異世界から帰ってきた勇者、監獄にぶち込まれる   作:生しょうゆ

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第23話 苦惱者 ③

 

 

 

「さあ、お膳立てだ。事件を解決し、魔王を殺そうじゃないか」

 

 探偵ではなく、勇者としての手法でな。

 

 応接間に転がした肉達磨は三つ。花月に高踏に工藤。風来と古は青ざめた顔で椅子に座り、錦は依然、無表情で佇んでいる。暮鳥だけが目を覚まさぬまま椅子に凭れている。

 

「ふざけるな狂人が! テメエ、何を、何をしやが──っ!?」

「第一の謎。何故、綾草は殺されたのか」

 

 花月を蹴り飛ばし、場を睥睨する。沈黙が下りる。異能も魔法も発動した傍から殺す。これに答えはないらしい。

 

「第二の謎。何故、時計塔に死体があったのか」

 

 沈黙は続く。視線は互いに互いを睨んでいる。

 

「第三の謎。何故、暮鳥は死にかけていたのか」

「自殺だ!」

「本人に聞こう」

 

 俺は暮鳥に歩み寄り、その頬を叩いた。起きない。ぐずついた声だけが蟠る。再び叩く。殴る。「っあ!?」ようやく起きやがったか。

 

「な……何ですか、貴方は」

「お前が死にかけていたのは何故だ?」

「そんな……ひっ!? な、なに、これ……」

「何故だって聞いているんだよ答えろよ」

 

 殴り飛ばす。椅子ごと身体が床に転がる。頭から血が流れる。「あああっ!?」叫ぶな。黙れ。胸ぐらを掴み上げた。

 

「わた、しは……お姉ちゃんが、お姉ちゃんに」

「お前に姉はいないだろう。可塔暮鳥は長女だと聞いたが?」

「私は、綾草、なの……」

「ふうん」

 

 その言葉に目を逸らした奴が居た。工藤だ。床に身体を投げつける。「ああっ!?」女の悲鳴を背にして工藤を掴み上げた。

 

「答えろ」

「い、良いんですか? 貴方の所業が公になれば、たとえ尊神の一族だろうと……っが!?」

 

 床に頭を打ち付けて血を流させる。悲鳴が上がる。黙れ。四度五度と打ち付けて、ようやく工藤は言った。

 

「置換、です……。可塔暮鳥は、自らの身で時計塔を解決しようと……だから、綾草の身体を使って……」

「あの女が暮鳥だったか」

「あの地下室を出入りする条件は、『可塔暮鳥ではないこと』です。単純故に、効果が高い……。私はそれを、錦の口から伝えられました……肝心の、場所を知らされぬままに……」

 

 ぐるりと錦を向く。彼は沈黙を保っている。青ざめてすらいない。「真実です」その言葉に花月が叫んだ。

 

「テメエ、錦! 何か企んでやがったか!? ああ!? お陰でこの様だぞ!」

「私は暮鳥様の命令に従ったまでです。工藤大全を利用し、自由に動けるようにして欲しいと」

「その目的は?」

「時計塔の破壊です。あのお方は、この一族の全てを終わらせると仰りました」

 

 ふうん。スタスタと部屋を歩く。「綾草の身体に入った暮鳥は、時計塔の中で死んでいた。これは意図的な物か?」あれは自殺か、他殺か。事故か、犯罪か。

 

「……あの肉体を殺したのは、私だ」

 

 高踏が顰め面で呟いた。

 

「理由と方法」

「理由は、暮鳥に頼まれたので。方法は、死体の操作だよ。領域内に力は及ばないが、事前に命令を下していれば、単純なものであれば効く。ましてや魂はあの可塔暮鳥なのだから」

「暮鳥の意図は」

「そこまでは知らん。私はただ、見返りに肉体を貰い受ける契約を交わしただけだ」

 

 肉体。肉体か。力なく床に伏した暮鳥こと綾草が、俺の目に「ひっ」と悲鳴を上げる。

 

「何故、自殺しようとした?」

「だ、だって、お姉ちゃんが、そうしろって。それで、私は許してくれるって! 私だけは助けてくれるって!」

「尊神終を殺さなくてはならない、とは?」

「お、お姉ちゃんが……そう言って……いたから……私がそれをやらなきゃって……」

 

 ふうん。奴はそう呟いたか。邪魔が入ったということか。何の邪魔か? 時計塔の邪魔だろう。

 

「可塔暮鳥」

 

 声に返答はない。風来と古が青ざめた顔で俺を見つめている。

 

「可塔暮鳥!」

 

 声に返答はない。屋敷は静まり返り、沈黙だけがある。

 

「なら、殺すか」

 

 俺は時計塔を目指し、歩き出した。

 

 

 

『このままぐつすり寢て起きると

 そこに新しい人間がある

 ゆふべのことなどわすれてしまつて

 はつきりと目ざめ

 おきいで

 大空でもさしあげるやうな脊伸び

 全身につたはる力よ

 新しい人間の自分

 それがほんとの自分なんだ

 此の泥醉と懊惱と疲勞とから

 そこから生れでる新しい人間をおもへ!

 彼が其時吸ひこむ新鮮な空氣

 彼が其時浴びる朝の豐富にして健康な世界一ぱいの日光──』

 

 

 

 時計塔は夕闇の暗黒に身を沈めている。悍ましい汚らわしい美しさの欠片もない混沌がある。

 

 その内に、木霊がする。「あはは」人の声が木霊する。「何が勇者よ。脅しじゃない」混沌とした声が響く。

 

「可塔暮鳥」

「ごめんなさいね。まだここから離れられない物だから。出向くことも出来なくて」

「可塔暮鳥」

「貴方って本当に強かったのね。勇者って何なの? とても興味深いわ」

 

 混沌とした領域は急速に閉じ、時計塔と一体となっていく。ぐるぐると時計が回る。過去へ、未来へ。回転を加速させていく。

 

「意図は」

「この身こそが。大変だったのよ? 色々と約束を交わすのは」

「神になろうと?」

「その通り。だって可哀想じゃない。無駄に人が死ぬのも、無駄な希望を持ち続けるのも」

「違うな」

 

 その言葉に「あはは」笑いが木霊する。「分かるのね。でしょうね」面白がるように笑う。

 

「そう、なりたかっただけ。だって美しいでしょう。混沌、名状しがたき物、時間! だけど、私の身体は使えなかった。この怨念に、贄として相応しすぎる。魂だけが囚われる必要があった」

「尊神終は邪魔だったか」

「折角集まった物を食べちゃうなんて、邪魔でしかないでしょう。ただの愚痴だったんだけどね」

 

「でも、誰も不幸にはならないでしょう?」声は少し、怒るように言った。

 

「綾草は可哀想な子よ。昔から私に怯えちゃって。だからこれで、私への恐怖から解放される。中にあるから、死体も元通りに出来るし、完成すれば魂だって!」

「高踏は死体を手に入れる。錦は復讐を果たす」

「父は私が神になって万々歳。母も喜ぶでしょう。風来も、私の名前を使って家を大きくするでしょうね。それにあの子、私のことが嫌いだったし。薄々勘付いていたのでしょうけどね」

「工藤は?」

「私に協力できたことが報酬かしら。知ってた? あの人、私の事が好きなのよ。趣味が悪いわね」

 

「それで?」声は問いかける。「貴方は何をしているの?」声は問い質す。「貴方がしたことで、何か上手く行った事が一つでもあるの?」声は苛立ちを露わにした。

 

「私の考えたとおりにすれば、全てが上手く行った。貴方が邪魔をしたせいで、皆が酷い目に遭った。貴方は邪魔でしかない」

「先に説明をすれば事態は簡単だったろう」

「父は頑固なのよ。今まで通りのやり方を続けようとする。ほら、私には事情があった。貴方には?」

「ない」

 

「ない、ない、ない」声はせせら笑う。「ない、ない、ない!」声は風を渦巻かせ、汚らわしい邪念を蠢かせる。

 

「それで、無意味な貴方は、今更何をしようというの?」

「お前を殺す」

「あはは。殺す。殺すと、その意図は?」

「邪悪だからだよ」

「なにが?」

「気付いていないのか」

「だから、なにが?」

「お前は、堆く集った怨嗟に食われかけている」

 

 声が止まる。風が止まる。時針はごうごうと音を立てて回る。

 

「言い訳ね」

「本当に?」

「私には素質がある」

「信じられるのか?」

「私は神になる!」

「お前の名前を言ってみろ」

 

 沈黙が下りた。答えは返ってこなかった。今までと同じく、それは名前に答えない。既に、可塔暮鳥という名を解さない。

 

 精神に掛けられた枷こそが人間性だというのならば、肉体を脱ぎ捨てた人間は、その殆どを捨てているようなものだ。そして混沌に自ら魂を投げた人間に、枷など既にあるものかよ。

 

 名は体を表わすと同時に、体こそが名を定義付ける。神の名は人格である。人の名は歴史である。そして、名前のない存在を何というか。人間性を捨て去り、自らの名さえ分からなくなった存在とは何か。

 

 化け物でしかないだろう。

 

「違うの」

「食われ、化生する前に殺してやろう」

「私は美、私は混沌、私は──」

「名状しがたいだけの、気持ちの悪い神もどきだ」

 

 その言葉に、叫ぶように権能が現出する。

 

 時間という概念が形を成して向かい来る。永遠の苦痛に一瞬の生命。老化に退化に生に死と、随分な手数だが馬鹿が死ね。

 

 俺は右腕を空に掲げた。空の向こうに手を伸ばした。

 

「聖剣降臨」

 

 来たる。来たる。光が来たる。

 

「──ひ」

 

 光輝が飛来する。光が満ちる。空間を超え、時間を突き破り、概念の海を越えてそれは来る。

 

「──なんなの、それ」

 

 聖剣は地に降りた。掲げる右手に収まり、光輝を象って刀身を成す。

 

 天地の究極を前にして時間は震え上がった。末期に叫んで泣き喚いた。

 

 そうともここに在るのは完成だ。聖剣とは単なる剣ではない。それは勇者の力の働きであり顕現である。勇者と人見翡翠と聖剣の三位は一体であり、一つの無限を現す。

 

 母たる女神より生まれ直し、十の贄を飲み干した究極。救世の道を過程とし、そうあれかしと望まれたもの。

 

 即ち、唯一絶対の神だ。

 

「──いやだ──私は──本物の神になって──!」

「いいや死ね」

 

 一刀に尽くを殺す。消滅する。過去も未来も今でさえも。回転する針は光輝の内に消え、凝縮した怨念は昇天する。

 

 天が割れた。その下に時計塔は存在しなかった。

 

 後には円状の荒地と、静まった夜だけがある。

 

「……はあ」

 

 聖剣は久々の獲物に満足し、割れた空から天へと戻った。

 

 溜息を、長く吐いた。

 

「どうだい、尊神……オワリちゃん」

 

 くるりと、後ろを向く。彼女は微笑んでいた。嬉しそうに笑っていた。

 

「──やっぱり、貴方が私を殺してくれるのですね」

 

 蓄光の青を爛々と輝かせ、彼女は俺の手を取った。

 

 

 

『どこかで鷄が鳴いてゐる

 ああ睡い

 ぶつ倒されるほど睡い

 自分はへとへとにつかれてゐる

 ねかしておくれ

 ねかしておくれ──』

 

 

 

 俺は本質的に馬鹿なんだ。やらなくて良いことに態々手を出すし、その癖やってから後悔する。益体の無い生き方である。無軌道、無節操、無計画の手本のようだ。

 

 勢いのままに勇者を成した後、冷静になって気付いたのは事後処理の面倒臭さである。また権力者に手を出しちゃったよ。どうすんだよ両手足吹っ飛ばしちまって。

 

 切断面は流石の俺であるから美しく、吹っ飛ばした手足も氷漬けにしてあるから、ちょっと良い感じの回復魔法でも使えば綺麗にくっつくだろうが、それで問題を収められるとは思っていない。感情的な意味ですらなく、事件的な意味である。傷害と殺人未遂で逮捕されて実刑コースじゃねえか。

 

「……今も捕まっているみてえなもんだし、別に良いのかな?」

「さあ。その辺りは父が積極的に誤魔化そうとするかもしれませんが」

 

「寧ろ、こうなることを望んで、私を向かわせたのかもしれませんね」と、オワリちゃんは暮れつつある空を見つめ言った。三日月が浮かび上がる夜空に、向かい来る黒点がある。

 

 一台のヘリが、全てが終わった後にやって来た。

 

 

 

 尊神尊氏という男を表すのに、一番適した言葉は支配だろう。それは周囲の人間よりも自分に向けられたものである。眼球の動き一つ、指先の動き一つに精神を通わし、十全にそれを操っている。そんな印象を第一に覚えた。

 

 次いで思ったのは、意外に年若の姿をしているな、という感想であった。ともすれば俺と同じくらい。控えめに見ても三十は行っていない。黒髪を撫で付けた精悍な顔は、堂々とした様子でヘリから降りた。

 

「さて」

 

 オワリちゃんの姿を認め、男は笑みを浮かべ寄ってきた。

 

「さて、さて。どうしてまだ生きている? 我が娘よ、我が妹よ! 神を食らったのならば、その身も朽ち果てるが道理ではないのかね?」

 

 ああ、成程。碌でもない。本当に碌でもないな。

 

 夜に溶けるような黒いスーツが、調和の取れた肉体を覆い隠している。真っ白いネクタイも、銀色に輝く時計も、この男の本質を隠そうとしている。しかし溢れる。溢れて留まらぬ。

 

「私は悲しいぞ。最愛の娘がようやく階段を上ったかと思ったが、枷は重くのし掛かったままだ。窮屈で苦しいだろう。可塔暮鳥は、お前の口には合わなかったかね?」

 

 ぐるりと辺りを睥睨し、薄い笑みを見せるその姿。これは人間ではない。人の形をした魔である。混沌である。皮肉にも、可塔暮鳥の目指したものの類型がそこにはあった。

 

「全く、蝶よ花よと育てたのが徒となったか。だから私は言ったのだ。妹はもっと苛烈に育てるべきだと。しかし私はこう思ったのだ。私の終わりとは美しく、清楚でなければならないとな。神が下品であったら目も当てられぬ。ましてや、いずれ私となるものが、下品であって良いはずがない」

「……そうですね、お父様。そして……お兄様」

「いいや、私は尊神尊氏だ。そう呼べと言っているだろう。私は私であり、千年を超えても分けようのないものなのだからな」

 

 完全に制御された混沌が、尊神尊氏という男の正体だ。

 

「さて」

 

 そこで尊氏はようやく俺を見た。真っ黒い目が、夜の中でも輝いている。

 

「終がやったことではない以上、君がやったのかね。確か君は、人見翡翠。異世界の勇者と嘯く狂人だったか」

「元勇者な」

「おっと失礼。では、本当に君が、可塔暮鳥を殺したのか?」

「あー……そうだよ。俺が時計塔を、可塔暮鳥ごと真っ二つ……」

 

 その時、不意にオワリちゃんが一歩進み出た。「オワリちゃん?」問いに答える代わりに彼女は言った。

 

「私が殺しました」

 

 急にそんな事を言った。「ふん?」尊氏は興味深そうにオワリちゃんを見る。その拘束具に包まれた先、青白い瞳を見つめている。

 

「我が終よ、どうしてそんな嘘を吐くのだろうか。お前があれを食らったのならば、肉は不可逆に進化するだろう。確実にな」

「私が殺しましたよ」

「んん、ん?」

 

 尊氏が俺を見る。オワリちゃんもまた、振り返って俺を見つめた。笑みを浮かべている。「ね?」それで良いと、笑みは暗に告げている。

 

「いやいや、嘘はすぐにバレるぜオワリちゃん。俺が殺したんだよ。時計塔ごとな」

「だろうな。終にこの様な芸当は不可能だ。何故、嘘など吐いたのか?」

「……もう、すぐにネタばらしをして、カワセミさんは」

 

 笑みを溜息に変えて、「乙女心が分かりませんか」そう肩を落とす。

 

「嫌そうだったから代わろうとしたんじゃないですか。気を遣って下さいよ。父に目を付けられましたよ」

「いや証言を取ればすぐにバレるから」

「だから乙女心を分かっていないのです。少しでも貴方の力になりたいと、美少女のいじらしい思いではないですか」

「自分で言うのか……」

 

 はは、と笑った。ちょっと元気になった気がした。いや、全然元気じゃないけどな。

 

「勇者、勇者か」

 

 尊氏はそう呟き、じろじろと不躾な視線が頭から爪先までをつぶさに観察し、「うん、素晴らしい」そう言った。

 

「調和の取れた完全美だな。肉体に神性が宿っている。これでは神も殺せるだろうな」

「一体目に比べれば雑魚だったよ」

「ふむ、道理で絡革がここに居ないと」

 

 尊氏はぱち、と指を鳴らし、首を捻った。「無駄だよ。氷漬けにした」そう言うと、笑った。

 

「なんだ、あの役立たずめ。せめて皮に傷でも付けろ」

「何の真似なのさ、あれは」

「親心さ。あれが戦うならば、終に危機が迫っていると言うことだ。ならば好機だ。肉を露出させ、逆に全てを食らって貰おうと思ってな」

 

「神には贄が必要だろう?」そう言って尊氏は自分の指先をじっと見つめた。「別に殺しても良いが、君は怒りそうだ」屋敷に向けようとしていた人差し指を収め、彼は頷いた。

 

「勇者とは、我々が異世界と呼称する物における伝説と聞く。幾多もの魔王……そう呼称される敵性存在を殺し、行方不明になったと聞いていたが、さて、真実は如何に?」

「真実も何も、帰ってきた元勇者さ。それで監獄にぶち込まれて、ぐうたら眠りの日々を満喫中」

「その素晴らしき日々の最中に、君は終を虜にしたわけだ」

「虜だなんて……事実ですけど」

 

 オワリちゃんが恥ずかしそうに頬に手を当てる。尊氏は笑ってそれを見つめる。

 

「道理だな」

「何が?」

「神の人間性が、神に人間性を与えるのは道理だと言ったのだ」

 

 ……ふうん。

 

 尊氏は歌うように言う。「勇者は死んだと、行方不明になったと、いやいや、事実は違うだろう」彼は目を俺に向けた。空を仰ぎ見るように。

 

「勇者は世界を救った。それは事実だ。しかし、それはついでだったらしいな? 神の意志と人の意思、そして力の三位を一体にするべく、整えられた伝道の道に過ぎないと」

「ついでじゃねえよ。そっちが本命だったさ。少なくとも俺はな」

 

 そのクソッタレババアの思惑を切り殺したからこそ、俺はここに居られるのさ。

 

「で、誰に聞いた」

「秘密さ。いやいや、しかし、だからこそ、君がここに在るのは不思議に見える。勇者とは……いいや、"それ"は、一つの世界の神として、今も君臨しているのではなかったのかね?」

「君臨しているよ」

「そう、だから元勇者など誰も信じない。あちらに通じ、力ある者ほどね。何せ"それ"は在りて在るのだから。そこで凡人は思考を止める。即ち、君は狂人だと」

 

「しかし、私は違うよ」尊氏は驚嘆を気取るように肩を竦めて言った。

 

「君の正体は人間だな。完成した神の人間性の顕れ。三位の一片にして、真実、世界を救ったひと。単なる人間、人見翡翠だ」

「少し違うな。何せ存在は分けられない。神は神だ」

「では、真実とは?」

「さあ? 俺はもしかしたら、自分が人間だと信じているだけなのかも知れないぞ」

「おいおい、ここに来てそれはないだろう」

 

 尊氏は苦笑する。しかしそれは本音だった。俺は俺として確かに存在している。ここでも、あちらの世界でも。だって神は、そこに在ってそこにいないものだからな。

 

 あちらの世界には確かに神が君臨している。確かな神が。聖剣ちゃんが。その存在が概念上に君臨することにより、世界は安定を取り戻している。

 

 だから"彼女"は俺が大好きなのさ。俺は俺が大好きだからな。そういう俺だ。そういう俺が力という存在なんだ。

 

 ──自己是認の化身。神が神たる証明として、安易に奇跡を現出させる力そのもの。意思なき剣は、仮にそう呼ぶことが許されるのなら、悪魔、或いは偽神とさえ言えるだろう。

 

 だから聖剣ちゃんは彼女なんだ。それを求め、恋い焦がれ、甘えるように、神たる母親にそう設計された。非常に都合の良い救済手段として。

 

 まあ完全に俺の物にしたがな。死ねクソババア。もう死んでたわ。

 

 そういう追想はまあどうでも良いとして、しかし尊氏は上機嫌である。上機嫌に笑って言った。

 

「……うん、君は死ぬべきだ」

 

 飄々と夜空を見上げる。彼は俺を見て、空に指を向けた。

 

「いいや、天に帰るべきだ、と言った方が良いかな。いやいや、娘が恋人を連れてきた親の気持ちそのものだよ。お前に娘はやらん。何せ終は私だからな」

「俺だって中身おっさんの恋人とか嫌すぎるわ」

「私だって囚人服を着た恋人など嫌だよ。全く、これに人間性を付与させるなど、余計なことをしてくれる」

「オワリちゃんは人間でしかないだろ」

 

 一瞬の沈黙。

 

 唇を歪ませて尊氏は言った。

 

「君はそう言うのか」

「誰だってそう言うさ」

「君がそれを言うのか?」

「俺だから言うのさ」

「ははあ」

 

 尊氏は少し考え込んだ。じろじろと俺を見つめる。オワリちゃんと見比べる。

 

 ややあって、彼は「成程」と笑った。

 

「君は、いい人だね。流石だ。娘が好きになったのも頷ける」

「何だよ急に。気持ち悪」

「私も何だか、君のことが好きになってしまったよ」

「うへー……」

 

 ドン引きであった。こんな奴に好かれるとか勘弁して欲しい。オワリちゃんも父だか兄だかのキショい笑みに「おえー」と言っとるわ。

 

「人生は上手く行かないことばかりだ! 娘と恋人を引き裂かなくてはならないとは。まして、それが好感の持てる人物であれば尚更辛い」

「言っておくが恋人になったつもりはないぞ。俺既婚者だし」

「なんだと。気が変わった。お前に娘はやらん」

「方便ですよ方便。カワセミさんったら昔の女を引き摺っているのです」

「なんだと。昔の女を引き摺っている男に娘はやらん」

「厳しいですね」

 

 けらけらと楽しそうに尊氏は笑う。ぱち、と手を叩く。笑みを潜めた。

 

「さて! 私が何をしにここを訪れたのか? 後処理をしに来たのだよ。この様な惨状では、後始末を付ける人間が必要だ。全く、私は何時も尻拭いだ。いやいや、尊神尊氏という存在そのものが永遠の尻拭いなのかも知れないがね」

「元々オワリちゃんに処理をさせるつもりだったのなら、この事態を見越していたんじゃないのか」

「いいや、これは確かに尻拭いだよ。神を失った家を大事に大事に保護してやるのだ。どうせもう終わりだろう。あの時計塔を失ってしまってはな」

 

 そう言って尊氏は歩み出した。カクさんを放っておいて良いものかと思ったが、死に至る傷ではないので少しくらいは良いかと置いていく。

 

「ところで俺さあ、あいつらの手足切り飛ばしちゃったんだけど回復魔法使える奴呼んできてくれない?」

「義父に集るとは見下げ果てた婿だ。しかし、良いだろう。可塔花月の顔を見て笑ってやりたいからな」

「うーん、性格最悪って感じ」

「幾ら多様な色があろうとも、それを混ぜていけば黒に至るのだ。これでも私は善良な方だと自負しているのだがね」

 

 ははは、と笑って尊氏は洋館に足を踏み入れた。「うん?」声を上げる。空間が渦巻く。時間がねじ曲がる。

 

「君、殺したと言ってなかったか?」

「言ったが」

「ふむ」

 

 尊氏はじろりと周囲を眺めた。光景は一変していた。どころか高さも変わっていた。

 

 洋館を見下ろす天空に俺達はいた。ヘリの座席に腰を下ろし、カクさんもまた、椅子に座らせられている。

 

 不意に、見下ろす大地に青白い人影が見えた。彼女は手を振っていた。そうして子供のように瞼を引き下げ、舌を出し、「ばーか」と言っていた。

 

「あれは、至ったのか?」

「いやあ、幽霊みてえなもんだろ。時間の概念の中に、僅かに意思を残しているだけだ」

 

 聖剣ちゃんに撃ち漏らしはない。肉片の一切は蒸発し、精神の尽くは消滅した。

 

 だからあれは、幽霊なのだ。冒されなかった僅かな肉片が、物を言って動いているに過ぎない。

 

「……あの一撃の中にも、慈悲を介在させる余地があったのですね」

 

 オワリちゃんがそんな事を言った。「何を。俺は確かに暮鳥を殺したぜ」彼女の言葉を思い出す。いちめんのなのはな。そして人間の勝利を。

 

 今の彼女は、菜の花の中にある一つ麦笛、一つ雲雀、一つ月に過ぎない。混沌の中に僅かに残った、人間性の残滓でしかない。

 

 俺はこれを、決して救済だとは思わない。

 

「近付くのは無駄だ。時間軸ごと切り離されているだろう。見ろ、洋館の修復が始まっている。時間を戻して全てなかったことにする気だな」

「残滓でもそれ程か。素晴らしいな」

「そう考えると、俺の傷害罪に殺人未遂もなくなったって事だ! いやあ良かった良かった。これで魘されなくてすむぜ」

 

 ──そんな訳がないだろう、と誰かが言う。

 

 この可能性があったのなら、もっと上手くやれたはずだ。もっと上手く事態を収められたはずだ。

 

 何が良かった、だ。暮鳥の権能では永遠を繰り返すことなど出来ない。近い内に記憶は戻り、可塔一族は自らの失敗を知り、工藤と高踏は無駄足を踏むことになる。

 

 無駄、無駄だ。全てが無駄だった。結局の所、俺は全てを終わらせただけだ。成した事は何もなかった。

 

 ……その時、不意に掌に、一輪の菜の花が握られた。

 

 眼下を見る。暮鳥が呆れたように肩を竦めている。「でも、ありがと」と、また言って笑った。

 

「あれも神と呼べるかもしれんな。守り神だ。ははは」

 

 尊氏がそう嘯いた先、修復された館から、花月が駆け出した。その四肢は繋がっており、歩行にもまるで問題はない。

 

 暮鳥は笑ってそれを出迎える。縋り付く父親と言葉を交わして、何事かを呟いた。

 

 ……ああ、彼女は、進むことを選んだのか。永遠の停滞など見当違いにも程がある。

 

 俺とは違い、そういう強さを、可塔暮鳥は持っている。

 

 人間の勝利。あああ、人間の勝利。口の中で呟いた。『人間の強さにあれ。人間の強さに生きろ。くるしいか。くるしめ。それがわれわれを立派にする──』その詩は、俺には強すぎた。

 

 見るな。見るな。俺を見るな。俺は醜悪だ。

 

 もう、俺に何かを求めるな。

 

「結構、情のある人でしたよね。私とは大違いです」

「いやいや、私はお前の事を何時も思っているとも」

「それは私を殺す算段でしょうに。私はね、どうせ死ぬのなら、好きな人に殺されたいんですよ。……ねえ、カワセミさん」

 

 オワリちゃんは俺の手に掌を重ねた。皮に覆われた指先は冷たく、固い。それでも彼女は指を絡める。愛おしそうに。

 

「帰ったら、何をしましょうか」

「そうだねえ」

「沢山思い出を作りましょう。いっぱい楽しいことをしましょうよ」

「そうだねえ」

「父は近く、私を手に入れるでしょう」

「そうだね」

「化生したそれは、おぞましい、本当におぞましい存在でしょうね」

「そうだね」

「だから、そうなる前に、貴方が私を殺して下さい」

「……はは」

 

 俺は言葉を返さなかった。ただ、恐れるように少女を見つめた。

 

 オワリちゃん。尊神終。尊神の終わり。

 

 死を望み、救いを願う少女。

 

 彼女は美しい顔で、俺を見つめている。

 

 

 

 

 

『そして自分の此の手を

 指をそろへて此の胸の上で組ましておくれ

 しかし私に觸つてはいけない

 私はひどくけがれてゐる

 たつた一とこと言つてくれればいい

 誰でもいい

 全人類にかはつて言つておくれ

 何にも思はず目を閉ぢよと

 それでいい

 それでいい

 ああ睡い

 これでぐつすり朝まで寢られる』

 

 

 

 

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