯まで味が染み込んでいる。

 

玉ねぎも同様に柔らかく、溶けそうな程だ。驚いたのがゴボウ。同じく芯まで味が染み込んでいるのに、特有の歯応えは全然失われていない。お肉や他の野菜は柔らかかったから、食感のアクセントとして丁度良かった。

 

自炊じゃあ到達出来ない本職の業。俺は美味しさと共に衝撃を受けていた。本当に凄い。どんな調理工程だったのか質問したい程だ。汁を染み込ませたパン切れを頬張りつつしきりに頷く。美味い。美味過ぎる。

 

「ごちそうさま、でした」

 

数分後。俺はパン切れで深皿に残ったスープの一滴まで吸い取って、しっかりと咀嚼し平らげた。量自体はそこまで多くなかったけど、満足感が半端じゃない。以前すき焼きをした時と比べられるくらいだ。

 

「あの、えっと、本当に美味しかったです。お肉も野菜も、スープも。絶対売れますよ、これ」

 

「それは嬉しい。だが、まだ試作品でな。メニューとして出すには、ちと金がかかり過ぎてる。とにもかくにも、前のように感想を箇条書きしてくれんか」

 

「あ、はい」

 

マスターが微笑みつつも放った言葉に、俺は少し動揺した。そうか、商売としている以上売り上げを出さなきゃいけない。お金をかけて美味しいものを出せるのは、彼ら料理人にとって当然なんだ。

 

マスターや他の料理人の苦悩を思い浮かべつつ、俺は以前のようにメモ帳に感想を綴っていく。殆どが誉め言葉になってしまったのは豚肉のコーヒー煮込みが本当に美味しかったからだ。ただ、一つだけ。俺としては最高だったけど、他の人にとっては豚肉の脂っぽさがくど過ぎるんじゃないかと書き添えた。

 

「・・・・・・うん。ありがとう、参考にさせてもらおう」

 

恐る恐る差し出した紙切れを、マスターは大きく頷いて受け取る。本当に役に立っているかどうか今の俺には分からなかった。いくら一年ちょっと自炊してるとはいえ所詮は素人だ。それなのに、マスターはどこか安堵したように言葉をかけてくれる。

 

「折角だ。一杯コーヒーを奢ろう」

 

「いいんですか?そりゃあ、俺としてはありがたいですけど」

 

「あぁ。君の好みはエチオピアの豆だったか。なら、ケニアのものも合うはず。試してみるか?」

 

「ぜ、是非!」

 

口角を微かに吊り上げたマスターから提案され、俺は好奇心から上擦った声を上げた。どうやらもう少し楽しめそうだ。ワクワクとしつつ、マスターが豆を挽く姿を楽しげに眺めるのだった。




こういう予想外の組み合わせで美味しくなる料理が好きです。
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