錠前サオリの裏バイト奇譚   作:@Ana

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あにまん掲示板で投稿していたお話です。

コンビニ店員からこのゴミ収集までのお話は、掲示板時代に動画化もされました。本当にありがとうございました。


ゴミ収集.3

(12日目、夜)

 

「遅くなってごめんね、ミカ」

「ううん、私もようやっと動けるようになったところ」

トリニティ自治区の駅前でミカは先生と合流した。シャーレの部室からトリニティ自治区までの距離を最も早く移動できるのはハイランダーの直通列車だ。だがそれでも先生が到着する頃には夜になっていた。

「事情は電話で教えてくれたね。サオリがお人形を持って街中を歩いてて、おかしくなっていた、と」

「うん。何だかまるで小さい子供に戻ったみたいな喋り方で、とても正常とは思えなかった。あとね、これは信じて貰えないかも知れないけど……」

言い淀むミカに、先生は真っ直ぐと向き合う。

「大丈夫、私は先生だから。ミカの言葉を信じるよ。どんな些細なことでもいいから、何かあれば教えて」

「……うん、ありがとう先生。あのね、あの時サオリはマミー人形を持ってたの。本当に大切そうに抱っこしてて」

「マミー人形?」

「あ、分からないよね。えっと……ああ、あれ!」

ミカが指差したのは駅前の広告パネル。そこには幼児向け人形、マミー人形の広告が掲載されていた。赤いエプロンに、優しく柔らかな顔立ち、そして綺麗で長い金髪の人形。『子供たちを見守る、もう1人のマミー』というキャッチコピーがやけに目につくものだった。

「モモフレンズより前からある、トリニティでおもちゃを買うならこの子ってくらい定番で伝統のあるお人形なんだよ。懐かしいな、私も買ってもらって、よくおままごとしてたな……」

「そっか、かわいい人形さんだね」

「うん。……ああ、じゃなくて!それでね、サオリったら、それを大切そうに持ってたんだけど、何だか本当にそれを母親だと思っているみたいだった。自分はマミー人形の小さな娘で、今はママと一緒にお出かけしてますって感じで、口調も変わってて、すごい不気味だった……」

「あのサオリが?」

「うん。そして何より……睨まれたの。マミー人形に」

……ミカは最も重要だと思うあの視線について話し始めた。信じ難いことだが、あの時マミー人形に睨まれ、拒絶されたと確信している。サオリの持つマミー人形には不思議な力が、意志があるのではないか?サオリがおかしくなったのも、あのマミー人形のせいではないか?そんな妄想めいた推測を、自分でも突拍子もないものと分かっていながらも先生に話した。

それに対して先生は頭ごなしに否定することはなく、真剣に聞き、真剣にその可能性を考察していた。エデン条約を巡るあの事件で、空が赤くなったあの戦いで、ミカも先生も常識では考えられない存在はあると分かっているのだ。そして今回はそれ絡みの事件なのかも知れないと危機感を募らせていた。

「……どちらにせよ、サオリを見つけないと始まらないね。人形もサオリと一緒のはずだし……アロナ!」

先生はおもむろにタブレット端末を取り出し、誰かの名前を呼んだ。すると端末が起動し、画面にトリニティ自治区の地図を表示させた。

「列車の中でサオリのスマホの位置情報を調べておいたんだ。……ここ、この赤い点にサオリのスマホがある。ミカ、ここに心当たりは?」

「見せて………ああ、ここね。住宅地の外れにある廃墟。アリウスと組んでた時に潜伏先の候補として教えたところだよ。でも今そこにサオリはいないと思う」

「どうして?」

「私がサオリと会ったのは……ここ、この大通りなの。サオリはこの廃墟の方向から歩いて来て、反対の方向に向かっていった。だからここは……」

「サオリのトリニティでの拠点ってことだね」

「うん、そうだと思う」

「………探すとしたらサオリが向かった方角。でもノーヒントで闇雲に探すのは難しそうだね」

「それなら一度拠点に行ってみない?何かヒントが残っているかも」

「そうだね、行ってみようか」

頷き合い、駅前を後にする。2人はすぐにサオリの拠点へと向かった。

そこは閑静な住宅街の外れにある一戸建ての廃墟で、庭や壁は酷く荒れておりとても普通の人が住んでいる場所には見えない。だがそういうところで苦もなく潜伏できるのがゲリラ戦のエキスパート、錠前サオリだ。

ミカと先生は早速探索を開始した。サオリの仕掛けたトラップや廃墟そのものの危険性に注意を払いながら慎重に。そして見つけたのは大きな違和感だった。

「……何のトラップもないね。まるで一切警戒してなかったみたいだ」

「うん。それにね先生、生活の跡が多すぎるよ。潜伏してたんじゃなくて、ここに住んでいましたって言われた方が納得するくらいだよ。サオリならそういうの、絶対隠しているのに……」

互いの見解を共有した後、2人はキッチンのゴミ箱に視線を向けた。

「もっとおかしいのはゴミの量だね。同じ弁当、同じ惣菜、同じレトルトの食べ跡が2つ分捨てられている。毎食わざわざ同じものを2つ買って食べていたってことかな?……サオリ以外に誰かが住んでいた?」

「でもミカ、片方は完食してるのにもう片方は一切手をつけられていない。食べた方がサオリだとして、そのもう1人はどうして食べなかったんだろうね?」

「……ねぇ、先生。これもしかしてだけどさ、すっごい嫌な想像だけどさ、……マミー人形の分ってことじゃない?サオリとマミーの2人分を買って、2人で食べてたとか……?」

「………………」

その光景を想像してしまい、2人は押し黙る。一体ここで何が、サオリはどんな生活をしていたのだろうか?

「……ねえ先生、私昨日ね、サオリに会ったんだよ。その時に『マミーと普通のお家に暮らしてる』って言ってたの。最初はママ活してるのかなって思ってたんだけど……あの時気づいてあげられたら、何か変わったのかな………?」

「違うよ、ミカのせいじゃ……え?ママ活?」

「あの時私が、ママ活じゃなくて変なマミー人形と住んでいるんだって予測できたら……!」

「さすがにそれは難しいと思うよ……?」

 

(着信音)

 

「……私のじゃないね、ミカの?」

「ううん、違う。………リビングだね」

音の鳴る方へ向かう。ローテーブルとソファが置かれたリビングの床。そこにサオリのアサルトライフルとスマホが落ちていた。

先生はすぐにスマホを拾い上げ、スピーカーにして電話を取った。

「おう!やっと繋がったな!嬢ちゃん大丈夫か!?急に帰っちまってびっくりしたぞ!」

「あ、すみません!私はシャーレの先生です。いなくなったサオリを探して拠点……彼女のお家まで来てるんですが……」

「おっと、これは失礼!あのシャーレの……って!嬢ちゃんがいなくなった!?」

「はい、彼女のお家にスマホが残されてて、ちょうどそちらから電話が来たんで取ったんです。あなたは誰ですか?」

「俺は嬢ちゃんのバイト先……ゴミ収集業者の上司でさぁ。しかしいなくなっちまったなんて、様子がおかしいと思ったら……」

「何かあったんですか?」

「俺にもよく分からんのです。今朝から何か考え込んでる様子で、昼飯の時間に俺と俺の家族と話をしてたら突然泣いちまって、集積場を飛び出しちまった。……何かやっちまいましたかねぇ俺達?カミさんと娘も心配してますよ」

「そうですか……」

「先生、私も話すね。……やっほ〜、おじさん!昨日はジュース奢ってくれてありがとう⭐︎」

「おっ!その声は草むしりの嬢ちゃんか!」

「うん!あのねおじさん、サオリのマミー人形について何か知ってない?もしかしたらサオリを見つける手掛かりになるかも知れないの!」

「マミー人形!?ああ、アレかぁ。そのなぁ……」

「知ってるんですね!些細なことでもいいから教えて下さい!」

上司はしばらく渋ったが、先生の説得に折れて話してくれた。

「……あのマミー人形は、バイトの嬢ちゃんがゴミ捨て小屋で拾ったものなんです。ゴミ袋にも入れられてなくて、汚れたまま放置されたもの。それをバイトの嬢ちゃん、えらく気に入っちまって、それで持って帰ったんでさぁ」

「え?おじさん、そういうのって持って帰って大丈夫なの?」

「ああいや!それがなぁ……内緒にして欲しいんだけどよぉ、本当は『捨てられたものを持ち帰らない』って注意事項があるからダメなんだよ。でも守ってる奴なんてほとんどいねぇ。だから俺もバイトの嬢ちゃんが持ち帰ったこと、目を瞑ったんだ」

「……あまりよくないですね、上司さん?」

「いや〜面目ねぇ……」

申し訳なさそうに頭を掻く上司の姿を想像しつつ、ミカはサオリの言葉を思い出していた。

 

『あのね、いまからマミーとサオリがはじめてあったばしょにいって、マミーのむすめになるの!』

 

「………ねぇ、おじさん!サオリがマミー人形を拾ったのはどこのゴミ捨て小屋!?」

「え?おう、あそこはなぁ……」

先生は上司が教えた場所をタブレット端末に入力する。

「プラナ、反映して」

また誰かの名前を呼んだと思ったら、画面の地図にもう一つの赤い点が浮かび上がった。そこはミカがサオリと会った大通りの、廃墟とは反対方向にあるゴミ捨て小屋……サオリの5番目の担当ゴミ捨て小屋だった。

「先生!サオリはそこにいる!」

「分かった、行こう!上司さんありがとうございました!」

「お、おう!バイトの嬢ちゃんのこと頼んだぜ!」

電話を切り、サオリのアサルトライフルを拾い、ミカと先生は拠点を出た。そして件のゴミ捨て小屋へと向かったのだった。

 

 

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

あったかいあったかいマミーのおなかのなか。マミーのドックン、ドックンっておとがきこえてくる。マミーのおなかのなかはみずでいっぱいで、サオリはさかさまになってプカプカういてるの。おへそにはへんなぬのがくっついてて、おなかにぬいつけられてるの。プカプカ、ドックンドックン、プカプカ。とってもきもちよくて、サオリはずっとねむっているの。

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

もうすこし、もうすこしでサオリはマミーのむすめになれるの。そしたらなにをしようかしら?マミーといっしょにごはんをたべて、マミーといっしょにおさんぽをして、マミーといっしょにおひるねをして、マミーといっしょにおふろにはいって、マミーといっしょにおねんねして、マミーといっしょにがっこうにいって、マミーといっしょにえほんをよんでマミーといっしょにおままごとをして、マミーといっしょにゆうえんちにいって、マミーといっしょにおにんぎょうであそぶの。きっときっときっとたのしいわ。

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

(水の中の音、心臓の鼓動)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(何かを叩く鈍い音)

 

「うぅ……こわい……」

そとからおおきなおとがする。だれかがマミーのおなかをたたいてる。やめて、マミーがかわいそう。サオリはおおきいおとがこわいの。

 

(何かを叩く鈍い音)

 

(何かを叩く鈍い音)

 

(何かを叩く鈍い音)

 

こわい、ドンドンドンドンだれかがおそとでおおあばれ。あっちいって!サオリはもうすぐうまれるのに、じゃましないで!

 

(何かを叩く鈍い音)

 

(何かを叩く鈍い音)

 

(何かを叩く鈍い音)

 

「________サオリ!!」

……ミカちゃん?

「サオリ!この中にいるんでしょ!?開けて!」

おそとにいるのはミカちゃんだったんだね。でもダメだよミカちゃん、あけたらサオリ、マミーのおなかのなかからでちゃうから。マミーのむすめになりたいんだから。

「うっそ……!?私本気で叩いてるのに壊れない!何で!?」

「ミカ!壊すのはやめよう!どうなるか分からない!」

「でも……ううん、分かったよ先生」

せんせいもいるの?せんせいもミカちゃんも、サオリにあいにきてくれたんだね……。

「サオリのバイト先のおじさんも心配してたよ!奥さんも娘さんも!」

バイトさきの……?ああ、しんぱいしてくれてたんだね……ごめんなさいしないと……。ドアをあけなきゃ、ごめんなさいしにいかなくちゃ。

「ダメよ、サオリ。ママのお腹から出たら、マミーの娘じゃなくなっちゃうわ」

……そうだね、ごめんねマミー。マミーのおなかからでちゃダメだもんね。

「サオリ」

……せんせい?どうしたの?

「サオリがマミーの娘になる……それがどう言うことかはまだ分からないけど、とにかくここを開けて欲しい。きっとマミーの娘になったら、サオリはサオリじゃなくなると思うんだ」

サオリが……わたしがわたしじゃなくなる?

「知らない人の言うことを聞いちゃダメよサオリ、誘拐しようとしてるのよアイツらは」

ああ、ごめんなさいマミー。でもミカちゃんとせんせいはしらないひとじゃないよ!どっちもたいせつなんだよ。せんせいはサオリのおんじんで、ミカちゃんは………。

「…………ミカちゃん」

「っ!サオリ!やっぱりこの中にいた!」

「サオリはミカちゃんにとってなんなの?」

「え?何って何?どう言うこと?」

「アリウスでのときはいそいでて、けっきょくなあなあになっちゃったけど、サオリとミカちゃんってなんだろうね?」

「…………」

「きのうひさしぶりにあって、じはんきのまえでジュースをのみながらおしゃべりしたけど、あんなのはアレがはじめてでしょ?それまではずっと、りようしたり、きずつけたり、そんなかんけいだった……」

「………………」

「いま、ミカちゃんのことをマミーにしょうかいしようとしたんだ。きのうじょうしにもきかれたよ、あのこはわたしのともだちなのかって。……わからなくって、どうしようかっておもってて……」

「………………」

「………………ごめんなさい、うぬぼれてるね。サオリなんかがともだちだなんて________」

「あはっ⭐︎サオリったら、お昼に私にあった時のこと忘れた?」

え?おひるにあったときのこと?ああ、そういえば、ここにくるときにあったね。ミカちゃんと。

「あの時サオリ、私のこと『おともだち』って言ってくれたじゃんね。私の聞き間違い?それとも、私が自惚れてただけかな?」

ああ、そういえばそうだ。あのとき、きゅうにマミーがミカちゃんのことを睨んじゃって、すごいおこってて、ひどいこともいってた。そのときに、つい……。

「……ずっとサオリは、ミカちゃんのことをともだちだっておもってたんだね。めいわくかな?サオリなんかがそんなこと……」

「別に。とっくの昔に許してるし、あの時からずっとサオリの幸せを祈ってる。サオリだってそうでしょう?」

「……そっか。サオリ達、ほんとうにおなじだね」

おそとにいるミカちゃんはきっとわらってるきがする。わたしもうれしくなってわらった。

「それでね、せんせいはね、せんせいもきてくれたんだね。せんせいはサオリのおんじんだよ!」

「ありがとう、サオリ。………いいかいサオリ、確かに君は、いや君達アリウス分校の子供達は苦しい思いをし続けていた。それを肯定するわけではないけど、それも含めて錠前サオリだと思うんだ。どんなに良くても悪くても、辿ってきたものが錠前サオリになるんだよ。だから思い出して欲しい、何も得なかったわけじゃないよね」

「……うん。いろいろしったり、もらったり、てにいれたよ」

「マミーの娘になったら、サオリは元のサオリとは違った人生を歩んで、今までの人生は捨て去って、違ったサオリになると思うんだ。……サオリが得たものを、本当に捨て去ってもいいのかい?」

「せんせい………」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

 

 

 

 

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!!!」

ああ、マミーがおこってる。せんせいとミカちゃんのことをののしって、わたしにそとにでるなとさけんでいる。

「………すまない、マミー」

私達は前に進まなきゃいけない、そして戻ることは進むことではない。誰かに言われたその言葉を思い出して、私は水底に足をつけた。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

私を呼び止めている。叫び声の意味は何となく分かるけど、何を叫んでいるのかは分からなくなっている。意識もハッキリしてきた。ここはゴミ捨て小屋の中だ。何故か部屋いっぱいに液体が満ちている。

「うぶっ!!」

液体を認識した瞬間、私は溺れだした。さっきまで呼吸できてたはずなのに、いやどうして水の中で呼吸し、喋れていたのだろう。考えてる暇はない酸素が欲しい。

ゴミ捨て小屋の入り口を見つけた。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

怒りの矛先が私に向いた。悪い子だとでも言ってるのだろうか。ああそうだとも、古聖堂にミサイルをぶち込むくらい悪い子供だよ。だから私はマミーの娘にはなれないし、マミーを母親にはしてやれない。

ゴミ捨て小屋の入り口に辿り着いた。

「︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

言葉の刃が鋭くなった。ああ、マミーは本当の母親になりたかったんだな。だから私を産んで本当の母親になろうとした。それがマミーのやりたいことなんだ。……どんな形でも、やりたいことがあるのは羨ましい。

ねえ、マミー。私は自分がやりたいことや、夢や目標というものがないんだ。だから色んなことをしたり、色んなところに行って、それを探している。ここにもそのために来たんだよ。

ドアノブを握った。息がもう限界だ。

「︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

何もないんだから、マミーの本当の娘になって、人生をやり直すのも悪くはないかも知れない。でも得たものがないわけじゃないんだ。仲良くなった人達がいる。それが大切だから、私から頼んでおいて申し訳ないが、やっぱりマミーの娘にはならないでおく。きっとマミーの娘のサオリじゃなく、今の錠前サオリでも、私は幸せに生きられると思うから。

扉を開けた。

 

(激流音)

 

「うわっ!!」

「きゃあ!!」

扉を開けた瞬間、中にあった大量の水が外へと流れ出し、先生とミカに大波となって襲いかかった。避けることができずに波の圧力で転び、2人はビチョビチョに濡れてしまった。

そしてその大波によって私はゴミ捨て小屋の外に出され、地べたに寝転がって深呼吸。

「ぬぶっぼっ!!げほっ!!」

どうやら鼻の中や口の中にも水が溜まっていたらしい。全部を吐き出し、途中でむせてしまった。

「うわぁ、なにこれ!しょっぱい!生臭い!……あ、サオリ!」

口に入った水を吐き捨てていたミカは、私に気がついたようで駆け寄ってきた。先生もそれに続いて来る。

「はぁ……はぁ……さっきぶりだな、ミカ。先生は久しぶりだ」

「無事でよかったよ、サオリ」

「……あはは⭐︎もう、サオリったら。さっきじゃなくて、もう夜だよ?私と別れてからずっとゴミ捨て小屋の中にいたんじゃない?居心地良かった?」

「悪くはなかった。でも、出て来れたよ」

「……そっか。よかった〜」

その外見のような天使の笑顔を見せたミカが私に抱き付いてくる。べたべたでヌルヌルで生臭い、とてもミカとは思えない感触だが、きっと今の私も同じだ。抱き返し、首筋に顔を埋めた。

 

 

 

「________あれ、サオリ。それは………へその緒?」

不意に投げかけられた先生の疑問。私とミカはそれに視線を移した。私の腹部の、へその部分にフェルトの布……いや、管が縫い付けられていて、ピクピクと一定のリズムで痙攣していた。そのリズムに覚えがあった。私はさっきまでずっと聞いていたのだ。

私は咄嗟にその管を引き千切ろうと手を伸ばす。しかし間に合わず、あのリズムがゴミ捨て小屋から響き出した。

 

(マミーの心臓の鼓動)

 

「うわっ!?」

「サオリ!」

その瞬間、フェルトの管がものすごい力で、ゴミ捨て小屋の中へと引っ張られた。座り込んでいた私はなす術なくゴミ捨て小屋の中に引き摺り込まれ……ることはなく、抱き付いていたミカによって抑えられる。嘘だろ、あのミカと拮抗している?どんな力だ!?

「ミカ!絶対に離さないで!」

「分かってる!でも誰なの!?誰が引っ張ってるの!?」

「……マミーだ。マミーが私を使って、本当の母親になろうとしている………!」

先生も加わり、私も体勢を立て直し、3人で綱引きのようにフェルトの管を引っ張る。だが相手の力が強すぎる、キヴォトス人でも最高位のミカの怪力と、私と、おまけの先生が力を合わせているのに少しずつひっ引っ張り込まれている。ゴミ捨て小屋の中に引き摺り込まれようとしている!

「まずい……!先生!ミカ!私を離せ!お前達まで引き摺り込まれてしまう!」

「バカにしてるのかな!?これくらいっ!本気を出せば……うぅっ!」

ミカの腕にとてもお姫様とは思えない青筋が立った。懐かしいな、昔殺し合った時にこれを見て内心ヒヤヒヤしていたのを思い出す。しかし、引き摺り込む力を上回ることはできないようで、私達は着実にゴミ捨て小屋へと近づいていた。

「くっ……マミー………!」

ゴミ捨て小屋の中の暗闇を見やる。何も見えないが、きっとマミーはそこにいるのだろう。これまで感じていたマミーの愛情と、ミカを睨み付けてた時の殺気に似た気配を同時に発している。慈悲深く恐ろしい存在が、あの暗闇の奥に潜んでいる。きっと、出て行った悪い子を戻そうとしているんだ。やっぱり、ミカと先生には離れてもらおうか、私だけでもあちらに行けば、マミーも満足するはず。

2人を説得する算段を立てていた瞬間、フェルトの管を掴む腕が増えた。

「間に合った!でも何でこんなことに……!?」

「うわあああああああん!あたり一帯生臭くて気持ち悪いです!!」

「ミサキ!?ヒヨリ!?」

「先生に呼ばれて来たの」

「姫!?」

「大変そうだね、サッちゃん。手伝ってあげる」

ああ、何で私はずっと忘れていたんだろう?確かに私には母親なんていなかった。本来与えられるべき母の愛なんてのもなかった。でも家族はいたんだ。ミサキと、ヒヨリと、姫。みんなで支え合って生きて来たんだ。危うくそれを捨て去ろうとしていた、マミーの本当の娘になっていたら、私はきっと3人を本当に忘れていただろう。そのことに恐怖し、フェルトの管を掴む力が強くなる。しかしそれでも、引っ張る者が3人増えてもなお引き摺り込まれていた。少しずつ、確実に、今1メートルを切った。

「あっ、そうだ!その、これ拾ったんですけど……何か役に立たないですかね?」

「あ、それ私の枝切りバサミじゃんね!さっき流されたんだと思う!」

「先生……!私達でサッちゃんのこと抑えるから、先生がこれ切って……!」

「え!?でも今離れたらサオリが……!」

「いいからやって!先生私達より弱っちいんだから、いてもいなくても変わらないから!」

「酷いよミサキ!でもまあ、その通りだね!」

先生は私から手を離すと、ヒヨリからミカの枝切りバサミを受け取った。これもずぶ濡れだが、刃は生きている。

「一思いにやってくれ!先生!」

「任せて、サオリ!」

そう言って先生はピンと張った管を刃で挟み、切り落とした。反動で私達は後ろに転がり、地べたに溜まった水に背中を打ちつける。ベチャっと大きな音と少しの水飛沫を上げて、私達は地べたに寝転がった。

「みんな!大丈夫!?」

「あ、ああ……大丈「うわあああああああん!私までベチャベチャになりました!先生温泉連れてって下さい!!」……だそうだ。フフッ」

もみくちゃのべちゃべちゃになった私達に駆け寄ってきた先生。私が生返事を返そうとすると、ヒヨリがそれに被せてきて号泣する。変わらないヒヨリに思わず吹き出し、そして無事だったことを噛み締めた。

 

 

 

________その後、私達はゴミ捨て小屋の中に入り、奥の方でぽつんと置かれていたマミー人形を回収した。

「サオリ、それで間違いない?」

「ああ、先生。これが私が拾ったマミー人形だ。私はずっとこれを人だと思い込み、マミーと呼んで慕っていた。不思議だけど、とても温かい時間だったよ。優しくて、楽しかったことを覚えてる」

「サオリ……」

「分かってる……分かっているさ。これは私の母親じゃない、ただの人形だよ」

マミー人形は姫が持ち帰り、どこかで焼却処分されたらしい。私も参加しようと思ったが、またあの日々を思い出しそうでやめた。これで私以外の被害者が出ることはないだろう。……姫は「ここまで来たら、可哀想だけど燃やすしかない」と言っていた。きっと姫がそう言うのならそうなのだ。仕方のないことだと飲み込んだ。

また、私の腹部に縫いついていたフェルトの管も取り外され、一緒に燃やされた。後日シャーレで秘密裏に私の健康診断が行われたが、腹部の縫い付けられた時の傷以外は外傷もなく、体内に何か残ってるわけでもない、至って健康体だった。あの管が何だったのかは謎のままだ。

私は迷惑をかけてしまった先生、ミカに謝罪し、助けに来てくれたミサキ、ヒヨリ、姫に感謝した。皆笑って「気にするな」と言ってくれたが、何かお返しをしないとな。

そしてバイトだが、業務中の無断早退が理由でクビになった。残念だが、これも仕方のないことだ。あの時はどうかしてたとは言え、やったことは事実だからな。

あの夜のゴミ捨て小屋の出来事は先生が手を回し、「付近で起きた銃撃戦の余波で発火して、備え付けの水道で消化したら水浸しになった」と言うことにしたらしい。私はバイト代をゴミ捨て小屋の修繕費として寄付し、ゴミ収集業者を後にした。これ以上トリニティにいる理由はない。また新しいバイトを探さなければ。

 

 

 

「________でも本当に良かったの?私まで呼ばれて」

上手に焼けた肉を頬張りながら、ミカは私に問いかける。

「ああ、大丈夫だと言われたからな」

そう言って私も上手に焼けた肉を口に入れた。

ここはゴミ収集バイトの上司の家の庭。上司がお別れ会と称し、私のためにバーベキュー会を開いてくれたのだ。もちろん最初は遠慮したし何なら奥さんの弁当を落としてしまったことを何度も謝った。それに対して上司は、

「気にすんなって!それよか嬢ちゃんが元気になったようで何よりだぜ」

……と、快活に笑いながら許してくれた。さらに私の友達も連れて来るようにと言い出したのだ。

「でもさ、そう言うのって本当に大切な人しか呼ばなくない?先生とスクワッドはともかく、私は違うでしょ?」

「何を言ってるんだ?ミカも大切な友達だぞ?」

「……わ〜お、そんなこと簡単に言っちゃうんだ」

よく分からないが、顔を真っ赤にしたミカに私は首を傾げた。

「アズサちゃんは呼ばなかったの?」

「アズサとはまだ、話をしてなくてな……」

「あ〜……。きっとまた仲良くなれると思うよ」

「……ありがとう」

そんな風にミカと話していると、奥さんと娘さんがこちらに近寄ってきた。

「おねーちゃん、どうぞ」

「うちの子が焼いたのよ、食べてみて!」

「………ああ、ありがとう」

焼きたての肉が乗せられた皿を差し出され、私は今度こそ落とすことなく受け取る。

「……うん、おいしい。食べさせてくれてありがとう」

「どういたしまして!」

娘さんはパッと笑ったと思いきやその場でピョンピョンと跳ね回り、全身で喜びを表現して見せた。彼女の……上司の家族の笑顔を見ても、もう前みたいに心が掻き乱されることはなくなった。憧れはするがあそこまで病的に執着することは無くなった。あれもマミー人形の力だったのか、分からないがきっともう大丈夫だ。

「サッちゃん、おじさんがギター弾いてくれるんだって」

「先生、それってリコーダー?何で懐からそんなもの出てくるの?」

「止めないでくれミサキ!負けられない戦いがそこにはあるんだ……!!」

「対抗しようとしてる?無理だと思うけど……」

「何それすごい面白そう!サオリ行くよ!」

紙皿を手に飛び出してったミカに溜め息を吐き、私も後を追う。楽しくて温かい時間は続く。その中で私は、たくさん笑うことができたと思う。

 

 

ここだけサオリが裏バイトで働いていて、ひどい目にあったりあわなかったりする世界




錠前サオリの裏バイト奇譚8

業務内容:ゴミ収集
注意事項: 『捨てられたものを持ち帰らない』
勤務期間:12日間
給与額:1時間1400円×92時間=128800円

コメント: 全額をゴミ捨て小屋の修理費用に寄付したため、実質的な収支は0円となった。ミカと連絡先を交換したことが1番のプラスか。
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