人生ドロップアウトTS娘は今日も飯を食う 作:てぬてぬ@TSF
残暑も過ぎ去り、すっかり過ごしやすくなったある日。俺はまだ、中々外に出られずにいた。
「はぁー・・・・・・」
理由は分かり切っている。ナンパをされたあの日から、俺はおかしくなってしまっていた。どうしても外に出るのが怖くて、生活用品も通販で済ませている。おっかなびっくりながら街中を歩いていたのが嘘のようだ。
定期検査の日になっても外に出られない俺は、医者の先生に事情を説明してタクシーを手配してもらった。情けないことこの上無い。起きたことを先生に説明すると、それでいいと肯定してくれた。以前とはかけ離れた自分を受け入れることは難しい。無理をせず、相談してくれてありがとう、と。
『辛く、苦しいという気持ちを吐き出せるのは明確な進展です。必要に迫られたとはいえ、私達に事情を話してくれてありがとうございます』
でも、先生達の優しさも救いにはならなかった。どれだけ真摯に話を聞いてくれても、結局はこの奇病に罹ったことの無い人達の意見だ。そんなの仕方ないと分かっているのに、俺は本能的に他者の優しさを拒否してしまっているのである。
「はぁ・・・・・・」
本日何十回目かも分からない溜め息を吐き、スマホで時間を確認する。最近時間が過ぎるのが遅い。何もやることが無いから当然だけど、惰眠を貪り続けるのも限界だった。何か、生産的な何かをしないといけない。
しかし、半分機能していないような脳みそでは何も思いつかなかった。良くなるどころか悪化してるんじゃないか、これ?だからといってどうにか出来る力は無いし、このまま腐り落ちてしまいそうだ。ごろりと寝返りを打ちつつ時間が過ぎるのを待っていると、部屋の外から音が聞こえてくる。少し引きずり気味の足音。恐らく大家さんだろう。
ピンポーン
足音は俺の部屋の前で止まり、気の抜けたチャイムが鳴った。そうか、今日って確か家賃の集金日だ。行動するのが億劫でも、アパートに住ませてもらっている以上お金は払わないと。もそもそした動きで立ち上がり、棚に入れてある財布を取り出して扉へと向かう。
「は、はい・・・・・・」
そっと扉を開けると、大家さんがいつも通りの厳めしい表情で立っていた。相変わらずがっしりした筋肉質な体格で、実際の年齢よりも若々しく見える。前と違って視線を合わせられず、俺は俯いたまま口を開いた。
「っと、家賃ですよね。どうぞ」
相場から見れば格安の金額を渡すと、大家さんは受け取りつつ微かに会釈したようだ。それを紙袋にしまった後、そのまま立ち去る・・・・・・事無く、俺の顔をじっと見つめてくる。視線に体を震わせる俺。な、何か粗相があったのだろうか。
「え、っと、その・・・・・・なんでしょうか」
大家さんは優しい人だ。初対面の時こそ見た目で勘違いしていたが、一年近くの付き合いで認識は改まった。しかし、そんな人からの視線だとしても肉体が強張ってしまう。恐る恐る訊ねてみるが、大家さんはしかめっ面のままこちらを見つめてきた。気まずい。
「・・・・・・あんた」
「は、はいっ?」
暫しの沈黙の後、大家さんは皴だらけの口を開く。素っ頓狂な声が出てしまったのは俺が悪い。
「・・・・・・困ったことがあったら言いんさい。これ、好きに食っとくれ」
「え、あ・・・・・・」
包装された小箱を押し付けられ困惑する俺。説明も無く、大家さんはそのまま立ち去ってしまった。しばらく立ち尽くした後、とりあえず扉を閉めて小箱を確認してみる。
「・・・・・・大福?」
包装を慎重に剥がすと、小箱に印刷された文字が見えてきた。達筆なフォントで商品名が記されている。昔、TVか何かで見たことのあるデザイン。有名な和菓子屋、紅手堂の塩豆大福だ。それをなんで俺に・・・・・・?
大家さんを追いかけようかとも思ったけど、やはり外に出るのが怖くて断念。小箱を持ったまますごすごと部屋の中に撤退した。大家さんの思惑が分からないままに手元の小箱を見つめる。
「え、っと」
一体何故、大家さんは俺にこの塩豆大福を渡してくれたのだろうか。理由が全然分からない。ちゃぶ台の前に座り込みながら考えるが、一向に答えには辿り着かなかった。もしかすると、最近おかしかった俺を心配してくれたのだろうか。いや、まさかそんな・・・・・・。
いくら考えても真相は分からない。一旦思考を打ち切って小箱を開けてみると、小さめのサイズの大福が四個入っていた。紅手堂の和菓子はどれも絶品だと聞いているけど、実際に食べたことは無い。なんとなく興味を惹かれて、その内の一つを手に取ってみる。
「うわ」
柔らかな感触。ふにっとした手触りは食べ物とは思えない。そっと個包装を剥くと、表面に所々豆が浮き上がっている大福が姿を現した。甘い香りが鼻腔をくすぐって食欲をそそる。その魅力に誘われるまま、俺は大福にかじりついた。
「あむっ」
一口で半分以上を口に入れ咀嚼する。餡子の上品な甘さとそれを引き立てる塩気、生地の柔らかな弾力と豆の食感が一気に広がった。滅茶苦茶美味しい。あっという間に一個目を平らげて、二個目の大福に手を伸ばしてしまう。
「やば、止まんない・・・・・・」
最近レトルト食品ばかりだったから、こういう甘味は全然食べていなかった。だからだろうか、歯止めが利かない。俺は最近の陰鬱を吹き飛ばすように大福を貪る。そして、気付けば四個全部を食べ尽くしてしまった。
「ふぅ・・・・・・ごちそうさまでした」
一息ついてお腹をさする。一個一個は小さめとはいえ、一箱丸々は結構な食べ応えがあった。冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、ちびちびと飲みながら空になった小箱を眺める。結局、大家さんがこれを渡してきたのにはどんな意味があったんだろう。分からないけど、少し心が温かくなった気がする。普段食べてない美味しいものを食べるだけでこうなるとは・・・・・・大概単純だよな、俺。
おもむろに立ち上がり、ガラス窓を開けて外を眺める。気温こそ過ごしやすい範囲になったものの、日差しはまだ強いみたいで目が眩んだ。暫し瞬きを繰り返すと、見えてきたのはいつも通りの光景。どこか寂れた、平凡な街並みである。
このまま外に出たらどうなるのか。考えるだけで、心と身体がぎしりと軋むような感覚が走った。しかし、外に目を向けることすら億劫だったさっきまでに比べたら十分な進歩だ。そう、自分に言い聞かせる。
「すぅ、はぁぁ」
深呼吸をして外の空気を肺に取り込む。もう秋だけど、空気の匂いは特に変わっていないように思えた。街路樹とかも生えてないので、色に染まった落ち葉なども見えない。風情は無いけど、こんな平々凡々な景色が今の俺には丁度よかった。と、
「っ」
通行人の気配。咄嗟に俺は窓を閉じ、顔を逸らした。見ず知らずの他人に視線を向けられるのはやっぱり怖い。ただでさえ、今の俺は視線を集めやすいらしいのだ。医者の先生が言うには顔立ちが整っているかららしいけど・・・・・・。
窓から離れて洗面台へ向かい、まじまじと自分の顔を見つめる。客観的に見れば美少女と言ってもいいかもしれない。ただ、ぼさぼさの髪の毛と憔悴した表情で台無しだ。何よりも、これが自分の顔ということをまだ受け入れられていない。
両手で頬を揉み、強引に表情を形作る。それは俺の思い通りに動くのに、自分の顔とは思えない。そして、この顔の、そしてこの身体のせいで俺はナンパをされたんだろう。
「元に、戻りたいなぁ・・・・・・」
ぽろりと呟いて、鏡に己のおでこを当てる。すぐ目の前に見えるのは、向き合おうとして失敗し続けている現実だ。痺れるように機能を停止していた脳は、大福のお陰か少しずつ稼働し始めている。このままではいけない。どうすればいいのか。目の前の美少女から目を逸らさず、俺は考え続けるのだった。
いちご大福食べたい。いちごが丸々一個入ってる奴。
大家さんは引きこもりが再発した主人公のことを心配しています。口下手なのを自覚しているので、行きつけの和菓子を渡すことで励まそうとしたんですね。