人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
「梅煮、梅煮かぁ・・・・・・いやぁ、すっかり自炊のベテランだねぇ。俺じゃあ絶対出来ない料理だよ」
「そ、そんなことは。やってみたら結構簡単ですよ。秋刀魚の処理とじっくり煮込む工程が少し面倒なだけで」
定期検査のカウンセリング時間。俺とカウンセラーさんは、いつものように楽しく会話をしていた。
「いやぁ。俺は君が思っているよりも怠惰というか、面倒臭がりだからなぁ。インスタント麺を茹でるのすら億劫に感じるんだよ。人間としちゃあ君の方がよっぽど凄い」
「そんな、褒め過ぎですよ。俺の気持ちがここまで上向きになれたのは、カウンセラーさんのお陰なんですから」
「はっはっは、そいつは嬉しい言葉だ。それが専門だからね、俺は。だけどまぁ、別にいいじゃないか。自炊出来ていないズボラな俺が、自炊出来ている君に憧れるの自然なことさ。包丁とか怖くて持てないよ。絶対指切っちゃう」
おどけて言うカウンセラーさん。カウンセリングとしての振る舞いもあるんだろうけど、嘘は言ってないように思える。割と素に近いというか。だからこそ、俺も本音で話すことが出来ていた。と、
「あぁそうだ、一応これも聞いておこうか。結構前から服薬を控えてるらしいけど、体の調子は大丈夫?何か違和感があったら気軽に言ってくれ」
その言葉に俺自身も忘れかけていたことを思い出す。結構前から、定期検査の度に処方されていた薬を服用しないようにと医者の先生に言われていたのだ。なんでも、もう必要は無いだろうと。
俺の精神が安定してきたのもあるけど、肉体の方も安定してきているみたいだ。男から女に変化した直後は様々な病気・・・・・・特に内臓系の疾患が発症する可能性が高い。後は骨格やホルモンバランスの異常・・・・・・それらを防ぐ為に、以前は様々な薬を処方されていた。が、今の俺の状態だと悪影響になる可能性があるらしい。
もう服用しなくていいというのは、俺の肉体が女性として安定したからだ。正直複雑な気分だけど、ヤバい病気になりやすいままよりはマシな気がしている。それに、カウンセラーさんが心配しているような体の不調とかも無いし。
「全然大丈夫です。最近鍛えているからか、体調を崩すことも無いですし。あっ、でも、そうですね・・・・・・生理はやっぱり重いままみたいです」
「あー・・・・・・そっちの薬は処方されてるんだよね?効きはどうかな?」
「ぼちぼち、ですね。凄く良くなるわけじゃないけど、飲まないよりは遥かにマシみたいな。カウンセラーさんって、生理は軽い方でしたっけ」
「あぁ、軽い方。ただ、たまーに酷くなる時もあるなぁ。腹ん中がかき混ぜられて、全身が鉛みたいに重くなる時が。だから、少しは君の辛さも理解してるつもりだ。俺から言って、強めの薬を出してもらおうか?」
真剣な表情で言うカウンセラーさんは、じっと俺を見据えている。俺達は程度こそ違うが境遇は同じだ。性別が変わり、それまでの人生から脱落してしまった経験を共有している。だからこそ、カウンセラーさんの言葉は俺の心に沁みるのだ。
「・・・・・・ありがとうございます、心配してくれて。でも、大丈夫です。これ以上強い薬を使うのは不安ですし」
「そっか・・・・・・分かった。いや、俺らは市販のものは使えないからなぁ。専用のものを処方されているのは、ありがたいんだか煩わしいんだか、だ」
カウンセラーさんの言葉通り、俺達が服用出来る薬は限られている。市販の痛み止めなどではホルモンのバランスが崩れる可能性がある、と。ほんの数例しか報告されていない症例らしいけど、奇病に関しては殆どが手探りだ。だからこそ、可能な限り安全を確保したいと医者の先生も言っていた。
「俺としては嬉しいです。医者の先生も、ほんとに色々考えてくれて・・・・・・」
「それ、本人に聞かせてやりなよ。さっき俺に言ってくれたみたいにさ。きっと喜ぶから」
・・・・・・もしかして、だけど。医者の先生とカウンセラーさんは友達か何かなんだろうか。なんというか、口調のあちこちに気安さを感じるような。まぁ、わざわざ尋ねるようなことでもないか。俺としても、医者の先生にも感謝はしっかりと伝えたいし。
「そうですね。えっと、今日は多分会わないと思うので、次の検査の時に伝えてみます」
「あぁ、そうしてほしい。おっと、俺から促したのは秘密にしてくれよ?あいつ堅物だからさ」
軽薄な笑みのカウンセラーさんに、俺は頷き微笑み返した。やっぱり直接言葉にするのは大事なんだ。医者の先生にも散々お世話になってるし、ちゃんとお礼の気持ちを伝えよう。そう心に決めながら、俺は残りの時間をカウンセラーさんと雑談して過ごすのだった。
病院を出た瞬間、感じるのは肌寒さ。最近ぐっと冷え込んできて、既に冬みたいなものだ。念のためコートを羽織ってきてよかった。薄着で帰ったら風邪を引きそうだからな。白い息を吐きつつ歩き出した俺は、吹き付けてきた寒風に身を震わせる。
「さむっ・・・・・・!」
とっくに日は落ちている時間帯、空には微かな星たちが瞬いていた。だからこそ冷え込みも厳しい。自然と足が早まる中、俺はふと考える。夕飯はどこかで外食するつもりだったけど、どうしようか。この寒さだし、さっさとアパートに帰った方がいい気もする。と、
「ん、この匂いって・・・・・・」
香ばしい匂いが漂ってくる。何かのタレのような匂いと、肉が焼けたような匂いが混ざったそれは、近くの飲食店から発せられているようだ。居酒屋っぽい雰囲気の焼き鳥屋。丁度いいし入ってみたいけど、こういう店ってお酒を頼まなくても大丈夫なんだろうか。
一応、お酒が飲める年齢にはなっている。だけど飲酒経験は全くの0だった。なんというか、飲む必要性を感じていなかったのだ。うーん、どうしよう・・・・・・。いいや、とりあえず入ってみよう。ソフトドリンクでも頼めばきっと大丈夫だろう。
意を決して暖簾をくぐり、焼き鳥屋の中を覗いてみる。かなり繁盛しているみたいで、沢山の人でごった返していた。以前の自分なら避けたい環境だ。
「っらーしゃーせー!こちらのお席にどうぞー!」
同い年くらいの青年に案内され、テーブル席の一つに腰を下ろす。さて、何を頼もうかな。メニュー表を手に取りざっと目を通した。数十種類はある串焼きに、味付けが濃さそうなおつまみ系のメニュー。お酒も豊富に扱っているようだ。
ソフトドリンクも種類が多く、お酒を頼まなくても顰蹙を買うことは無いだろう。ご飯ものもあるけれど、ここはまとめて注文せずに少しずつ注文しようか。なんとなくそっちの方が良さそうだ。と、
「あの、すみませんお客様。店内が大変混雑しておりまして・・・・・・相席していただくことは可能でしょうか?」
さっきとは別の店員さんがやってきて、申し訳なさそうに告げる。確かに店内の混みは凄いし、他の席は埋まってしまっているみたいだ。相席、相席かぁ。まぁ、今の俺なら多分大丈夫なはず。・・・・・・大丈夫、だよな。
店員さんに頷いて、相席の人達が来るのを待つ。話によると一組の男女らしい。カップルだったらナンパされる心配は無いけど・・・・・・果たして、やってきたのはまさかの知った顔だった。
「っ、あ、え?先生に、カウンセラーさん!?」
「おっと。こりゃまた、奇遇だねぇ」
俺の顔を見て固まる医者の先生に、目を丸くしながらも片手を軽く上げるカウンセラーさん。完全に予想外な状況に、俺はしばらく口をパクパクさせるしか出来なかった。
TSする病気とか肉体への負担がヤバいに決まってるんですよ。そこをどうにかするのが医学の進歩なのです。