人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う   作:てぬてぬ@TSF

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79.カップ麺

混雑している電車内。俺は出来るだけ隅っこの方で、つり革にぶら下がる様に立っていた。流石にここまで人の密度が高いと緊張してしまう。衣服が触れ合う程の混みは、女性になってから今日まで経験したことが無かった。

 

バッティングセンターに向かう途中なんだけど、平日を避ければ良かったかな。出来る限り目立たないように身を縮こまらせつつ、目的の駅に着くのを待つ。バットやタオルが入ったスポーツバッグを肩にかけているので、少し嵩張っているのが申し訳無い。と、

 

「・・・・・・?」

 

微かに荒い吐息が聞こえる。緊張しているから周囲の音に敏感になっているのだろうか。吐息が聞こえた右側に首を動かすと、そこにはスーツを着た3、40代くらいに見える男性が立っていた。その視線は目の前にいる少女に向けられている。

 

少女は何かを堪えるような表情で、目に涙を浮かべていた。よくよく見ると、男性の手が少女の下半身を撫で回しているように見える。これってまさか、痴漢か?瞬間、俺は全身から汗が吹き出すような感覚を覚えた。忌避感と嫌悪感が一気に湧き上がってくる。

 

助けないと。声を上げれば周囲の人が気付くはず。それなのに、俺は口をパクパクさせることしか出来ない。四肢が痺れるような恐怖は久しぶりで、パニックを起こしそうになってしまう。駄目だ、ちゃんとしろ俺。

 

情けない、余りにも情けない。今苦しんでいるのは痴漢されている少女だ。それなのに、俺は過去のトラウマに囚われて上手く動けなくなっている。まるで崖から落ちるように、一瞬で精神が追い詰められてしまった。

 

「っ、ふぅ・・・・・・!」

 

俺が手をこまねいている内にも、男性の手は少女の太ももやお尻を撫で回している。動け、せめて声を出せ。あぁクソ、どうして俺はこうなんだ。結局何も変わっちゃいないじゃないか。ナンパされて逃げ出した時から、何も。

 

浅くなった呼吸をなんとか整える。忌避も嫌悪も恐怖も、腹の奥に飲み込め。今は俺のことなんてどうでもいい。目の前の少女を助けるんだ。割れる程に歯を噛み締めながら、俺は男性の腕に手を伸ばした。

 

「こ、この人痴漢です!」

 

悲鳴のような声が口から飛び出る。男性は動揺を顔に浮かべ、少女ははっとした様子で俺に目を向けた。

 

「な、何を・・・・・・冤罪だ、冤罪!証拠はあるのかね?」

 

食って掛かる男性に身が竦む。震えと共に恐怖が腹の奥から這い出してくるようだ。

 

「はっ、さてはこっちの娘とグルだな?痴漢をでっち上げて金をむしり取ろうとでも考えているのか。話にならん!」

 

周囲の視線を集める男性は、俺の手を振り解きアピールするように声を荒げた。証拠・・・・・・証拠は無い。どうする、どうすれば・・・・・・パニック寸前の頭で必死に考える。そうだ、さっきの男性の言葉は、確か・・・・・・。

 

「待ってください、俺は貴方を痴漢って言っただけです。それなのに、なんでこっちの子とグルなんて言葉が出てくるんですか?」

 

「何?」

 

「俺が痴漢されたんじゃなくて、こっちの子が痴漢されていたんだ。だからさっきみたいな言葉が出る。冤罪なら、普通疑うのは俺だけでしょう?」

 

顔が熱い。それなのに四肢は冷たい。極度の緊張の中、俺は懸命に言葉を紡いだ。周囲からどう見られているかは分からない。視線が集まることで恐怖は増しているけど、今更止める気は無かった。

 

「屁理屈を・・・・・・!」

 

「じゃあなんでこっちの子とグルだなんて言ったんですか?理由が無いです。貴方が実際に痴漢をしていた以外には」

 

「舐めた口を利くんじゃない!」

 

男性が拳を振り上げる。思わず目をつむった俺はしかし、殴られることは無かった。おそるおそる目を開けると、周囲の人が男性に組み付き止めてくれたようだ。丁度電車が停まり出入り口が開く。騒ぎを聞きつけた駅員達が入ってきて、男性は連れていかれた。

 

「大丈夫ですか?立てますか?」

 

俺はへたり込んでいたようだ。女性の駅員さんに言われてようやく自覚する。汗も酷いし、痺れも震えもまだ収まらない。肩を借りてなんとか立ち上がると、駅員さんが申し訳なさそうに訊ねてくる。

 

「痴漢の件でお話を伺いたいのですが・・・・・・体調は、大丈夫ですか?」

 

正直、大丈夫とは程遠い。それでも俺は頷いた。ふらつく体を支えられながら、ゆっくりと歩き始める。自分が始めたことだ。最後まで、ケジメを付けないといけないから。

 

 

 

 

 

 

「はあああぁぁ・・・・・・」

 

疲れ切った心身で椅子にもたれ掛かり、俺は盛大な溜め息を吐いた。あの後駅には警察も到着し、俺は痴漢に対する事情聴取を受けたのである。出来る限り詳細に説明したつもりだけど、伝わっただろうか。とりあえず、男性は最終的に痴漢を認めたらしい。よかった・・・・・・。

 

「あ、あの」

 

「・・・・・・あ、はい」

 

声をかけられ気の抜けた返事をしてしまう。振り向くと、そこには痴漢されていた少女が立っていた。顔色は良くないけど、なんとか心を持ち直せているようだ。

 

「ありがとうございます・・・・・・!私、怖くて、声を出せなくて・・・・・・もしお姉さんが助けてくれなかったら、どうなっていたかと思うと・・・・・・」

 

「いや、当然のことをしただけですから。見えちゃったんで、放置出来なくて。こっちこそ、騒ぎを大きくしちゃってすいません」

 

「そ、そんなこと無いです!えっと、本当に助かったんですから!」

 

深々と頭を下げる少女。まぁ、感謝されるのは悪い気分じゃない。それに、どこかすっきりもしていた。過去の自分に、少しはケリを付けられたみたいで。

 

感謝しきりの少女は、迎えに来たらしい母親と帰っていった。親子して頭を下げてくるもんだからむず痒くなってしまう。それにしてもあれだ、腹が減った。俺は軽く屈伸して痺れを和らげつつ、駅内のコンビニに向かう。何か腹に入れないと帰るまで持たなそうだ。

 

何かあったかいものが食べたい。コンビニの中を彷徨っていると、引きこもり中に飽きる程食べていたカップ麺が目に入った。まぁ、たまにはこういうのもいいか。手に取ってレジで支払いを済ませ、お湯を入れてもらう。割り箸と共に受け取って、近場のベンチに腰を落ち着けた。

 

時間が経つのをぼんやりと待つ。あぁ、疲れた。結局バッティングセンターにも行けなかったし。でもまぁ、痴漢を止められたのは良かったな、本当に。辛くて苦しかったけど、あの時動けた自分を素直に褒めたい気分だ。

 

最近はかなり薄れていた、男性に対する嫌悪と恐怖。それを改めて感じてしまったけど・・・・・・きっと大丈夫。だって俺は痴漢を止められた。逃げ出すなじゃなくて、立ち向かえたんだから。と、

 

「っとと」

 

そろそろ3分だ。カップ麺の蓋を剥ぎ、割り箸を割って手を合わせる。

 

「いただきます」

 

後入れの袋は無いのでこのまま食べよう。麺を持ち上げて息を吹きかけ、勢いよく啜った。うん、慣れた味だ。このチープさというかジャンクさは、今の俺には丁度いい気がする。引きずっていた昔のことを決別出来る気がして。

 

女の体になってから色々あった。それこそ、死にたくなるようなことだっていっぱい。どうしようも無く逃げ出したくて、それでも動けず引きこもって。だけど、俺は今生きている。色々あった中には、苦しさだけじゃなくて楽しい記憶だって沢山あるんだ。

 

薄く小さいチャーシューを咀嚼して飲み込む。ボリュームは全然無いけど味付けは濃い目だ。そのまま麺を啜り、スープを飲み干して手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

 

小腹を満たしたことで全身の痺れや重さは消えた。それどころか、ちょっとすっきりした気分だ。体の節々をほぐす感じで軽く柔軟してから歩き出す。まるで枷が外れたみたいに、俺の足取りは軽やかだった。




次回、エピローグです。
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