人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
テーブルの席に着き、俺は付属の麺つゆをお椀に注いだ。どうやら水で薄める必要も無いらしい。と、テーブルの向かい側のお姉さんがタオルで目を抑えたまま呟く。なんか随分としょげているみたいだ。
「ほんと、ごめんね・・・・・・迷惑ばっかかけちゃって。なんか、体よく利用してる感じでさ・・・・・・」
「いや、俺は大丈夫ですよ?そんなに落ち込まないでください。それに、こういう高そうな蕎麦をご馳走してもらってるんですし。目の痛みが無くなったら一緒に食べましょう」
「うぇーん、君って優し過ぎるよぉ・・・・・・」
お姉さんの言葉に俺は苦笑を浮かべる。もし優しいと感じてくれているなら、それは周囲から貰った優しさだ。どうしようもなく引きこもっていた俺が今みたいになれたのは、お姉さんも含めて周囲の人達に優しくされたからに過ぎない。
そうだ。感謝は言葉にしないと伝わらない。カウンセラーさんにも、医者の先生にも、そしてお姉さんにも。ようやくタオルを目から離し、ティッシュで鼻をかんでいる彼女を真っすぐに見つめた。
「俺が優しいのはお姉さんが優しいからですよ。本当、色々気にかけてもらって。だから、ありがとうございます。来年もいい隣人でいさせてください」
「・・・・・・う」
・・・・・・う?
「うわぁぁぁぁん!!なんでこんなにいい子なのぉ!?」
わんわんと大号泣するお姉さん。お、おおげさというか感情豊かというか・・・・・・。普通に気持ちを伝えただけなんだけどな。彼女のそばに行って背中をさすりつつ、なんとか宥めようとする。
「ほ、ほら、蕎麦伸びちゃいますから。泣き止んで一緒に食べましょう。ね?」
「う゛ん・・・・・・」
どうにか落ち着かせ、改めて椅子に座る。なんだろう、もしかしてお姉さんは悩みとか抱えてるんだろうか?だから精神が不安定だったり・・・・・・?いや、今は考えても仕方ない。折角茹でたんだから、先に蕎麦を食べてしまおう。
「いただきます」
「いだだぎます・・・・・・」
まだ涙声のお姉さんも箸を取る。俺はすりおろしてくれた生わさびと刻みネギを麺つゆに入れ、軽くかき混ぜた。刻み海苔も蕎麦に散らして、やや少な目に箸でつまむ。半分くらい麺つゆに浸し、一気に啜った。
「ずずっ」
まず感じたのは、圧倒的な蕎麦の風味。そしてもちっとした食感。それなのに麺は軽く噛むだけでぷつりと切れて、その度に風味が増していく。舌にはつぶつぶした食感が残り、これもまた強い風味の一因になってるみたいだ。これが十割蕎麦か。
「うん、美味しい。お姉さんはどうですか?」
「おいじい・・・・・・なんか、凄く香りがする。蕎麦の味が濃いっていうか。それに舌触り?食感?も凄いよね」
「ですね。生蕎麦で十割蕎麦・・・・・・高級なのも納得だな」
ようやく調子を取り戻してきたお姉さんと会話を交わしつつ、俺は蕎麦を啜っていく。いや、本当に美味しい。お店で出てきても違和感が無いくらいだ。茹で方も良かったとうぬぼれてもいいかもしれない。
テレビから流れてくる音をBGMに、俺達は蕎麦を啜りながら世間話をした。毒にも薬にもならない、どうでもいい話。それこそが人生を彩ってくれると、いつの間にか俺は気付いていた。
「でね、お客さんが職場近所の猫ちゃんを引き取ってくれて、ちょっと前にいっぱい写真見せてくれたんだ。君も見る?」
「あ、見てみたいです。猫好きなんで。ただその前に、次の蕎麦茹でてもいいですか?」
話し込んでる内に、俺もお姉さんも蕎麦を食べ切ってしまっている。いや、本当に美味しい。それはそれとしてまだ茹でてない生蕎麦が残ってるので、今度はかけ蕎麦で食べようと考えていた。これもお姉さんと相談していたことだ。
「あ、それなんだけどさ。今度は私が茹でてみてもいい?私は慣れてないから、君にアドバイスを貰いながらになるけど」
「っと、いいですけど・・・・・・俺もアドバイス出来る程慣れてるわけじゃないんで、お手柔らかにお願いします」
自分でやるのはまだいいけど、人に教えられるだろうか。まぁ、仮に失敗しても笑い話にはなるだろう。お姉さんへのフォローはいるだろうけど。ちょっと楽しみを覚えつつ、お姉さんと一緒に台所に立った。
「えっと、手順はほんとに簡単です。お湯を沸騰させてから、生蕎麦をパラパラッと投入して・・・・・・」
「パラパラって、お湯の全体にまぶす感じ?」
分かりやすくなるように説明しながら、俺はかけ蕎麦用のつゆを温め始める。なんというか、楽しいな。人に何かを教えるのなんて数年振りだ。昔は野球のことで、今は蕎麦の茹で方という違いはあるけど。
「───それで、後は火を止めて蓋をすれば大丈夫です。ここから1分間蒸らすんですけど、この間に締める用の氷水用意しておきましょうか」
「はーい!」
というわけで説明しつつやってもらっているが、お姉さんの手際は普通にいい。失礼ながら、もっと慣れてない感じだと思っていた。わたわたしながらもテキパキと動く様子は見ていて微笑ましい。
「後は水を切って盛り付けるだけですね。えーっと、どんぶりは・・・・・・」
「確かそっちの食器棚に入ってるはずだけど。っと、あったあった」
ラーメン屋にあるタイプのどんぶりに茹でた蕎麦を入れ、温めたつゆを注ぐ。刻みネギを散らし、お好みで七味も入れて完成だ。
「わー、こっちも美味しそう。ざるもかけも楽しめるなんて、贅沢だなぁ」
ウキウキした様子のお姉さんは、先程の号泣が嘘のようだ。思わず笑みを漏らす俺に、彼女は不意に聞いてくる。
「あのさ、君さえよければ蕎麦を食べ終わった後もお話しない?ほら、折角の大晦日だし」
「そう、ですね。分かりました、俺ももう少しだべりたいと思ってたんで。まぁ、とりあえず蕎麦を食べましょう。伸びちゃうから」
・・・・・・薄々勘付いていたけど。もしかしてお姉さんは、大晦日を一人で過ごす自分を心配してくれたんだろうか。まぁ、以前に情けない姿を見られているし、心配する気持ちもわかる。それに何より、彼女のおかげで楽しい時間を過ごすことが出来ていた。
ほんと、俺は恵まれてるな。男勝りな少女にしか見えない人間を、ここまで気にかけてくれる人がいる。幸せ者だ。じんわりと湧き上がってくる感情を噛み締めつつ、俺はお姉さんと同時に手を合わせた。大晦日はまだ続く。きっと、年を越しても楽しいままだろう。
「「いただきます」」
蕎麦を食べた後、残ったつゆに茹で汁を入れて啜るのが好きです。美味しいんだこれが。